葉月のまったりブログ

中の人の日常体験とか思ったこととかを雑記的に記していくそんなブログです。

健康で文化的な最低限度の生活を送りたい

皆さまこんにちは。葉月です。

 

ツイッターでポツポツと発言してはいますが、1月末からついに念願の一人暮らしが始まりました!

これから社会人になる身、仕事と生活の始まりをいっぺんに体験するのは大変だろう、ということで一人暮らしを少し早めに行うことに。

社会人1年目(?)は、なるべく会社にいって顔を認知してもらうことが大事だと思っていて、仕事場は東京の方ですが、なるべく近くに住むことに決めました。

ただ、職場が山手線も山手線の近く。

東京といっても、葛飾区、足立区、板橋区などの23区内の外側、もしくは中央線沿いにいけば家賃はまだマシかもですが、満員電車が嫌いな私は(千葉方面から東京に向かう列車って、どれをとってもメチャ混むんですよね……)山手線の近くに住むことに。

当然っちゃ当然ですが、家賃が高い。というか、生活費用そのものが高い。

そんなわけで、家電を買うと生活費が無くなるので、洗濯機、冷蔵庫は買えません。

……いやまぁ、こんだけ今年度に旅行したり企画やったりしておいて、すまし顔で「お金ありません」って言うのはどうかと思いますが、いかんせんまだ働いてないのに、そんなにお金を使うわけにもいかず。

家賃がざっくり9万円なのですが、前払い家賃とか含めたら、1~3月で30万円くらい払わないといけない。30万って、私が8月に1か月やった旅行代くらいのお値段ですから、もう高い高い。

ただ、安い家電を先に買って、後から買い替えるのはあんまり好きじゃない。

じゃあお金が貯まるまでは、家電なしで生活をしてみようか、という発想に。

 

でもまてよ。と、ここでふと思います。

ただただ家電なし生活をするのは、普通に苦行というか貧乏というか、そんな感じなのですが、家電が買えないならいっそのこと振り切っちゃうほうがいいんじゃないか?

これ、企画にしたら面白いんじゃないか、と思ってしまいました。

なので、ただの家電なし生活なんてしません。

電気、ガス、水道。これらもなるべく使わないように、生活をしていきます。

普段はあって当たり前なインフラ。でも、2024年の元日に北陸を襲った地震は、インフラは何もせずに当たり前に存在しているものじゃないことを改めて私たちにつきつけてきたと思います。

資源があり、それを供給、メンテナンスをする人がいて、初めて基盤が作られる。

現代人がどれだけインフラに頼り、資源を使って利便性と時間を手に入れているか、この春休みに体感しよう。そして、そのありがたみを再確認しよう。

企画なので限界を攻めたいところですが、2月の真ん中にはベルギーに帰省、そして2023年度最後の企画を行っていくので、2月の最初の10日くらいの間で企画を行おうと思います。

楽しんで生活をしつつ、「健康で文化的な最低限度の生活」のギリギリを自ら破りながら生活していこうじゃないか、というコンセプトで暮らしていきます。

 

 

概要:

1. 冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機を持つのを禁止

まぁきっかけがこれですし、ルールというか当然の縛り。

これに加えて、アウトソースもなるべく禁止します。例えば弁当をスーパーでチンしたりとか、コイランドリーを使うとかですね。ただ真冬も真冬な今、コインランドリーを禁止したら生活が嫌になりそうなので、使う所は使っていこうかなぁと。

2の項目とも関連しますが、炊飯器を持つかどうかは悩みどころです。鍋でコメを炊くことは出来るのですが……。

 

2. 電気、ガス、水道をなるべく使わない(ポイントは「なるべく」です)

家電がないよりもインフラを全面禁止したほうがつらいですが、「なるべく使わない」の精神でやります。

電気がないと現代っ子としては相当しんどい。ただ代替できるものも多く、スマホの充電は太陽光発電から、蛍光灯はランタンと太陽光で、……まぁできなくはない、かな。

デスクトップPCは置物にするのもアレなので(デスクじゃないと出来ない作業もありますし)、作業で必要な時は時間を決めて使うようにします。

ガチで電気を使わないようにするなら、太陽光パネルと電源を買って、その電源から電力を供給するようにすればいいのですが、お金ないがスタートなのに、初期費用がかかるとか意味分かんないのでボツ。

ガスと水道は、電気よりも根源的なインフラだと思います。昔は火でやっていたものがガスが動力源になっており、賃貸マンションで火を使ったら……、追い出されます。

そして人間って水飲まないと死にますので、水分補給、トイレ辺りは縛りません。

縛ってもいいんですが、結局公衆トイレとか、水飲み場を使うだけになると思うので、アウトソースしていることに変わりがないというか……。

シャワーも縛りを考えたのですが、お湯を袋に貯めて穴あけシャワー(参考. オードリー春日さんの節約生活)は死にそう。体拭きシートとかで代替できそうですかね。

調理はEthical Use的にやっていきたいです。電気(太陽光、火力etc)はガス(NLG?)よりも少ない資源でエネルギーを作っていると考え、電気かガスかを使わざるを得ない状況に追い込まれた時は電力を使うようにします。

この縛り的には、ガスで炊飯するよりも、炊飯器を電気で動かしたほうが良さそうなんですよね。悩むなぁ……。

 

ちなみに友人が遊びに来た際には、企画生活か普通な生活か選択してもらうことにします。生き方の押し付けって良くないですからね()

企画通りの生活で良ければそれにしますし、無理ならエアコンとか電気を開放します。

 

3. すでに使われている資源のフリーライドには制限をつけない

少しわかりにくいですが、これは商業施設や公共施設などでは(当たり前ですが)エアコンや電気があり、そこに居座って快適に過ごすのを良しとする、という感じです。

私が居ても居なくても、図書館やビルの電気はついていますし、エアコンがかかっていて快適な空間になっているので、私が居座ることで消費される資源が増えるわけではないんですね。

(まぁたまに人感知で電気がつくタイプの施設とかありますが……。そういう所に居座るのはナシで)

なので、その恩恵にはどんどん与っていこうと考えており、フリーWifiなんかは活躍するんじゃないかなぁと。

 

 

生活の概要:

食事 - お米は食べないとつらいので、食べましょう。

おにぎりを安く手に入れるか、炊飯器で1日分を炊いてしまうか。

基本的に冷蔵庫ナシで生きる場合には、生鮮食品はその日中の使い切りが必須になりますが、そもそも一人暮らしの食事の量では使い切れないことが多いです。

よって、野菜の接種が相当難しくなるのですが、トマト、野菜ジュースの一日飲み切りサイズを買うか、コンビニなどで売っているコールスローを食べる、辺りが解決策になると思います。

また缶詰が増えます。大豆ミート鯖缶、トマト缶辺りはけっこう役立つかな。

 

洗濯 - ここは若干ずるいのですが、実家に相当量の服があり、処分を考えていたので、この企画をやっている間にいらない服を着て処分、という流れを考えています。

一応手洗いでの洗濯を考えていなくもないんですが、冬なのでかなーりやりたくないです。つけ置きで洗うやり方があるとかないとかなので、やる気がでたらやるかも(適当)

 

風呂 - 水風呂は本当にオススメしません。死にたくなります。

前回の一人暮らしは夏だったので、ガスなし生活の時に水風呂を浴びてみたのですが、体の震えが止まらなくなり、頭を洗うだけで精一杯でした。

水風呂はサウナで体を温めるから有効なのであって、常温から水風呂を浴びるとヤバいんでしょうね。

概要の2でも書きましたが、体ふきシートや節水辺りが候補でしょうか。

 

掃除 - クイックルワイパーで十分です。

これは前の一人暮らしの時も思ったんですが、掃除機って必要ないような。

カーペット、ラグを引くと掃除機が必要になる感じはするんですが、フローリング直で生活をしていると、なんなら雑巾1枚で大丈夫な気がします。

物を持つと、それを維持するためのものが必要になるという流れがあるような気がしました。

 

 

というわけで、こんな感じの生活を1/30~2/9までしていこうと思います。

体調崩しや緊急の事情なので変わる可能性がありますが、インフラのありがたみを実感していきます。

 

参考

- オードリー春日さんの節約生活(https://www.youtube.com/watch?v=Jn7b_fLTe4c,

https://www.youtube.com/watch?v=0w56-VM7NRc

- 冷蔵庫なしミニマリストのブログ(https://www.minitact.com/entry/2019/08/05/120000

シェアサイクルで140km北を目指す

皆様こんにちは。葉月です。

 

またまた変なこと企画、やっていきます。

12月は卒論を仕上げるのにかなり時間を取られてしまったので、もう少し旅行系で変なことをしたかったのですが、そんな時間もありませんでした。

今回の企画は、シェアサイクルを用いて、(自宅付近のサイクルステーション)~東京~日光まで自転車で向かいます。

卒論の製本も気合で終わらせた年末、パーっと忘年するか、みたいなテンションで、体の限界に挑んでいきたいと思います。

……と、元々はそういうった感じの予定だったのですが(上記執筆時は12月中旬)、年末にかけて体調が悪くなってしまい、実際に行けたのは1月という。

ま、まぁ年始で去年のことを忘年しても、いいよね!

 

一応、今回の企画創作の経緯について軽く触れますと、5月に箱根まで歩ききり、東海道の一区切りまで進んだということで、次は北に行こうかと考えます。

友人からアイデアをもらい、「白河の関越えをして関東脱出」を企画したものの、時期が時期なのでめっちゃ寒いし補給できなさそうだし、そもそも距離的に2泊しても着くのか怪しい…。

7月とかならまだいいんでしょうけれど、12月の企画としてはリアルに死ぬ可能性があったので、もうちょっとマイルドなところまで北上しよう、と考えたときに思いついたのが日光街道でした。

徳川家康を祭っている日光東照宮まで、江戸から参拝道路として伸びているのが日光街道。宇都宮までは大体現在の国道4号線と一致しているので、ちょうど歩いてみたかった場所でもありました。

しかしながら1日では難しい距離なのは変わらず(140kmほど)、年末だとホテルとか高いし、いい感じに徒歩で区切るのも難しいなぁ…、と考えた時に、そもそも徒歩じゃなければいいじゃん、と思い始めます。

車は快適なので論外。自転車とかいいかも! そして自転車なら1日頑張れば200kmくらいまではいける。でも自分の自転車を持っていくと、帰りは輪行しないといけないから面倒…。

あ、シェアサイクル使えばいいじゃん! 片道で乗り捨てできれば最高!

というわけで今回はHello Cyclingというシェアサイクルサービスを使って、東京(というか自宅付近のサイクルステーション)~日光まで走ることに決めました。

まぁ実際はシェアサイクルの都合からルートを変更したので、ふんわりと日光街道に沿った感じ、くらいになりましたが。

 

日光東照宮にお参り(初詣)をしたかったので、早朝に東京を出発したら営業時間に間に合わない(冬季は9~16時まで)だろうと考え、今回は夜通し自転車企画になりました。

一応こういう企画のために使っていいのか、Hello Cyclingの事務局に問い合わせたところ、「バッテリーが持つなら大丈夫ですよ~」との回答を頂いたので、大丈夫とのことでした。

バッテリーが持つなら、ねぇ……。

(「すいません、東京から日光までシェアサイクルを使いたいんですけれど、日光で乗り捨てても大丈夫ですか?」とメールで問い合わせたんですが、普通に返信が帰ってきました。こういう企画している人はわりと多いのかな? )

ロードバイクなら160kmってそこまでハードではないですが、今回は乗り捨て可能ではあるものの、普通のシティサイクルなので、ロングライドは想定されておりません。

装備として座椅子のクッションカバーを買って、尻の負担を減らせるような工夫はしておきましたが、さてどうなることやら。

 

 

目次

 

予定と実際のルート

予定では、日光街道に沿うつもりで、東京~宇都宮付近までは国道4号線東北本線とほぼ並走します)、宇都宮~日光は国道119号線を使って進んでいきます。

日光街道を忠実に再現すると、ちょっと脇道にそれたりと面倒なところがありますが、谷塚北越谷よりちょっと先くらいまでの部分については、ルートがそこまで面倒ではないので、日光街道を再現して、県道49号線を使用します。

自宅近辺~東京までも15kmくらいありますが、そこはまぁ、自転車ですし頑張ります()

49号線の辺りのルート(赤が49号線)

東京~日光のざっくりとした予定ルート

そもそも日光にシェアサイクルのポートがあるなんて知らなかったんですが、よく考えたら華厳の滝とか東照宮とかの観光地は東武日光から微妙に距離があるので、電動自転車がいい感じに便利な場所ですよね。

徒歩で行くなら多分1泊しないとキツそう(古河~小山辺りで1泊?)。ただ、歩きとおした猛者もいるので(【ブッ通し徒歩】東京から日光まで不眠で歩いてみた!! - YouTube)、今回の企画も本物の限界…、ではないと思います(時期が違いますが)。

ちなみに先駆者のこの動画は、企画を行う前に見ており、日光街道を思いついた発端でもありました。

自転車ということもあり、徒歩の記録をどのくらい打ち破ることが出来るのか、やっていきたいと思います。

 

……とまぁ、そういう風に考えてはいたのですが、ルートはけっこう変更しています。

東京から国道4号線、県道49号線を使って谷塚北越谷の日光街道の再現までは行いましたが、南栗橋辺りのルートから、自動車専用?っぽい道路と歩行者・自転車のルートが分岐するようになり、その辺りで道に間違え、自動車専用っぽい道路を爆走していました……。

流石にヤバそうだったので、中田町辺りの下道に抜けられる場所から公方通りを使って古河を通過、そのまま進んで4号線に戻るルートを採用しました。

古河辺りの迂回路(南栗橋辺りは自動車専用道っぽい)

さらに深夜テンション?なのか、旧日光街道を再現したい気持ちになり、小山の辺り(粟宮の追分)で265号線に進み、小山まで辿り着きます。

山辺りのルート(赤が265号線)

ここで問題発生、というか、ある意味予想はしていた事態になりました。

元々の予定では、日光まで1台の電動自転車のバッテリーで頑張るつもりでしたが、春日部から使い始めた電動機能によって、小山の時点でバッテリーが半分を切ってしまいました。

原因として、シェアサイクルに付属している夜間灯って、よくあるママチャリみたいな感じでこぐ力で発電するタイプではなく、バッテリーで点灯するんですね。

夜通しの企画にしたが故に、ライトでもバッテリーを喰ってしまい、どこかで自転車を返して、2台目に乗り換えないといけないのでした。

一応自前でライトを持ってきてはいたのですが、2時間くらいで力尽きました。うん…。

(ちなみに終わった後の感想ですと、朝に始めたとしても日光近辺の坂はしんどかったので、ここで2台目に変えなかったら相当きつかったような気がします)

仕方ないので、小山から近い栃木のシェアサイクルポートに向かい、2台目を確保することにしました(31号線を使って栃木まで)。

小山~栃木(栃木からは例幣使街道)

栃木からは日光例幣使街道を用いて、下今市辺りで119号線と合流し、そのまま日光まで進みました。

栃木~日光まで

実際のルートとしては、(自宅近辺)~東京~小山~栃木~日光と、これはこれで栃木を満喫できる道のりだったような気がします。

 

 

所感

自宅近辺~東京(15km)

夜ごはんを食べた後、自宅近辺のシェアポートから出発。体調が万全ではないので、かなり不安を抱えた状態ではありましたが、ちょうどこの日は1/2で箱根駅伝を見ており、企画に対するやる気がかなり出ていたタイミングでした。

地味に東京までで15kmくらいあるので、東京に着いたのが20:28。足はもうすでに疲れてまして、かなり不安になったタイミングでした。まだスタート地点に立っただけだぞお前…。

元々のペースは15km/hくらいで考えていたのですが、大体10km/hしか速度が出ず、いやぁ渋い。

まぁ振り返るとこんなペースくらいだろって感覚です。いかんせん電動自転車は重い。坂を上りやすい!みたいな風潮がある電動自転車ですが、使えるのは坂だけ。

平地とかちょっとの坂ですと、車体が軽いクロスバイクとかロードバイクとかのほうが全然スピードを出せます。3年前くらいに上野辺りまでクロスバイクで行った時は13~15km/hくらい出せていたので、電動ならもっと出せるだろ、と思ったのが間違いでしたねぇ……。

 

東京〜谷塚近く(49号線との分岐; 16.6km)

22:11に到着。夜通し企画になると休憩場所で本当に困るので、24時間営業のコンビニが本当にオアシスに見えました。

ありがとう、セブン/ファミマ/ローソン……。

ちなみにトイレを貸してくれるかどうかって、コンビニによってかなり違うんですが、今回コンビニに10回以上休憩で立ち寄った私の感覚ですと、チェーンによって違うというよりも、どのくらい駅や市街地に近いか、国道から近いか、という立地にかなり左右されるなぁと思います。

これは、恐らくトラックの休憩場所としてのコンビニの役割があると思います。

国道近くのコンビニになりますと、深夜2時とかでも人がチラホラいて、トラックの座席で寝ているアンちゃんをよく観測できます。

荷物の運輸は深夜帯でも活発ですので、トラックを停めて仮眠を取れる駐車場のスペースがあり、トイレにいけ、軽食を手に入れることができるコンビニは重要な拠点になっているのでしょう。

逆に市街地や駅チカは、近くの公衆トイレとか、施設内のトイレとかがあるので、コンビニがわざわざトイレを貸し出すまでもないんでしょうね。

そんなコンビニに休憩で立ち寄り。この時すでにかなり疲労が溜まっており、もう眠いのに、東京からまだ17kmくらい。

辞めてぇ…、となりますが、流石に埼玉に入ったばっかりなので、こんなところで辞めたら箱根まで歩いた自分に顔向けができない、ということで、粛々と自転車で進むことに。

個人的にサイクリングしてて楽しかったのは東京~三ノ輪辺りまででしたね()

 

谷塚近く〜春日部(20.8km)

0:15に到着。個人的には一つの大きなチェックポイントでした。

東京から4号線で北上してぶつかる都市の中、東武線の中でもかなり大きい場所ですし、リアルな話、この企画はここら辺までなら辞めるのが簡単なんですよね……。

春日部からはシェアサイクルのポートが激減するので、自転車を返す場所まで向かうのが一苦労。加えて休憩中に調べて知ったのですが、ここから先の快活クラブも激減。

一晩休憩するにしても、企画を放り出すにしても、ここの場所での決断がかなり重要になります。

東京に着いてペースが遅いことを危惧した際、元々は古河近辺の快活で仮眠をとり、深夜~朝方の寒さを回避し、営業時間ギリギリで日光に向かおうと考えていたものの、頼みにしていた快活がそもそもないという事実。

春日部駅近くのセブンでトイレに20分くらい引きこもって悩みましたが、春日部で休憩をとったとしても、朝起きて100kmくらい残っているという状況はリタイアに繋がるだろうと考え、元々の予定通りに夜通しで走ることを決意しました。

今までの企画では使用していなかったRedBullを体に流し込み、使わないようにしていたバッテリーの電源をオン。

足の疲労もかなりヤバい状態でしたが、電動アシストの力を解禁して、0:44に人通りのない国道を走り始めました。

 

春日部〜幸手(11.9km)

1:45に幸手近くのコンビニに到着。幸手から少し進んだ先に快活があったのですが、ここを過ぎたら小山まで無いのか……、と思うと複雑な気持ちになりました。

電動をオンにしたらけっこうラクになり、カフェインのおかげかも分からないですが、ここら辺はわりと楽しく運転ができました。

ただ埼玉県に入ってからずっと感じていた寒さが激しさを増し、今回の企画に備えて3枚重ね着を用意していたのですが、それを全部着ても冬の寒さが服を貫通してくる事態に。

電動アシストも電池が切れたら積むので、エコモードで節約しながらの運転をしていました。

疲れについては、考えたら負け。

 

幸手〜古河(15.3km)

3:02に古河駅に到着。もうしんどい。寒さと眠気がどんどん増してきていて、どうしたらリタイアできるかをずっと考えているときでした。

わりと本格的にリタイヤを考え始めていたので、小山の時点で時間的に間に合わなければとか、自転車のバッテリーが切れたらとか、日光で空いているポートがなければとかいろんな辞める理由を考えていました。

いい意味でも悪い意味でも、足のつらさとかから目を背けることができていたような気がしなくもないですね()

ルート紹介のところで触れましたが、幸手~栗橋辺りのルートから、道を間違えて自動車専用っぽい道路を爆走してしまい、車が近くをかなりのスピードで通過する中を恐る恐る運転していました。

でもこの企画は歩きと違って、自転車を返さないといけないので、電車にも乗れず。

深夜3時の古河駅、フラフラな状態で自転車を押しながら駅のコンコースに入ってきたヤツがいて、時刻表を見ながら「ウワァァッァー」とか叫んでたので、かなりキテましたね。私なんですけど。

古河駅前のコンビニはトイレの利用時間が~20時までとかでした。これだから駅前のコンビニはよぉ、、となりましたが、国道近くのコンビニまでちょっといったら余裕でトイレを使えました。

やっぱ国道近くのコンビニよ。

ちなみに人生で初めて便所飯をしました。外は寒いし、イートインがないとなると、コンビニのトイレで補給するしかなくないですか、、、

 

古河〜小山(16.8km)

4:35に小山に到着。辞める理由をいろいろ探していたものの、全部無くなります。

このペースでいけば、休憩を挟んでも昼頃には日光に着きそうだったこと、栃木でバッテリーが十分そうな自転車があるから乗り換えができること、日光のポートは普通に空いているから返却ができることがあり、辞める理由が全部潰れて発狂しそうでした。

この時に残しておいたメモが「寒い眠いああああああ」だけですからね……。

メンタルはやられてましたが、小山の駅は相当大きく、オール飲み後と思われる大学生集団が始発を待っていて、ちょっとエモな感じでした。

小山発の熱海行きは5:04発。

自転車ではなく徒歩で来てたら、これに乗って東京に6:30着。神田の快活で適当にシャワーでも浴びてゆっくり寝れば、まだ1/3の昼くらいか……とか、徹夜明けのぼんやりした頭で考えていましたが、私の隣にいた、自宅近辺から走らされてきたヤツがそれを許してくれるわけもなく。

一日で最も寒い時間帯、夜明け前の県道。遠くにうすぼんやりと見える北関東の山々。

辞めたい気持ちを抱えきれないくらい背負って、ただ山の奥に鎮座する日光を目指してペダルを踏みこみました。

 

小山〜栃木(10.3km)

5:47に到着。栃木の時点でかなり達成感がありました!

小山も大きい駅ですが、栃木も両毛線東武日光線などが乗り入れる駅で、宇都宮とは違った駅舎の趣があります。

またしてもここで辞めたくなる気持ちがムクムクと湧いてきました。

というのも、ここで自宅から一緒に走ってきた自転車を返却、次の自転車に乗り継いで日光まで目指す予定だったのですが、自転車を返却した瞬間、電車に乗って帰れるようになってしまいます。

いやまぁ日光まで行かないとって思って来てはいるんですが、つらいものはつらい。

東武線の時刻表と料金表を眺めて、東部日光まで電車で一本かぁ…とか考えちゃいますよ。

いかんせんここから日光までは自転車がどう考えても不利です。

値段は3倍(電車670円 vs シェアサイクル1800円)、時間は5倍(電車1h vs シェアサイクル5h)かかります。

遅い上に金もかかる。バカなの?

駅前のコンビニに倒れこむように入店し、トイレの便器に座ったとたん、瞼ががっつり降りそうになります。

トイレで寝れるな…となるくらい眠気はヤバい。椅子に座ったらももが痛い、電車に乗っても帰れてしまう。ハンガーノックっぽくなっていたのか吐き気もしていました。

何か一つでも崩れていたら、例えばここで吐いてしまう、なんて事態があったらあっさりリタイアしただろうなぁと思います。

たっぷり40分くらいコンビニのトイレの暖かみを堪能して、少しだけ心が前向きになったところで、やっぱり日光に自転車で辿り着くバカになりたい、と思い、コンビニでおにぎりを買って外の風景を見ると、きれいな朝焼け。

箱根歩きの時は、相模湾に沈む夕日に涙腺を刺激されましたが、今回もまた太陽に支えられました。

まだ、足掻いていたい。

まだ、この企画は終わっていない。

これから一日が始まる。

世間の人にとっては三が日最後の日が、私にとっては、日光に辿り着くであろう日が。

やるしかないな、と覚悟が決まったので、栃木駅前で充電がしっかりとされていた自転車をレンタル。

6:45。2台目の自転車に跨って、日光を目指すことにしました。

 

栃木〜鹿沼(22.4km)

8:15に到着。いい感じに何もない道路であったこと、栃木の駅前でやる気になったことから、鹿沼までサクサクと進んでいきます。

一番寒い時間帯が終わったから、だんだんと暖かくなるかと思ったらそんなことはなかったです。普通に2℃とかでした。寒い。

ただ太陽がだんだんと登ってきており、一日が始まっていく感覚を感じることができたので、ラストスパートをかけるかぁと思いながら、鹿沼からも進むことに。

どうでもいいですが、屋外の公衆トイレとかを使った際、便座に座ると寒すぎて震える現象に名前をつけたい、とか自転車をこぎながら考えていました。

ウォシュレットとか温感便座は、私は甘えだと思っていましたが、こういう企画をしていると欲しくなりますよね。

 

鹿沼東照宮(29.1km)

そうして11:40。日光に到着しました。正確にいうと神橋までですね。

いい感じに休める感じのチェックポイントが無かったので、コンビニで10分くらいの休憩を挟みつつ、勢いで走りきってしまいました。

鹿沼辺りまでくると、青看板に日光の文字が見えてくるので、かなりテンションが上がります。

道はそこまで分かりにくくはなかったものの、JR日光線の文挟(ふばさみ)近辺に、道の両側に杉がずっと生えている区間がありました。

昔の道がそのまま残っているのかなぁと、普段なら思いを馳せて楽しいかもしれない場所なんですが、いかんせんこっちは徹夜で自転車をこいでいるので、景色が単調なのはつらい。

しかもこの区間は、歩道が砂利でガタガタなので車道を走るしかなく、日光、鬼怒川辺りに向かう車がビュンビュン速度を出すので普通に怖い。

そして何よりも、最後の最後で登りがきつい。

日光市下今市)につくと、もう日光まであとちょっと、と思うのが普通だと思うんですが、下今市~東部日光が地味に長い(7km)上に、登り勾配がきつめです。

この辺りまでくると、電動アシスト全開でサポートをしてくれた2台目も、バッテリー残量がほぼ0に。

最後も最後なので気合で足を動かし、東部日光に辿り着いた時は、観光客でごった替えしていましたが、思い切りガッツポーズを決めていました。

ただまぁ、何だかんだ観光客でごった返していた東部日光~東照宮の辺りを自転車で押し歩いたのも面倒でしたね。普通に坂きつかったですし、徹夜明けの疲労もあり、人込みはしんどかった。

 

というわけで、東京から日光まで、20:28~11:40(15h12m)で143.2kmをシェアサイクル2台で走りきりました!

自宅から東京までが15kmくらいなので、ざっくり合計160kmは走りましたね。もうやりたくないです。疲れました。

 

 

全体の感想

箱根ほど、ではなかったですが、箱根の8割くらいはきつかったです。

一番の感想は、なにより電動自転車はスピードが出ない、ということ。車体が重いっていうのもあると思いますが、平地は電動アシストを使わないとペダルが重いし進まないしと大変。

スピード重視の企画には向いてないかもですね。クロスならもっとグイグイ進んだでしょうが、まぁシェアサイクルで乗り捨て前提の企画でしたし……。

そして、自分の体を使って発見したのですが、歩きと自転車で使う筋肉は違う気がします。歩きは足の下部(下腿三頭筋?)、自転車はハムストリングスを使っている感覚があり、企画が終わった後で電車に乗ろうと歩いた時に、普通に歩行が出来ていたので不思議な感覚でした。

こういう企画後って歩けなくなるくらいヘトヘトになるもんだと思っていたんですが、体力的にはもうちょっとあっても大丈夫だったかなぁと。本当にきつかったのは自転車で使う足の筋肉と眠気くらいでしたね。

歩きで鬼怒川温泉に行き、温泉に入ってから東武線で帰っても良かったかもなぁ…、とこのブログを書いている時に思いましたが、温泉で寝落ちする未来が見えるので流石にダメか。

加えて、所感でもちょこっと触れてますが、24時間営業の店が本当にありがたかったです。

道中、24時間営業のファミレスやコンビニを見かけることがしばしばあり、しかもちゃんと利用者がいたんですよね。なんかのラノベの作者あとがきで読んだんですが、24時間営業のファミレスで深夜に執筆をする、みたいな人もいるらしく、少ないにしても需要を支えているように感じました。

こういう限界企画のためでは絶対にないですが、24時間営業の深夜帯に働いている人には本当に頭が上がりません。私が各所で立ち寄ったコンビニの店員さんも、本当にありがとうございます。

また、道路も24時間営業だったように感じます。救急車、パトカー、そしてトラックと、国道4号線が完全に休まっている時間はなかったですね。深夜帯でも2~3分に1回くらいは車とすれ違ったり、追い越されたりしました。

2~3時で新聞の朝刊を配達するバイクとすれ違ったりと、普段我々が生きている生活の裏に、深夜や早朝に働いている人、インフラを支えている人が確かに存在することを感じることが出来ました。

 

もうこの企画はやらないと思いますが、夜通し企画はまさに大学生って感じで、普段の生活では見えない裏側を覗いている感覚が非常に良かったです。

今年度の変なこと企画も残り数少なくなってきましたが、次は何をしようかな。

春休みが楽しみです。ではでは。

2023年の振り返り

皆様こんにちは。葉月です。

 

明日のツイッターでも振り返りをするとは思いますが、一応文章の形で残しておこうと思い、この記事を書いてみました。

いろいろあったようななかったような、そんな2023年が終わりそうですが、振り返りたいと思うことは大体過去記事とかで振り返ったような気がします。

なので、この記事ではざっくりとした2023年の所感とか、自分のこれからのことについて書いていきたいと思います。

ふと思うと、1年前に自分はカナダにいたんですよね。

そして2024年1月末には社会人に向けた一人暮らしを始めるので、1年足らずでまた違う場所に住むことになり、束の間の休息というか、幕間のような1年でした。

 

2023年。振り返ってみると、きちんと1年として時間が経った1年でした。

変な表現かもですが、2022年(カナダ留学をしていたとき)は本当に時間が経つのが遅く、生きるので精いっぱいで、体感3年くらいに感じていたので、2023年は短かったような気すらしてきます。

ただ何もしていなかったわけではなく、むしろカナダ留学で少し貯まったお金を散財?するように、日本のいろいろな場所を巡ろうとしましたし、学生だからこそできる、と思っている変なこと企画もやっていました。

友人からの影響もありますし、元々旅行が好きというのもありましたが、今年は輪をかけて旅行をしていた気がします。

まぁモラトリアムの時期ですし、卒論を書けば卒業できる段階まで単位を取り切っていたので、ある意味では当然の権利を行使しているともいえるでしょうか。

しかし、最初は卒論も適当にやろうかと思っていたけれど、やっていく内に学んでいる学問の楽しさを思い出しました。

仮説を考えて、データを集めて、分析検証をする。

データ分析には興味があったので(そういう方向の仕事をしたいと思っていますし)、卒論もそういう意味では楽しくやれるのも当たり前だったような気がします。

卒論をやっていく中で、博士課程の人や修士に進んだ同期のアカデミアに生きる価値観に触れることもでき、ちょっと予定とは違いましたが、楽しく過ごすことができました。

そういう意味でざっくりと総括すると、遊びに研究に、やりたいことに全力投球できたなぁと満足する1年です。

 

さて、来年は社会人なので、2024年は頑張りすぎないように、社会人の暮らしに体をなじませたいと思います。

一人暮らしは好きというか肌に合ってますし、カナダでシェアハウスで暮らしていた時の感覚を少しアップデートすれば十分暮らせると思っているので、暮らしに関しての心配はないですが、それ以外の部分には若干の懸念はあり。

特に仕事の部分。忙しいとされる職種に入るので、日本で働いたことがない私としてはかなり懸念を感じています。

カナダで下っ端をしていた時は「残業なんてありえない!」という空気感で過ごしていましたし(マネージャーはそうでもなさそうでしたが…)、その肌感覚のほうが正しいとも思っていますが、日本はそうでない可能性が。

Karoshi(過労死)が英語になってしまうくらい、長時間労働が問題視(そしてその認識、見解が払拭されていない)されている中、果たして自分の労働環境を整えることはできるのか、というのは疑問です。

また、Z世代でQoLが~みたいな話を見ますが、それと似た話題として「私生活と仕事」の在り方があります。

私自身は仕事と私生活を切り離しすぎないほうがいいと思っていますが、その理由として、仕事もある程度「私的」に楽しいと思うものをすべきだと思っています。ただ、仕事と私生活を重ねすぎると、仕事という柱を失ったときに自分の人生に受けるダメージが大きい。

投資で最初に教わる「一つのバスケットに卵を入れない」という話ではないですが、仕事以外で自分が打ち込めるもの、楽しめるものをいろいろ開拓していくのも大事じゃないかなぁと思います。

そう考えると、自分自身が楽しくやりたいと思うことってなんだろう、となりました。

カラオケとか、ギター/ピアノとか、元々小さいころにピアノをやっていたのもあり、音楽は好きなので、音楽系で教室に通ってみるのもいいかもなぁと思ったり。

大学で合気道を続けていましたが、これを続けるかはまだぼんやりしています。

旅行は金がかかるのと、時間を取られる趣味なのは間違いないので、何回も行けるか分からないですけれど、自分の仕事の興味とも関連するので、隙を見て行きたいなぁとは思っていますが、そんな余裕があるのでしょうかね…?

 

まぁ2024年の走り出しはそんな感じで行きたいと考えていますが、もう少し遠目の目標として大きく二つあって、1. 親の年収を超えたい。と 2. 誰かと生きる伏線を作る。をやっていきたいと考えています。

1. 親の年収を超えたい、については、私がこれから始める仕事はかなり忙しいほうの職種、と書きましたが、一応稼ぎもいい職種ではあります(これが釣り合ってないと最悪です…)。

そして、親を超えてこそ子供の成長というか、独立が達成されると思っているので、師を超える、みたいな感じで親の年収には勝ちたい。

年収が仕事の大事さじゃないとか、これからの世代が親の年収を超えるのは難しいとか、そういうのは一応理解した上で、(どう書こうとしても歪に見えると思いますが)能力的にも学歴的にも親には負けてないと思うので、単純に年収というステータスの一つにおいて親を超えたい、といった感じです。

多分ただの負けず嫌いの延長線上にあると思います。

とは言っても、今の親の年収には勝ってもしょうがないので、親の全盛期の年収に大体の予想をつけておき、それを超えるまでは年収を上げるように頑張ろうかなぁといったくらいの感じで。

もちろん自分の体とか心を壊しそうになったら引くべきなのだとは思いますけれども、やれる限りは「稼ぐ」ことに力を振ってみたいなぁと。

そして、それと若干矛盾するような気もしますが、2. 誰かと生きる伏線を作っていきたいと思っています。

(自分自身がはっきりと一人で生きるかそうでないか決め切ってないし、決めないでいいと思っているところなので、ふんわりした表現になってはいますが…)

そう思った理由として、遠距離恋愛が終わった後のカナダ留学の後半戦で、一人で生きていても楽しかったということ。

言い換えれば、一人で生きること自体は、今の自分から何も変えなくても普通にできて(楽しんで)しまうだろうと思ったからです。

遠距離を含めた恋愛経験が楽しかったのも事実です。いい意味でも悪い意味でも、自分の知らない自分を思いっきり鏡で見せられるような衝撃を感じるときがあり、自分に足りないもの、至らない点を多々見つけました。

ただ、多分このまま何もしなかったら普通に一人で生きられてしまう。

当たり前ですが、誰かと居ようと行動をしない限り、誰かと生きるなんてことにはならないと思いますので(友人にしても恋人にしても)、一人で生きるよりもやらないといけないこと、面倒くささがあります。

自分の人生にとって、どういう選択肢が「いい」未来を創るのか分かりませんが、他人と生きることもできるけれど、それを選択をできる上で、一人で生きるか誰かと生きるかを考える状態。

選択肢を増やす、という話に近いかもしれませんが、そういう状態にしたいなぁと考えています。

方法としては彼女を作る、というのもありますが、料理のスキルを身に着けるとか、一人暮らしをきちんと暮らすとか、自分磨き?をするとか、その辺もありますかね。

後者の「自分を高める」みたいなことは、意識をしなくても勝手に私自身がやろうとする性格な気がしているので、むしろやるべきは相手を探すことでしょうか。

ぼっちの時間をきちんと確保しつつも、一緒に居ることが出来る、まだ顔の知らない誰かを探しに行くのも楽しそうかなと。

 

こういう雑記はいい感じにまとめられないので、いつも締め方に困ってますが、まぁ来年も8割くらいで頑張っていきたいですね。

仕事の具体的な方向性などは、来年~再来年辺りにある程度指針が立っているといいなぁと思いながら、2023年を締めたいと思います。

来年はどんな1年になるのか分からないですけれど、1年1年を噛み締めるように生きていきたいです。

ではでは。

ちょっとした振り返り

皆様こんにちは。葉月です。

 

私事ですが、11月に23歳になりました。

こうした形でブログに残すつもりもなかったのですけれど、だんだんと冷え込むようになってきて、季節感を感じるようになったので、少し思ったことを書き残そうと思います。

けっこう前に文章を書き始めてはいたのですが、更新を忘れていたら12月になってしまいました…。11月は特に何もなかったはずなんですけれど、何かやたらと時間が経つのが早かった気がします。11月、体感1週間くらいで終わったぞ…?

 

11月の頭は夏日があったりして、暖かかった印象なんですが、誕生日の近くになると急に寒くなってきて、いきなりではありましたけれど、冬が近づいている感触がありました。

葉月は冬が好きで、誕生日の季節だから、というのもありますけれど、それよりも空気が澄んで冷たく、だからこそ暖かい布団や汁物が至高になっていく、そんなマッチポンプなところがいいなぁと思っています。

こういう時期になると、自動販売機のホットの飲み物が飲みたくなります。ココアとかコーンポタージュとかけっこう好きですね。

そして首都圏育ちなので、雪に対してわりと憧れがあります。雪国出身の人からしたら意味分からんと思いますが、曇天の空から街に白い雪が降ってくるのってめちゃ感動しませんか??

加えて最近は地球温暖化とかで全般的に暑い世の中なので、夏の暑さは冷房とか水分補給とかでいろいろと対策をしないといけません。忘れると死にますし…。

ただ、冬の寒さは服を重ねれば耐えることができ、そういう意味でも寒いほうが(まだマシという意味で)いいなぁと思うところです。

 

 

まぁそういうわけで、冬の季節感に少しテンションが上がっている葉月ですが、23です。いやぁ、もう誕生日をバチバチに祝う気分ではないんですよね…。

とりあえず年をとったなぁという実感がすごかったです。19~21とかの誕生日は、どんどんと大人に近づいていく感じ、そして大人として頑張って生きようとしていく自分を祝う気分にはなりましたが、22, 23の誕生日は何というか、「何か変わったのか俺?」という気持ちになってしまいました。

人生という長いスパンで見れば、まだまだ若年期ですし若僧なのは分かるんですが、大学の中にいると、院で研究室に進まない限りは一番年上になってしまうのが悲しいところ(1年休学してますし)で、小学校や中学の時に感じていた、最年長だからどうこう、みたいな優越感もないです。

会社に入ると一番下っ端になるので、来年は違った気分で誕生日を迎えるかもなぁとは思いつつ、とりあえずは23になってしまった事実に向き合っている最中です。

 

 

さて、誕生日の時にふと思ったのが、「年を重ねる」という表現と、「年をとる」という表現の差についてです。

「年を重ねる」って言うと、年月が過ぎていくごとに、どんどんと自分の経験や知識が積み重なっていき、重厚感が増していくような気持ち(年を取ることに対してポジティブ)な感じになるんですが、「年をとる」と表現をすると、比較的ニュートラルな感じに響きます。

「老ける」とか「年を食う」なんて表現すると、ネガティブな感じに響きますよね。

自分の年のとりようをどのように形容するかによって、自分の人生の見方が変わっていそうな感じがしました。

葉月も、21~22で頑張っていた留学の貯金というか経験で22~23を生き延びてきた感じがありますし、もっと遡れば、16~17でベルギーに留学をして、知らない世界に溺れそうになりながら生きようとしたことが、17からの人生で大きなプラスを生んでいるように思えます。

そういう意味でこれからも「年を重ねて」いきたいなあと思い、来年は社会人なので、しっかりといろいろ積み上げていけるように、生きていこうと思いました。

 

 

私は誕生日起点ではなく、暦の1年で目標や計画だったりをするので、誕生日はちょっと早い1年の振り返り、という気分であることが多いのですが、マジで今年は遊んでましたね。

留学後半期で仕事がスローダウンし始めていた2023年のQ1、Q2は日本にイマイチ居場所を見つけられず、少し苦戦して、Q3はほぼずっと遊んでました。Q4も遊び尽くしているわけではないですけれど、小説書いたり、車の運転練習したり、弾丸旅行したいなぁと考えたりしている最中です。

まぁ予想はしていたので別に遊びすぎたとは思っていませんが、来年はまたパチっと切り替えて働いていきたいところです。

来年はどんな1年になるのでしょうね。気になるところです。

ではでは。

18時間カラオケ歌ってきました。

皆様こんにちは。葉月です。

 

突然ですが、葉月はカラオケが大好きです。

テスト終わりはいつもカラオケ。

中高時代の試験明けのルーティンみたいなもので、試験終わりの翌日とかに友人とカラオケに行って、試験の終わりを実感していました。

ストレス発散の方法はいろいろあると思うんですけれど、葉月の場合、ヒトカラに行って叫び散らかすのが一番効果的で、何だかんだ今でも週一くらいでヒトカラしてます。

流行りのJ-POPや最近見たアニメのOP, EDを歌ってストックを増やしたり、お気に入りの曲をマスターしようと5連入れて練習したりと、カラオケのやり方はいろいろですが、今回はそんなカラオケを飽くまで満喫しようという企画です。

というわけでカラオケをしよう!

一人で、18時間。

……。

ヤバそう。

軽く死ねるんじゃないかと思いますが、内定先で必要な資格も取り切って、実質的にテスト明けだったので、ここらで一発やっておきたかった企画です。

という訳で、カラオケの店舗のフル営業時間、18時間カラオケをしてきました(AM11~翌AM5時)。

先駆者はそれなりに居そうですが、ブログでまとめている人は一人しか見かけず(参照:18時間耐久カラオケの記録 | みるかぷねっと)、その人は4人パーティーでやっていたので、ソロカラオケ耐久は私が先駆者ということになりそうです。

せっかく企画としてやるので、歌った曲、歌っていた時間と喉の調子なんかを時間ごとに記録しながら見ていきたいと思います!

高校生の時にヒトカラ8時間をやったことがありますが、わりとどうにかなったので、今回もいけるといいな…。

 

 

目次

 

企画ルール

以下企画ルールです。こちらは事前に考えていたものとなります。

1. カラオケの店舗営業時間ギリギリ(AM11~翌AM5)まで、カラオケを堪能すること。

もちろんトイレや食事、喉が痛すぎて休憩など、いろいろな場合があるので、18時間ずっと歌い続けるわけではありません。持ち込みOKの店舗を選択したので、夜食の必要があればコンビニ等の買い出しも行います(昼夜飯は持ち込みました)。まぁ結果的に夜食を買い出しに行くことは無かったですが。

ヒトカラだと歌いながら曲を選択するのが地味に難しいので、間奏の時間などを使って曲を入れることが出来なかった場合は、歌が終了したら曲を入力します。

 

2. 採点機能の禁止

採点機能を入れると、曲の終わりごとに採点の時間があり、18時間という長丁場を考えるとその時間は大きく響くと判断し、採点機能は入れないことにしました。

歌うことに全振りする、という狙いです。

採点機能があると、微妙に覚えていない曲のCメロなんかの音程のヒントになったりするんですが、今回はそれも禁止としました。

普段は採点機能を入れて音程や抑揚の確認をするんですが、今回はそれがないのでちょっと新鮮に感じました。

ただこれは終わった今からすると、別にマックス18時間歌えないから採点は入れても良かったんじゃね? という気持ち…。まぁルール3的に入っていないほうがやりやすいというのはありますが。

 

3. うろ覚えの箇所が出てきたらその時点で終了

今回は私の歌知識の限界にもチャレンジということで、音程を忘れていた歌が登場した場合は、その忘れていた箇所に差し掛かった時点で曲を停止したいと思います。

またその時の歌っていた時間は、その停止した箇所までの時間、ということにします(測定はしないので少し大雑把にはなりますが)。

微妙に歌詞忘れていても、画面に表示される歌詞を見ながら歌いきった経験は皆さんお持ちだと思いますが、今回はそれもNG。軽い言い間違いや音外しはどうしても起こるので仕方ないですが、なるべく丁寧に歌うことを心掛けたいと思います。

 

4. 同じ曲を二度歌うのは禁止

3でも書いた通り、私の歌知識の限界にチャレンジする企画でもあるので、同じ曲を歌うのは禁止とします。

short ver. とlong ver. がある曲や、違う歌手同じ曲を歌っているパターンもありますが、それら全て同じ曲とカウントし、どれか一つのバージョンでも歌唱したら他のバージョンの歌唱は禁止、ということにします。例えば結束バンドがアジカンの「転がる岩、君に朝が降る」をカバーして歌っていますが、これはどちらかのバージョンで1回のみ歌える、といった感じです。

 

 

実況

今回の企画のスタート時刻は11:20。

月曜日の朝だし人も少ないだろうと思っていたら、7~8人は並んでましたね。そのせいか受付に軽く時間がかかる。

ちなみに20分は、受付+発声練習等の準備でかかった時間でした。

普段は発声練習は軽くしかやらないんですが、今回は長丁場ということもあり、流石に未知すぎたのでいろいろ備えをしていたり。

ちなみに自分の前に並んでいたおばあちゃん6人組がフリータイムで入っていて、どういう層なんだろうと気になりました…。

そしてカラオケのフリーWifiが最初見つからずに悪戦苦闘したけれど、すぐに諦めて歌い始めました。まぁどうにかなるだろ。

 

12:30。大体1時間くらい歌った辺りですね。

最初に、高音をかなり張って出さないといけないヒゲダンを潰そうと思って、自分の知っている限りのヒゲダンの曲を歌っておいたのですが、やっぱり高音でつらかった…。早くも喉が疲れます。

ちなみにドリンクバーに加えて、喉を労わるために生姜湯とはちみつレモンを持ち込んでいました。のど飴ももちろん所持。

いつもフリータイムで友人とカラオケにいくときは、延長コードとのど飴、昼飯を全部持ち込んでますね。これがあるといろいろ捗ります。

 

そして13:00~13:30でお昼休憩としました。

ここまでで歌った曲数が18曲と、何だかそこまで多くない気がして微妙…。最初は250曲歌ってやると息巻いていましたが、これ200も歌えるか怪しいぞ??

ちなみにいつもカラオケをするときは、まともな飯を食べないですが(食パン、コールスローとかを持ち込んで、コンポタに浸して食べることが多いです)、今回はきちんと弁当を持ち込みました。

長丁場だと、飯の栄養とかその辺りでも響いてきそう…と思っていたので。これは正しかったような気がします。

そういえば昼休憩中にようやくインターネット接続方法を見つけて一安心。ドリンクバーに味噌汁があって震えました。具があればもっと良かったんやが…(ただの味噌とお湯の混ぜ合わせだった)。

 

15:15。この辺りは喉が絶好調だったので、気持ちよく歌っていたらあっさり2時間くらい経っていた感覚です。

この時は「意外にいけそう?まだまだ歌える余力はあるなぁ」とか思っていました。

アニソンとかで地声に近い音程の曲をいくつか歌えば、疲れた高音域の喉が回復するような感覚でして、まだまだ高音域のJPOPもいける!といった感じ。

この辺りで止めておけば、純粋にカラオケを楽しんで終われるんですけれどね…。

ただ今回の企画的には1/4くらいしか時間が経過していないので、まだまだ歌唱。

 

16:10。なぜか肩甲骨がめちゃ痛くなる。軽く調べてみたら、歌い方の悪い癖が出てきたっぽいですね。

首を曲げて歌っているのかなぁとふと気になったけれど、多分座って歌っているときにスクリーンを少し見上げて歌っているから説があります。

ただ友人とフリータイムに行くときは肩甲骨が痛くなったりしたことはないので、やっぱり歌い方の癖なんでしょうか。

そういえば葉月は、友人4人で8時間フリータイムに入ることが多いので、純粋な割り算をすると一人当たりの歌唱時間は2時間くらいなんですよね。意外に短い。

この時点で5時間くらいヒトカラしてますけれど、まだまだ後半に取っておいている楽曲がいくつもあるので、ストックはいけそうかなぁと。

 

17:19。大体1/3くらい終わりました。

喉の痛みが音域を阻害してくるようになってきました。喉をきっちり絞める高音が出しにくくなるのはそうなんですが、低音も出しにくくなるんですよね。

筋肉の微調節が出来なくなってくる辺りとでもいいましょうか。

それに付随して、裏声も張れなくなってきた気がします。うーん、大丈夫かこれ…。

 

18:30。AM11~18で一度昼フリータイム精算を済ませて、18~翌AM5の夜フリータイムに。店員さんがちょっと引いてた気がします。

まぁ会計終わった直後に「夜フリータイムお願いします」って言ってくるのは意味不明ですから仕方なし。タイムロスをしたくなかったので、同じ店員さんを呼んだのが間違いだった感もあります()

そんなこんなでラウンド2。喉の痛みはどんどん加速してきます。普通に歌っていても喉がジワジワと痛い。

さらに地声の高音が出せなくなってきました。音程でいうとE4がきつい。調子いいとF#4くらいまで出るんですけど(今回の14時辺りとか)、だんだんと低音と高音の幅が狭まってきた感覚。というか、まだ半分も終わってないってマジすか。

 

20:00-20:30。夜休憩。

この辺りから低音も出すのもしんどいです。G2辺りは喉を完全に開けても出てこなくなってきました。

完全に声帯周りの筋肉が疲労してますね。カレーを食べて休んだら少し良くなったような感じです。ただチョイスは間違えた気が。カレーって刺激物なような…。

 

21:53。だんだんと眠気も入ってきました。

ここまでで、結束バンドの16曲を全てカバーしきれたことの達成感と、喉がそろそろ死にそうな感じとが混ざって複雑な気持ちでした。高音がほぼ出なさそうなんだけど、ここから先のJ-POP歌えるのか疑惑。

あとは腹式呼吸の限界か、腹筋が痛くなってきました。

腹も喉も痛いのに歌うとか、これもう分かんねぇな。何してんだ俺。

 

23:00。12時間経過という達成感もあるけれど、喉の痛さがヤバい領域に突入。

裏声を使う高音域はほぼ出ず、地声はかすれる寸前になりました。もう高音J-popは無理かぁ。優里、Novelbright、X Japanとかを後ろに回していたんですけど、歌ったら喉が焼けそうなので断念…。

そしてこれできつかったのが、ボカロを後回しにしたことですね。カゲプロメドレーとかしたかったんだけど…、無理そう。

しかし高音曲を最初に回したらその時点で喉が潰れていた予感がするので、企画的にはこれでいいような気がします。

この企画は確かにキツいんですが、23時になって思ったことが、いい意味で12時間経った気がしないんですよね。歌を歌って楽しんでいたら時間が経っている感じで。

カラオケってやっぱ楽しいな。

 

0:24。歌いたい曲に対して時間(and 喉の残りライフ)が足りない気がしたので、歌っておきたい曲のセレクトをし始めました。

意図的に後ろに回していた曲や、スマホのライブラリを見てて思い出した曲とかもあったので、喉が無尽蔵だとしても、多分18時間でストックは枯れなかったんじゃないかなぁ。

ただまぁ現実の私の喉は死にかけでして、死にそうで死なない辺りが絶妙にキープされているんだけれど、これは一気に壊れるパターンっぽそうで怖い…。

 

1:20。歌っている最中に、高音を出そうとすると吐きそうな感覚に襲われました。

流石にヤバそうな感じがしたので歌唱を中断。調べた感じ、声帯じゃなくて喉を絞めて歌う良くない歌い方になっていると思ったので、長めに休憩時間を確保しました。

この企画、喉の限界に挑んでいる感じがすごいです。

先駆者の記事は水中毒っぽい症状に言及があったので、水分の摂取には気を使っていたんですが、喉疲労か…。

 

とりあえず1:20~1:48で休憩。いけそうだからと2曲歌ってみたらまた吐き気がぶり返したので、1:55~2:25までしっかり休むことにしました。

休んだ後で歌おうとするも、掠れた音域の喉は長時間休ませないと回復しないみたいで、復活した喉の音域は1オクターブ分ほど。

一応3:30までは曲を選んで歌いましたが、思う存分歌えない退屈さからか眠気が倍増。目を開けるのに一苦労でした。

 

コンディション的に歌い続けてもジリ貧に感じたので、3:30-4:30でガッツリ休息をとり、最後にいくつか歌いたいと思っていた曲を歌うことにしました。

そういえば、カナダ留学の最後の3日くらい、日本と時差を合わせるために深夜に起きていたことがあったんですが、深夜の時間ってなんか異常に溶けるの早いですよね。

1~5時辺りの時間感覚って、1分たったなぁと思ったくらいで15分くらい経っている気がするんですが…。

 

4:30~5:00

最後にボカロをちょろっと入れて、合唱曲でフィニッシュ。

歌い終わった時は軽い達成感がありましたが、その後もいろいろやることがあったので、そそくさと退店して店の外へ。

こんだけカラオケし尽くしても、学生料金のおかげで昼夜合わせて1500円くらいで収まっているのがすごいです。

朝5時の駅前は、朝日が昇り切っていない暗闇の中、駅に向かって歩く人がチラホラといる、普段では見えない殺風景を見ることができました。

こういう朝ぼらけを見ると、早起き(というか今回は徹夜)をたまにしてみるのもいいなぁと思ったりします。

 

 

歌った曲、時間数

今回はどこまで歌えるか興味があったので、わざわざエクセルで表を作って管理してました()

うろ覚えの曲を途中終了で加算した時の総歌唱時間が12時間18分 / 18時間(ちなみに10時間歌唱終わりくらいで喉は死にそうでした)、総曲数171曲(うろ覚え16曲)となりました。

もうちょっと歌唱時間が多ければ…、と思いますが、休憩を取らないとしんどい。

200曲は、ストック的にはいけそうでしたが喉的には厳しかったです。180は行きたかったですが、喉がなぁ…。

アニソン、J-POPを中心に歌っていましたが、普段あまり歌わない曲に手を出せたので、かなり楽しめました。

 

 

感想

まず喉が痛い。というか「まず」って書きましたけど、ほとんど感想はコレですね。あとは楽しかったって感じで。

ただ思ったよりもつらいって感情は少なかったです。

箱根歩きの時みたいな本気で辞めたくなる瞬間が一回も無かったので、何だかんだカラオケは好きなんだろうなぁと。まぁ18時間くらいしかやってないじゃんとか、休憩ガッツリ取ってるじゃんとかいろいろあるでしょうが、私個人としてはけっこう楽しめました。

この企画も精神の限界に迫るかと思っていたんですが、精神の前に喉(肉体)の限界が近づいてしまった感があるので、ちょうどいい難易度の企画だったかな。

 

当分カラオケは行かなくても良さそうですが、12月とかになったら卒論書き終えた記念で普通にカラオケに行ってそうなんですよね。

そういう意味でも、楽しいカラオケを少し限界まで楽しもうとしたって感じの企画になりましたね。これはこれでヨシ。

ちなみに葉月的には、深夜の時間帯にカラオケにいる人の属性とかが気になりました。私以外に6~7グループくらいカラオケに入っており、見た感じ大学生 or 飲み会後のサラリーマンっぽい感じでしたが、飲み会後のカラオケにしちゃ中々ハードな日程な気がします…。月曜日の深夜ってそんなに遊ぶような時間帯ではないような。大学生なら分かるんですが。

ただどのグループも4人とかで来てましたね。夜フリーをソロでやっている人は私だけっぽかったです。ましてや昼フリーから繋いでやっている人なんて俺くらいだろ()

 

もう一回はやらない気がしますが、次やるとしたら友人とかなぁ。ソロは喉が潰れそうになるし、曲歌う以外は黙々と記録作業するだけなので、変なところで疲れますし。

というわけでカラオケ耐久企画でした。

帰国半年を振り返って

皆様こんにちは。葉月でございます。

 

今年の3月末にカナダから帰国して、4月から半年間大学生をしていましたが、ここまでの半年は、人生の夏休みと呼ぶべき自由で遊んだ時間を過ごしてきました。

今回はそんな時間を振り返ったり、そもそもなんでこんな風に過ごしているのかなど、これからの目標とかを改めて整理したくなり、ブログを書いてみました。

なので自己内省が多めです。エッセイっぽい感じになりますが、よろしければどうぞ~!

 

 

3月末。日本に帰ってきて一番最初に思ったことが、「また違う国に来たのか」という感慨でした。

日本という国が、自分の生まれ育った場所であるにせよ、カナダから帰ってきたばかりの自分にとっては、どこか他人事で知らない場所に思えました。

その時は、カナダで1年を過ごした後、日本に帰ってきて自分の中に残っているもの、学んだものをぼんやりと自覚していたものの、日本に帰ってくる意味をあまり見いだせていませんでした。

留学後半のまとめのブログでも少し触れましたが、その当時は自分が頑張って得られたものと同時に、失ったものを痛感しており、自分の生き方、努力の仕方にかなり疑問を抱いていました(いまだに改良中です…)。

帰国した直後、日本に帰ってきて、友人に会ったり大学を終わらせるなどのタスクはありましたが、基本的にはあんまり乗り気ではなく、留学の思い出話を話していながらも、どこか腑に落ちていないような気分で。

母国ではあれども、自分ひとりの力で他人と共同しながら、カナダで頑張って生きていく生活に楽しみを見出していた自分にとって、日本で、しかも暇な時間いっぱいの大学生として生きていくのは、自分の時間を無駄にしているみたいで抵抗感があったのを覚えています。

とはいえど、やらなければいけないこと(大学卒業とか)もあったので、日本に帰らないという選択肢はほとんど無かったのですが、一瞬だけわりと本気で迷って、友人に電話をかけたのは懐かしいです。

 

とまぁそんなこんなで、実はあまり前向きではなかった日本生活の始まりですが、一年ぶりともなると、挨拶周りというか会う人が多かったので、GWまでは、久々の大学生に慣れない気持ちになりつつも、人と会うことで時間は飛ぶように過ぎていきました。

しかし、大学4年生で復学すると、授業はほとんど取る必要が無いし、サークルやクラスなどのコミュニティも疎遠になり、ついでに同期は卒業して大学院進学や仕事を持っている状態で、大学という場所でかなり疎外感を感じました。

竜宮城から帰ってきた浦島太郎の気分とでも言いましょうか。自分が持っていたと思っていた居場所が1年間で形が大きく変わってしまい、すごく寂しい気持ちになったのを覚えています。

誰が悪いわけでもなく、ただそういうタイミングだったから、でしかないんですが、カナダで自分が過ごした時間と等しく1年間、日本でも時間が流れていたことを強く自覚させられました。

浪人/留年した高校同期や、大学院に進んだ友人とかとは会ったりして普通に楽しいのですが、自分の知らない1年間の間に、「置いて行かれてしまった」かのような寂寥感といいますか、自分が失ったものにフォーカスが当たっていた時期だったように思います。

 

 

そうしたら5月になっていて、大学生活もそれなりに肌に馴染むようになったので、3~4月のネガティブだった心もマシにはなっていた気がします。

ただ馴染んだら馴染んだで、あまりにも怠惰な生活になってしまいそうだったので、生活習慣とか本読んで勉強するだとか、そういった自分を律する習慣をなるべく取り入れようともがいていました。

ここら辺で、「せっかく大学生なんだから、大人になったらできないようなことをしたい」という気持ちが生まれ始めます。

その内ブログでまとめるかもしれませんが、「変なことをしようシリーズ」として、一か月に一回、普通に生きてたらしなさそうなことを大真面目にやる企画を考えました。今でも鋭意企画実行中です。

ちなみに5月はそういう訳で、箱根駅伝ルートをなるべく再現して歩き切る企画を実行しました。本当にきつかったです()

あとはさりげなく資格を取ったり研究を進めたり、大学生らしいことをしながら、日々は少しゆっくりと過ぎていきました。

 

 

6月になると、研究の仮説の発表だったり、元々やってみたかった聖地巡礼の旅行企画を実行してみたりと、自分の経験値をとりあえず増やすことに舵を切りました。

日本にいることがそこまでポジティブに思えなかったけれど、せっかくいるんだから、この国のいろいろな情景を経験しておきたい。一週間とかかけて旅行をすることが難しくなるだろうから、行ける限りで様々な土地に足を踏み入れたい。

そんなことを思いながら、いろんな旅行計画を妄想し始めたのがこの辺りです。

私の方向性にも少し関係ありますが、今のところはIT化に主眼を置いた地方創生に興味を持っていて、そういう意味においても、都会でただ大学生をやるだけでは分からない「現実」を肌で感じたいと思ったのもありました。

もっと大きい範囲でいうと、「人々が余裕をもって生きるにはどうしたらいいか」というのが自分の命題なのですが、今まさに何もタスクに駆られておらず、余裕しかない自分だからこそ比較して分かることがあるんじゃないかなとか思ったり。

心を亡くして忙しくしている人と、暇を持て余している自分の間にどんな違いがあるのか。カナダ留学中の余裕を無くしていた自分と、今の自分にどんな違いがあったのか。

旅行をしてそれが見つかるかなんて分からなかったし、今でも不透明ですけれど、違う土地、文化や人々に触れることが、自分をいろんな角度から映し出す鏡のようになってくれているような気がします。

 

 

7月は、6月に芽吹いた旅行をしたいという思いを膨らませていき、ブログにも残しましたが、18日にわたる北海道旅行プランを考え始めた時期でした。

ただ5,6月とかなり遊んですごしていたので、大学生らしくガッツリ勉強に取り組みたいとも思っており、丁度内定先からいろいろと資格取得のタスクが降っていたので、タスクの中で最も重かった「簿記二級の取得」をRTAして達成してみようと思いました(ちなみに7月の変なことをしよう企画でした)。

普通は3~6か月くらいで取るらしいのですが、一般人の片手間勉強で3か月なら、俺が本気出して取り組めば2~3週間で行けるだろと調子に乗ってしまい、簿記の本を購入し、7月の下旬を目標にRTAを開始。

結論からいうと18日で普通に取得できたので、1日6時間くらい勉強に時間を割けるのは大きいなぁと思いつつ、勉強を楽しむことが出来ました。ちなみに点数はオーバーキルしていたので、2週間でもいけたか…?

まぁただ会計はあまり好きではなかったですね…。企業がこんな風に数字を出しているんだなぁと知れるのは面白かったんですけれど、何というか、仕組みを知ってふーんという感想しかでなかったので、あまり深堀をしても自分が楽しめる領域ではないんだろうなぁと。

カフェやカラオケ、図書館などいろんな場所で勉強をしてみたりして、何だかんだ勉強する(というよりも、物事の仕組みを理解する)のも好きだなぁとふと感じ、新しい自分を発見した気分でした。

 

 

というわけで8月。このブログでも旅行のまとめと感想を載せてはいますが、聖地巡礼の旅、北海道を巡る旅をエンジョイしていました。

一応7月末から8月の頭にかけて、軽くバイトをして小銭を稼いでおいたので、旅行で散財する罪悪感をなるべく少な目にしようとはした形跡はありますね(焼石に水な感じではありましたが)。

旅行が好きなのもありますが、せっかく1か月も暇な時間ができるんだし、夏に長期旅行って何となく青春っぽそう(適当)だったのでやることにしました。

元々北海道をじっくり腰を据えて巡りたいという気持ちはあり、友人からゲームの聖地巡礼旅(四国)にいかないか誘われてはいたので、じゃあくっつけちゃえ!というノリでこの企画が立ち上がったという経緯があります。

でも冷静に今考えると、なぜ四国旅行をした後に北海道に行ったのかコレガワカラナイ

大学一年生の時に、青春18きっぷを2枚使って8泊9日の旅をしたことはありましたが、一か月という長期間で旅行をしたことは無かったので、いろいろ未知な体験、新しい情景を楽しんで過ごすことが出来ました。

 

 

9月に入ってもまだ夏休みという驚き。大学生の夏休みはマジで長いですね。

この月は、元々取ろうと思っていた免許合宿に加え、合宿先が長崎県だったので、そこまで軽く旅行をして楽しもうと思い、8月中に旅行日程を作りました。

…何言ってるんだコイツって感じですが、そもそもなんでこのタイミングで免許を取ろうと思ったのか。話を4月の辺りにまで戻します。

 

帰国した後、大学生の間にやろうと考えていたことの一つに、免許の取得というものがありました。

通学なら「内定先で必要だから」という理由で、4年生から急いで取得する人もいるみたいですが、合宿となると、4年生の夏休みというタイミングで取得する人は珍しいです。

私も大学三年生くらいまでは、車なんて必要ないし、高い金を払って(車に乗らないのなら)身分証明書にしかならない免許証を取得するのがアホらしいと思っていました。

実際、大学一年生で18きっぷの旅をして思ったことが、日本の公共交通の広大さですし、電車やバスなどの公共交通で十分に移動が出来ると感じていました。

しかし、そんな考えが少し変わったのがカナダ留学の時。

私はカナダのバンクーバーに1年過ごしていましたが、バンクーバーは、電車やバスなどの公共交通はあるものの、中心部から離れて遠出をしたいとなると、車が必須な場合が多いです。

例えばスキーで有名なWhistler。市街からバスはありますが、時間の面でかなり制約があり、車の利便性と比較した際に、公共交通の貧弱さが目立ちました。そもそもバスとかオンタイムに来ること無いし、多くの人が車を使うから、渋滞に巻き込まれる割合も上がります。

まぁ北米は土地が広すぎる、という別側面があるものの、車の利便性というプラスの側面を、首都圏ではアディショナルなものでしかないと思っていたものを、生活の中で必要な利便性だとも思うようになったのが、カナダの留学期でした。

高校でベルギーの田舎に留学していた際、車がないとどこにも行けなかったのを忘れたんかい、という感じですが、車が必需品である環境が存在することを実感しました。

運転免許を、必要ないから取らないというよりも、車が生活の中で必要な人の立場に立つ道具としてとりあえず持ってみること。

ペーパーになるかもしれないけれど、車を運転してその利便性を体感できるようになりたいと考えたのが、帰国直後に免許を取得しようと思った理由です。

 

しかし、カナダでフルタイムで半年働いていたので蓄えはありましたが、やっぱり30万は高いなぁ…、と考えており、なるべく安く済ませたいと考えていました。

というわけで、夏休みが終わるギリギリの9月のタイミングで免許合宿にすれば安くなるだろうと思い、候補を絞り始めたのが4月末ごろ。

元々地方の合宿所にしようとは考えていましたが、候補がそれなりにあり、どう決めようか悩む。

その時にふと思ってしまいました。普通に免許を取得するのでは面白くない、と。

あ、ならサイコロで決めるか。

思い立ったが吉日。候補を6つまで絞り、適当に番号をふってサイコロをふったら5の目が出たので、江迎の自動車学校に行くことが決まりました。

 

そんなわけで、江迎(長崎県)までの道すがら旅行をしたいとぼんやり考えてはいたのですが、あまりいい企画が思いつかず、しばらく宙づりに。

友人と雑談したときに、長崎までの片道きっぷ(山陰本線経由)で企画草案は作ったものの、8月の時点で、サンライズ出雲ノビノビ座席の予約をした以外は何も決まっていない状態。九州内をどう巡るかも白紙の状態でした。

そういった中で、8月後半の北海道旅行中、電車が止まって足止めを食らったタイミング@名寄で、旅行計画を作ったという次第です。

まぁこういったノリだけで作った企画ですけれど、旅行支援を多用してビジホ泊にしてみたりと、いつもの私のスタイルとはまた違った旅行になったので、免許合宿の企画から始まった9月も中々面白かったです。

 

さてそんな免許合宿の感想ですが、目的だった車の利便性を体感できたのが一番良かったです。

実家に車がないのでそもそも車に乗る機会がほとんどなく、路上で車を運転した際に、この距離をこんなに早く進むことができるのか…!と感動しました。

駐車や歩行者、交通の判断など、初心者の私にはまだまだ難しいと思う要素があるものの、体験値として得て良かったなぁと。

そしてなにより、あまりこのタイミングで取得する人がいないからこそ、流されて友人と一緒に免許を取るよりも主体的に楽しめました。

一応2年半前くらいに、友人グループで免許を取らないか、みたいな話が出てたりもしてたんですが、私は前述したようなスタンスだったので普通に断り、その時に友人たちは免許を取得して、とっくに初心者マークが取れています。

ただ、大学生で運転免許を取得することってどこか通過儀礼的というか、「みんな取っているよね」といった空気がある気がします。

実際2週間とか休んで免許を取得できるのは学生の内でしょうし、免許を取得しておくのはいいと思うんですが、同じ時期に入った合宿生を見て感じたのが「やれと言われて仕方なくやる」って雰囲気でした。

多分友人に誘われるがままに合宿に参加していたら、どこかで面倒になっていたとも思うし、ここまで合宿でいろいろと得られるものがあったと思ったかどうかも怪しいです。

そういった意味で、カナダ留学から得た視点を元に、必要だと思ったから免許を取得しようと一人で合宿に参加したのは、すごくプラスだったように感じています。

また、地方で免許を取得したことで、車が実際に移動手段として必要とされている中で(必要性が実感できる場所で)車を練習運転することができ、臨場感のようなものを持ちながら車に乗ることができました。

さて、そんなこんなで頑張って取得した運転免許なので、10月以降の変なこと企画にはどこかのタイミングでドライブを入れたいと考えています。

せっかく取ったのだし、首都圏に生きている今は必要性をほとんど感じないけれど、いつか運転するタイミングが来た時に、きちんと運転できるようにしておこう、といった感じです。

 

 

そして10月。だんだんと朝晩が冷えるようになって、太陽が沈むのが早くなってきたことにどことなく季節の移り変わりを感じるようになってきました。

そういう時期だからか分からないですが、ここ最近はいろいろと考えることが増えたような気がします。

10月になるといろんな企業が内定式をやりますが、私の内定先もご多分に漏れず内定者懇親会なんてものもあったりして、同じタイミングで入社する同期と話をしたりしました。

その時に思ったこととして、もちろん入社して一緒に仕事をしてみないと分かりませんが、自分の持っている感性が、他の人と違うなぁと実感するタイミングが非常に多かったです。

9月の免許合宿の時にも似たことを考えましたが、「こうする時期になったからやっている」みたいに、新卒入社という人生の選択を、通過儀礼的に捉えている人が多いような気がして、アパシーな雰囲気がするとでもいいましょうか。

みんなこうやっているから自分もこっちに行く、みたいな空気がどことなく漂ってて、仕方なくやっている感が少しだけ重苦しいような気がしてしまいました。

まぁ仕事をしていく内に見つかるものでもあると思いますし、別に自分が大層大きな目標を打ち出して仕事に向かっているわけでもないので、不満というほどのものではないですが、私の印象に残りました。

自分の人生の選択は、自分が責任をもって、自分の判断で成すべきだと考えている葉月にとって、周りがぬるっとフルタイムを始めてしまうのに違和感があった、という感じですかね。

 

そして、葉月は社会人になったら絶対に一人暮らしをしたいので、前にいろいろと試行錯誤していた生活のテンプレ化をまた刷新していきたいなぁと思っています。

最初から完璧にこなすのは無理だと思っていますが、食事と買い物のルーティン、家電や必要物の選定をまとめながらも、いい物件がないか探し始めました。

ついに20年くらい住んでいた実家からもオサラバということで、まだ何も進んでいないのに、早くも引っ越しが楽しみです()

 

 

ざっくりと、カナダから帰国してからの半年はこんな感じに過ごしてきました。しっかし遊んでるなぁ俺…。

10月の末、だんだんと社会人になるタイミングが迫ってきている実感がありますが、変なこと企画も含めて遊びつつタスクの消化、というわけで、まだまだモラトリアムを楽しんでいきたいと思っています。

こんな感じで社会人になってからも人生楽しんでいきたいですね~。

ではでは。

夏の卒業旅行(仮) 第3部の感想とか

皆様こんにちは。葉月でございます。

 

瀬戸内の島々、四国地方と続く夏の旅行の最終部。北海道に突入。これを書いている時は旅行から帰ってきているので、思い出に浸りながらの執筆となります。

ここまで長い旅行をするのも初めてだったので、列車が運休になったり、体調が悪くなるなどのハプニングもありながら、かなり楽しめました。

北海道滞在期間は8/13〜31で、この旅行の中でも一番長い日数となりました。

 

さて、この北海道巡りの計画自体は以前の記事で紹介しましたけれど、予定通りにはいかなかった部分もありますので、そこら辺も含めて紹介出来たらなぁと思います!

leafkeylosttime.hatenablog.com

 

 

目次

 

 

実際のルート+聖地巡礼ポイント

シンオウ地方マップ

 

1日目:新千歳 -> 苫小牧 -> 白老(ウポポイ博物館) -> 登別

和歌山県関西国際空港から飛行機で北海道へ。

新千歳空港がそもそも広いので観光として楽しいです(温泉があったり、アミューズメントプラザ的な場所があったり)。今回は人混みがすごくてほとんど施設に入りませんでしたが、新千歳で一日観光ってのもアリですね。

飛行機の歴史の展示などもあって、小一時間過ごすのに楽しかった場所です。

電車に揺られて到着した苫小牧は、北海道の中で人口第四位らしいけれど、ホントかよと思うくらい駅前の廃墟感がすごいです。駅目の前の商業ビルが閉鎖されているのが痛い所でしょうか。閉鎖されたバスターミナルなんかもそのまま放置されていて、何とも寂しい光景でした。

苫小牧のバスターミナル

 

ウポポイ博物館(@白老)は、アイヌのことについて広範に学べ、体験プログラムも多いのが良かった…! 元々聖地巡礼関係なく行きたかった場所なので、非常に満足。

唯一ミスったと思うところは、博物館を見る時間を2.5hくらいに設定していたんですけれど、展示の内容が非常に興味深く、楽しんで見てたら電車の時間が迫ってしまい、体験プログラムにそこまで参加できなかったことですね…。次は半日かけて巡りたいなぁ。

登別温泉は良かったですが、いかんせんゲストハウスのチェックインとか諸々をパツパツにスケジュールしてしまったので、登別温泉の滞在時間が30分くらいだったのはミスったかなぁと。夜ごはんをセイコマートで買って、併設されている休憩場で急いで食べてから温泉に入るのは、限界旅感あってけっこう楽しかったです()

 

聖地巡礼としては、苫小牧(マサゴタウン)になります。ゲーム内は海に近い小さな町、という描写だったけれど、人口的にはマサゴシティでもいい気がします。ただ海に近く、ほどよく小田舎な感じは意外と当てはまっているかもしれません。

マサゴタウン

 

 

2日目:登別 -> 室蘭(地球岬) -> 洞爺湖温泉。

北海道でよく見かけるようになったH100系に揺られて室蘭に到着。

元々石炭を積んで出荷する港と、製鉄の2つの役割を持っていた都市でして、今は石炭輸出するわけではないにしても、港町としての役割は強く残っています。なんなら今でも近くにデカい製鉄所がありますからね。

室蘭駅舎にそういった炭鉱と港の関わり合いについての展示がありますが、石炭がエネルギーの主流だった時代の北海道の興隆をひしひしと感じることができます。

その次に地球岬に向かいましたが、流石に観光地というだけあって人が多かったです。「北海道の自然100選で1位!」とか書いてあったような気がしますが、北海道は自然がバグってるレベルで豊かなので、えりも岬とかも全然すごかったけどなーとか思ったり思わなかったり。

室蘭から歩いて行こうとしたら、道が途中で断絶してて詰んだかと思ったんですけれど、バスを発見して地球岬に行くことが出来たので満足。

洞爺湖温泉は外国人が多いイメージでしたけれど、国内外問わず、温泉街だからか人が多かったですね。少し後に友人も洞爺湖温泉に行ってたらしいですが、ホテルは訪日外国人でいっぱいだったとか。

調子に乗って昭和新山近くまでママチャリで行ってみたりしましたが、普通に疲れました。なぜママチャリで山を登ろうとしたのか…。

ただ、まさに目の前で煙がモクモクと立ち上る山を見るのはかなり新鮮で、自然というスケールの大きさを改めて実感。

昭和新山

 

ちなみに洞爺湖って、夏の期間半年くらい毎日花火を上げているらしく驚きです。隅田川の花火とかみたいに何発もバカスカ上がる感じではないですが、半年続けられるのはすごいと思うくらいの花火の量でした。

 

聖地巡礼としては、室蘭(フタバタウン)です。ゲーム的には湖の近くの小さな街であるので、室蘭のような港感のある場所というよりも、洞爺の駅前のほうが近かったような…(実際近くに海がある)。室蘭にしても洞爺にしても、ほどよい田舎感が再現されていた気がします。

フタバタウン

 

 

3日目:洞爺湖温泉 -> 長万部 -> 小樽 -> 札幌

この日は洞爺湖温泉からゆっくりスタート。

洞爺湖支笏湖を含めてジオパークであり、過去にG7が行われた場所ということで、一日観光をしてても楽しい場所でした。ジオパークの展示を読んだ時、カルデラ湖でここまで大きな湖になるのか…、とか思った記憶が。

そして長万部から山線(函館本線長万部~小樽間)に乗車。北海道新幹線が札幌まで延伸したら無くなると言われているので、ちょっと乗ってみたかったんですよね。まぁ同じようなことを考える鉄オタなのか観光客なのか知りませんが、列車が混雑してて1.5時間立ちっぱなしは疲れた…。今回の旅は時間的に途中下車が出来ませんでしたが、今度は余市とかニセコとかで降りてみたいなぁ。

小樽に下車した時は感動の一言。修学旅行で6年前にも来たことがありましたが、潮風がふんわりと香る港、町に優しく流れる運河、そしてレンガ造りの建物のレトロな雰囲気が絶妙に混じっていて、自分の大好きな町の一つです。手宮線の廃線跡があったりもして、北海道の石炭と港の繋がりをここでも実感することが出来ました(前回来た時にはこの廃線跡をスルーした記憶が…)。

小樽(葉月は夜景に差し掛かるちょっと前くらいが好きです)

 

札幌は言わずもがな大都市。というか、しばらく田舎でフラフラしてから都会のビル群とかを見ると、帰ってきた感がすごかった…! 都会を主軸に田舎に羽を伸ばしに行くほうが肌にあってるのかも、とか自分のことを鑑みたりもしました。

 

聖地巡礼としては、洞爺湖(シンジこ)、小樽(ミオシティ)、札幌(コトブキシティ)です。洞爺湖は真ん中に島があり、「湖の真ん中に島があって、伝説のポケモンが鎮座している」というアイデアはここから着想を得たのかな?

ミオシティはまさに港町でゲームまんま。ミオシティのBGMは本当に素晴らしいけれど、昔のフェリー航路がゲーム内に反映されていたりと、細かい芸が見受けられます(小樽~利尻礼文を結ぶ北海商船が1993年まで存在。利尻礼文はまんげつじま、しんげつじまのモデルで、ゲーム内ではミオシティからこの二つの島に行ける)。

コトブキシティは高い建物が立ち並ぶ都会を再現していますね。サッポロテレビ塔からテレビことぶきの着想を得たんでしょうね。

シンジこ(プラチナ版の画像ですが…)

 

ミオシティ

コトブキシティ

 

 

4日目:札幌⇔夕張

この旅初めての高速バス。2019年までは新夕張~夕張で列車が通っていたんですが、廃線になってしまい残念…。ただ電車だと札幌~新夕張(特急)で3040円で1hなのに対して、札幌~夕張(正確には近くのレースイリゾートまで)の高速バスだと1950円で1h40m。40分プラスで時間がかかりますが、料金の面で電車は渋いんですよね。

北海道の鉄道事情はかなり厳しいものがありますが、理由の一つに都市間高速バスが強いというのがありまして、加えて車社会ということがあり、そこまで鉄道が用いられていない現状があります。

今回の高速バスでは、南幌、北長沼や栗山など、鉄道で微妙に行かない場所を通過することが出来たので、乗ったかいがありました。

しかし、一応このバスは札幌と夕張を結ぶ高速バスなのですが、札幌からレースイリゾートまで乗り通す人間がほとんどいなかったのが印象的でした。停車場所的に、集落に入ると役場や病院、学校などに多く止まるので、高速バスといえども小さい都市間で利用されることが多く、地方のロングランローカル線みたいな雰囲気を感じます。

そんなこんなで到着した夕張ですが、北海道全体に通じる繁栄と衰退が見事に歴史としてまとまっている場所です。豊富な石炭から街が発展し、産業の衰退と共に街も衰退し、財政再建都市になってしまうものの、スキーやメロンなどの観光事業への転換、コンパクトシティを進めるなど、今後が非常に気になります。

とりあえず街を歩いた時に感じる廃墟感がすごいですし、それをネタにしてる石炭博物館も中々すごい。

夕張(なんというか自然に飲みこまれてしまっている雰囲気ですね)

 

聖地巡礼としては、夕張(クロガネシティ)です。まさに炭鉱の街であり、夕張の繁栄期を切り取ってもってきたかのような印象でした。

クロガネシティ

 

 

5日目:札幌 -> 妹背牛 -> 北竜町 -> 深川 -> 旭川

妹背牛とかで途中下車する人って俺くらいじゃないか、とか思ってたら、地元のおっちゃんが一緒に下車してて、妙に連帯感を感じました()

というわけで一日4本レベルの路線バスに乗って北竜町に向かったわけですが、北竜町に行く人はほぼ全員車でしたね…。外国人観光客っぽい人たちが一緒のバスを使ってましたが、北海道観光は車が前提なんだろうなぁとしみじみ思います。

さて、ひまわりの里が有名な北竜町ですが、街に入ると、お米、ソフトクリームや街の看板までひまわりで統一されており、街全体でブランド化している印象がありました。ひまわりの見どころタイミングは過ぎていており、かなり枯れていたので、また今度来たいところ。

旭川は札幌の次に大きな都市として名が挙がるくらい、やっぱり駅前の都会具合はすごかったです。ただ逆側の出口(川が近くにある)に向かうとのどかな風景が広がるのがギャップで、それがまた良かったです。

旭川

 

聖地巡礼としては、北竜町(ソノオタウン)と旭川(ハクタイシティ)です。ソノオタウンはお花の街として作られているけれど、北竜町のひまわりの推し具合的にも納得です。ゲーム内に登場するソノオのはなばたけ、これが中々に広いんですが、リアルでも北竜のひまわりの里はかなり広かった(端から端まで歩いて30分くらい?)。

ハクタイシティはいい感じの田舎感と都会感が混じっていて、かなり雰囲気が近い感じでした。街の近くに流れている川は駅裏を意識しているのかなぁと思ったり。

ソノオタウン

 

ハクタイシティ(いい画像が無かった…)

 

 

6日目:旭川 -> 動物園 -> 旭川 -> 美瑛 -> 富良野 -> 帯広。

地味に予定を組むのが難しかった日です。

旭山動物園は評判通りというか、普通に楽しかったです。展示の仕方が上手く、人間や飼育員との関わり方や、動物の生態に着目するなど、ただ動物を見て楽しむだけではなく、動物にまつわるストーリーを上手くまとめてある印象で、定期的にリピートしたくなる雰囲気がありました。

旭川から乗った富良野線は、富良野〜東鹿越の区間が来年に廃線になることが決まっており、最後に乗り通しにきた鉄オタと思しき人間で、すごいコアな感じになっていたのが印象的でした。脇道にそれますが、おじさん18きっぱー(大体一眼レフかJTBの時刻表を手に持っている)の態度がマジで最底辺で、椅子の上に足を載せたり2人がけで寝そべっていたりと、こうはなりたくないなぁと反面教師を得た気分。

美瑛近くの展望台(?)

 

さて廃線予定の富良野〜東鹿越区間ですが、東鹿越〜新得区間はもう代行バスに転換されており、バスに乗って線路沿いの国道に揺られていると、地方の公共交通の望ましい形ってなんだろうと考えてしまいました(鉄オタが乗り通している以外に途中で降りたりする地元の人がほぼいない)。

地元の人がほぼ利用してないのに鉄道を走らせる意味ってあるのかなぁとか、代行バスの停車位置を駅ではなく地元民が利用する場所に設定するほうが、もっと公共の交通手段として便利なんじゃないかなぁとか、そんなことをぼんやり考えたり。

 

聖地巡礼としては、富良野線(サイクリングロード?)です。

鉄道で北海道を巡っている身としては大事な鉄道路線ですが、ポケモン的には聖地じゃない気がします…。一応線路沿いの国道を走っているロードバイカーは見かけましたけど、別にサイクリングとして有名な場所ではなさそうですし…。

サイクリングロード

 

 

7日目:帯広⇔えりも岬

計画の段階で、何か行きたくなって適当に追加した場所です()

そもそも行くまでに3.5時間かかるので、これぞまさに車を使うべき観光地というか、公共交通で訪れるには難易度が高い観光地です。

今回は土日限定ダイヤを使って予定を組みましたが、多分今回のルート以外に一日で帯広に帰ってこれるルートはないんじゃないかなぁ。様似とかに抜けるなら話は別ですが。

(参考:帯広7:15~広尾9:37/10:00~えりも岬10:59(えりも岬12:03~郷土資料館12:19/13:43~えりも岬14:00)えりも岬15:10~広尾16:13/16:22~帯広18:45)

帯広~広尾は、廃線となった広尾線の名残を地味にチラホラと見ることが出来るので、路線バス2時間のロングランでしたが、楽しかったです。北海道の昔の線路の広大さに思いを馳せることが出来ますね。

えりも岬は風が強く、歴史的にも、開拓をして木を切ってしまった後は、植物の種が地面に根付かないという問題がずっと存在しており、緑化プロジェクトと共に自然の繊細さを説いた展示が印象的でした。まぁあんだけ風がやばかったら種が吹っ飛ばされるのも納得というか…。

えりも岬

 

この日は特に聖地巡礼ではないですが、6日目に見れなかった帯広(ヨスガシティ)を少し散歩。

ハクタイシティと印象がかなり近かったのですが、一応帯広には競馬場があるので、ふれあい広場のヒントにしたかも? 十勝地方の中心地でもあるので、ホテルと飲食店街などの都市機能が駅前にぎゅっと凝縮されたコンパクトな都市、という印象でした。

ヨスガシティ

 

 

8日目:帯広 -> 足寄

最初に予定を考えていた時には、ズイタウン(足寄)に公共交通で行くなんてムリだろうと思っていたのですが、調べれば帯広から普通にバスが出ており、かなり感動。まぁただ帯広(正確には池田)〜北見の間で鉄道が通っていたので、バスがあるのも当たり前っちゃ当たり前な気がします。北海道のロングラン路線バスって列車の廃線跡のルートなことが多いですよね。

そういうわけでバスに揺られて1時間。足寄はいい意味で一番期待を裏切られた場所です。道の駅の大きさ、街の広さ、なのに鉄道が通っていないという事実。首都圏で生きていると、電車が通っていない場所は、地形が険しい場所か人がそこまで住んでいない小さな集落、という印象だったので、路線バスに1時間ほど揺られて着いた場所が、街としてしっかり発展していてびっくりしました。

足寄のゲストハウスが一軒しかなく、というかそこがあったから足寄に泊まることにしたんですが、一緒のゲストさんがイギリスから来た人で、英語での会話にタジタジな日本人の光景が見られました。

ここまでの夏旅行でも日/英の通訳っぽいことはやってたんですけれど、足寄みたいなまぁ日本の田舎町にある地元の定食屋みたいなところで、ゲストと店主との間で通訳みたいなことしてるのはジワるなぁとか思いながら、けっこう楽しくて印象深かったです。

足寄

 

聖地巡礼としては足寄(ズイタウン)。そだてやさん、アンノーンが出現する遺跡など、ポケモン廃人には印象が深い場所ですが、そういった元ネタは見つけられず…。

ちなみに廃人ロードとして有名な例のまっすぐな道ですが、現実の池田〜北見と考えると大体140km。フルマラソン約3.5回分です。気になったのでやってみたら、ポケモンの主人公は自転車で、8.7秒で端から端まで進むことが出来ました。約16.1km/s(マッハ47~48)と考えると、主人公が通ると超音波が生まれそう…。

逆に主人公の歩きが標準と考えると、123歩で端から端まで辿り着くことができたので、主人公の身長を160cmと仮定すると、歩幅はおよそ160*0.45 = 72cm。端から端まで72*123=8856cm = 88.6mとなります。ざっくり1580分の1のスケールですね。この世界だと家の端から端までが4歩(2.88m)なので、かなーり狭そう…。

すごくどうでもいいですね。シンオウ地方のスケールが小さいのか、主人公の脚力がエゲツないのか。

ズイタウン

 

 

9日目:足寄 -> 陸別 -> 北見。北見 -> 西留辺蘂 -> 遠軽 -> 北見

何だかんだ体力的には一番疲れる日でした。

足寄~陸別~北見は、池田~北見の池北線跡が路線バスになった場所で、途中に止まる道の駅でフラっと休むだけでもけっこう楽しい場所です。

陸別の道の駅は、お金を払えば列車を少しだけ動かすことができる体験があるらしく、道の駅に止められてあった「快速北見ゆき」の文字を見たときに、列車に乗って北見まで行けたら早かっただろうに、と思ったりもしました。路線バスは長いんですよね。そして長時間があまり想定されていないのでケツが痛くなりやすい。

そして北見からは化石のように古い車両が存在する石北本線へ。西留辺蘂は、元々この聖地巡礼旅を考える前からポケモンの都市伝説サイトを見て知っており、興味を持っていました。

常紋トンネルの開通工事、その労働環境の劣悪さについては、北海道をじっくりと巡るこの旅において見るべき負の側面なように思い、西留辺蘂から1時間ほど歩いて慰霊碑を見学。先人の努力によって国道があり、列車に乗ることが出来ているんだなぁと気持ちを新たにしました。

遠軽もまとめて見学しにいったのですが、夕方から夜に差し掛かる辺りで、神事としても用いられた瞰望岩に登ることは叶わず…。ただ夜にいくと雰囲気があってよかったです。

遠軽

 

聖地巡礼としては、常紋トンネル慰霊碑(ロストタワー)、遠軽(カンナギタウン)であり、コダックが頭痛で立ち往生している辺りが北見になるとは思います。

北見って、足寄や陸別、なんならこの先登場するトバリシティ(網走)なんかよりも全然大きい街なんですが、取り上げられていないんですよね。特徴的にハクタイとかと被るからでしょうか。ロストタワー、みたまのとうがここに置かれたのは、ゲーフリなりの「北海道開拓の犠牲を忘れないように」といったメッセージな気がしました。

カンナギタウンはアイヌの神祭に使われた瞰望岩が存在するなど、遺跡の街としての雰囲気を感じることが出来ましたが、いかんせん時間が少なかったので次はしっかり巡りたいなぁ…。

ロストタワー

 

カンナギタウン

 

 

10日目:北見 -> 網走。

旅行日程的には普通ですが、調子に乗ってこの日に研究発表の予定を入れたので、若干忙しかった一日です。

北見から網走の石北線って、昼間は1両の古い列車がガタゴトいってるだけなんですが、朝は流石の通学ラッシュ。3両も連結されて学生を大量に運んでいました。ただ3~4駅くらい先で学生がガサっと降りると、後はただの空気輸送列車。地方の列車の使われ方を目の当たりにしました。

網走についたら急いでコワークスペースの確保をして、商店街をお散歩。研究発表とバタバタでした。最初は流氷館の中で発表しようかと思っていたのですが、流石に公共施設の中でやるのは攻めすぎかと思って調べたら、なんと商店街の中にコワークスペースが! マジかよと思って予定を組んだのが、この日の前日の話です。限界旅なんだよなぁ。

「網走からこんにちは~」とか言いたくなりましたが、そこは鋼の意思で抑えて粛々と発表をしました。夏休み前に「北海道から発表したいですねー」とかJTBの時刻表を片手にボヤいたことがあるので、私が旅行中に発表をしたのはバレてる気がします()

ただ発表後、どうにも頭の切り替えがスッパリ出来ず、網走の観光地を巡っても研究のことが頭の片隅に残り、少し楽しみが半減してしまったような気がした一日でした。旅行中の研究発表はあんまり良くなかったですね。それでも流氷館、網走刑務所は見応えがありました。

網走


聖地巡礼としては網走(トバリシティ)。

トバリデパート、ギンガ団ビルなんていう大きな建物はありません。というか駅前の閑散としている感じは、初見網走の人はけっこう驚くんじゃないでしょうか。商店街通りは駅から少し離れた場所(徒歩15分くらい)にありますが、そこもかなりシャッター街な印象。コワークスペースが結構異彩を放っていましたし。

流氷が訪れる場所でもあり、海が近くにあるので、ゲーム内でコンテナが描写されているのはけっこう芸が細かいなぁと思いますが、全体的にこれ本当にトバリか? と首をかしげてしまいます。なんなら北見の方がまだ近いような。

トバリシティ(画像小さくてすみません…)

リメイク版には無いゲームセンターです

 

 

11日目:網走 -> 知床斜里 -> 釧路

網走から知床斜里を見学する予定でしたが、体調が悪くなるハプニング発生。

理由はわりとはっきりしてて、この前後で北海道全体での暑さが異常だったんですよね。でも道東なんて、普通の夏は25度が最高気温の場所ですから、冷房なんてものはありません。

列車に乗っても扇風機がひたすら熱風を送ってくるだけ。網走〜知床斜里の間はまだ大丈夫でしたが、ウトロのバスターミナルについてから熱中症っぽくなってしまい、吐き気と頭痛がヤバイのなんの。

確かその時は網走が最高気温32度とかで、首都圏なら冷房の効いたカフェにでも滞在していればどうにかなる温度ですが、冷房という設備がない中だと殺人的環境で。

知床近くのオホーツク海! めっちゃきれい

 

冷房のありがたみを知ると同時に、気候変動や温暖化で人が死んでいったりする地域は、こういった気候に対する設備が整っていない地方からなんじゃないかとふと思いました。

知床〜釧路は摩周湖釧路湿原を通過したりと面白い場所なんですが、いかんせん日が落ちてしまうと何も見えないのが難点ですね。ただ景色が見れたとしても体調がダウンしてたので楽しめたかは微妙ですが…。

 

この日は聖地巡礼としては特にナシ。知床とか取り上げて、こおりタイプのポケモンの生息地にしても楽しそうな気がしましたけれど、キッサキシティと被るからボツになったのでしょうか…。

摩周(おくりのいずうみ)~足寄(ズイタウン)に道路が通っているので、この洞窟にも何か意味があるんじゃないかと邪推してしまいます

 

 

12日目:釧路⇔塘路ノロッコ号)。釧路 -> 根室

釧路からせっかくなので観光列車ノロッコ号に往復乗車して、釧路湿原を堪能。ついでに細岡展望台に行ったりもしました。

元々この日は摩周湖の展望台まで行く予定でしたが、一日寝ても頭痛があまり治らず、なんなら若干熱っぽかったりしたので、少し控えめな観光をしようということで、ノロッコ号を採用しました。

あまり動物は見れなかったので楽しみはイマイチでしたけれど(なんなら釧路〜根室間のほうが動物が見えた)、観光として列車に乗るという体験が新鮮で面白かったです。

ちなみにこういう一人旅で4人掛けのクロスシートに座っていると、列車が混んだ時とかに別の組と相席になることがありますが、大体座ってくる位置が決まってるのが面白いです。

私は基本的に窓際に座るのですが、相席一人だと対角線上の通路座席、相席二人だと自分の隣と対角線の通路座席に座ってくる印象。

ちなみにこのノロッコ号に乗った時だけ、相席三人になることがありましたが、パーソナルスペースを全部もがれてる感覚がすごくてストレスフルでした()

私個人の印象ですが、4人がけのクロスシートって、よっぽど列車が混んでない限り、4人全部埋めることなく、立ちやロングシートに向かうことが多いような印象です。

ノロッコ号

 

そんなこんなで釧路から根室に向かいましたが、根室までの電車でシカとかタンチョウとかを普通に見ることができました。ノロッコ号に乗った意味とは…。

そしてこの日の夜には発熱からくるダルさが全開に。測ってないですけど、37.5~38.0の間くらいだったんじゃないかな。

私はゲストハウス内の施設をフラフラして、オーナーの趣味を観察するのが好きなんですが、この日だけはチェックインと同時に端っこのほうで夕飯を食べて即寝。じっくり寝れたのでそれなりに満足ですが、うーむ…。

 

聖地巡礼としては、釧路(ノモセシティ)、釧路湿原(ノモセだいしつげん)です。摩周湖(おくりのいずうみ)も行きたかった…。

ノモセシティも港の街としての印象が強く、ゲーム内に船が泊まっている場所がチラっと出てきたことに少し嬉しかったり。ノモセだいしつげんは、ゲーム内で走っている車がノロッコ号の元ネタと言われていたので、電車に乗れてかなり良かった場所です。

ノモセシティ

 

ノモセだいしつげんとノロッコ号

 


13日目:根室納沙布岬根室 -> 厚岸 -> 釧路 -> 帯広。

根室から納沙布岬、地味にバスだと1時間くらい乗るんですけれど、意外に外国人観光客が乗っていたので印象深かったです。

納沙布岬に限らず、根室市全体で北方領土の返還を求める政治的主張が強くなされているので、初見だと中々衝撃的です。ここにロシア系の人が来たらどういう感想を抱くかなぁと思ってロシア系っぽい人を探しましたけれど、見つからなかったので残念でした()

根室

 

この日のメインイベントは根室というよりも厚岸で、牡蠣が食べたかったんや…。

午前中はまだ頭痛があってテンションが低かったのですが、厚岸でお昼に牡蠣を食べたらめちゃくちゃ元気になり、食べ物は滋養だなぁと改めて実感したりしました。

牡蠣が嫌いな人も一回は厚岸で食べてみるべき。旨すぎて震えます。

 

聖地巡礼としては、根室(ナギサシティ)、納沙布岬灯台(しるべのとうだい)です。

でんきタイプのジムですが、納沙布岬に到着する前にかなりの数の風車をみかけます。えりも岬でも相当数みかけましたが、岬は風が強いので風力発電に向いているんでしょうね。そういった部分からもでんきタイプのジムにしたのかなと思いました。

ちなみにナギサシティが最後のバッチの町で、ここからポケモンリーグに向かいますが、ポケモンリーグは位置的に国後島シンオウ地方(北海道)という括りに含まれているので、北方領土は日本の領土だ、という主張もひそかに込められているのかもしれませんね。

ナギサシティ



14日目:帯広 -> 追分 -> 深川 -> 旭川旭川 -> (上川) -> 大雪山 -> 旭川 -> 塩狩

この辺りから「北海道フリーパス」という、北海道内の特急含めて7日間乗り放題、という最強切符を手にしてグルグル回っていました。

電車だとかなり同じルートを戻る感じになってしまい、本当は帯広から層雲峡に抜ける高速バスがあったのでそれを使いたかったですが、帯広午後出発しかなかったので断念。

せっかくなので石勝線に乗ろうと特急をチョイスしましたが、特急車両の自由席が、何故か改札開始前から4割ほど埋まっていて謎でした()

特急に限らず、始発駅は列車の入線が15分前とかで、発車時刻前に席が埋まることがあるのが面倒くさいと感じることもあったり。

北海道の特急は、訪日外国人が指定席をきちんと取るから、自由席のほうが空いているイメージだったんですけれど、今回の旅はほとんど同じくらいの混雑でした。

層雲峡はロープウェイにのる前から標高が高く、山の景色が綺麗だったので、頂上までハイキングしたら楽しかっただろうなぁと、1時間しか層雲峡に滞在しなかった人的感想を抱きました()

大雪山/層雲峡

 

冬にはスキーもあるらしく、温泉郷なんだからここで一日泊まれば良かったなぁと後から思ったり…。

宿泊場所はなんと塩狩。元々旭川に泊まろうとしていたんですけれど、ふと塩狩の民宿を見つけてしまい、しかもU25プランがあるのを見つけてしまい、これは泊まるしかねぇ!となって秒で予約しました。

 

聖地巡礼としては、大雪山/層雲峡(テンガンざん)。ロープウェイで上まで進むとかなり雰囲気がありました。単純に山の上ってそういう祭事のイメージに当てはまるからっていうのもありそうですが、ここをやりのはしらに据えた理由がなんとなく分かる気が。頂上まで登ればディアルガ/パルキアに会えたんですかねぇ…。

やりのはしら(テンガンざん頂上)

 

 

15日目:塩狩 -> 名寄(剣淵で途中下車して散歩)。

塩狩に泊まったおかげで、朝のお散歩で塩狩峠脱線事故の石碑だったり、塩狩温泉の遺跡だったりを見学することができました。

塩狩峠(左に見えるのが宿泊した民宿です)

 

三浦綾子さんの小説で登場する塩狩峠ですが、実際にその場所に立って、宗谷本線に乗って塩狩峠を越えると、何とも不思議な気分に。

さて、北海道の中でも秘境感が強い場所を走行する列車が宗谷本線(旭川稚内)になりますが、この日は前日の大雨で宗谷本線の名寄以北に全然進めず…。

元々は音威子府天塩川温泉などの駅に降りる予定だったけれど、行ける場所が少なくなってしまって残念でした。

なんなら音威子府天塩川温泉の間にコミュニティバスがあり、それを活用することで宗谷本線の特急に間に合わせるという面白いルートを思いついてたから、実行したかった…。

まぁただハプニングを楽しむのも旅の醍醐味ではあるので、名寄から列車が全くないことを確認したらそのまま引き返して、剣淵に下車しました。絵本の街というのに興味があって下車したのですが、面白かったかというと微妙…。子連れならもうちょっと楽しかったのかもです。

名寄で足止めをくらった感がありましたが、ホテルに早々チェックインをして、研究を進めたり、9月に迫っている免許合宿旅行の予定を組んだり(どういうルートで行くかすら決まってませんでした…)、余った時間を有意義に使えたのは良かったですかね。

 

聖地巡礼としては、216, 217ばんどうろ辺りでしょうか。といってもここはゲーム内でも屈指の長さを誇るどうろなので、町を参考にしているところではなさそう。ただ民家が少なく秘境感が強いのは似てるかもです。

217ばんどうろ(めちゃ吹雪いてますね)

 


16日目:名寄 -> 稚内稚内宗谷岬/ノシャップ岬。

前日は名寄以北が止まっていて、宗谷本線の運行状況が不安だったけれど、きちんと各駅停車が動いてくれたので、4時間ほど列車に揺られながら稚内まで進みました。

秘境、といってしまえばそうですが、駅があっても誰も使わない、という意味では鉄道としての役割をほとんど失ってしまっているような気がしてしまうのが、宗谷本線の名寄以北。

今回乗った各駅停車も、名寄(恐らく一駅前の名寄高校前でも)で高校生が少し降りたものの、そこから先で乗客の変動があったのが特急停車駅で1,2名くらい。名寄の時点で乗っていた乗客のほとんどが稚内に向かう観光客で、鉄道が鉄オタ/観光客にしか使われていないという現状を目にすることが出来ました。

稚内

 

宗谷岬に着くと、普通にシカがいて人の近くで草を食べており、共存という意味ではいいのかもしれないけど、獣害的な意味だといいのかな…? とふと疑問に思ったり。

 

聖地巡礼としては、稚内キッサキシティ)。ゲーム内だと果ての限界集落って印象ですが、北海道的にはそこまで限界ではないです。というか普通に発展した町でした。

ゲームでは、でんどういりの後にキッサキシティからファイトエリア(樺太)に向かうことが出来るのですが、きちんと稚内樺太にフェリーがあり、こういう歴史を細かく反映しているところがけっこう好きです。

フェリー自体は、2019年まで稚内~Korsacov(大泊)で定期便があったのですが、ロシアのウクライナ侵攻が恐らく原因で、現在は運休中でした。うぬぬ…。

キッサキシティ

 

 

17日目:稚内⇔利尻/礼文島

利尻島礼文島といえば」という先行印象が全くない場所だったので、新鮮に楽しめた場所です。

利尻礼文と2つ並べられますし、島と稚内との間に定期フェリーが運航されているので、似たような島かと思っていたら、植生から島の出来上がりまで、全然毛色の違う場所でした。

この日は観光バスを使って2つの島を一気に観光する手段を選びましたけれど、正直一泊ずつして、自転車でも使いながら巡るほうがじっくり楽しめたような。

特に礼文島については植生が非常に面白く、低地にいながら高い山の頂上付近にいるかのような気分を味わえますので、もっとじっくり滞在しても良かったなぁと。

ただ観光バスもそれはそれでいい点があり、タクシーを貸し切りにして楽しむ観光と近い楽しみ(いろんなところに凝縮して行くことができる、解説が聞ける)がありました。でも観光バスあるあるなのか、観光バスの年齢層は50~60代くらいとかなり高く、話すネタも振り方もそういった層に向けてのものが多かったので、別の意味でGeneration Gapを感じる場面が多かったです。

利尻

 

礼文

 

聖地巡礼としては、利尻島(しんげつじま)、礼文島(まんげつじま)です。どれくらいロケハンしたのかは不明ですが、しんげつじまのグラフィックは石が多く、まんげつじまの草が生えている描写があるなど、きちんと対比されており、利尻と礼文の特徴を捉えているような印象です。

ゲーム内だと隣り合っている島(地図上では形も同じに見える)ですが、細かい違いなどは地味に反映されているので、ポイントが高いですね。

まんげつじま

 

しんげつじま

 

 

18日目:稚内 -> 旭川 -> 札幌 -> 函館。

というわけでポケモン聖地巡礼は17日目までで終了。予定変更になる部分もありましたが、おおむねゲーム内に登場する町には全て回ることが出来たので満足。

残りは北海道の見切れていない地域を見学しに行きました。

特急を使うと、今まで自分が各駅停車でじっくりと時間をかけて見てきた風景が一気に流れていくのがすごく斬新で楽しかったです。しかし特急といえども、稚内6:36~旭川10:15/10:30~札幌11:55/12:05~函館16:08と乗り継ぎ、稚内~函館間はおよそ10時間かかるので、北海道の広さを体感することが出来るルートでもあります。

仮に9~10時間も飛行機に乗ってたら北米大陸とか行けちゃいますからね。

函館はやはり夜景が綺麗。港町ということで、自分が好きな横浜や神戸に似たところが多い街でした。そして函館もすごく私好みの街です。

外人墓地や大使館跡なども存在し、横浜と同じように、外国人が居住してそこで世代を重ねていった軌跡が、街中そこらかしこに現れているように思えました。

函館

 

 

19日目:東京に帰る。

せっかくの卒業旅行(仮)なので、最終日くらいはギャンブルじみたことをしようと、当日まで帰るルートを決めないで(予約しないで)東京まで帰るチャレンジをしていました。

…と書くと相当ヤバいやつに見えますが、元々函館で宿をとっていたので、新函館北斗から新幹線、青森までフェリーで進み、そこから新幹線や18きっぷ函館空港から飛行機、とルートがいろいろ選択できる場所ではありました。

まぁ夏休みど真ん中に突っ込むわけではないし、どのルートも予約が全く取れないことはないだろうと思いながら、当日の気分とスカイメイト(飛行機の当日予約)次第で動きを決めようかと考えておりました。

当日朝起きて、「今日の帰り道はどうしようかなー」と調べると、スカイメイトがいけそうで、新幹線も普通に空席があり、選択肢は豊富でした。うーん面白くない()

スカイメイトで函館〜羽田を飛行機にすれば時間を節約出来るのが魅力的でしたが、函館の青函連絡船の内部を見学した後に、昔の気分を味わいたくなってしまったので函館〜青森はフェリーで行くことに。

フェリーから新青森までのアクセスが思ったよりもタイトで、初めて発車15分前に券売機で特急券改札内でおみやげと酒を買いました。なんで最後がドタバタなんですかねぇ…。

新幹線の車内、ダイヤモンドパールのエンディングBGMを流しながらゆっくりと酒を飲んでいると、この旅行のハイライトが頭の中を駆け巡り、また北海道に行きたいなぁと思いました。

 

 

次回にしたいこと

というわけで、こんだけ巡っておいてなんですが、北海道で見たい場所がいくつも出てきたので備忘録的に書き残しておきます。

登別温泉で宿泊する。室蘭の工業地帯の夜景を見る。洞爺湖中之島に上陸する。小幌、礼文で途中下車してみる。ニセコ余市で途中下車(余市はニッカウィスキー工場見学をしたい)してみる。小樽観光(舞鶴からフェリーとかもいいな)する。新夕張〜夕張の夕張支線を歩いてみる。ラベンダー畑を見に行く。えりも町や様似の街を訪れる。遠軽を昼に訪れる。知床をもっと見る。摩周湖屈斜路湖を見る。宗谷本線の各駅停車のみの駅に下車する。利尻礼文に泊まる。

 

 

全体的に感じたこと

まず聖地巡礼の感想です。シンオウ地方は、北海道が舞台であるものの、現在ではなく1910~20年代ごろをイメージして作られたように感じました。

クロガネシティ(夕張)の炭鉱町としての繁栄、ポケモンリーグ国後島)、ファイトエリア(樺太)などの領土の存在を考えると、日露戦争後(ポーツマス条約で南樺太割譲)~第二次世界大戦終結ソ連北方領土に侵攻する)辺りでしょうか。

もちろん歴史ものではないので、時代がかみ合わない部分もありますが(常紋トンネル工事殉難者追悼碑は1980年に建立、など)、こうして様々なスポットを回った後に思った感想として、北海道の過去や特徴を反映させようという気概を感じました。

 

次にこの旅行を通じて、北海道に対して感じたことです。

まず、北海道の栄枯衰弱が、ここ150年くらいの中に物語として綺麗に存在していることが印象深く残りました。明治期の開拓と「日本(明治政府)」への同化政策から、石炭と農業で栄えていき、エネルギー革命と共に石炭産業が零落し、人口が落ちていく様子ですね。

そして、北海道は「北海道」として大きな一括りで語られがちな地域ですが、畜産が盛んな地域、さとうきび、稲作が盛んな地域など、その地域ごとの特色が車窓からでも見渡すことが出来ます。

特に北海道の北の方になると、稲作の北限を超えるので、じゃがいもや畜産など、冬への対策(品種改良、寒さに強い植物の栽培など)がいろいろと見れて面白いです。

さらに、北海道は地図で見るよりも遥かにスケールが大きいので、地図では近くに見える集落も電車で数十分。徒歩で行くなんて考えられないスパンの距離(1kmではなく10kmが単位なイメージ)です。

電車が網目状にある首都圏と違い、駅から行きたい場所までの距離も遠く、最初からdoor to doorで繋いでくれる車が主要になるよなぁと思いました。

加えて、北海道内においても衰退している地域とそうでない地域の差が激しいのが印象的でした。特に名寄から北は、限界集落と思しき場所が車窓からいくつも見受けられ、壊れた建物がそのまま放置されているのが印象的。

北海道に限った話ではないですが、人口減少や少子高齢化をまさに受けている地域を多く目にしてきたので、今後の行方が気になるところです。

 

 

というわけで聖地巡礼の旅はこれにて終了! 旅行期間は8/5~8/31で、夏休みの時間(8月いっぱい)できちんと楽しむことにこだわったので、大きな遅延やケガもなく楽しく旅を終わらせることができたのは本当に嬉しかったです。

次は9月中旬に九州に免許を取得しに向かいますので、また旅行の日々が始まります。

この夏休み、本当に家にいないな俺…。