葉月のまったりブログ

中の人の日常体験とか思ったこととかを雑記的に記していくそんなブログです。

留学生活の体験記

皆様こんにちは。葉月でございます。

 

突然の告白なんですが、葉月は高校生の時にベルギーに留学していました。

高校生での留学もそれなりに数が増えてきたとは思いますが、まだそこまでメジャーではない気がします。ましてやベルギーに行く人なんてほとんどいないかと。

今回は、そんな私の留学体験記についてです。

なぜブログを書こうと思ったのかと言いますと、そういえば私の留学の体験をあんまり人に話していないなぁー、とか思ったからってのが大きな理由です。

話している人には話していますが、あんまり聞かれないし、長々と話す機会を多くの人と持つことも無かったなぁということで、この場を借りて少し紹介してみようかなと。

 

とはいっても、留学ってやつはいろんな経験を含んでいまして、また人によっても全然違う体験を持っていて、いろんな角度から語ることが出来ます。今回は一年間を、自分的視点でまとめて要約するとどうなるのか、という視点でご紹介していきたいと思います(ぶっちゃけほとんど自分史ですが…)。

これから留学を考えている人のご参考にでもなればうれしいです。

 

 

 

(以下、ちょっと小説チックな留学体験記)

1. 留学決意~留学前

――――

私の中で、留学という選択肢が生まれたのは、高校1年生の頃だった。

それは、何気ないある日のこと。私は職員室の前を通り過ぎようとした所、そこに留学案内のポスターが貼ってあった。

たったそれだけの事であるが、何となく興味をそそられ、何か面白そうと感じたのだった。今考えてみても、ずっと貼られていたそのポスターに、なんでその時だけそこまで気を惹かれたのか、上手く説明することが出来ない。

 

もしかすると、5月辺りの頃だったから、高校生になりたての自分に何か変化が欲しかったのかもしれないし、どことなく自分の将来を考えるきっかけにしたかったのかもしれないし、真相はよく分からない。

私はその後、ポスターで紹介されていた、留学説明会へと足を運んだ。放課後の講堂、だだっぴろい部屋の中に人は数人程度。こんくらいの人がいるのか、といった程度以上の感想を抱くこともなく、私は席に着いた。

説明会の中で魅せられたのは、日本語が通じない世界。全く違う文化であった。

私は不思議に興奮していた。自分の知らない「未知」への好奇心が自分の中からあふれ出てきそうになるのが自分でも感じられた。自分の想像を超えた世界。どうしようもないくらいに興味を惹かれた。

しかし、なによりも私の印象に残ったのは、話している人の立ち振る舞い、その堂々たる自信、2歳しか年が違うとは思えないほど、誠実な物腰、その全てであった。

どういった経験を積んだらこんなに人間として成長出来るのか、不思議であったし、それが留学のおかげであるのなら、それはとんでもない「学び」なのだろうと感じた。

競い合う対象が、目指すべき目標が目の前に現れたと思った。

 

―その興奮冷めやらぬまま、両親に留学について相談すると、あまり揉めたりはしなかった。留学の時期に話が差し掛かるまでは。

初めは母親だけに相談をした。「一年間留学に行ってみたい」と。

その時は特に反対されることはなかった(母も料理中だったので、私の話をあまりちゃんと聞いていなかったのかもしれないが…)。

私は留学の申し込み書類に、両親のサイン以外のすべてを記入して、両親がいるタイミングを計らって話を切り出した。

 

結果だけ言うと、猛反対された。両親共に(特に父親が)、私が進学校に入っていることを引き合いにだして、高校2年生から3年生まで留学をすることに大反対をした。

今考えると、あたりまえだろうと思う。

少なくとも進学校に通わせている時点で、何かしらの学問的到達を求められているのは明らかであるし、大学受験の成績もいい方の学校であったから、両親も私にそれなりの期待をかけていたのだとも思う。

でもその時は、自分に反対する両親に強い抵抗感を覚えたのだった。

両親が大きな壁となって自分の前に立ち塞がった。私はどうしたら両親を説得出来るかということに頭を使わなければならなかった。

 

「何で留学に行きたいのか」という問い。

 

留学に付随する問題はいろいろあったが、結局はこの問いがすべてであった。

受験期真っ盛りの高校2年生から3年生にかけての留学。

それを正当化するだけの、何かをもって、両親を説得しないといけなかった。

 

結局、両親の説得には1か月を要した。その1か月の間、留学に行った先輩に話を聞く、いろんな先生にアドバイスをもらう、留学について情報をたくさん集める、など、様々な人やメディアから知恵をもらい、両親の説得材料に用いた。

そうして、自分なりの留学の理由について思ったことは、「いろんな人に会える留学は、自分の考え方を広げる上で、日本と違う社会に触れる上で、最適なのではないか」といったものだった。

正直、国際関係の学問をやりたかった訳ではない。それでも、好奇心とでも言うべき、その興味がとどまることはなく、自分の留学を両親に主張するだけの力になっていた。

今考えても、どうしてそこまで粘って説得し続けることが出来たのかという問いに対しては、はっきりとした答えを持ってはいない。

それでも、自分が知らない世界を覗いてみたいという好奇心は、知らない人と出会って、心を通わせてみたいという気持ちは、自分の中を満たしていたと思う。

そこまで私が折れないで主張したことが無かったからなのだろうか、両親は認めるというよりも、半ば投げやりに「もうどこにでも行け」といった風に書類にサインをした。提出期限日、当日のことであった(どうでもいいが、当日消印有効だったので、郵便局にめちゃめちゃ焦って向かった)。

 

ここまで長々と留学に行くまでの経緯を書いてきたが、悩んで、両親に説得しようとした、あの一か月が、自分の留学生活を下から地味に支えてくれたように感じる。

「あそこまで言い切って留学に向かったのだから」という意思が、自分の竦む足をどうにか地につけてくれる。

留学の体験を、自分の人生の中で一番大事な、自分を形作る経験だと胸を張って言うことが出来る。今はそんな風に感じる。

 

 

さて、私が留学先として選んだ国はベルギーという国ですが、何でその国を選んだのかについてちょっと書きたいと思います。

元々、私はアメリカとかイギリス、オーストラリアといった英語圏の国に留学するつもりはありませんでした。その理由は単純で、英語なら多分どうにかなるだろうと思っていたからです。

今考えると傲慢以外何者でもないですが、その当時は、言葉、文化、人間を一体として学んでみたかったというのがあり、英語はある程度知っている分、わざわざ一年かけていく必要もないのかなと思っていました。

多分、英語圏に留学した人は英語としての苦労があっただろうと思いますけれど(ネイティブの英語では、二外国語としての英語と全然速度も単語のチョイスも違うでしょうから)、当時の私はそんなことなんて考えてもいませんでした。

 

そして、私はヨーロッパに行きたいという思いをずっと持っていました。

おしゃれ、歴史的、先進国といったイメージが強いヨーロッパですが、自分も例にもれず、ヨーロッパのその優美さ、華やかさをその目で見てみたいという憧れのようなものを持っていました。

さらに、私はフランスやドイツといった、ある意味「有名」な国に行くつもりもありませんでした。それは、有名な国なら、多分大人になってからでも行ける、とか思っていたように思います。

だから、自分はあんまり知らない、所謂「小国」とやらに行ってみたかった。

そうしてヨーロッパのあんまり知らない国々を見ている時に、ベルギーという国にあたりました。

その国は、言語で国が二つに分かれているような国で、自分が参加した団体でも、ベルギーのフランス語とオランダ語で派遣地域が分かれているのが、自分にとって何よりも新鮮で、その国に大きく心を惹かれました。

チョコレートとワッフルでしか聞いたことのない国。それでも、言語的な分裂、そしてEUの中心地であるという経済的発展地。自分の興味を駆り立てるには、十分でした。

そうして自分の留学先として、ベルギーが選ばれたという訳です。

(こんだけ書いておきながら何ですが)その当時はあまり深く考えていませんでしたけど、今考えるとこれ以上ないくらい正解だったなと思います。

 

次からは留学期の話です。

 

2. 留学開始~留学倦怠期まで

――――

私の留学は、波乱の幕開けであった。

 

運悪く天候不良のため、羽田からドイツへと向かう便が遅れ、その影響で、ベルギーの首都、ブリュッセルに向かう便に乗り継ぐことが出来なかったのだ。

前述した通り、留学団体を通じての留学だったので、同じようにベルギーへと留学する日本人が何人か一緒になって、日本から出発していた。けれど、その団体のモットーである「自主性」によって、私たち日本人一行に、大人が誰も付いていなかった。

これが、この日の夜に大きな問題となる。

ドイツに着いたのが、22時のことであり、ドイツからブリュッセル行きの飛行機が無くなってしまったので、ホテルを見つけないといけなくなってしまったのだ。

異国の地について最初にすべきことが、右も左も分からない状態から飛行機会社と話をして、ホテルを見つけてもらうことだなんて、誰が想像出来ただろうか。

そこで問題が起こった。その日本人一行がみんな未成年であるので、ホテルを見つけるのがとても困難になるとの旨を伝えられたのだ。

親の許可書を見せたものの、その場にいるのが未成年だけであったから、ホテルは難しいと伝えられたのだった。

「そこを何とか…」という風に拙い英語で粘り続けて、ようやくホテルを見つけた時には、日が変わっていた(そのホテルがめちゃめちゃゴージャスだったのも、この話のオチとしては最高かもしれない)。

それでも、私達日本人一行は、どこか異国に来たことで浮かれていた。

ちょっとした冒険気分、というのが正しいのか分からないが、どこか楽しんでいた。

しかし、波乱はまだ終わらない。

 

翌日、ドイツからブリュッセルへと出発し、ブリュッセルへ着いた時が、運悪く空港のストライキの時期と重なった。

預けていた私の荷物をすべて無くされたのだ。

持っていたのは、機内に持ち込んだ、わずかな着替えとパソコン、ちょっとした小物だけであった。

長い列に並んで、受付の方と話をするも、「遺失届を出してくれ」以上のことは特に言われることがなく、その場にいた日本人留学生一行の実に半分が、ベルギーについた時に、手荷物しか持っていない状態となったのだった。

予定より一日遅れ、異様に軽い荷物を片手に、留学団体の集まりの場所へと向かった。

 

(ちなみにこの時に失くされた荷物ですが、5日後くらいに空港にもう一度探しにいった所、受付では埒が明かず、遺失物を保管する倉庫にまで足を踏み入れました。そこでようやく乱雑にほっぽらかされていた自分の荷物を発見した訳です。最初の5日はどう過ごしてたのかといいますと、ホストブラザーの洋服を借りてました。さらに、帰国した時も羽田で荷物を失くされ、荷物が届いたのが1週間後だったのは本当になんなんだとか思いました…)

 

これは、今でもはっきりと思い出すことが出来るが、私が初めて外国の空港に降り立った時、私は高揚感と緊張感を同時に感じていた。 

異国に来て一年間、しっかりと励もうと意気込む気持ち、異国へ来たという興奮と共に、海外を経験したことがなく、語学を含めた生活全般に対する不安も、現地に着くと一層膨らんでいった。

 

私が留学した国はベルギーであるが、日本から一緒に出発したベルギー留学のメンバーと別れると、そこからは、日本語が全く聞こえない環境に放りこまれた。

今思うと滑稽ですらあるが、私は初めてベルギーに着いたその日に一番ホームシックになった。

なまじ一日前に、日本人留学生達と飛行機や荷物のトラブルを乗り越えて、少し仲が良くなったのが災いしたのかもしれない。

日本語が、私の意志を伝えるに足る言語が、全く使い物にならなくなった。

それだけで、今でもはっきりと思い出せるレベルで恐怖を感じた。

「外人」が怖くて仕方なかった。英語でしかコミュニケーションをとれないことが自分を委縮させた。

 

突然ですが、初対面の人と出会った時、読者の皆様は何を話すでしょうか?

天気、政治、スポーツ、ニュース、最近ハマッていること、興味、仕事、家族…

話すことはいろいろあるでしょう。

でもその初対面の相手が、日本語を知る由もなく、私とは違った見た目をしていて、自分とは別にコミュニティを築いて話している状況を考えると、どうでしょう。

どんな話をすればいいのか、全く見当もつかない。

その時、私の置かれていた状況が、少し想像出来るのではないでしょうか。

 

閑話休題。そんな状況にあって、自分は異国についた時に感じていた、高揚感をすっかり失ってしまった。

残ったのは膨れ上がった緊張感で、それが敗北感にゆっくりとすり替わっていったのであった。

部屋に戻って、何もせずにボーっとするのも、どこか負けたような気がして嫌だったので、トイレに小一時間くらい引きこもって、ベルギーに来たことを後悔する文章をひたすらスマホに打ち込んでいたのは、今となっては苦き思い出でしょうか。

そんなくらい、自分の無力感に絶望していました。

相手の自信たっぷりな話し方に私は、発言する勇気をすっかり失ってしまった。

今考えると、大した話ではなかったのかもしれない。

それでも、その時は英語の能力とかではなく、相手の様子、自分の不慣れさでどうしようもなく落ち込んでいた。

 

日本であれば、留学団体によって、スケジュールがしっかりと組まれて、何時にあるアクティビティをするといった風に縛ってくれるものがあるが、ベルギーにいった時に、そんなものはあってないようなものだった。

留学団体のスタンスとしても、フリーに人間関係を構築してもらいたかったのだろう。

食事の時間だけ、1.5時間くらいの幅を作り、班ごとに食べてもらう形をとっていたが、それ以外では、本当に「フリー」だった。

みんなが自分の思い思いに輪を作り、会話を弾ませていて、サッカーやフリスビーをして楽しむものもいた。私はただそれをぼんやりと見て、どうしようと戸惑うと同時に、何も出来ない自分に対するやるせなさすらも感じていた。

そんな落ち込んだ時間を過ごしていたが、そんな時間は一日で終わった。

 

ホストファミリーとの対面。

ベルギーに着いて二日目、そこから10か月お世話になったホストファミリーと対面したのだった。

「よく来たな」

そんな言葉と共に家族全員とハグをした時、単純ではあるが「ようやく認められた」というような思いが自分を満たした。

私は、まだその時も自分から喋りだすことが出来ないでいたものの、ベルギー初日で感じた落ち込みは、もう無くなっていた。

そこからの一週間くらいは、学校が始まる前であったので、いろんな町を見て回り、異国を楽しんだ。

ある意味、あの一週間は、観光客として楽しんでいたように思える。

きれいな景色を見て、おいしい食べ物を食べて、とにかく楽しかった。

そうしてホストファミリーと慣れ始めた一週間後に、学校が始まった。

その一週間で、英語での会話そのものは慣れ始めてきたので、言語的なコミュニケーションの齟齬は比較的少なくなっていた。

それでも、「このまま上手くいく」なんてことはなかった。

 

当然ではあるが、ベルギーのオランダ語圏に留学していたので、学校の言語はオランダ語だ。

学校に行った初日、周りから聞こえるオランダ語はほとんど理解出来なかった。

一日、一週間、二週間と経てども、この状況が良くなる気配は見えなかった。

私はベルギーにいる人とロクに会話を繰り広げることが出来ないままでいた。

学校という小さなコミュニティの中でさえ、輪を広げることが出来なかった。

 

私は不安になった。私は留学前に意気込んでいた、自分の目標を達成したかった。「いろんな人と交流する」という目標だ。

ベルギーの私のクラスメイトは、英語をよく理解してくれる人々であったものの、自分が話を繋げることが出来なかった。

そこには英語というよりも、ベルギーの公用語の一つであるオランダ語の存在が大きくあるという風に私は考えた。

自分がオランダ語を話さないから、あんまり話が続かないのだと思った。

 

元々私は、オランダ語をベルギーに行く前にある程度勉強していたものの、現地の人の会話をほとんど理解することが出来ず、一緒の学校に通っていた留学生達と英語で会話をしていた。

クラスメイトや他の現地の生徒とオランダ語で会話するのは、ほとんど無かったのだ。

留学してから1か月くらい過ぎると、現地の生活のリズムにも慣れ始めてきて、英語でのコミュニケーションも苦をあまり感じなくなっていった。しかし、状況は決して良くはならなかった。

良く言われることではあるが、1か月くらい過ぎると、「異国にいる」という楽しさが無くなる。

異国に対する「適応」がなされるのがこの時くらいなのだろうけれども、その時が丁度、自分が悩んでいた時だった。

 

「自分のオランダ語が拙いから…。」

そんなことを頭の片隅で、言い訳のように思っていたのかもしれない。

クラスの人とほとんど会話をすることが出来ず、私はとことん「異質」な存在であり続けた。ホストファミリーは私を献身的に支えてくれたが、それでも状況は厳しかった。

ある日一度、授業(勿論全てオランダ語で行われていた)が全く分からず、半分ボケーとしていた瞬間があった。

その時、私は先生にこんなことを言われた。

「君がオランダ語で授業についていけてないのは分かる。けれども、せめて集中して聞く努力はしないのか」と。

心に深く、トゲのように刺さった。

あんまりじゃないかと。

こっちはオランダ語と、友人関係、ホストファミリーとの関係で手一杯なのに、そんなことまで要求されるのかと。

あまりにつらくて、この日は涙をこぼした。

 

家に帰って、半泣きになりながら、日本語が話せるホストシスターに相談した。

私は変な意地があったのか、そのホストシスターとも英語で話していたのだったが、その時は、日本語で私の思いを吐き出した。

「学校がしんどい。オランダ語が分からない。生活すべてがつらい」と。

私の話を聞いてくれたホストシスターの答えは、「ちょっとずつ勉強して、ちょっとずつ良くしていく」というものであった。

クラスの人達と、ホストファミリーとのコミュニケーションに、オランダ語が原因で苦戦する。

自分の描いていた、自信と楽しみに満ち溢れ、いろんな人と交流関係を築く、理想の留学生活との乖離にやきもきした。周りの人間の思考が分からなかった。

 

理想とはほど遠い状態で、言語で苦戦する自分がみじめだった。

ここで自分の支えになったのは、同じ学校にいた留学生の人たちであった。

彼らとの会話はいつも英語であったので、オランダ語での交流にコンプレックスを感じていた私でも会話を楽しむことが出来た。

しかし、彼らとの交流を深めれば深めるほど、私はある一つの疑問に悩まされた。それは、この心地よいグループの中にずっと浸っていていいのかということだ。

クラスの人達はオランダ語を使ってコミュニティを築いている中、自分は英語だけの交流で満足していいのか、オランダ語を会得して、一人でも多くの人と関わらなくていいのか、もっと広げなくて、ホストファミリーとの会話が出来なくていいのか、という思いに囚われた。

もちろん留学生たちの考え方をきちんと深く理解していた訳ではないが、留学前に描いた、そして一度は崩された自分の「理想の」留学像が、また自分の目の前に現れた。

オランダ語を学ばなくていいのか? ベルギーの文化、考え方を学ばなくていいのか? と自分に語り掛けてくる。

私は、留学生達の会話の中で得た、一握りの勇気と自信を持って、その目標にもう一度立ち向かった。

留学してから2~3か月くらいの話である。

 

3. 転換期~成長期

――――

私はしばらく経った時、クラスの人に勇気を出して話しかけてみた。

拙いオランダ語で、「一緒にお昼ご飯を食べよう」と。

しかし、クラスメイトの何人かと丸くなってご飯を食べる中、私が感じたのは、結局喋れない自分だった。

オランダ語が理解出来ない。喋れない。

たったこれだけでクラスの人が楽しそうにご飯を食べる中、私は相槌を適当に打ちながら、心の中で涙をこぼし、表では薄っぺらい笑顔を張り付けるしか方法が無くなってしまったのだ。

 

休み時間中に話すなんてことが出来たら、お昼休みも苦労しない。

結局、「いろんな人と交流する」という目標に対して、自分はロクに前進していなかったことに気づいてしまった。

ホストファミリー、一緒に通っていた留学生くらいしか、話す相手がいないことに気づいてしまった。

日本にいた頃の、友人関係の中で築いたアイデンティティが通用しない世界。

日本の常識が通じない文化は、言葉を会得しないことには何も始まらないという風に気づいたのであった。

 

私はそこからオランダ語をひたすらに勉強し始めて、とにかくコミュニケーションをとろうと腐心した。

オランダ語の動画をいろいろ探して聞き続け、家に置いてあった子供向けの絵本を端から読んでいき、ホストファミリーに相談して、小学生向けの新聞を購読してもらい、何度も分かるまで読み直しを続け、知らない単語を逐一辞書で調べ、マークを入れ、努力を重ねた。

学校の休み時間にその新聞を読み、家に帰ってからも、オランダ語の学習を重ねた。

ネイティブの高校生にまで言語のレベルを寄せるのは、数か月程度では到底不可能なのかもしれない。

それでも、そうしないことには何も始まらないと思っていた。

生活がつらくて弱音を吐いても、ホストファミリーが聞いてくれた。受け止めてくれた。私はとにかく言語の学習に力を注いだため、言語の上達は想像以上に早かった。

 

そして、それが幸いして、オランダ語で少しずつコミュニケーションをとれるようになっていった。

クラスの人が何を言っているのか少しずつ理解出来るようになっていった。ホストファミリーともちゃんと受け答えができ始めるようになっていった。

だんだんと相手の言っていることが理解できるようになり、荒野を開拓していくような気分でとても楽しかった。

そうして、この辺りの時期から、留学生が集まって騒ぐパーティーにも顔を出すようになった。

私の使った留学団体では、南米、中米からの留学生がとても多く、週末にはパーティーが行われている、という情報は一緒の学校にいた留学生から聞いていた。

「いろんな人と関わる」

その目標を胸にパーティーへと足を踏み入れたのだった。

 

そこは、一言で言うならカオスであった。

酒を飲んではしゃいでいる子、輪を作ってお話をしている子、曲を流して騒いでいる子、狂ったようにダンスしている子…。

その様子をラテンカルチャーと形容するのがふさわしいのか分からないが、私はそんな光景に、ただあっけにとられてた。

それでも、自分の目標を追うために、輪を作ってはしゃいでいる子に話しかけにいった。

何回かパーティーには行ったが、正直、楽しかったという経験よりも、話す相手を必死に探していた記憶のほうが、自分の中に強く残っている。

とにかくいろんな人と関わろうとした。

いろんな国の出身の子と会話した。

そこで、ラテンアメリカの子達の間での、スペイン語の汎用性を見た。

この経験が、自分が大学生になった時に二外国語を選ぶに当たって、スペイン語を選んだ大きな理由なのだ。

 

さらに、ホストシスターのツテで、大学のゼミに参加させてもらった。

ホストシスターは日本について勉強していて、日本とベルギーの関係について考えるゼミにも所属していた。

自分が日本人であったこともあり、そのゼミに何回か参加させて頂いた。

ベルギーは大学になると英語化が一気に進み、授業が英語で行われるのもザラであるので、そのゼミの参加者は、私と英語か日本語でコミュニケーションを図ろうとする人がほとんどであった。

そのゼミの参加者には、日本人も少しいた。

自分の母語が使えるという環境、そして、オランダ語を頑張って喋ろうとした自分を褒めてくれるゼミの参加者たち(経験則ではあるが、母語を喋ってくれる人はそれだけで嬉しいのだろう)。

大学生の視点からのベルギー生活、大学生事情なども聞くことが出来て、自分の留学にさらに別の視点をくれたように思える。 

 

それでも、言葉だけでは会話が大きく弾むことは無かった。言葉の裏にある文化的背景、さらにはその人自身のバックグラウンドが存在することを強く自覚した。

英語から始まり、オランダ語へと進んでいた、私の語学との闘いは、人との関わりの中では、第一段階でしかなかったことを知った。

ベルギーで流行っているもの、パーティーの話などで会話が弾んでいても、それがなんなのか分からないことがあった。

語学だけに勉強を絞っていた分、日本以外のヨーロッパの知識、「海外」の知識をそもそもあまり得ようとしていなかったし、元々あまり持っていなかった。

前提として知っているだろうものに「それって何?」と聞くことが出来なかったのは、それが言葉の問題ではもう無かったからだ。

言葉以前の問題ですらあった。

言い換えるのならば、言葉の問題を言い訳にすることが出来なくなっていったのだ。

明らかに前提知識が足りない。だからなのか、この時でさえ、私はクラスの人達とそこまで仲良くはなれずにいた。

 

そしてもう一つ、私が考え方を改めざるを得なくなる出来事が起こった。

それは同じ学校にいた留学生の子がクラスの子と、とても楽しそうに話している所を目撃したのが始まりだった。

その時、私はその事実が正直に言って理解出来なかった。

その留学生はオランダ語ではなく、英語でずっと会話を続けており、言葉でずっと悩んでいた自分にとってはあり得ない光景だった。

オランダ語で会話出来ないから、自分はクラスメイトと会話出来ないと思っていたのに、その前提すら破って会話をしていた。

何で英語なのに、そんなに楽しそうに会話出来るのか?

その疑問は、「どうしてオランダ語を勉強している自分が、会話に苦戦しているのに…」という嫉妬に近いものであったのかもしれない。

自分の頑張りは、ホストシスターのゼミの仲間達や、ホストファミリーから褒められていたので、腐ることは無かったものの、その疑問が拭われるわけではなかった。

その留学生の子が特別ベルギーの文化に精通していた訳では全くないのに、授業や趣味の話で楽しそうに会話しているのが、正直なところ、悔しかった。

なんで自分にそれが出来ないのか、分からなかった。

 

私は、その答えを見つけるのに、数か月を必要とした。

その間の時間は、オランダ語が上達するにつれて、広がるコミュニティや、ようやく自分なりの留学の楽しさを見つけ始めた時期でもあった。

ベルリン、パリ、ロンドン、プラハアムステルダム、そしてもちろんベルギー国内の様々な都市に旅行しに出掛けた。

自分は元々旅が大好きで、その好奇心のままにいろいろ出かけるのが本当に楽しかった。

平日の学校をなんとか耐えて、週末、長期休みにゆっくりするなり、旅行をするなりして楽しむ。

そんな安定した留学スタイルを作っていったのも、この辺りの時期である。

有り体に言うなら、この時期は、留学がだんだん楽しくなっていった時期なのだろう。

毎日がちょっとずつ楽しくなって、それと同時に、留学生活のタイムリミットがゆっくりと近づいてくるのも感じていく、そんな感情が交じり合った感じ。

それでも、自分の留学が100%楽しくなった訳じゃない。

まだ自分には、コミュニケーションの問題が残されていた。

いろんな人と会って、話をしたいという自分の目標は、まだ完全に達成しきっていなかった。

 

―私は、留学終了2、3か月前でようやく原点に立ち返ることができた。

それは、コミュニケーションは人間同士で行うものであって、それぞれ各個人が好きなようにコミュニティを築いていくという基本原則であった。

当たり前すぎて何を言っているんだと思うかもしれないが、このことをきちんと理解するのに、相当の時間を必要とした。

 

言葉なんて、お互いの意思が通じれば最悪それでも構わない程度ものであった。

もちろん、その国の言語を学ぼうとすることは、その国に適合しようとする上でとても大事なものだろう。

でも、コミュニケーションの中では、言葉が占める部分は、その中身に比べると、とても少ないものであった。

何よりも大事だったのは、その会話を楽しんで、相手と心を出来るだけ共有しようとすることであった。

なぜ自分はクラスの人とあまりうまくいかないのかと考えると、結局クラスの人達に、私の「色」をあまり見せることがその辺りまで無かったからであるように思った。

これを自覚してから、自分のオランダ語に躊躇いがほとんど無くなった。

「文脈に即さないのではないか」

「トンチなことを言っているのではないか」

その一瞬の迷いが、コミュニケーションを円滑にするわけは無かった。

 

自分に足りなかったものは、語学力は当然だが、何よりも「自分自身」であった。

自分はこうであると思い、それを言葉や態度で表出すること。そして、時に他人とぶつかることもあるけれども、コミュニケーションを続ける中で、自分なりの、自分にしか作れない人間関係を築いていくというのが、私の理想の留学生活像への道筋であったのだ。

これを意識するようになってから、留学先での生活をとても楽しめるようになり、今ではベルギーを恋しく思うくらい、楽しい思い出をたくさん、あの国で作った。

帰国日、一年前と同じ空港で集まった日本人留学生の顔つきは、みんな違えど、一年前と比べてものにならないくらい大人びていて、どこか満足したような顔つきであったように感じた。

 

ブリュッセルから飛行機が離陸した時、私は最後に泣いた。

ホストファミリーとのお別れの時には泣かなかったのに、飛行機が離陸して、地上から離れると、何故だか涙が止まらなかった。

一年間、ベルギーで足掻いて、精いっぱい生き切った。

どこかで張りつめていた緊張の糸が切れた瞬間だったのかもしれない。

そうして私たち日本人留学生は帰国した。

大事な思い出を、ベルギーでたくさん作った後に。

 

4. 帰国~今まで

――――

ベルギーの一年間の経験は、様々な側面で自分の中に生きている。

まず、時間はとてもかかったが、オランダ語をちゃんと喋れるようなレベルまで完成させることが出来たという事実が、自分の語学への自信を高めた。

それが、今スペイン語を学習する中、自分の中で強く活きていると感じる。

そして、自分が全く知らなかった異国でも上手くやれたという経験が、自分自身への自信をとても強くした。

加えて、次も自分の知らない国に入国して、ベルギーでの一年間で得た見地、経験を試すために、チャレンジしていきたいと思えるようにもなった。

自分の自信がまた砕かれるかもしれないが、今の自分ならもっと上手くやれるような、そんな気がしている。

さらに、あの一年間のコミュニケーションの迷いと抗いの中で、人間関係の築き方に、少し自信が持てるようになったし、もっと人間関係について知りたいと思うようになった。

それが、今の自分の心理学、対人関係への強い興味の原因の一つとなっている。

 

留学の経験で得られることは、三者三様だろうから、私と同じ気づきを得るかは分からない(多くの留学生に聞いて思うのが、コミュニケーションの問題は、誰もが一度は抱える問題みたいであるらしいが…)。

 

留学はハッピーな記憶だけではない。

それは一つ言いたいことではあるけれど、それと同時に、全部が全部、嫌な思い出になることもない、とも言いたい。

頑張れば、足掻けば足掻いた分だけ、きっと大きな学びと経験を得られると思う。

 

 

この文章を、これから留学を考えている人、これから留学に行く人、読者の皆様、全員に捧げて、締めくくりたいと思います。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

「諦めの自己肯定感」について

皆様こんにちは。葉月です。

 

今回は、Covidの時期にいろいろと書いていた人間関係についての記事と、関連しそうでしない、「自己肯定感」について見ていきます。

人間関係においても重要な要素ですが、生きていく上で大事なファクターになるんじゃないかなぁと思い、ふと自分が思っていることでも書き連ねていこうかと思います。

タイトルの「諦めの自己肯定」ですが、いつしか話題になった「嫌われる勇気」という本に少し登場します。

私自身、初めてこの本を読んだ時に、自分の思考が言葉ではっきりと輪郭をつけられたような気がして、衝撃を受けた記憶があります。

本の内容と似ているかもですが、ご承知おきください。

 

さて、自己肯定感と一口にいっても、それがどのようなものなのかという議論があまりなされていないような気がするので、「そもそも自己肯定感って何なのか」という部分にまずは着目します。

自分が好き、ナルシズムのような意味でも捉えられる「自己肯定感」ですが、辞書を引くと、「ありのままの自分を受け入れ、尊重する感覚」や「自己の在り方を積極的に評価する感情、自分の価値や存在意義を肯定出来る感情」と定義されています。

自分の存在、自分の価値を承認することが、自己肯定感の大きな軸になっていることが分かりますが、これはどの程度の事象を指しているのか。

0か1なら1でしょうが、自分がこの世で一番価値がある人間だとまで考える必要はないでしょう。単純に、自分がそれなりな価値をもって、この社会に存在している、という認識を持つことでしょうか。 

 

では、議題に掲げている「諦めの」という形容詞は、どういった意味なのか。

これは、何か成し遂げることの出来た自分に対する自己肯定感ではなく、今ここに、何か成し遂げていてもいなくても存在する自分に対して、自己肯定感を持つことです。

「自己肯定感」を手に入れることに難を覚える人は、たくさんいると思います。

特に、自分に対して要求するものが大きい人、プライドの高い人は、自己肯定感を得る、満足することが難しいです。

例え何かを達成したとしても、自分が求めているレベルに達していなければ、何かを成し遂げたとはいえども満足することはないでしょう。

また、環境が苛烈な場合、 自分の(周りと比べた)相対的価値が損じて見えるので、これも自己肯定感を手に入れるのが難しくなります。

それに加えて、昨今はSNSでとても多くの人の脚色された姿を見ることが出来てしまう世の中。

自分が得意だと思っていること、自分が自負しているものを遥かに超えるレベルでこなしている誰かの姿が、見たくないとしても見えてしまいます。

ここでの自己肯定感は、何か成し遂げる、獲得することによって加算されていくステータスのようなものです。

ステータスが1つだけなら、達成感による自己肯定感はなお難しい

ポケモンで例えるなら、こうげきのステータスだけでポケモンの優劣を判断されているようなもの。ぼうぎょやすばやさなど、他に比べられるステータスがないと、達成感を得にくいです(こうげきは低くても、すばやさは高いなど、どこか一側面において自己肯定を出来る要素を抱えることができる)。

 

さて、ここまでが達成的自己肯定感の話でしたが、諦めの自己肯定感と比較してみます。

1. 達成的自己肯定感:何かを成し遂げることが出来たから自分に価値がある -> 自己肯定

2. 諦めの自己肯定感:今自分は十分にプラスな状態である -> 自己肯定

理想から引き算をして現実を捉えるか、最低限から足し算をして現実を捉えるか、という枠組みでも説明が出来ますが、もし達成的肯定感を得ようとするのなら、何かを成し遂げて自分の価値を付加しないと難しい。

そういった時に、自分は「こうなれたからいい人間だ」という、達成的自己肯定感を得ようとするのではなく、「こうとしかなれない/自分はこのくらいだ」という捉え方をするのが、「諦め」の指す内容となります。

「諦め」という単語を用いると、ネガティブな意味合いに聞こえてしまいますが、指し示したい意味としては「足るを知る」といったものに近いです。

自分に何か大きな成長を望むのも素晴らしいと思います。そうした果てに何か成功を掴むことが出来たなら、自己肯定感が増すのに障害は無いでしょう。

しかしながら、それで自己肯定感を得ることが難しい人がいるのもまた事実です。

そういった時に、自分はこれくらいしか出来ない、という悲観的な考え方で自分を責めるのではなく、「これくらいしか出来ないんだから、これは自分の肯定感に加えるにふさわしくないんだ」と考えること。

自分が出来ること、好きなこと、やっていて楽しいことなどを自分の価値にしてみるのがいいんでしょうかね。

出来ないことはあって当然。それを自分の価値に組み込まないようにすれば、自分の弱点に捕らわれることがなくなると思います。

 

加えて、他人を見下さないことも重要だと思います。

セルフハンディキャップの話としても有名ですが、人が自尊心を保つとして、自分よりも優れている(と思っている)人を見て、追いついていきたいと思うか、自分よりも劣っている人を見て、コイツよりはマシと思うか、という2択があります。

下を見て自尊心を保ってしまうと、その人の優れた一面を見つけてしまった時に、その自尊心が揺らいでしまい、自尊心の在処が他者依存になってしまいます。

勿論、下を見て自尊心を保つといった行為が必要になる場合もあるでしょうが、優れた人を見つけ、追いつこうとする方が、自分が自尊心を高める材料になります。

それで上手くいかないと思ったら、「諦め」ればいいと思っています。

これくらいしか出来ないんだから、自分にはふさわしくないのだと。

しかしながら社会においては、学歴、仕事のデキなど、場所によっては支配的な価値を担うことが往々にしてある、特別な価値が存在します。

これを「諦め」るのは難しいことですし、自分にふさわしいもの、はそんな簡単に見つかるものではないと思いますが、ふさわしくないと切り捨てていく中で、残っているものをそう解釈するのがいいでしょうか。

その人自身の中で、自己肯定感を高める価値を見つけられるのがいいなぁ、なんて思ったりします。

 

まとめのようなもの

ここまで書いておいて、具体的にじゃあ自己肯定感をどう高めるのか、についての方策がないと思った人もいるでしょう。

私自身も、どうすれば自己肯定感を高められるのかずっと悩んでいて、元々この文章の骨組み自体は2020年にあらかた作っておいたのですが、どうにも自己啓発系心理学の本のうさんくささが拭えず、そんな文章を公開するのはなんだかなぁと思っていました。

ただ、ベルギー、カナダと留学をする中で、自分に自信がない人、あるように見える人、なんでそんなので自信があるのか分からない人(失礼)に会ってきて、自己肯定感の多寡によってその人のプレゼンスに大きな影響をもたらしている感覚を得ました。

単純にいうと、自信がある人って存在感というか「俺はここで生きてるぞ」っていう主張が強いんですよね。

だからこそ、自信がある/ない -> プレゼンスが強い/弱い -> その人「らしさ」が見える/見えない、という正/負のループが生まれているように感じました。

みんながみんな、強く生きれる訳じゃない。でも自信を持っておくことで、少なくとも自分という人間のプレゼンスを出すことができる。

常に理想の旗を目指して進める訳じゃないから、たまには後ろを振り返って、自分が進んできた足跡を見つめてみるのもいい。

そういった自分の考えと、自己肯定感の在り様がリンクするような気がしたので、改めて記事にしてみようと考えた次第です。

なのでこうすれば自己肯定が上がる、というより方策よりも、自己肯定ってこういう風にも考えられるんじゃない? くらいの心持ちで書きました。

 

最近、社会の中でどこか「こうでないといけない」という規範が存在している気がしてます。

例えば、自己責任論や能力主義メリトクラシー)の持つメッセージであったり(「何かを成し遂げないと、価値を生み出さないと、生きている意味がない」)、もっとライトな人生論だったり(「勉強していい学校に行くべき」「結婚して家庭を持つべき」)。

規範を達成して、達成的自己肯定感を手に入れられるのであれば、それでいい。

でも、それを達成できないで苦しむ人間も存在すると思います。

達成的自己肯定感を手に入れられないことで、自己肯定感を持てずに苦しむのであれば、「諦め」るのも一つの選択肢である、と主張したいです。

まとまっているのか分からないですが、諦めの自己肯定感について書いてみました。

セーフティーネットのようなものとして、持っておいたほうが生きやすいかも、といったくらいの感覚です。これを持たないといけないという規範でもありません。

自分に自信が持てなくて苦しいのであれば、考え方を変えてみるのもいいのかもしれませんね。

大学生活の振り返り

皆様こんにちは。葉月です。

 

いろんなことが起こった気がする大学生活が終わりました。

将来また学生をやっている可能性が無くもないですが、自分の人生の一つの大きな区切りとして、感想を書き残しておきたいと思います。

1年休学(留学)を挟んで、大学5年間を時系列順に見ていこうと思います。

 

大学1年生

大学入試も終わり、いろいろなことに手を出しながら、新しい生活に慣れていこうとした期間でした。

4~6月辺りまでは勉強したりサークル行ったりと、真面目な大学生をしていたような気がします。自分の通っていた大学だとクラスというシステムがあり、そこで人付き合いがそれなりに出来ていたのも大きいかったですかね。

ただきちんと授業に出席して、授業の予習復習をするのはけっこう大変でした。勤勉な学生であろうとすると、5月病になる気持ちが分かった気がします。

6月にアルバイトも始め、大金じゃないけれど、自分の力でお金を稼ぐようになった感慨深さがありました。

夏休みは、大学で留学に行こうと動いたタイミングであり、書類を作ったり奨学金に申し込みをしたりとしていたんですが、専門課程の年数が足りないという理由でボツに。

元々はスペイン語圏の大学に留学をしたいと考えていたので、国を変えて計画を進めることもできましたが、一回留学の話は脇に置いておくことにしました。

留学自体はすごくしたかったんですけれど、何となく今の留学のプランがあやふやで、このまま計画を進めることに対してしっくりこなかったというのがありました。

今考えると、ここで中断したからこそカナダ留学を見つけることができたというのもあるので、悪くない判断だったかなぁと。

9月には青春18きっぷで長旅をしました。その当時は鉄道についてあまりよく知らなかったので、安い値段で旅行がしたくて、青春18って書いてあるから18歳しか使えないかも、急がないと、と思って長旅を実行。

この名前紛らわしいんよなぁ……。青春きっぷとかに改名しません?

7月の試験期間中に旅行日程を作っていたんですが、これが試験勉強の息抜きとして最高に楽しかったです。8泊9日で関西、中国、四国辺りをグルグルと廻ったりしていました。ベルギー留学時にもちょこちょこしていたんですが、1人旅ってやっぱり楽しいと思ったのもこの時期。

そんなこんなで大学1年の後半戦。

夏休み明け、9月病なのか分かりませんが、大学に対してのやる気がすっぽりなくなりました。なまじそれなりにいい成績を取ることが出来てしまったが故かもしれないんですけれど、学校で学ぶことに対しての価値を見出せなくなってしまいました。

ただ夏休みで二外国語の教材のフル日本語訳を作ったりもしていたので、何か成果を生み出し続けていたい、みたいな価値観はあったのかなぁと。

1年生の後半は、投資、対人関係の本を読み漁るなどもしており、自分なりに何か知的生産活動をしていたい、という、ある意味では「頑張り病」みたいな感じになります。

これ自体は今でもあんまり変わっていないですね。まぁベルギーから帰ってきた自分の1つ大きな要素とでもいいましょうか。

2020年の1月に恋愛でやけどをしたりもしましたが、大学に来たり来なかったりをしている内に、2020年のCovidが姿を見せ始め、春休みから不穏な空気が漂いはじめます。

春休みに集中講義で伊豆に行っている間に、どんどんと不穏になってくる世情。

予定していたサークルの合宿、バイトがどんどんと無くなっていくのを目の当たりにしながら、2020年度が幕を開けたのでした。

 

大学2年生

前半期は本当に記憶が薄いです。

Covidで授業がオンラインになったり、サークルの新歓がほとんど出来ない状態になったりと、変化は激しい時期だったとは思うんですが、イマイチ実感に欠けていまして……。

テレビでみる感染者の数字の提示の方法、報道の在り方に強く疑問を覚えたり、せっかく暇な時間が増えたのだからと思い、1年生の後半でいろいろ本を読んでいた対人関係の方法論についてブログでまとめてみようとしてみたりと、時代の流れの中でどう生きたらいいか模索をしていました。

オンラインとはいえど、授業で時間が埋まっていればよかったのかもしれないですが、元々は1年生で単位を多くとり、2年生でアルバイトを多めに入れながら遊ぶ予定だったので、2年生の前期の授業のコマ数は本当に少なかったんですよね。

暇な時間はあるけれど、それをひたすら持て余す毎日。

今でも覚えているのが、1回目の緊急事態宣言が出されていた最中に訪れた東京の街並みです。

昼間なのに外を歩いている人がまばらにしかいない渋谷のスクランブルや、原宿の竹下通りを歩いて、感染症に対する恐怖の強さ、集団心理とか、そういったものの力の大きさを実感した瞬間でした。

そういうのも、私が専門課程で社会心理学を選んだ理由の一つになっている気がしますね。

私の通っていた大学では、ざっくりと1~2年生の前半期までが教養課程で、いろんな学問を幅広く薄く学ぼう、という雰囲気なのに対して、2年生の後半期からは、専門課程の学びを深める時期になります。

後半期は社会心理学を学ぼうと進路を決めましたが、最初がとにかく大変。

統計を勉強しつつも、実験と調査スタイルに慣れるため、毎週のように分析と考察を含めたレポートが課せられ、課題に追われながらツイッターで悲鳴を投稿する、大学生っぽい生活をしていたような気がします。

オンライン授業だったので、専修課程の人と実際に会って話をするようになったのはわりと最後のほうになりましたが、新しい学問分野と人と知り合い、けっこう楽しかった時期です。

 

大学3年生

大学3年生になる前の春休みくらいが面倒だった時期で、私の代で幹部だったサークルが潰れる渦中にいたり、後輩を巻き込まないようにいろいろ画策して頭を使っていました。

そういうわけで、新学期が始まったばっかの時のいい思い出はあまりなく、覚えていることといえば、自分の人生に対する焦り。

大学1年生の夏の時点でいったん白紙にした留学計画でしたが、大学生の間には絶対にどこか違う国に行きたいとは思っており、ワーホリ、交換留学、海外インターンシップなど、自分がやりたいことはどういった留学の形でなら達成できるのかずっと悩んでいました。

Covidによって、留学というかそもそも違う国に行くこと自体が無理ゲー、という空気が漂っていた2020年から、ほんの少しだけ空気が変わってきた2021年。

そんな中において、留学をしたいと思う気持ちはずっと心の中にありました。

ただ大学3年生になると、どうしても現実問題として迫ってくる進路選択。

早く職を得て自立したいと思っていた自分にとって、就職活動を通じてきちんと自活できる仕事を探すことが必要でした。

最初のほうは「自己分析」をしたり説明会に参加したりと、いろいろ情報を集めていましたが、あまりの企業の多さ、やりたいことの漠然さから、情報の海に飲まれてしまいそうに。

とりあえずインターンシップとやらに参加してみようかとやってみるも、「学生時代に頑張ったこと」「将来やりたいこと」などをESで聞かれ、イマイチ自分の中で言葉にできない。

やらないといけないこと、やりたいことが自分の中で納得のいく形にならない中、タイムリミットは刻一刻と近づいてくるので、プレッシャーがだんだんと強くなっていった時期でもありました。

そんな中でぽっと湧いて出てきた、一時的な1人暮らし。

どうも実家をリフォームするつもりだったらしく、大学の授業はまだまだオンラインが主流だったので、工事の音やら生活やらを考えて、半年くらい1人暮らしをしないかと親に言われます。

ずっと1人暮らしをしたかった葉月にとって願ったりかなったり。二つ返事で引っ越しを決めました。

そうして8月から1人暮らしを始めていましたが、夏休みに1dayのインターンシップを受けながら、やっぱり自分は留学に行きたい、と再認識します。

それは、「大学生活で何かを成し遂げたい」という気持ちがあったことに加えて、「仕事をすることに対して自分なりの観点を持ちたい」という気持ちが生まれてきたからでした。

1人暮らしをしてて、日々の生活を生きることは簡単だったんですけれど、自分がやりたいと思うことをやりきれていない不完全燃焼感であったり、1人暮らしという完全自由の中に生きていて、達成したいと思うことがまだ出来ていないことに対しての不満感のようなものがありました。

自分で自分に誇ることの出来る体験を、大学生の間にしたい。

仕事をするってどういうことなのか、学生の内に知っておきたい。

部屋にポツンと独り。自分のやりたいことや進路を頭に浮かべて、紙に書きつけては消してを繰り返し、インターネットで留学の形をいろいろ調べた結果、カナダのCoop留学に行くことを10月末に決意しました。

1人暮らしの最中には友人の紹介で付き合う人が出来たりと、生活において自分の知らない世界が広がっていくような楽しみがあった時期でした。

大学時代で一番楽しかった時期を挙げるなら、この1人暮らしの時期ですね。実家から1Rの狭い部屋に移ったけれど、自分の世界は大きく広がった時期でもありました。

 

大学4年生(留学):

本当は留学って1年くらいかけてしっかり準備をすべきものなんですが、10月末に留学に行く決断をしてから、実際に渡航するまで半年。

ビザとか諸々が突貫工事になるのを行動力で誤魔化しつつ、4月からカナダのVancouverに留学に向かいました。

なぜカナダなのか、生活はどうだったのか、どんな学びがあったのか、については過去記事でかなり真面目に書いているので、まだ振り返ってないことなんてないような感じもしますが、ベルギーに留学した時とは全く違う体験をしたことは間違いありません。

(以下過去記事の貼り付け)

カナダ留学では、半年の勉強 + 就労という面白いタイプのビザで、自分の力の限りでいろんなチャンスを掴もうとしたこと。

手から零れ落ちたものもありましたけれど、しっかりとつかみ取ったものもあり、このタイミングで1年もの時間を使った価値はあったなぁと思いました。

留学の副産物のようなものですが、この留学の途中でボスキャリに参加し、内定をもらうことが出来たので、就活も終了しました。

働くこと、自分の力で生きていくこと、という二つの課題に対して、自分なりに足掻いた結果なのかなとも思います。

 

大学5(4)年生

記憶が新しい大学4年生(2回目)です。

2023年の振り返りでも軽く触れていますが、4~5月頭まではとにかく「寂しい」って気持ちが強かったですね。

留学期間を経て、手のひらから零れたものの存在。そして1年という時間の間に、友人のほとんどは大学を卒業するなり、大学院に進学するなりと、大学の学部4年の自分のいる場所とは遠い所に行ってしまったかのような寂しさを覚えます。

また研究室のミーティングで顔も知らない一個下と同じ学年となり、やりにくさを感じていました。

すでに形成されているコミュニティの中に入り、しかも1年間しか所属しないという時間制限がついているのはベルギー留学の時と似ていて、そういえばアレもやりにくい状況だったんだなぁとふと思い返したりしました。

そんなこんなで寂しさを感じることがあったものの、授業に追われているわけでもないので暇な大学生生活。

暇を持て余すのも何だかなぁ、という気持ちがありましたし、2020年度に遊ぼうと予定していたのがCovidで無くなっていたことから、この1年は遊び尽くしたいと考えていました。

そうした経緯から、大学生モラトリアムを謳歌し始めます。

旅行に変なこと企画、卒論にぼちぼちやる気を出しながらも、自分のこれからの人生の方向性を探るための肥やしをいろいろ作っていました。

5月に箱根を歩いたり、7月で簿記2級取得RTAをした後には、8月では北海道と四国、9月には九州で自動車免許合宿と、大学生に自分らしさをトッピングした遊びができたんじゃないかなぁと思います。

夏休み後の後半期も、10月は自動車運転の練習にTOEICの勉強、11月はドライブ企画をしたり部屋探しをしたり、思い立って京都に行ったりと、多動に生きておりました。

12月は何だかんだやる気になっていた卒論の執筆に集中。データが全て集まったのが11月末と遅めだったのですが、分析が楽しく、2週間くらいずっと卒論に浸っておりました。

1月は新生活の準備をしながら、残りの学生生活の間にやり切りたいことを消化していっているような感じで、2~3月はほぼ一人暮らしの家にいません。最初の数日は暮らし企画をしますが、その後はベルギーにいたり、日本全国を飛び回っていたりとする予定です。

(なんで1月末に部屋借りたんだよ、とかは言わない方向で……)

最後の5年目は本当に多動に生きていますね。やりたいという気持ちと行動力を重ねるとこんな風になるのかもしれません。

 

 

全体的な感想:

2024年2月に卒論発表会の打ち上げが終わった後に、自分の大学生活が終わりに近づいていることを強く実感したと同時に、自分の大学生活を振り返ると、いろんなことをやってきたなぁと思いました。

それと同時に、自分自身が気づかないうちに相当変わったんだなぁと思います。

これはベルギーに帰省した時にも思ったことで、そりゃ思春期真っ盛りの17歳の自分と比べたら少しは変わったのだと思いますが、あまり大きく変わっていないベルギーの街並みの中、それを見る自分自身がかなり変化したんだなぁと強く感じるようになりました。

進んでいる時は頑張って歩いているだけなものの、ふと後ろを振り返って、自分の歩いてきた道を振り返ると、確かにそこに自分の足跡が見える感覚といいましょうか。

地点地点を区切って振り返れば、正直二度とやりたくないと思う体験も多いですけれど、不思議と振り返ってみると、全部セピア色のいい思い出に思えました。

サークルのゴタゴタとか、カナダ留学時の限界140%の稼働とか、やっている最中は無我夢中で、終わった直後はもうやりたくないと思った体験の数々。沢山学びがあり、でもやれることはもっとあったと思えるカナダの留学ですら、記憶を引き継いでもう一回できるとしてもやりたくないです。

後から客観的に物を見れば、もっといろんな選択や判断があっただろうと思う点もありますが、あの時のできる限りで決断を繰り返してきたとは思うので、そういう意味で、いい思い出になっているのかなぁと思います。

もう少しだけこのモラトリアムを長引かせたい気持ちもありますけれど、夏休みが8/31に終わるからいい、みたいな感じで、ここで区切りがつくのもいいと思うようになりました。

私自身、大学に入学する前は「大学生活なんて遊ぶためのモラトリアム」と思っていたんですけれど、想像していたよりも遥かに多くのことが起こって、それに対してアクセクしながらも決断をしていった5年間だったと思います。

高校のように、親や家庭、教師や学校の存在が強く影響を及ぼすでもなく、大人のように、自己責任が肩に重くのしかかって、行く先を自分の足で全て決めないといけないわけでもない。

結束バンド(アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の中のバンド)の「忘れてやらない」の歌詞の中で、「オトナほどクサってもいなくて、コドモほど天才じゃないが、僕は今、人生の中間だ」と歌われた「高校生/青春」。

この大学生活は、そんな言葉通りの「青春」だったように思います。

もうすぐそれが終わる時期になりましたが、なぜか寂しいという気持ちは少ないんですよね。どこかでこれを受け入れているような気分でして。

2021年に束の間の一人暮らしをしていた時、自分の人生に予想もしなかったことが訪れ、世界が広がっていくような気分になりました。そして、その「読めなさ」で人生が面白くもなっていきました。

人生のステージが変わるということは、自分の想像もしなかったような人や環境に触れるようになることなんだと思います。

それを楽しみにしている自分がいますし、自らつかみに行きたい。もし出来るのならば、誰かにとっての自分が「読めなさ」であればいいなぁ、なんて。

高校時代で見え始めた自分の方向性と、それに向けての修正を行えた5年間だったと思うので、面白い大学生活でした!

社会人としての生活を楽しみにしつつ、今の自分ができることを精一杯あがいて生きていこうと思います。

次のライフステージでは、どんな読めなさが待っているのか、楽しみです。

日本全国を訪れようの旅 - 感想日記2

皆様こんにちは。葉月です。

 

2~3月に企画していた、日本全国を訪れる旅。第二部の感想日記になります。この旅で得られる経県値も紹介しておりますので、ご参考?にどうぞ。

leafkeylosttime.hatenablog.com

 

日ごとの感想

16日目 - 東京[東海道線]茅ケ崎[相模線]橋本[横浜線]八王子[中央東線]甲府[身延線]富士[東海道線]膳所

第二部スタート、からの初日の移動距離が長い。

この第二部の日程は、卒業式が後ろに控えている関係上、そこまで後ろに予定を倒すことができず、かなり限界っぷりを見せているので、正直気が乗りませんでした()

元々は前日に出発予定だったのですが、若干面倒になって1日後ろにずらしましたし……(それはそれで、今年退官の教授の講義を聴けたので良かったのですが)。

まぁやらないと終わらないので、自宅4:40起きスタート。眠すぎ。実家ならこれで始発に乗れるんですが、なんと今一人暮らししている家では始発じゃないんですよ……。

そして電車もボチボチ混んでました。どんな層が乗っているのかと観察していると、土曜の朝早い便だったので、オール飲み後と思われる集団がちょこちょこいた感じでしたね。

大学の前半期が懐かしいような気持ちにはなるんですが、治安は悪め。車両点検でちょい遅れたのですが、作業中の人間にずっと文句いってるガイジもいたので、なんだかなぁと思うと同時に、東京みを感じてしまいました。

人が多すぎて匿名になっているが故に、どこか無機的に他人を見ているといいましょうかね。そういう側面も嫌いじゃないんですけれど。

さて東京から東海道線に乗り換えて、茅ヶ崎、橋本、高尾と乗り換え。

大回りで慣れていたのでサクサクでした。高尾で初めて降りてみましたが、駅舎が意外ときれいですね。中央線は、勝沼ぶどう郷辺りから甲府盆地の眺めが綺麗なので、進行方向左に注目するのがオススメです。

甲府からの身延線は……、やっぱ長いな。ここは甲府~静岡の移動なら高速道路があるのでバスのほうがいいんですけれどもね()

大体の身延は身延駅でちょっと停車をするので、みのぶまんじゅうを買いに途中下車。ローカル線だと10分くらい待ち時間がある時もけっこうあり、そういう時はホームや駅前をブラブラすることで、長時間乗車の疲れを誤魔化せます。

富士からは東海道線。流石に大幹線であり普通に座るのも大変なのに、18きっぷの時期でもあるので混雑しますね。というわけで富士から飛ばして名古屋まで。

明日も早いので大津近辺の快活を調べたら、狙ってた快活の鍵付個室は埋まってる。おっと……。

仕方ないので他の場所を見るも、ブースしかないやつが多い。うーん…、となっていたら京都線で人身事故が発生したらしく、電車が運転見合わせ。

雲行きと怪しくなってきましたが、快活ブースを覚悟しつつも宿を考えます。

京都線の新快速って爆速で楽しいんですが、なんと前が詰まってるからか、普通列車に抜かさせるという珍事が起こり、なら無理に進むよりも、早めに駅チカの快活で終了させようと思い、膳所で下車。

そしたらアプリ上だと埋まっていたはずの鍵付き個室が一つだけ余っているとフロントに言われ、ブースを覚悟してきたのになんと鍵付き個室をゲット。

神展開すぎて、個室の中で5分くらいガッツポーズを決めて踊ってしまいました。トラブルに巻き込まれてみるもんですねぇ。

まぁ元々東海道線沿いは様々な宿泊施設が存在しているので、そこまで困ることもないとノープランで来ましたが、この日はかなり埋まっていたので、きちんと計画したほうがいいです(大津、草津辺りでゲストハウスとカプセルホテルを全力で検索して見つからなくて相当焦った人的感想)

後にも書きますが、第二部は全体的に準備不足感がありましたね……。

 

17日目 - 膳所[東海道線]新大阪[おおさか東線]久宝寺[関西線]亀山[紀勢線]紀伊田辺

朝はラスイチを引き当てた快活で起床。

思ったよりはけっこう寝れました。朝早くから長時間移動してると疲労が溜まりますね。疲労疲労を重ねて寝るとぐっすり眠れるので、これはこれでいいのかもです。

そして葉月が快活に来るたびに思うのが、5〜6時辺りで飲み放題カフェにいる人たちの存在。本当に何をしてる人なんでしょうかね、、。

突っ伏して寝てる人は、私みたいな限界宿泊をしてる人なのでしょうが、5:50くらいに600円(大体1時間くらい)の会計をして出てく人もおり、快活で泊まると、自分の想像を超えた人生を送っている人がいるなぁと常々思わせてくれます。いい人間観察場所です。

膳所から大津までのお散歩はけっこう楽しかったので、今度は時間をしっかり取って来たいところ。関西圏に入るとJRの新快速がマジで早いので非常に快適、、ですが、きっぷ上新大阪で降りることに。姫路まで行きたかったなぁ。

新大阪から迂回をして奈良に。思ってたよりも平野、というか盆地なんですね。もっと山ばっかりかと思ってました。古都なだけあって町並みも素晴らしい……のですが、電車の組み合わせを調べていたところ、奈良の接続を早めれば紀伊田辺到着を2時間ほど早められることに気づき、採用してしまいました。

なんか関西(三重県含む)は観光せずに飛ばしがちなので、今度はちゃんと観光しないとなぁ。

……と思ってたら、今日の日程、奈良でじっくり観光した後に津で止まり、津〜大阪で次の日、でも良かったような気がしてしまいました。電車乗った後でそのルートが浮かんでしまい、かなーりヘコむも先に進むことに。奈良はまた来よう……。

加茂〜亀山の関西本線は、有名な東海道線区間よりも距離的には短く結ぶので速達なのかと思いきやそこまで早くない。山がちな日本の地形っぽいですね。意外と地元民にも使われてていい感じの雰囲気でした。

そして津まで到着するも、昨日に引き続き、列車遅延がドンピシャに当てはまってしまいました(紀勢線。快速みえが遅れて各停も遅れる)。昨日に引き続きトラブってるなぁ……。宿をとった直後に放送が入ってきて、けっこう萎えました。うーん。

そんなこんなで遅れながらも多気〜新宮で3.5時間、新宮〜紀伊田辺で3時間の乗車がスタート。「11月にも乗ったんですが、なんでまた紀伊半島一周……」とメモにあったように、微妙な気持ちではありました。

新宮までは前回見損ねた景色を見つつお昼寝、アニメと読書。新宮からは日が落ちてきたので、アニメと読書に全振りしてました。車内で中国語の放送もかかるのが面白いですね。

ちなみに電車オタの友人ですらこの区間はつらいと言ってます。ただまぁソロで作業しながらぼーっとしてるだけならそこまでってお気持ちです。グループで会話がない時間を苦痛に感じるならきつそう。電車内は読書が捗るので非常に有意義でした。

紀伊田辺で見つけたゲストハウスは、日本にしてはかなり外国みの深い場所でした(最初オーナーの見た目がスペイン系で、日本語通じるか分からず困惑)。

こういうゲストハウスは京都辺りにしかないイメージだったので、熊野古道の辺りでも需要はあるのかなぁと考えたり。それにしては新宮周りってゲストハウス少ない気がしますけれどもね(やはりホテルなのか)。

 

18日目 - 紀伊田辺[紀勢線]和歌山[阪和線]天王寺[大阪環状線(外回り)]大阪[東海道線]神戸[山陽線]岡山

何故か早く目覚めてしまったので、予定より一本早めて紀伊田辺よりスタート。

紀伊田辺~和歌山は2時間くらいなのですが、クロスシート車両がやってきたので実質紀伊半島一周はおしまい。

座っている椅子の材質は変わらないですが、ロングシート/クロスシートで疲れ方が全然違います。クロスシートは全然疲れないんですよね。景色の見やすさが違うからでしょうか。

7時台の電車なので学生が多いかと思ってたら、けっこう始発は空いてました。需要が強いのは御坊〜和歌山辺り。

今日の日程は余裕があるので、ふっとばせば四国の真ん中辺りまで進めるんですが、後楽園を見学したかったので岡山泊まりにしました。

和歌山〜大阪は紀州路快速のおかげで早い早い。新今宮で途中下車、少し散歩しつつ昼飯にしたんですが、やっぱり雰囲気がダーティーで、歩いてるだけでもけっこう怖いです。

というのも、この辺りはドヤ街として有名なあいりん地区のすぐ近く。

前にあいりん地区に興味を持ってルポとかを読んでたため、今回はお散歩をしてみたかったんですよね。そういう背景がある場所として理解してから来ると、観光客とこの辺り在住の人間の雰囲気が明らかに違うなぁと気づくように。

ホテルも増えて外国人観光客の姿を多く見かけるようにもなったので、昔とは変わったのでしょうけれど、かなり雑多な場所な印象を受けましたね。

大阪からは東海道線を下って神戸に。葉月は横浜や長崎などの港町が好みなんですが、港の風景に加えて、歴史的に異文化、異地域と接してきた爪痕がそこここに残っているのが良いんですよね。

姫路で中華麺のえきそばも食べて、満足してから岡山へ向かいました。

前回泊まったゲストハウスもけっこう良かったのですが、いつも同じ場所に泊まるのもつまらないので、大体泊まったことのない場所で泊まるようにしています。

需要の強いところだと、新しくゲストハウスができていたりするので、そういった変化を見るのも面白いですね。

 

19日目 - 岡山[宇野線]茶屋町[本四備讃線]宇多津[予讃線]高松[高徳線]佐古[徳島線]佃[土讃線]高知

岡山からスタート。ゲストハウスは二段ベッドの固定が甘いのか安いからなのか、上段が寝返りを打つたんびに地震みたいに揺れるので、睡眠を妨害されて若干イラっとしました。

新規の宿を取るとこういうこともあるので難しいですね。前泊まったところは普通に良かったんですが、おんなじのばっかだとつまらないので変えたところこんな感じに。口コミがほどほどのゲストハウスも外したほうが安泰なのかなぁ。

朝に後楽園も見て、日本三景園は残り一つ。水戸に行ってるくせに偕楽園を見とらんのかいとツッコまれそうですが、時間が……ね。勝田のひたちなか海浜公園にも行きたいので、茨城は課題がいくつか残ってますねぇ。

岡山〜香川は快速マリンライナーで移動。普通きっぷだけで乗れる列車の中でのランキングならかなり上位にきます。早いし景色がきれい。

高松では、ゆゆゆの影響で肉ぶっかけうどんが食べたかったので、うどんをすすりながら研究室ミーティングに参加をすることに。

別に参加する必要性はなかったのですが、昨年、北海道、本州、九州で研ミにオンライン参加をしていたので、四国参加で土地的に網羅したかったという思いがあり()

けっこう話題が難しく、久々の参加だったからかコメントができずに悔しかったので、徳島までの電車で全力で後追いコメントを考えました。おかげで各停では徳島まで2.5時間くらいかかるのですが、体感1時間も無く徳島に到着。近いですね(違う)。

あとは、鉄オタっぽくない見た目で高松〜徳島を乗り通している人がちょこちょこいて、不思議な感じでした。特急に金を払いたくないんですかねぇ。でも本数的には徳島まで行くのってけっこう大変ですけれども……

徳島〜阿波池田は長いです。アニメ見ながら景色を楽しめ……、なくもないのですが、吉野川の渓流っぽい景色がずっと2時間続くので、ちょっと飽きます。うたた寝しつつやっぱり長いなーとか思いながら到着しました。

そして阿波池田〜高知は四国山地を突っきっていくのでとにかく景色が雄大大歩危小歩危なんかが有名ですね。徳島線の景色とはスケールが違うので、土讃線は各駅で乗り通してみると楽しいんじゃないかなと。って思ってたら大歩危で高校生がぼちぼち降りていく。あそこって人住んでるんやなぁ……

高知のゲストハウスは初めてのフルチェックインタイプでした。ラクなのはいいのですが、「チェックイン前にパスコードのメールを送りました」と玄関に書いてあるけど届いてないぞ……?となったり、電話をかけても繋がらなかったから原始的ドアノックをして入れてもらったり、いろいろ粗が目立ちました。

こういう感じになるとやっぱり人間がやらないと……、となってしまうんですかね。試みは面白いが故に、惜しい気がするゲストハウスでした。

 

20日目 - 高知[土讃線]窪川[中村線(土佐くろしお)]若井[予土線]北宇和島[予讃線]松山

企画最終日にしてムーブが大変な日でもあります。特急料金は須崎~窪川の760円。

この日は、窪川からの列車接続が最高に悪く(1日4本しかない予土線のせい)、高知を5:30に出発して途中駅で3時間くらい待つか、11時に出発して特急をちょっと使うか、という究極2択の選択からスタート。

悩みましたが、松山からの帰宅ルートを決めてなかったので体力温存の意味もこめて11時発を選択。ただ後でよく考えたら、高知8:20で初っ端特急で飛ばせばかなり時間を節約出来ることに気づきます。

後述しますが、松山からの帰宅方法は、松山にいつ着くかでかなり取れる択の数が違ったので、事前情報集めが甘かったなぁと反省。まぁ限界旅なんで予定を決めないことを限界要素とすれば問題ないんですが……、帰宅ルートは予約すべきでした(今更)。

一応、葉月の考えていた帰宅ルートの思考メモです↓

「松山〜羽田でマイルを使えば普通に安く早く帰れた。夜行バス満席は渋いなぁ。高松スカイメイト、松山〜高松でバスだと、最終便に間に合わず、大阪行夜行バスは時刻が噛み合わない。うーん……」

松山~高松、大阪行夜行バスが間に合わないとメモで嘆いていますが、どちらも高知から特急を使えば余裕で間に合ったんですよね……。しかしそれに気づいたのは8:30くらいのこと。

というわけで、いろいろ考えた結果思いついたのは、松山〜伊予三島まで学割料金の列車、高速バスで高松空港まで、そこから羽田まで飛行機に乗るという公共交通フルセット案でした。松山~高松を高速バスで進むよりもちょっとだけ安いんですよね(列車を使うと、伊予三島まで1840円でバスが2400円。高速バスを使うと、高松まで3740で空港までのバスが1000円)。

時間がかかることを懸念し、松山5:53の始発スタート。夜遅め到着なのに朝早いので、駅前のスパ施設で仮眠、時間を潰してからの出発にしました。最後の最後でマジの限界旅っぽい日程になっちゃった。

という辺りまで考えた後、高知を11時でまったり出発しました。もうローカル線には乗りなれたものですが、予土線ロングシートトイレ無し車両には驚き。2.5時間乗るのにトイレがない車両とかマジで言ってる? 一応途中駅の停車時間でトイレ休憩できるのですが、「トイレをご利用の方は駅舎隣にあります」って放送がかかるのは初めての体験。緊急でトイレしたくなったらどうするんだろう……。

そうして宇和島に着くも、そこから松山までロングシートトイレ無しの車両にまた当たってしまいましたので、最後の最後で修行みを感じました。前回は途中下車多めだったから気にならなかったけど、今回は乗り通しているからトイレ無しはきついって……。

そんなこんなで20:30に松山に到着。高知からの列車移動は本当に遠回りなので長かったですが、これにて45都府県の代表駅に全て降り立つことができました!

 

21日目(番外編?) - 松山[予讃線]伊予三島[空港リムジンバス]高松空港[飛行機]羽田空港

企画自体は終わっているのですが、家に帰るまでが遠足、なので一応番外編として、ここの部分も感想記を残しておきます。最後の最後で限界旅っぽいです。

さて、なんで20日目で書いたような帰り方をしようと思ったのか。

元々は、松山駅から徒歩30分の快活で軽く仮眠でも取ろうかなぁとか思っていたのですが、松山駅近くに温泉施設があることを発見してしまいました。

松山で終わるなら温泉にでも入りたいなぁとは思っていたので、ちょっと調べてみると、なんと2時まで開いている。

夜通し野宿、お散歩のつらいことは、睡眠をどう確保するかと時間をどう潰すかの2点なのですが、温泉に入った後、2時までゴロゴロできそうなことが判明し、松山の始発が5:53だったので、3~4時間くらい時間を潰せばいけるだろう、と。

ちょうど良すぎて、この企画のための施設かと思ってしまいました。

というわけで、温泉を堪能、酒を飲んでた状態のサウナでトリップしかけながらも、仮眠室で休憩。

こういうところにある仮眠室に限って、仮眠する人間が大して使っていないのが何ともイラっとするところですが(スマホ弄っているだけのやつとか、仲間で集って騒いでいるとか)、場所を確保して入眠。

ゲストハウスを泊まり歩く旅を夏もやっていましたので、アイマスクや耳栓などの快眠グッズはもちろん完備しており、マットレスに横になって、グッズで外界を遮断することでどこでも眠れるようになりました()

22:30~1:30くらいまで寝れば、けっこう体力は回復。2時になったらので退店。本当にいいお店だったので、今度は備え付けのカプセルホテルにでも泊まりにいきたいなぁ。

さて、きっぷを買っていないので5時くらいには松山駅近辺に戻りたいところですが、この日の四国はかなり寒く、ただ留まっているだけだと死んじゃうので、1月の企画の知恵から得た深夜のインフラであるコンビニに向かいました。

まずはブログをコンビニのイートインで書き上げ、暖をとれることに感謝しながら、次の行先を考えます。

最初はまねきねこジャンカラ辺りで深夜カラオケしようかと思っていたら、深夜料金が思ったよりもけっこう高くて断念。松山から道後までは歩くと遠かったので、松山近くの繁華街の24時間営業店を巡っていたら4:30くらいまで時間を潰せました。

駅前は深夜になると本当に人気がなくなるのですが、繁華街はオール飲み会後?っぽいキマってる大学生がいたりして、第二部最初の東京で感じたような懐かしさを覚えます。なんだかんだ深夜でも人はいるんよな。

さて、松山駅にて学割できっぷを買って伊予三島まで。始発の入線と同時に席確保をして睡眠体制に入りました。

発射後も、予讃線の海が見えるスポットだけ起きて後は睡眠。徹夜をすると午前中の頭がトロけるので目を閉じると大体寝れるようになりますね。高松空港からのスカイメイトが安いのでこのルートを選択しましたが、もちろん飛行機のきっぷは確保していません(おい)。

というわけで、伊予三島からバスまで高松空港まで向かいました。こんなところ(愛媛県)から空港までをバスで繋いでいると思っていなかったのですが、恐らく愛媛県といえども、松山空港から遠いので需要があるのでしょう。

そして飛行機の予約がない状態で空港に向かうバスに乗車。10:50空港着の予定で、11:35の飛行機に乗ろうとしていました。ギリギリやんけ。

ただ、こういう直前予約のいいところは、道路状況や遅れを考えて時間帯を決められることだと思っていて、今回もバスに乗りながら飛行機予約。しかしながら、5分遅れで一つ前のバス停を通過した時点で勝ちを確信して予約したのですが、その直後から渋滞に巻き込まれます。

工事で片側一車線になっており、これは終わったか……、と思っていたら、預け入れ荷物締め切りの30分前ピッタリに空港に到着。ダッシュで受付に向かい荷物を預けたので、なんとか搭乗できました。最後まで限界旅らしいギリギリの帰宅ムーブになりましたとさ。

定刻よりも少し遅れましたが、13:00に羽田空港に到着。無事に東京に帰ってくることができました。

 

旅の費用と経県値

お金がない、というところから始まった旅企画ですので、費用も計算してみることに。

途中で東京の一人暮らしの家から千葉観光をしているので、その分の宿泊費を3000円とおくと、総費用は182,298円でした。

20(21)日旅をしましたが、1日1万の壁を切ることができたので非常に満足です。そして、限界旅を恐れなければ、20万以下で45都府県の代表駅を回ることができることが分かりました。

以下↓交通費と宿泊費についての考察です

交通費:

途中の観光のためのバス運賃なども含めて79,387円でした。18万の内8万が交通費ということで、旅の交通費もけっこうかかるんですよね。各停で行くことでかなり抑えられたと思います。

ちなみに、企画上で必要な交通費は55,840円(+長崎までと松山からの運賃)です。

内訳としては、46930(今回の片道きっぷ)+ 1760(九州新幹線新八代~川内)+ 1000(日豊本線:延岡~佐伯)+ 1870(北陸新幹線:金沢~富山。3/16以降は敦賀~富山で新幹線利用のため増大)+ 880(北陸新幹線:長野~飯山)+ 2640(東北新幹線新青森~盛岡)+ 190*2*2(新青森~青森、徳島~佐古の1駅はみでる部分)を足し合わせたものになります。

宿泊費:

前述したように千葉を巡った日を3000円として宿泊に加算すると、55,750円でした。

18泊したことを考えると(内1回は友人の家で宿泊)、一泊およそ3000円くらい。流石にこの金額を出すには、ゲストハウス or 快活を多用する必要があるかと。

もちろん、深夜カラオケフリータイムを使うとか、野宿をするとか、もっとお金を減らすことはできるかもしれませんが、20日で終わるのではなく、持続可能に旅をするのはこの辺りが限界じゃないかと思います。

 

最後に経県値です。北海道、沖縄はこの企画で行ってはいないので加算しないとして、東京在住の人がこの旅で得られる経験値は152点でした。何だかんだ行ったことがない県がほぼ無くなるのが強いですね。

経県値(参照)

 

 

全体的な感想:

というわけで、45都府県を巡る20(21?)日間の旅を完遂!

卒業旅行にしては意味分からないし、体力的にハードだし、やる価値があるのかは達成した今でも分からないですが、終わってみると非常に面白い旅でした。

まず最初に、この旅を二部制にしたのはよかったです。というのも、きっぷの有効期限が長いおかげで、東京で休憩(小笠原旅行)を挟むことができ、柔軟な旅行設計をすることができました。

元々友人と小笠原旅行をしようと話をしていたので、旅行をしながら旅行をする(?)ことができるのは、こういう有効期間が長いきっぷの特権のように感じます。

また、この旅はスーパーの割引に助けられた旅でした。

夕方~夜になると、スーパーで当日消費期限のものに関して割引がされることが多いのですが、それで夜と次の日の朝飯を買うことができていたので、少なく見積もっても食費を5000円は浮かせられてると思います。

ただ気づいたこととして、どのスーパーに行っても夜には確実に割引弁当が残っており、供給過多な気も少ししてしまいました。こういう企画的には非常に助かるのですが、フードロスの観点から考えると、本当に適切に分配されているのかは疑問が残りました。今度からは、夜に何も作りたくなかったらスーパーの割引弁当を買うようにしようかな。

そしてこの企画一番の気づきは、自分が生まれた日本という国においても、やはりまだまだ知らない場所、面白そうな場所がたくさんある、という気づきがありました。

この企画とは別に、1/24~26で沖縄訪問、2/6で札幌の雪まつりを見に行っており、1月末から3月末の2か月間で、47都道府県全ての都道府県代表地を巡りました。

こんな短期間で巡ったからこそ思うのが、どの都道府県においても、まだまだ見切れていない場所がたくさん残っている、という心残り。

列車の時間が、次の日の日程が、という言葉とともに、いろいろと見たかったスポットを飛ばしまくった企画でもあったので、無知の知を知ったとでもいいましょうか、こんなスポットがある、ということを知れた旅になったと思います。

だからこそ、この旅が終わって思うことは、「また旅をしたい!」という一言。

旅をすればするほど、この世界には、まだ自分の知らない景色、風景に溢れていると気づかされます。

そんな感じなので、旅はライフワークになりそうです。

社会人になると旅行は難しくなっていくのかもしれませんが、自分がこれから働いてお金を手に入れたい、と思う理由の一つが、この企画を通して生まれたような、そんな気分になりました。

この旅のおかげで、日本出身の方であれば、出身地トークを少しでも膨らませることが出来るようになったと思うので、自分の中でいい肥しになったのかなぁと思います。

また、いつか旅にでよう。

日本全国を訪れようの旅 - 感想日記1

皆様こんにちは。葉月です。

 

2~3月に企画していた、日本全国を訪れる旅。第一部の感想日記になります。

leafkeylosttime.hatenablog.com

 

日ごとの感想

1日目 - 長崎[長崎線]鳥栖[鹿児島線]新八代[九州新幹線]川内[鹿児島]鹿児島中央

初日から移動距離はけっこう長い日になりました(電車でおよそ400km)。追加した特急料金は新八代から川内までの1760円の新幹線自由席です。

ベルギーから帰ってきてまだ2日なので、時差ボケで頭があまり働いていない中での旅行スタート。

羽田空港に向かった時の意識があまりないのに、なんか気づいたら飛行機に乗ってて、足元の広い席で楽しんでいたら長崎に着いていたという。

長崎の観光はグダグダ。トラムの乗り換え間違えを前回やらかしたんですが、今回も同じミスをやらかしたので悲しかったです……。

江北~佐賀辺りから鼻が異常にムズムズするようになり、鼻水がズルズル、目が痒くなってしまう。風邪かと思ったけれど、これはもしや花粉症か。時期早くない?

2年前の春は花粉症と戦っていたので、薬なんか飲まねぇで気合でどうにかしてやるとか思ってましたが、今回は旅行中でしんどそうだったので薬局でクスリを買いました。

健康への課金はためらわないほうがいいですよね。

ちなみに記事で取り上げた切符を見せた時に、「ん?」という反応を駅員さんにされるようになったのは鳥栖からでした。長崎~博多間なんかは特急が通ってますし、長崎~鳥栖は3hあれば来れるから、そこまで意味分からんとは思わないんですけれどもねぇ。

ちなみに電車に乗っている時にきっぷ検察の人がきたので、試すつもりで無言できっぷを差し出したんですけれど、1秒と見終わらないうちに「大丈夫です。ありがとうございました」と言われてちょっと残念でした。絶対内容をきちんと見てないだろ()

鳥栖新八代区間はけっこう長いので退屈しがちな区間なんですが、今回はアニメを見つつ景色をぼんやり見る感じで進んだので、けっこう楽しめました。アニメも捗ったぜ。

ただ時差ぼけの代償か、16:30辺りで眠気と空腹が同時に襲ってきました。これってどっちも体験することが出来るんだなぁと、もはや面白がってしまうように。なんか眠気が全体的に勝っているけれど、空腹の感覚が間に挟まる感じといいますか。新鮮で楽しかったです。

新八代~川内の間の九州新幹線ですが、高校生っぽい見た目の学生が利用していて面白い! 通学で新幹線ってのもよさそうですね。何だかんだ30分の新幹線で相当進めますしね。宇都宮~大宮で新幹線を使う感じでしょうか。

ちなみに限界旅を意識しているので、今のところのご飯はスーパーの弁当です。夜はきちんと20%オフの値札が貼られるのを待ってから買いました()

別にメシを縛っているわけではないんですが、乗り換え時間の都合上、こうなりがちというかなんというか……。全国チェーンのイオンとかは使いたくので、なるべく地域のスーパーで弁当を買うようにしていきます。

 

2日目 - 鹿児島中央[日豊線]別府

この日もかなり頑張って移動しているはずなんですが、日豊線がえげつなく長いです。特急料金に1000円使いましたが、これは延岡~佐伯の普通列車があまりにも少ない区間をカットするためです。

ちなみに鹿児島中央駅に入線してきた時に、「折り返しだろうし席を転換させたろ」と思って席を転換したものの、地元民は変えず。

どうなるかちょっとワクワクしていたのですが、見事に進行方向が変わらないままに出発してしまいました。ちょっと悔しい。やっぱり地元民のムーブを観察すべきですね。

そして日豊本線ってきちんと本線でした。

個人的な印象なんですが、鹿児島本線に比べて日豊本線ってどうしても印象に欠けており、そこまで大きい路線じゃないかと思っていたんですね。ただ、鹿児島中央から隼人、国分まで普通に都会でしたし、宮崎~延岡、大分近辺なども、通勤時間帯は大混雑するなど、非常に活用されていました。

あとは九州って本当に暑いですね。17度くらい普通にあったので、東京の春くらいでしょうか。全国を廻るのにふさわしい服装が分からないです……。

今回の旅の日程上、九州から北陸、東北に抜けていくので、防寒具は絶対に必要だと思ったんですよね。ただ九州だと本当にお荷物。

また雨が強かったので、ムシムシしながらも暑く、しかも雨が激しいから車窓がそこまで見えない、というちょっと苦痛な感じではありました。

そして今回は特急車両でやらかしまして……。

にちりんっていう特急に乗っていたんですけれど、これがまた昭和感がある味の入った列車で、非常に快適に過ごしていたところ、あまりに快適すぎて下車がバタバタになり、その時にイヤホンをド忘れしてしまったんですね。

駅に降り立って、接続の普通列車の発車時刻になってイヤホンを忘れたことに気づき、やらかした……、となりましたが、「まぁここは日本やし、忘れ物として届くだろ」と楽観的になりながら、終点の大分にいけば回収されてるだろうと大分に向かいます。

駅員さんに問い合わせたところ、マジでちゃんと届けられていて、「日本ってスゲー!」となった一日でしたね。

この日は別府のゲストハウスに泊まりましたが、施設入浴券をもらった所はなんとデカいバスタブが一つだけしかない。あとは自分でどうにかしろ、というワイルドなスタイルで好きでした。

なんと温泉入浴料も宿泊費に含まれておりました。やったね。

ちなみに今回の旅では、ゲストハウスはなるべく2000~3000辺りで探すようにしています。それなりに大きい場所でステイすることにすれば、観光需要があるのでゲストハウスができ、競争が起こって価格が下がる、という感じに。

過疎地帯にいくと高いホテルしかないってパターンもあるので、1日の進むキョリと泊まる場所の選定はけっこう重要だったりします。

とはいっても無理な時は無理なので、なるべくやっていく感じで。

 

3日目 - 別府[日豊線]城野[日田彦山線]田川後藤寺[後藤寺線]新飯塚[筑豊線]原田[鹿児島線]門司[山陽線]幡生[山陰線]梶栗郷台地

本線からちょっと脇道にそれると、かなりのどかな風景が見れるのが面白かった区間ですね。

別府のゲストハウスで、日本を旅しているという外国人と話が盛り上がってしまい、電車を逃しそうになるハプニング発生。

これに関しては自業自得なんですが、8:00の電車に対して、駅徒歩7分のゲストハウスから7:55に出発したのはヒヤヒヤものでした。久々に全力で走った……。

というわけで中津まで電車を乗った後に途中下車。時間の都合上、どこかで途中下車でもしようと思っていたのですが、調べてみると中津が福沢諭吉関連の施設があることに気づく。

散策してみたらけっこういい場所でした。下調べって大事だなぁ(電車の時刻と泊まる場所の検討しかつけてない人的感想)

さて、午後からは後藤寺線原田線と中々にローカルな区間を探索しましたが、ちょうど眠い午後の時間帯に、心地よいモーター音で揺れる列車が合わさって、気づいたら原田に居たのは内緒。

というわけで日豊本線で小倉に向かえば簡単に着く博多に大回りして到着しました。

ちなみに一番最初に考えたルートは鳥栖の一駅前の新鳥栖~博多で新幹線を使って博多を回収するルートでした。新幹線最小利用ということでボツにしたのですが、所要時間は今回よりも短いので、この企画をやりたい方がいれば是非()

そして2月の頭の企画でもツイッターで言っていますが、スタバのフリーWifiが神です。格安SIMだと出先でいろいろツイートしたり検索したりすると容量がピンチになり、この時点で残りがかなり少なかったので助かった!

今度はスタバでコーヒーでも飲んであげないとなぁ(店前でスマホを広げてフリーWifiだけ使っている人的感想)。

ちなみに、電車に長い時間乗車して何をしているんだ、と思われていそうですが、基本的に車窓を見ていると大体2時間は普通に溶けます。

新幹線とか特急車両だと人間の動体視力を超えている感じがするので、あんまりじっくりと堪能することが出来ない気がしてしまうんですが、各駅停車だとちょうどいい感じで景色を楽しめるのでいいんですよね。

加えて、車窓が楽しめない、通路側しか空いてない、ギチギチの満員列車、夜で外が見えない、みたいな状況の時のために、タブレットにアニメを保存しておいてあります。Dアニは神。

 

4日目 - 梶栗郷台地[山陰線]益田[山口線]新山口[山陽線]櫛ケ浜[岩徳線]岩国[山陽線]徳山

本来の電車のルートは上記の通りなのですが、やらかしてルートが少し変更になっております。

快活クラブで朝の目覚め。毎回微妙に寝れないのが快活なんですよね。ここの快活は設備が相当しっかりしていてかなり好きなほうの快活なのですが……。

寝やすさは店のブランケットにけっこうよる印象で、小さいと何故か目覚めてしまうんですね。どこだか忘れましたが(多分香川の瓦町)、ブランケットがいい快活はけっこう眠れた気がします。

しかし鍵がかかる個室、ドリンクバーがあるのに安く、今回みたいな限界旅的には非常にありがたいです。ちなみに3日後からこの店舗で学割値上げとの表記がされてあり、滑り込みで泊まった形になりましたね。サービス良かったからなぁ……。

というわけで梶栗郷台地から山陰線に乗ったのですが、本当に使われてないですね。小串~長門市間は、去年の大雨の影響で代行バスになっているのですが、正直バス輸送で困ってないんです。下関~小串もそんなに人がワチャワチャするほどではないですし、ここはけっこう廃線が怪しい所な気がします。

代行バスの車窓から見る感じでは、線路に雑草が生えてますけど普通に綺麗ですし、なんかすぐにでも運転が再開できそうな感じがしますが、工事の気配がないし、JRが再開を渋ってるのかまだ点検が残ってるのか。気になるところです。

「鉄道の移動だと、萩→益田→山口は相当遠回りな感じがするので、バスのほうが良さそう」なんてメモを、代行バス乗車中に書いていたのですが、見事にフラグ回収してしまいました。

長門市に降り立って電光掲示板を見ると、乗る予定の列車の表記がない。おかしいな、と思って時刻表を見ると、土日祝運休の文字。

え、でも金曜だよな……、と1分くらい考えると、天皇誕生日(2/23)の事実に思い当たる。あーこれは祝日ですわ。というかこれ忘れてるって、日本国民として大丈夫か俺。

仕方ないので別ルートを考えるか、と待合室を探索していたら、長門市駅新山口まで直行のバスを発見。問題は秒で解決したんですが、これはつまらんから、なるべく電車を使うルート…、と思いながら探していたら、バス内で考えていた予想通り、萩〜山口のバスを発見しました。

勘も当たるもんだなぁと思いつつ、萩でちょっと散歩をした後にバスで山越えをするルートに変更。元々は山口のせいで山口線で相当迂回して新山口に行くルートだったんですが、逆にバスに救われた面もありました。怪我の功名ですかね。

というわけでルートは次のように変更しました:梶栗郷台地[山陰線]萩 -> 山口[山口線]新山口[山陽線]櫛ケ浜[岩徳線]岩国[山陽線]徳山

さて萩をお散歩した後に到着した山口なんですが、山口駅都道府県代表駅にも関わらず時間帯無人。お前マジかよ。

先の記事で紹介した規模の切符になると、改札にきっぷを通して入ったり出たりすることが当然できないので、有人窓口を通る必要があります。ついでに45都府県の代表駅の下車印を集めようと頑張っていたんですが、山口は出来ず……。仕方ないので新山口で押してもらうことに。

ちなみにこれで山陰→山陽の移動をしたんですが、見事に山一つ超えると天気が雨から晴れに変わったんで感動しました。

 

5日目 - 徳山[山陽線]広島[芸備線]備後落合[木次線]宍道[山陰線]米子

中国地方を縦断するのに1日かかります。よく中国山地を鉄道で越えようと思ったよなぁ……。

ホテルを若干睡眠不足で出発。夜に翌日の宿を確保したりブログ書いたりしているので、朝が早いと地味に睡眠時間がきつかったりします。

きちんと事前にホテルとか取っておけばいいんでしょうけれど、鉄道旅って列車の遅れや運休でガラッとムーブが変わるので、あんまり先まで宿の予定を確定させられないんですよね。

とはいえど、キャンセルポリシーの緩めな所を確保しておくのも手ですし、基本的には事前準備が不足しまくってる中でやっているのが原因です()

この日は途中下車からの車観光の予定でして、観光時間を確保するための早起きだったのですが、下車1時間の間で車15分の距離の場所の観光をするのはマジでバッドムーブだったと思いました。

錦帯橋でも見るかーと思っていたんですが、バスの時間的にかみ合わないので、久しぶりの運転練習もかねてカーシェアで行ってみることに。

トライしたこと自体は良かったのですが、初見の道でナビを普通に読み間違えて住宅街に突っ込んでしまいタイムロス。結局錦帯橋を一目だけ見て、岩国に爆速で帰還してギリギリ電車に間に合わせました。

そんなこんなでバタバタしていたので、広島についた時、冷静に「なんで今俺こんな旅やってんだ?」と真顔になったりもしましたが、観光客でごった返していた広島に着くと少し落ち着きました。何だかんだ自分は都会っ子なんやなぁと。

そして本日のメインディッシュ、芸備線木次線中国山地を横切るわけですから、必然的に利用者も少ないですし、中々都会ではお目にかかれない山岳部の風景が見られます。

広島〜三次は普通に大都市郊外のローカル線って感じですが、三次〜備後落合は利用者少そうな山岳区間です。

1日に3本くらいしか列車がない路線もあるので、そりゃ車主体になっちゃうよな。駅に降り立ったら、廃線の危機ってことで、元駅員のボランティアのおじさんが軽く説明してくれ、けっこう楽しかったです。

ただまぁこんな所にくるもの好きなんて大抵鉄道ファンだろうという憶測からか(実際そう)、おじさんの話が木次線スイッチバック、転車台の用途などでけっこうオタク入ってましたね。いやまぁ面白かったんですが、、

そんなこんなで中国山地を跨いでまた山陰に戻ってきました。しっかりと曇っており、ここからまた日本海側を進むので、しばらくお天道様を拝むのは難しそうです。

この日は東横INなんかに泊まってしまいましたが、ホテルのWifiがあまりにも古くてストレスフルだったので、ホテル代を若干うらめしく思った葉月でした。

米子はこの日にコンサートか何かがあったらしく、かなりの宿が満杯だったので仕方なくのホテルでしたが、ここは事前準備でどうにか出来たなぁ……。

 

6日目 - 米子[山陰線]豊岡

観光メインの日です。たまにはこういう日もないと疲れますからね。

朝食を食べに会場に向かうと人でごった返し。そういや残り3室とかでホテルを取ったから、こんなに人が泊まってたんやなぁと。それ自体は別にいいんですが、部屋移動がエレベーターだけのホテルだったので、非常に待つ時間が長くストレスフルで、階段も使わせてくれればいいのになぁと思ったりしました(別に東横INに恨みがあるわけではありませんが……)。

腹いせにたらふく朝飯を食べた後、1日1本の快速に乗車して鳥取を目指しました。始発駅の列車って定刻よりも前に列車が入線するんですが、土日とかだとその時点で席が埋まってしまうこともあり、けっこう難しい所です。

というわけでこの日もそれなりに人でいっぱいになり、隣の2人グループの会話が耳に入ってきたのですが、気動車とかワンマンとか鉄オタっぽい会話をしていてちょっと面白かったです。まだ18きっぷシーズンじゃないのにこういう人たちを見つけるのは珍しいですね。

あと気づいたんですが、今回の旅は現金を使わないでもけっこうやっていけてますね。今回の旅が地元の飲食店とかに入る感じじゃないってのも大きいとは思いますけれども、スーパー、代表駅のバスなんかは、基本的になんらかのキャッシュレスに対応している印象です。

というわけでバスを使って、鳥取砂丘と博物館を見学。荷物が重い…とはなるものの、楽しく観光できました。電車の車窓もいいけど、やっぱりその土地のものを見て感じるのが結局楽しいから、自分は電車好きってよりは観光好きって感じでしょうか。

鳥取を満喫した後に城崎温泉に向かいましたが、温泉街って雰囲気あって本当にいいですよね。好きっちゃ好きなんですけど、一人旅的には温泉入るだけだからあんまり良さを使い尽くせてないような。

でも確かに旅とか街巡りを一人でしてるって話をしたら、ベルギーだとかなり驚かれるというか、「あ、ぼっちなんだ」みたいな若干下に見られてる感を感じますし、そもそも一般的に旅はグループでするんでしょうかね。温泉街とかだと基本グループ客しか見なかったので、自分の旅との認識のズレを感じる一日でした。

 

7日目 - 豊岡[山陰線]綾部[舞鶴線]東舞鶴[小浜線]敦賀[北陸線]金沢

ついに北陸エリアへ。福井、金沢は去年の6月に観光したので懐かしいですね。

3/16に北陸新幹線が開通してしまうと、ルートが「敦賀[北陸新幹線]富山」となり、特急料金で交通費が跳ね上がるので、何とか在来線で敦賀~金沢を行きたいという金銭的事情から、日本海周りを最初に通過する日程にしたのでした。

昨晩は2日ぶりのゲストハウスでしたが、こういう旅だと宿は寝るだけなので、綺麗で布団があるという最低限を安く満たせるのは本当にありがたいです。

ゲストハウスにも交流を求める層と、私みたいに安くただ寝るだけ、みたいな層が混在している時がありますが、最近は交流が少な目で清潔重視なホテルっぽいゲストハウスが多いような気がするので、写真で事前に見ておくといいかもですね(ゲストハウスに泊まることの多い人的感想)。

ちなみに金沢では快活クラブでいいかと思ってたんですが、目当てのゲストハウスでキャンセルが出ないかチラホラ確認。ホテルでもそうなんですが、1日前や直前でキャンセルが出ることがけっこうあるので張っておりました。すると予想通りキャンセルが出たので前回泊まって良かった場所をリピート。

普通は直前で宿をとるなんてしないと思いますが、限界旅だからこそできるムーブで良かったです。

出発の豊岡から山陰線を下り、福知山辺りまでくれば京都、大阪の近畿圏が見えてきますね。第一部では日本海側を上っていくので寄らないんですけど、大都会に近づいてきたという感慨がありました。

小浜線はそういう地形だからか何か分からないんですが、トンネル一つを抜けるたびに天気が晴れたり豪雨になったり、曇っていたりと目まぐるしく天気が変化していて面白かったです。

そうして敦賀にて下車。福井県で私が食べたかったもの、というかこれを食べるために福井県に来た、くらいの食べ物が、ヨーロッパ軒のソースカツ丼です。よくある中濃ソースではなく、ウスターソースも混ぜた甘くてどこか懐かしいソースをたっぷり吸いこんだ薄いカツ。たれの染みたご飯と共に食べるのが本当にうまい。

あまりにも食べたすぎて、敦賀まで残り30分になった時に、「カツ4枚の大盛でも食べちゃおうかなぁ……」とか考えていたくらいですからね。

そんなこんなで下車と同時にダッシュしましたが、駅チカのお店がなんと2店舗とも定休日。軽く泣きそうになりました……。

しかし途中でおろしそばのお店を見かけ、前回は越前そばを食べなかったなぁということでソースカツ丼とのセットを食べましたが、ヨーロッパ軒とは違うテイストでした。ちょっと甘みが強いのと、カツが厚すぎるような気がしました。これが敦賀のカツ丼なんでしょうか。

ものすごく悔しかったので、夜飯には福井駅のヨーロッパ軒総本店でかつ丼を食しましたとさ。おいしかったです。あまりにも味が気になってカツソースを買ってしまったので、帰ったらどこかのタイミングで自作してみようかと思います。

というわけで、敦賀〜金沢と新幹線延伸区間を乗っていきましたが、北陸本線自体は全然ローカル線って感じでもなく、学生の足として利用されている気がします。新幹線によって福井駅や県全体の観光、移動がどうなるのか、非常に楽しみな所です。

仕事の休みがどこで取れるか分からないですが、新幹線開通後しばらくした福井にも足を運びたいなぁ。

余談ですが、私の使っている切符は、広島駅辺りから駅員さんが初見で判定不可能になってきました。なので、どの駅から何線で乗ってきたのか逐次説明する必要があるのですが、自分もたまにどこ向かってるか忘れるので、改札でグダグダするのが恒例に。

駅員さんによっても反応は様々で、面白がってくれる駅員さんは体感1割くらいです。訳分からん切符を見せてるんだから、もう少し面白がってくれてもいいのよ?

 

8日目 - 金沢[北陸新幹線]富山[高山線]高山

この日は、この旅を計画していた時から、時間をとって観光をしようと思っていた高山観光になります。特急料金は、金沢~富山の1870円、時間の都合上で一駅だけ使った特急ひだの330円になります。

朝起きたら、金沢に雪がチラついており、この旅初めての雪でした。この冬は暖冬なのか、山陰地帯でほぼ雪を見なかったので久々な感じがありますね。

朝早くの新幹線に乗ろうとしたら自由席は並んでおり、流石新幹線、というお気持ちでしたが、北陸新幹線はくたか、つるぎしか自由席が存在してないので、絶対に席を確保したいなら、東京まで速く到着するかがやきがよさそう。

はくたかもボチボチ早いので東京行きがなんだかんだ強いか、と思ってたら、金沢~富山間の利用がめちゃ多かったです。なんなら新高岡~富山は学生の利用もチラホラ見られましたね。確かにIR金沢は時間かかるからなぁ。

というわけで着いた富山は、コンパクトシティとして有名です。

ちょっと気になっていたので早起きして町を散歩してみたんですが、印象としては、コンパクトにしたというよりは、元々まとまってたものを繋げた感じに近そうでした。

まぁコンパクトシティ自体が、徒歩圏内に都市機能をまとめたもの、が定義ですし、トラムやバスが整備されており、駅近くならかなり便利そう。ただ高齢者と成人で徒歩圏内の枠も異なりそうですし、車の交通量が実際どのくらい減ったのかは気になるところです。

高山線でまったりと進み、飛騨古川で下車。「君の名は。」の聖地巡礼がてら軽く散策しようと思っていたのですが、高山も同様に町並みがすごく素敵で良かったです。

そして時間の都合上飛騨古川~高山の1駅だけ特急を使いましたが、古川はガラガラだったのに、高山駅で大行列ができていて満席状態だったので、流石大観光地…というお気持ちでした。

飛騨の里を見に行ったけど、歩きで町並みを楽しむことができますし、茅葺きや板葺屋根の家の作りから生活の様子まで、古き日本の暮らしの有り様を学ぶことができますね。連綿と続く歴史の片鱗に触れられて、すごく意義深かったなぁ。

自分の一人暮らしの部屋にも、畳とか欲しくなりました。

あとは観光客向けのスーパーの存在が印象に残りました。観光客をターゲットにしているのか分からないのですが、「地元の食材、地元で作った」をすごく売り出しており、地元の飲食店で食事をしない(けれど古い町並みの中にあるから目にはする)層を狙っている雰囲気があり、ちょっとおもしろかったですね。

 

9日目 - 高山[高山線]美濃太田[太多線]多治見[中央西線]塩尻[篠ノ井線]篠ノ井[信越線]長野[北陸新幹線]飯山[飯山線]越後川口[上越線]宮内[信越線]長岡

この日は7:00出発、20:00到着までめちゃめちゃ電車を乗り継いで頑張りました。長野~飯山の一駅だけですが、特急料金は880円です。

まぁでも高山〜松本で高速バスを使えばショートカットができるので、それに乗ったほうが全然早いです……。これは元々知っていましたが、片道きっぷだししゃーない、と割り切り。

ふと今更ながら、今回の企画では徳島と青森駅がきっぷの中に入らないので、4日目のルートは、わざわざ益田から山口線経由で山口を回収するのではなく、新山口経由にして新山口〜山口は足出た分を精算したほうが良かったかな、とか思ってしまいました。

山口線をちゃんと乗れば感想も違ったのでしょうが、うーん。

そんなこんなで高山から朝の列車に。ローカル線に何度も乗ってると、通学が電車を生かしてるというのがヒシヒシと伝わりますね。学生(若者)が住んでいる駅から人を乗せていき、学校がある駅でガサっと学生が降りて、後はガラガラ、なんてのは幾度となく見た光景です。

恐らくですが、成人して免許を取得すると、通勤は車に変わってしまうんでしょうね。そういう意味では、昨日みた富山なんかのコンパクトシティの試みは意義深いのかもしれません。

コンパクトシティの構想が、脱車社会(公共交通機関と徒歩で移動をまかなう)を理想としているため、学生だけでなく通勤層も含めて取り込むことが出来れば、黒字収入=自治体の利益となる可能性も無くはないと思います。人口減少の中だと相当大変そうですが。。

あと気づいたこととして、都市(というか平野)に人は住むんですよね。当たり前か。電車に乗っていると、山間部の車窓の景色が綺麗で感動するんですが、途中駅で誰も降りないし乗らない。人口が少ない、というのと、公共交通機関の利便性が山間部において高くない、という二つの点を改めて学ぶことが出来たような気がします。

ちなみに、スーパーのコンビニ弁当の限界旅といえども一応最低限気を遣っており、洗わずに食べられる100円のコールスローで毎日野菜を摂取するようにしてます。2月でベルギーからチョコを仕入れてきたので、持参して旅のお菓子としてちょこちょこ食べてますが、超おいしい。

岐阜長いなぁ……、とか思いながら電車に乗って塩尻、松本辺りまで辿り着くと、特急あずさから新宿まで行けるようになっているので、若干首都圏が懐かしいような気分になりました。

しかもJR東日本の発車メロディや広告が見え、なんだか帰ってきた気持ちになりますが、ここから北上するので、まだまだ首都圏は遠いです……。そろそろ一人暮らしの家に帰りたい()

全体の移動としては、高山から多治見に抜ける時は暖かいなーと思っていたのに、塩尻辺りから寒さが増してきて、結局また寒い場所に戻ってきた感がありますね。新潟はバチコリ雪が降る場所なので、明日の日程での雪の日本海側が楽しみでもあります。

 

10日目 - 長岡[信越線]新潟[白新線]新発田[羽越線]秋田[奥羽線]弘前

ドミトリー連泊の弊害か、体は疲れてるのに目が覚めてしまう現象が起こり始めます。

人によるとは思うんですけど、ドミトリーだと心のどこかで緊張が休まらないからか完全熟睡は出来ないんですよね。もちろんお布団があるので快適ではあるんですけど、、。ドミトリーだけで生活をするのは貴重品とかがロッカーに預けられるとしてもちょっとしんどいかもです。

夏の時みたいに体もヘトヘトになるくらい観光すればいいんでしょうけれど、電車に座っていることが多いので、どうしても体は疲れて切ってない感がありまして、意外に熟睡が出来ず。

まぁあと少しで第一部終了なんで頑張りますか。ということで、JR東日本区域にいると、どこにいても新幹線で東京行きの文字が見えるので、流石に東日本やなぁというお気持ちです。

長岡~新潟を乗りとおした後は、まず日本酒。うめぇ!

新潟に来てやりたかったことです。ここまでの旅で酒を飲まないようにしており(限界旅なので酒を買いたくなかったというのもありますが)、酒を飲むとつまみが欲しくなる→金がかかるという流れがあり、注意が必要ではあるのですが、いやぁうまい。

330mlのビンを購入して、電車の中でチビチビと日本酒を飲んでいきます。

村上〜酒田は普通列車の本数が少なめですが、羽越線屈指の日本海の絶景が見れるので、特急でサラッと流してしまうよりは各駅でじっくりと楽しむほうが私好みです。じゃがりこを食べながら日本酒を片手に、大海原の雄大さを目に焼きつけてることができて非常に満足でした。

酒田からちょっとDQNな感じの輩が電車に入り、ヤバそうだったので車両移動。

葉月の嫌いなことは沢山あるんですが、最近はそういうストレス放出輩を見かけたら場所を移すようにしました。わざわざストレスが溜まるような場所に身を置くのもアホくさいですからね。

秋田〜弘前、地味にラストで疲れてるのにロングシート混み気味2hは最後の最後でけっこうつらかった……。ですがアニメの消化もかなり捗ったので、悪くないです。次の日に向かう予定の竜飛岬が出てくるアニメだったので、聖地巡礼も兼ねて視聴をしておきたかったんですよね。いやぁ、本当にこんなところまで行くのか俺。

青森県内に入ると雪が見えるように。本州最北は伊達じゃない。というか寒い。え、マジで寒いんだが大丈夫か……と不安になりながらも弘前でステイ。

 

11日目 - 弘前[奥羽線]新青森

流石に前日は疲れが溜まったのか、けっこう眠れました。今日は吹雪いている青森を観光します。なんと、この日は青森在住の友人と合流することが出来ました!

弘前の駅前を観光してたら、時間ギリギリに。雪で足をけっこう取られるので小走りも大変。時間を多めに見積もったほうが良かったってことですね、反省です。

弘前〜青森は予想通りっちゃ予想通りですが混んでました。というか弘前の時点でわりと雪が積もってるなと思っていたのに、青森に近づくにつれてどんどん雪の厚みが増していく。ホワイトアウトしてるやん……。

ここに人住めるん?というお気持ちですが、これより北の北海道にも人は住んでいるので住めるんでしょうね。日本海側の冬は雪との戦いなんだなぁと再認識しました。

友人と合流するまでは観光、というわけで竜飛岬まで行こうと津軽線に乗るも電車が混み合います。

1両は混むに決まってるじゃん…と思いながらも、観光客がいなければ1両でちょい混むくらいと考えると必要最低限なんだろうか思っていたら、想定通り2〜3駅で学生がガサっと降りて空くってパターンでした。北海道でも見たH100なので、北国なんだなぁということを実感しますね。

竜飛岬は駅からかなり離れているのですが、今回は行きと帰りで違うルートを採用。

行きは蟹田まで進んでからデマンドタクシーを利用します。私が乗ったのは定期便だったのですが、意外に人が乗ってて驚きでした。8人乗りならまぁ満杯になるか。

津軽線蟹田三厩って大雨の影響で代行バスになっているのですが、代行バスで行くのと値段はそこまで変わらず、降りる場所をそれなりに指定できるのが需要になっているのでしょうかね。

代行バスに乗り継いでる学生もチラホラいて、三厩までは需要ありそうな感じでした。けれど、バスで回せていそうな感じがあって、ここも小串~長門市みたいな感覚を覚えます。

竜飛岬は流石に岬だけあって風が強いんですが、台風クラスでびゅうびゅう吹いていたので、「風強いですねー」とデマンドタクシーの運転手に話しかけたら、「今日は弱いほうだよ^^」とか言ってて震えました。マジ?

津軽海峡冬景色、灯台とアニメの聖地を見れて非常に大満足なんですが、外気2℃でみぞれまじりの暴風が吹き付け、体が濡れるし寒いしで大変でした。冬はちゃんと対策法しないとかなり過酷な環境です。

帰りは三厩まで町営バスで戻り、津軽線代行バスを使用しました。三厩蟹田間とか誰が使うんだろうと疑問に思ってたら、鉄道ファンがきゅんパスを持って5〜6人くらい来てました。日本一周中のついでに来てた人は居ませんでしたね()

しかしきゅんパスっぽい人が青森にやたらといて、東日本管内で一番遠いところにきて元を取ろうという魂胆が透けて見えるなぁ……。

夜には友人と合流。飯と温泉、宅飲みと、この旅史上最も贅沢をした日になります。久々の再開だったので胸アツでした。

 

12日目 - 新青森[東北新幹線]盛岡[東北線]仙台[仙山線]羽前千歳[奥羽線]福島

友人の家で遅くまで日本酒を片手に話してたら3時くらいに。3:30~5:50で仮眠をとって新青森からスタート。これぞ限界旅。

今回の旅で最も長い距離の新幹線を使っています。各駅停車縛りならここで特急を使うのは甘えですが、今回は片道きっぷということで、新幹線ワープでかなりラクに移動ができました。特急料金は2640円です。

新青森~盛岡間は、朝ご飯を食べながらブログの整理をしてたらあっという間でした。新幹線ってやっぱり速いなぁ。名残惜しくも下車。

いつも通り車窓を楽しむつもりだったのですが、前日の睡眠(というか仮眠)不足で眠すぎたので軽く居眠り…と思ったら盛岡 -> 北上にワープしており、寝起きでぽーっとしながら車窓を見てたら一ノ関。岩手県の印象が雪深いくらいしかねぇ……、となってしまったので、いつか岩手メインで旅をしたいなぁ。

今日泊まるところを決めないとなーと、ゲストハウスを当日に取るのも慣れてきましたが、4日前くらいに確認していた時の値段よりもちょっと下がっててちょっと嬉しい気分に。金土はホテル含めて値段が跳ねる傾向にあるので、快活やゲストハウスで抑えることが出来ると節約になっていいです。

この日は睡眠不足で、小牛田辺りからの心地よい太平洋の天気でウトウトしてたら仙台に着く。やべ、乗り過ごしそう、とかやってたら、仙山線でまた寝過ごしそうになりました。こういうときにキャリーケースだと移動が大変なので、リュックで旅をしている強みが出てますね。

列車で印象的だったのが米沢〜福島の間のトンネル、というか山越え区間

山の中を進んでトンネルの中に駅が出来ている。雪が降る期間だと通過する駅もあるけど、よくまぁこんなところに列車を通そうとしたなというか。

福島の駅前の街並みが東京の外れの駅の感じがあり、どことなく首都圏に帰ってきたなぁという実感を持ちました。

 

13日目 - 福島[東北線]岩沼[常磐線]水戸[水郡線]安積永盛[東北線]宇都宮

福島~宇都宮って普通にいけば全然時間がかからないのに、水戸のせいで1日増えている日です。ただ水郡線とかは本当に乗らないので、これはこれで楽しかったです。

福島で泊まったゲストハウスが、オートロック、人感センサーが至る所についていてハイテクでしたが、二段ベッドの中は木造りで音が響いてたので、すごく惜しいなぁというお気持ちに。

ここを快適にするほうが満足度は上がりそうですけれどもね……。

岩沼からの常磐線は何回か乗ったことがあるため、新鮮さみたいなのは感じませんでしたが、大野や双葉などで車窓から見える帰宅困難区域の表示が胸を痛めます。

しかしながら、知っていて車窓を見ないと工事中か何かかと思って見逃してしまうし、建物や駅舎が再建されて新しめなのも注意して見てないと中々気付かない。

今まで見てきた景色も、同じように見落としてるものは沢山あるんだろうなぁと思うと、見聞を深めれば深めるほど旅が面白くなり、終わりがないなぁと思いました。

そういえば、ここ2日の土日はなんか人が多いなぁと思ってたら18きっぷが始まっていたみたい(きゅんパスの後からかと思っていました)。

このシーズンになると、普通列車で長距離を移動するユーザーが増えるため、各停で限界旅をする身としては、座席確保をする面倒が増えますね。

大学生の旅行とかなら微笑ましいので好きなんですけど、この時期は中年〜老年辺りがデカい荷物持って座席を占領する光景をよく見るので、複雑な気持ちです。

あと18きっぷ含め各停列車を使っていると、通学時間帯及び観光路線は列車が混むのであんまり好きじゃないんですよね。人がほぼ使わない閑散区域を乗ってると、これ本当に儲かってるのかという疑問もありますけど、貸し切り状態で乗れる快適さもあり、自分の中では矛盾した感情としてあります。

そんな感じで水戸から水郡線に乗り換え。観光路線なのか18きっぷだからなのか混雑していました。常陸大子で人がガサっと降りてガサっと乗る感じでしたね。車両は3 -> 1両になるので混雑具合は酷くなるという()

常磐線の時と違ってまったりとした運転だったので、3時間が長く感じました。でもこの時間をふんだんに使っている感じがまた良いんですよねぇ。

 

14日目 - 宇都宮[東北線]小山[両毛線]新前橋[上越線]高崎[高崎線]大宮[東北線]赤羽[埼京線]池袋[山手線]新宿[中央東線]お茶の水[総武線各停]秋葉原

慣れ親しんだ首都圏ですが、両毛線で途中下車ができるのでちょっとワクワク(大回りで通過しがち)。千葉はアニメの聖地巡礼も兼ねて、別日にゆっくりと観光しようと考えて秋葉原ストップにしました。

このきっぷのいいところって、山の手沿線在住の葉月からすると池袋、秋葉原、東京と中断できる箇所が多いところなんです。

というわけで、降りてみたかった岩船(「秒速5cm」の聖地)で下車をしました。

マジで何もなかったので、確かに人に会いにいかない限りは降りないよなぁ。静かで落ち着いた場所だったので、小山からちょっと行くだけでこんなになるのか、というお気持ちに。

聖地巡礼の醍醐味として、BGMを聞きながら思いを馳せるっていうのがあるんですが、"One more time one more chance"を聞きながら歩いていると、一番映画の中で輝いていた描写を思い出して心がぎゅっとなりますね。

前橋、高崎とくると、大都会なので電車は混むし人も多い。荷物はそこまで多くしないようにしてはいるものの、やっぱり人混みが出来てくるとストレスが溜まりますねぇ……。程よく人がいるくらいが、葉月的に一番いいのかもしれません。

お昼ご飯ということで群馬のソースカツ丼を食したのですが、関東の人間がソースカツ丼って聞いて思いつくようなカツ丼でした。

これはこれでおいしいんですが、キャベツが肉肉しさを和らげちゃってるからカツの旨味を味わえる度合いが低くなっちゃってるような? 個人的には福井のソースカツ丼が暫定一位で好みです。ソースカツと一口にいってもいろいろ違うなぁ。

3月だからか卒業式帰りの人をチラホラ見かけるように。なんかエモいですね。あと東海道線はやはり混みますね。

 

15日目(まったり聖地巡礼) - 秋葉原[総武線]錦糸町[総武線]千葉[外房線]蘇我[京葉線]東京

「俺ガイル」(やはり俺の青春ラブコメは間違っている)のアニメの聖地巡礼もかねて、千葉県はゆっくりと見て回ることにしました。

千葉駅も何度か通過することがありましたが、途中下車するのは初めてだったので新鮮な気持ち。

千葉 -> 東京は通勤で激混みする印象なので、駅前は流石に人でごった返してました。しかし総武線京葉線で雰囲気がけっこう違うので面白い。総武線は住宅街の間を縫ってますが、京葉線は臨海部の工場地帯を通っている感じがしますね。

千葉みなと、稲毛海岸辺りで俺ガイルの聖地巡礼をしました。雨が降っていて臨海部で風がびゅうびゅうだったのでけっこう寒かったです……。

こんなに臨海部に近いところで高校があったり、団地に囲まれたりしているのでかなり驚きましたが、よく考えたら京葉工業地帯の団地としてあるのは当たり前か。区画通りにきちんと長方形に出来ているので、開発された街だなぁというお気持ちです。

 

 

第一部の感想

こんだけ旅行してまだ終わらんのかい、というのが正直な本音です() 日本の広さが分かりますね。

長崎から東京までの道のりでしたが、日本海側を電車で回ったからこそわかる、冬の大変さ。

関東平野の中で生活をしていると、あまりピンとこなかったであろう部分を冬の旅行で体験することができたので、それが一番有意義だったかな。

ちょっと離島に行ってから、第二部を始めていく予定です。後半戦も頑張っていきますよ!

日本全国を訪れようの巻

皆様こんにちは。葉月です。

 

まだ2月ではありますが、来月3月といえば、日本だと卒業シーズン。

私も3月末で大学の学部を卒業する予定で(単位は一応全て確定で取り切りました)、夏休みにプレ卒業旅行として北海道旅行をしましたが、やっぱり春休みに「卒業」旅行をしたい。

しかし、イタリアやフランスなどのヨーロッパ、韓国やタイなどのアジア近辺の海外旅行は普通で別に面白くない。ヨーロッパなんて夏に行ったほうが100倍楽しいですし。

まぁしれっと2月にベルギーに行ってますが、アレは帰省みたいなモンなので、卒業旅行としてはノーカンでしょう()

やっぱり日本の大学を卒業するんだから、日本を観光しようという心持ちですが、もちろん草津の温泉でまったり2泊、なんてしません。

卒業旅行こそ、企画していきます。

チマチマと2023年度にこなしてきた変なこと企画。その集大成というわけではないですが、日本全国を舞台にいろいろと巡っていこうと思います。

 

というわけで、今回の3月の企画タイトルは、

「45都府県JR代表駅(≒県庁所在地)巡り ~新幹線最小利用最短片道きっぷ~」

となります。タイトル長すぎ。

以下、順を追って説明していきます。

 

目次

 

タイトルの意味&企画発足の経緯

今回の企画はざっくり言うと、電車を使って日本全国を回ろうって企画です。

車の免許を取ったわりには電車なんかい、という感じですけれど、初心者マークも取れてないのにソロ車旅は怖いんですよ。エンストなりガス欠したら本気で遭難しそう……。

今年度はとにかく旅をしまくったので、総集編として、何か鉄道旅行の大きな山を越えておきたい。

という訳で、元々は最長片道きっぷ(JR北海道から九州まで、経路が途中で重複しない発駅から着駅までの距離が最も長い経路を持つきっぷ(Wikipediaより))が候補にありました。

しかし、最長片道切符は距離を稼ぐためにダラダラ移動をしている印象がどうしても拭えず、一つの大きな目標ではあったものの、あんまりやる気になりませんでした。

そんな中、ふと友人に「県庁所在地って片道きっぷで回りきれるのではないか?」とラインで言われました。どんな状況やねん()

まぁちょっとやってみるか、と経路を考えてみると、なんだかいけそうな雰囲気を感じます。全国なので47都道府県を回りたい所ですが、沖縄は離島であり、後述する片道きっぷの性質上、北海道、九州、四国のうち、どこか一つは行くことが出来ません。なので北海道と沖縄を除いた45都府県巡りが候補になりました。

*一応2府県を補完する目的で、1月に沖縄、2月に弾丸で札幌雪祭りを見に行ったので、日本全国巡ったといってもいいんじゃね? という精神です。

 

さて、東京だと新宿/東京、神奈川だと横浜のように、JRの時刻表を見ると、それぞれの都道府県に代表駅が設定されています。また基本的にその駅の近くに県庁も存在しており、県庁所在地としても重要な役割を担っていることが多いです。

そう考えると、「日本全国」を訪れる巡り方は何か。これは都道府県代表駅に降り立つことじゃないか。それなら、頑張って45都府県の都道府県代表駅を見てみよう、という気持ちになりました。

ただそんなに時間もお金もかけたくないし(家電が買えねーとか言ってる2月の企画からも明らかですね笑)、無駄移動もしたくない。

なら新幹線 / 特急列車をなるべく使わないように、そして切符の値段が安くなるように、最短経路で作ってみよう。という考えで企画が決定。

いろいろと途中で要素が加わって情報量が増えていますが、要するに安く全国を回って大学を卒業しよう、という企画です。

 

 

片道きっぷとは

そもそも、上でしれっと使っていた「片道きっぷ」とは何か。

普通の日本語ですと、発駅から着駅まで途中で経路が重複せずに進む切符のことです。が、この旅行においての片道きっぷには大きな意味があります。

それは、単純に経路が被らないように一筆書きで経路を繋げていくのが楽しい、というのもありますけれど、JRのきっぷの場合、距離が長くなればなるほど対キロ運賃(運賃÷利用キロ数)が安くなります(Wikipedia参照)。

今回は都道府県代表駅を45個巡ろうとしているわけですが、その間の44個の移動に対して一つ一つ切符を買っていたらとんでもなくお金がかかります。

お金をかけたくないという意図からも、経路が一筆書きで美しいという理由からも、今回の旅では、上手く45個のチェックポイントを結んで1つの長い片道きっぷを作ることにしました。

 

経路詳細

そもそも都府県の代表駅はどこなのか、ということで調べてみたところ、ほとんどが県庁所在地なのですが、ちょこちょこ例外もありました。

JR都府県代表駅:青森、盛岡、秋田、山形、仙台、福島、前橋、宇都宮、水戸、浦和、東京(新宿)、横浜、千葉、新潟、富山、金沢、福井、長野、甲府、静岡、岐阜、名古屋、大津、京都、津、奈良、和歌山、大阪、神戸、岡山、鳥取、広島、松江、山口、高松、松山、高知、徳島、博多、大分、宮崎、熊本、鹿児島、佐賀、長崎

埼玉は大宮じゃなく浦和、群馬は高崎じゃなく前橋なんですね。東京は新宿と東京どちらも入る場合があったので、どちらも通過することにしました。

これら全て(厳密にいうと、2か所は1つ前の駅)を通る片道きっぷを友人と考えたところ、今回の旅の経路は下のようになりました。最短かわかりませんが、このルートで進んでいきたいと思います。

 

長崎[長崎線]鳥栖[鹿児島線]新八代[九州新幹線]川内[鹿児島線]鹿児島中央[日豊線]城野[日田彦山線]田川後藤寺[後藤寺線]新飯塚[筑豊線]原田[鹿児島線]門司[山陽線]幡生[山陰線]益田[山口線]新山口[山陽線]櫛ケ浜[岩徳線]岩国[山陽線]広島[芸備線]備後落合[木次線]宍道[山陰線]綾部[舞鶴線]東舞鶴[小浜線]敦賀[北陸線]金沢[北陸新幹線]富山[高山線]美濃太田[太多線]多治見[中央西線]塩尻[篠ノ井線]篠ノ井[信越線]長野[北陸新幹線]飯山[飯山線]越後川口[上越線]宮内[信越線(直江津-新潟)]新潟[白新線]新発田[羽越線]秋田[奥羽線]新青森[東北新幹線]盛岡[東北線]仙台[仙山線]羽前千歳[奥羽線]福島[東北線]岩沼[常磐線]水戸[水郡線]安積永盛[東北線]小山[両毛線]新前橋[上越線]高崎[高崎線]大宮[東北線]赤羽[埼京線]池袋[山手線]新宿[中央東線]お茶の水[総武線各停]錦糸町[総武線]千葉[外房線]蘇我[京葉線]東京[東海道線]茅ケ崎[相模線]橋本[横浜線]八王子[中央東線]甲府[身延線]富士[東海道線]新大阪[おおさか東線]久宝寺[関西線]亀山[紀勢線]和歌山[阪和線]天王寺[大阪環状線(外回り)]大阪[東海道線]神戸[山陽線]岡山[宇野線]茶屋町[本四備讃線]宇多津[予讃線]高松[高徳線]佐古[徳島線]佃[土讃線]窪川[中村線(土佐くろしお)]若井[予土線]北宇和島[予讃線]松山

 

この切符ですと、学割運賃46930円、有効日数35日です。1か月もこの切符を使って旅が出来るなんて意味分からないですよねー(他人事)。

楽しい人には楽しいかもしれませんが、知らない人から見たら呪文以外の何物でもないですよね、ってことで一応日本地図にざっくりとルートを書き入れてみました(下記参照)。

長崎から始まり、九州、中国地方を軽く巡った後に北陸と長野を堪能してから上越、東北地方へ。関東地方をウネウネ巡ってからは東海、中部、近畿、四国地方と進むルートになっています。

長崎からでも松山からでも始めることが出来ますが、途中休憩(@東京)の日程の都合上、長崎から始めております。

オタクの人には分かると思いますが、青森駅徳島駅の2つについては、一つ手前の駅(新青森、佃)で折り返さないと片道きっぷを成立させることが出来ません。きっぷの中には入っていませんが、まぁ1駅だし誤差だよ誤差。

(おおざっぱな)経路詳細

 

旅のルール

1. 経路詳細で紹介した経路に則って(青森と徳島に関してはきっぷに含まれていない部分を追加で払って)、45都府県の代表駅に全て途中下車をし、改札の外の街並みを見ること。

2. 新幹線や特急列車の利用をなるべく最小限に抑えること。経路や葉月のやる気/体調の都合上、理論上の最小から増える可能性がありますが、なるべく少なくやっていきたいところです。

3. 限界旅を心がけること。基本的には快活クラブやゲストハウスを使って進んでいきます。ただ東北辺りはゲストハウス、民宿が本当に少ないので、なるべく安く抑えるように、というコンセプトです。

 

 

という感じで、2~3月にかけて日本全国を回っていこうと考えています。

北海道を20日くらいかけて巡ったので、長期間旅行に対する恐れはあまりないですが、はてさてどうなることやら。

しれっと3月の途中で小笠原に向かうので、東京に着くまでを第1部、東京から先を第2部として、2部制でやっていこうと考えております。

一応卒業式には出席するつもりなので、そこまでには帰ってくるつもりでございます。

全国、巡っていきますよ!

健康で文化的な最低限度の生活(1/30~2/9までの日記)

皆様こんにちは。葉月です。

 

縛りを課しながらの(重要)家電なし一人暮らし、その生活の記録です。

(なんでこんな暮らしをすることになったのかの概要↓)

leafkeylosttime.hatenablog.com

 

引っ越し直後と被っていることもあり、丁寧な暮らしにはなっていないのですが、最低限度の暮らしに丁寧さを求めても仕方ないですね。

 

 

1/30

午前中。引っ越し業者が来るのが昼ごろだったので、最後に実家のコタツに入って、「これが電力が熱に変換された温かみか……」と感傷に浸っていました。

引っ越しをした後の午後なんですが、さっそくトラブル、というか予期された事態に陥ります。

ブレーカーをあげても、電気がつかねぇ……。

月末の細かい料金を取られるのが嫌だなぁとか思って、電気とガスのスタートを明後日(2/1)に設定をしてた私は泣きを見ました。

そういえば親が「引っ越しの時間指定してないの!?」と叫んでましたが、引越し屋の時間設定を決めないとガスの立ち合いが出来ず(電気は引っ越し当日に契約開始すればいいだけなんですが)、引っ越し当日に困るってわけなんですね。なるほど引っ越しの時間指定の課金には意味があるんやな(今更)

いやぁ困った困った。この企画で「なるべく電気水道ガスを使わない」と書いたのには意味があって、使用量制限はどうにかなるんですけど、全く使えないっていうのは本当にヤバいんですよ。

電気とスイッチの明かりに頼っている現代社会の在り方を、1日目にしてしっかり体感することが出来ました。もう企画終了でよくない?()

まぁ使えないものは仕方ない……、という感じでいたら、なんとインターフォンも使えないことに気づきます。

そうか、電気が使えないと、配達人とコンタクトを取ることも出来ないのか!

入居したマンションはオートロックなんですが、そのシステムも電気で動いていますし、なんならエレベーター移動なので、電気を使う生活をしているなぁというお気持ち。

ちなみにガスなしは前に1~2日ほどやったことがあったためか、特にヤバいと感じる所がありませんでした(オイ)。おにぎりでも買ってメシにすればいいですし、風呂なしは2~3日くらいなら余裕だなと思ってしまったからなぁ……。

ただ風呂に入らないと髪が若干痒くはなるので、銭湯利用無しでのガスなし暮らしはかなりしんどいような気がします。

引っ越し初日はまぁモノの整理整頓で時間が溶けますね。今回は実家からの引っ越しで、自分のものを全て持ち出したからってのもありそうですが、当日だけでは半分くらいしか片付かず、次の日に持ち越し。

本や小物が散乱する中で布団を敷いて寝るのは斬新で楽しかったです。

 

1/31

実家にいた時もエアコンがない寒い部屋で寝ていたので、マンションは実家よりも暖かかったような気すらします。

今回はがっつり引っ越し、ということで、午前中は行政手続きに追われていました。

行政の手続きをハシゴしましたが、マイナンバーとかで転入はスムーズだし、それを本人確認書類として免許証更新が出来るので、わざわざ住民票を取らなくてもいいのが良かった。やるじゃん行政。

思ったよりもサクサク手続きが進んだので、余った午前中の時間で部屋の整理。本の山が雪崩を起こしていたので、本棚の購入を決意します。

お昼ご飯は、業務スーパーで買った鯖缶とおにぎりと駅のベンチで食べました。貧困層になった気分だなぁとか思っていたら、そりゃ家電がない暮らししてんだから貧困だろ、と自分で自分に突っ込んでしまいました。独り言が増えないか心配です。

ちなみに1/30夜は駅前のラーメンを、1/31の朝は、引っ越し直前に実家から支給されたパンを食べていました。

1/30の昼が引っ越し中でパンをかじった程度だったので、夜にラーメンを食べたら重い食事で胃が痛くなったのは内緒。家系ラーメンはヘビーだったか……

午後はいろいろとタスクの消化。

自分の生活すら組み立て最中なのに、友人と3月に行く旅行の予約もやっていたのが地味にしんどかったです。

いやまぁ普通の生活を作っていれば別に大変ではなかったと思うんですが、いかんせん私の家にはWifiも電気もない。

月末の恒例ともいえるデータ容量と闘いながら、スマホの充電を気にしつつ、スタバのフリーWifiを活用してタスクをこなしました。

スタバの中や近くのベンチには人が沢山座っていましたが、家にないWifiを使うためにわざわざ来たのは私くらいでしょうね。

普段は入ろうともしないスタバですが、働いてお金を手に入れるようになったらなんか買ってあげないとなぁ。

そして移動に必要な自転車! アマゾンでポチったのですが、インターフォンが使えないので、宅配便の人に電話を入れてもらい、自分がエントランスまで言って品物を受け取るというムーブをすることになりました。面倒くせぇ……(お互いに)。

快く対応してくれた配達員のお兄さんに頭が上がりません。

ちなみに2/1から電気ガスの契約をしていたのですが、0時丁度に使えるようになるのか、それとも朝の適当な時間から使えるようになるのか気になり、0時まで起きてみたところ、本当に0時丁度に電気が使えるようになりました。

0時にパっと蛍光灯の明かりが灯り、「これが『光あれ』という言葉の真実か……」とかいう訳分からん感想を抱きました。

 

2/1

待ちに待った電気ガスの開通日! 午前一番で作業員の人が来てくれたので歓喜しました。助かった、、。というか2日も住んでるのに初めてチャイムの音を聞き、若干困惑しました。えぇ……。

電気を見届けてからは、大学の図書館に向かって、Wifiとエアコンの温かみを享受しながら作業。

引っ越し後って、荷物整理をした後も足りないものの買い出しとかで忙しいんよなぁ。しかも内定先からの書類提出のタスクも降ってきてしまい、焦りながら作業。

半分くらい消化したら疲れたので帰宅しました。

ガスが使えると普通にシャワーを浴びることが出来るから、ようやく人並みの生活を手に入れた感じがありますね。体ふきシートに移行しようか迷うところですが、まぁ1回くらいはやってみないとなぁ。

とりあえず電気ガスを手に入れた後の部屋の感想としては、新卒にしてはかなりいい感じだと思いました。部屋の中で遊びたくなった時のために広めの部屋にしといたのですが、それがけっこういい感じになっている気がします。

 

2/2

企画概要の3のルールに則り、研究室にある冷蔵庫の中に食べ物を入れるのは大丈夫と考え、納豆とおにぎりをパックごとつっこみました。

研究室の冷蔵庫は私がいれなくても使っていますし、冷蔵の機能を借りるのもいい、よね……? 

前日に残ったタスクの消化をしないといけず、大学で消化してきました。

ふとこの時自炊をいまだにしてないことに気づいてしまいました。とんでもない暮らしをしてんなコイツ。どこかのタイミングで何か作るか、と考えたら、やっぱりカレーがいいかなぁとか思い始めます。

そんなこんなでバタバタと作業をしてたら、なんだかんだ午後までもつれ込んでしまったので、買い出しと食事の考察。

しかし冷静に考察したとしても、冷蔵のものばっかだから買うもんが大してないな、という結論に至りました。冷蔵庫がないと、基本的に缶詰か1日で食べ尽くすか、常温保存が可能な物くらいしか置けません。

野菜をきちんと取りたいところですが、冷蔵保存が多いのなんの。鯖缶は偉大ですけど、トマトジュースは甘いし、豆乳調整の青汁もめちゃ甘かったし、うーん糖分過剰摂取なお気持ち。

そして、ブレーカーを落として暮らす生活に慣れてしまい、電気を点けるスイッチの場所があやふやになるものの、ブレーカーの場所はきちんと把握しているように。朝起きて最初にやることがブレーカーをあげる、ですからねぇ。ヤバいわ。

ちなみにお風呂の換気も電気が必要なんですが、24時間換気って必要なんでしょうかね? 一応寝る前までは換気するようにしてますが、こういうのってしばらく経たないと分からんな。

 

2/3

この日は本棚を組み立てて、部屋を整理する日でした。

ここ数日Amazonを頼みまくったので分かったんですが、何となく家の近くの地域はかなり配達が後のほうらしく、午前中の時間指定でも11~12時辺りに届けられる感じに。

まぁ数時間レベルでほしいものがあったらAmazonフレッシュとかを使うと思うので、不便はないですが、何となく午前中の配達として12時くらいにくるとモヤっとします。

本棚と布団置き、モニター台など、いろいろと組み立てるものがドカドカやってきたおかげで、午後は組み立てで全部もって行かれました。1日で一年分くらいのネジ締めをやってんじゃないかと思えるレベルで手のひらが痛い。

モニター台があるとかっこいいですね。デスクトップ、ゲーミングチェアとパソコン周りのものについては課金を惜しまないようにしているので、どんどん仕事出来そうな感じの机周りになっていっている気がします(まだ仕事は始まってもいないですが)。

そして、(くどいですが)部屋にネットを通してないので、駅前のスタバのフリーwifiを使ってアニメをダウンロードするのが定番の流れに。ネットは3月末から契約にしたので、あと2か月くらい家にWifiはありません。

ちなみに大容量のファイルをダウンロードすると低速にされるのがフリーWifiあるあるで、大体1.5GB辺りで低速にされることが調査から分かりました。毎日足繁く通ってDアニからアニメをダウンロードしているおかげですね。今度あのスタバでしっかりお金を落とさないとなぁ。フリーWifiに感謝。

部屋が整ってきたので、けっこう広々と空間を使えてる感じが良いです。こんなにスペース要らないんじゃないか疑惑がありますが、余ったら筋トレスペースにでもしようと思っているので、まだまだ部屋の改造は続きます。


2/4
ようやくタスクに追われない朝の目覚め。

とは言いながらも朝起きて普通に大学に向かっていますが、2/10からベルギーに行くのに、俺オランダ語喋れるのか分からんぞ、、。もう5年も使ってないですし、耳も腐ってそう。

そんな恐れから、急いでオランダ語のテレビ番組を見直して、オランダ語の感覚を取り戻そうと頑張ってみることに。

2/2でやりたいと思っていた自炊にチャレンジ。何だかんだ料理は楽しいんですが、お昼に帰宅しようとがんばったところで、調理時間を考えると結局昼過ぎになってしまうのがちょっとつらいところです。ブランチというか、ランチディナーみたいな感じの食事になりました。けっこうおいしかったです。

そして今日バスに乗ってふと思ったんですが、引っ越し以来の公共交通機関利用でした。自転車と徒歩圏内にスーパーも揃ってて、Amazonで大きなものを買えるので、バスも電車もいらなかったことに驚き。東京圏の人口の多さと利便性を強く感じた1日になりました。

 

2/5

窓を開けたら、一面銀色の世界、というわけでもなかったです(AM7時)。

東京に大雪警報が出ていたので、ちょっと楽しみにしていたのですが、昼頃からがっつり雪が降ってきました。流石に朝は降りませんでしたね。

午前中は内定先から指定があった健康診断を受診。何だかんだがっつりと採血や心電図などを取るのは久々で、けっこう新鮮な気持ちでした。

ここまででもそうだったんですが、晴れている日はソーラーランタンの充電がバッチリになっており、夜も光をきちんと使うことが出来るのに比べて、曇りや雨の日は本当に発電量が少ない。

ちょっと暗い、とかいうレベルではなくがっつり暗く、曇りの日のソーラーランタンでは本を読むのに苦労するレベルで暗いんですね。

太陽光発電を含めたエコな発電に注目が集まっていますが、太陽光の問題点ともいえる天気に発電量が左右される、という特徴を身をもって体感することができました。

夜はきちんと大雪。明日札幌行くんだけど大丈夫かなぁ……。

 

2/6

始発飛行機で北海道に向かい、終電飛行機で帰るという弾丸旅行をしました。

雪が大量に降っているのが当たり前の場所だったので、雪が少し積もって大慌ての首都圏とは全然違うなぁというお気持ち。

葉月は北海道が大好きなので、またお金を稼いでここに来ようと決意を新たに。生きる意味というか、仕事をする意味が一つできました。

 

2/7

前日に札幌から帰って夜中1時くらいに寝たのに、午後から研究発表らしいですよ。バカかな?

発表の後は打ち上げに参加していたので、この日も企画は控え目運転。

最寄り駅にAM1時くらいに到着するのって、引っ越し1週間で2回もやることじゃないとは思いながらも、大学生っぽいことしてるなぁと思ったりもしました。ネムいわ。

よく考えると、ここ2日は家にいないだけで居酒屋や大学の電気ガスを使って生きているので、この企画的にどうなんだと思わなくもないですが、家でインフラを制限しながら生活したいので帰ります、とは流石になりませんでした。飲み会は外せません(使命感)。

 

2/8

連日の深夜帰宅が体に響いていたので、まったり気味に起床。

お酒が入ると、夜中に喉が渇いて目が覚めちゃうんですよね。酒は好きなんですが、酒との付き合い方を考えたいところではあります。ブレーカーが落ちているので、もちろん手探りで蛇口を探します。

さて、今日は洗濯にチャレンジ。

とはいっても、コインランドリーを使わない洗濯ということで、踏み洗いをしてみることにしました。洗剤を溶かし込んだ水の中で、洗濯物を足で踏んで洗濯をするという、江戸時代にやってそうな感じの洗濯法です。

これ自体は洗濯機がやっていることとほぼ同じなので、これで洗濯できるのは当たり前なんですが、人力でやると、足が本当に寒くなります。

夏ならいいかもですが、冬の冷たい水の中に足をつっこんんで踏み洗い、なんて五分もやってられなくて、手と足で交互に洗濯物をもみ洗いをすることに。

まぁ洗いは寒さに耐えればいけるんですが、すすぎと脱水の作業が大変。水を当てて洗剤を含んだ水を落とし、絞って水気を落とし、洗剤が抜けるまでそれを繰り返すのが、中々の重労働。

2日分くらいのちょっとの洗濯物ですら大変だったので、洗濯機で相当家事はラクになったんだなぁと身をもって知ることができました。

絶対ドラム式洗濯機を買ってやるからな!

 

2/9
一応この企画最終日ですが、やることも大してなく、2/10からのベルギー行きの荷物を確認して荷造りをしました。

荷造りが終わると、外の空気を軽く吸いにいくついでに、部屋のアップグレードを考えながらニトリダイソーでブラブラと家具や小物を見に行きました。けっこう楽しかったです。

ただ、ものを増やしすぎると管理が面倒くさくなる、というミニマリスト的思考もあるので、何が生活において必要なのかはいろいろ試行錯誤してみたいところ。

今のところは家電がないのでものは少な目ですが、夏にベランダで椅子に座って酒を舐めつつ夜風にあたってみたいですし、家電を導入した後は、何だかんだもうちょっと増えると思います。

 

 

全体の感想:

一般の人が使うインフラの使用量の恐らく半分以下で生活をしていましたが、そこまで苦に感じることはなかったです。

ただそれは、それは電気やガスなどを「全く使わない」生活、ではなかったからというのがありそうでした。

インフラ使用が0だった最初の二日は、本当に生活自体に難が生まれるレベルで大変です。電気がないとインターフォンが動かないから荷物を受け取ることや、オートロックを解除することが出来ない。ガスがないと温かいお湯に触れることが出来ず、調理が全くできません。

都市部でマンション住まいだからこそ、インフラを余計に消費しないといけない場面もあるのでしょうけれど、最低限を使いながらどう減らしていくか、というのがこれからの生活に繋がる知恵なように感じました。

この生活で一番つらかったのは洗濯で、冬の冷たい水の中で衣類をもみ洗いする体験を昔の人(女性でしょうか?)はしていたのかと考えると、尊敬の念を禁じえません。マジで冷たかった。サウナ後じゃない水風呂と同じくらいのヤバさを感じましたね。

食事に関しては、正直冷蔵庫がないとしても、近所のスーパーでコールスローやおにぎりなんかを買ってくればいいっていうのもあるので、コンビニやスーパーが林立している首都圏だとそんなに不具合を感じなかった、というのが正直なところです。

確かに知り合いで自炊を全くしない人もいますし、スーパーのレンジなどを使えば、家にレンジや冷蔵庫がなくてもとんでもなく不便にはならないんじゃないかなぁと思います。ちなみに食べ物を買う時に、保存方法を確認するようになりました。要冷蔵/冷凍の食品は、その時点で買えないので()

私は自炊生活する予定なので、3月には普通に冷蔵庫とレンジを購入する予定ですが、クレカで買って、初任給が入る同月に口座から引き落とされる感じにします。限界大学生の資金運転みたいだぁ。

この企画は「生活の中にある当たり前を疑う」からスタートしましたが、家電やインフラの中でも、実際の生活の中でどのくらいそれに頼っているか、それでどれだけの労苦を浮かすことができるか、について体験できたような気がしました。

ブレーカーがないとインターフォンがつかえないことを1日目に発見しましたが、これを面白半分に友人に伝えたら、「まぁスマホも電気がないと動かないからね」と言われ、確かにLineや電話でさえも携帯の充電(電気)に依存しており、電気を使って人とコミュニケーションをとっている現代社会の在り方を目の当たりにした気分。

電気水道ガスのインフラは、全く使わないで生きるのは相当困難。ただわざわざ使わなくてもいい場面も多い。普段インフラを使って生活のどういったラクさを手に入れているかが分かるようになりました。

10日くらいの体験に留まりましたが、自分のインフラの消費に自覚的になりながらこれからの一人暮らし生活を作っていきたいですね。

大学生活、変なことをしてみようシリーズ

皆様こんにちは。葉月でございます。

 

表題にあるまんまの話というか、ただ自分のやっていることの紹介なんですけれど、葉月は2023年度、一か月に一度変なことをしようという計画を遂行しております。

というのも大学4年生になって、週2コマしか履修していなかったCovidの時ぶりに暇をしています(理系の人、院生の人に同じ発言をしたらマジギレされましたが…)。なんせ授業を一コマも履修していませんからね。

研究室の週一のミーティングに出席して、暇な時間に文献を読んだり仮説を考えたりしてれば許されます。ただ、大学生活というモラトリアムを過ごしている中で、何もしないのはもったいない。

なんなら、まったく自分にとって利益とは思えないことをしてみたいと考えた時に、変なことをしてみる、というのが頭によぎりました。

変なことってなんだよ、と思うかもしれませんが、「ちょっと面白そうだな、でもまぁやらないかな」みたいなこと、くらいのイメージです。厳密に定義をしているわけではありません……。

ここまで書くと、「最後の大学生活だから遊べるだけ遊んでおく」という話と似ているような気もしますが、別に飲み会やディズニーとかで遊んでも、自分は一ミリも楽しいと思えず。

寧ろ変なことをして、心の底から楽しんでみたい。

そんな思いから2023年4月中旬ぐらいに立ち上げた企画になります。

 

少し語りが入りますが、こういった実益のないことをやろうとする楽しさって、誰もが持っている原初の楽しいという体験じゃないかなと思っていて。

子供の頃に目いっぱい遊んでいる時って、この遊びが必要になる、自分の今後の成長にとって役に立つと思って遊んでいるわけではないと思います。

楽しいから遊ぶ、遊びたいと思うから遊ぶ。

そういう子供の遊びの延長戦で、せっかくだから子供では出来なかったことをしてみたい。

どうせこれから社会人になるのだから、「大人的」な世界観に染まっていくのなら、周りがだんだんと変わっていくのなら、それならせめて子供の心のままに遊ぶ体験を、自分の体に刻んでおきたい。

まるっきり子供というわけではなく、大学生という、子供と大人の中間点だからこそ存在する楽しさがあり、大人のスケールで、子供のような楽しさを味わいたい。

そんな思いもありながら、変なことをやってみる企画を考えています。

このことを友人に話したら、YouTuberみたいなことしてるね、と言われたこともあり、確かにそうかも?

まぁ収益を得てしまうと自分の利益になってしまうし、動画編集が死ぬほど面倒なので、勝手に自分でやって自分で楽しむ形にしております。

 

過去記事である「時間とお金の交換」でも触れた、時間がないけれどお金がある状態が大学生。でも一年前までやっていたカナダ留学(インターン)のおかげで自分はちょっとお金を持っていて、かつ大学生の中でもかなり暇な人間です。

leafkeylosttime.hatenablog.com

 

せっかく時間が余っていて、お金も少しあるのなら、時間を使わないとやらないような意味分からないことをしたい。

体と時間を酷使して、楽しく面白くやってみたいと思う経験値を自分で取りに行ってみること。

なのでこの企画で何かを得られるとはおもっていませんし、寧ろ何も得られないようなことを、とりあえず経験としてやってみたい、くらいのテンションで、何か行動をするというフットワークの軽さを身につけておきたいという気持ちです。

 

今までやったこと紹介

5月 - 箱根駅伝再現で大手町から107km歩く(以下、感想記事)

leafkeylosttime.hatenablog.com

変なこと企画の始まり。意味ないことを全力でやるのが楽しいってやつです。100km歩くのって本当につらいんですよ。未知の領域に興味がある人は是非やってみてください()

 

6月 - 「東京→東京」の一筆書ききっぷで、「千歳君はラムネ瓶の中」の舞台、福井を中心に聖地巡礼旅行

初めての片道きっぷ、日本海側の旅行でしたが、福井県はすごく面白い場所でした。観光客に対するホスピタリティが溢れてましたね……。新幹線が開通したらどうなるのか非常に楽しみです。

 

7月 - 簿記二級18日取得RTA、首都圏私鉄の端から端まで各駅停車巡り(小田急京急

内定先からのタスクで、一番大変そうだった簿記二級をRTA取得。といっても本番のテストが簡単だったので、これならあと2日はカットできたな…。18日*6時間でわりと安定する気がします。

私鉄巡りはノリと勢いです。JRばっか使うのもなぁということでやってみましたが、意外に面白かった。

 

8月 - 聖地巡礼旅行(Summer Pocketsポケットモンスター・ダイヤモンド/パール)

leafkeylosttime.hatenablog.com

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1か月レベルでの旅行。夏休みの時間とお金が吹き飛んでいきました()

ポケモンを主軸に北海道を巡るのは、普通の観光としても良かったので、普通にオススメです。特に夕張+ 炭鉱博物館は行くべきスポット。

直島、四国もまた行きたいなぁ…。

 

9月 - サンライズでの山陰地方巡り + サイコロで決めた教習所で運転免許合宿

値段が手ごろだった教習所を6個まとめて、サイコロをふって決めたら長崎に行くことになりました()

長崎に行くまでに片道きっぷでエンジョイしつつ、きちんと最短日数で免許取得に成功。

首都圏とは違い、車が生活必需品として存在している環境で免許合宿をしたのは非常に良かったと思います。

 

10月 - どこかでビューンと秋のお出かけパスで東北旅行、 一日カラオケ(11~翌5時)

leafkeylosttime.hatenablog.com

10月の企画は全体的にノリと勢いで決めたものが多いです。

どこかでビューンは、旅行しようかなーと空けておいた日程の2週間くらい前に申し込み、宿や工程を組んだのが1週間くらい前から、という適当さ。

1日カラオケについては、内定先の資格タスクを終わらせるときならちょうどいいじゃん! とか思って予定を組みました。

 

11月 - 東京~青森の一泊二日弾丸ドライブ、首都圏私鉄の端から端まで各駅停車巡り(西部)、響け!ユーフォニアムの劇場版を見に京都へ行って宇治で聖地巡礼

11月は時が経つのがめっちゃ早いとか思ってましたが、11月もなんだかんだいろいろしてましたね。

10月の頭、免許合宿から帰ってきて地元の免許センターで免許を取得したので、この11月の企画のためにドライブ練習をしていました。

まぁ東京~青森の間の3割くらいしか運転していませんが(残り7割は友人が運転してくれました)、とりたてホヤホヤ1か月目が頑張るには(きちんとしんどく)楽しい企画でした。

個人的なハイライトは、羽田行きの最終フライトの航空券を離陸30分前に購入。25分前で空港のレンタカーに車を返し、20分前に保安検査にすべりこんだ怒涛の帰宅ムーブです(バカ)

響け!の映画に関しては、いや本当は関東で見たかったんですよ。でも関東でもう上映終了してて、京都でしか上映してないっていうから……。

舞台は宇治だし、行くしかねえだろ!って勢いで京都に行っちゃいました。

 

12月 - 日光街道をシェアサイクルで制覇

leafkeylosttime.hatenablog.com

本当は年末にやりたかったのですが、体調の都合で年始に。まぁ年末年始ってまとめられるし、実質12月だろ()

箱根以来の肉体酷使系企画になりました。もうやりたくない涙

 

1月 - 大阪メトロ50駅途中下車の旅。(センター地理Bお勉強)

18きっぷシーズンに友人と大阪で落ち合ったんですが、観光と称してやったことが大阪メトロ乗りつぶしとかいう狂気。

お互い電車旅行には慣れていたので、行先や企画をコイントスで決めたのは面白かったですねぇ。

センター地理勉強はけっこう楽しかった。ですが、100点は取れませんでした……(+_+)

地球規模の地形の話から、細かい地域の特色まで、意外と範囲が広いんですよね。あとただの記憶ゲーじゃないので、そこそこの点はすぐに取れるんですが、そこから100点までを詰める道のりが長い。

一応1か月ちょこちょこ勉強してやったセンターの最高点が77点(70点後半辺りから点が伸びず)でした。うぬぬ……。

 

2月 - 家電なし一人暮らし(前半)

1/30から一人暮らしを始めましたが、財政と日程上の理由で、家電がない暮らしになりました。は??

一応それなりに意義はあると思っていたのでちょうど良かった……、のか?

leafkeylosttime.hatenablog.com

 

3月 - 45都府県JR代表駅(≒県庁所在地)巡り

 

卒業旅行ということで、日本全国を巡ろうというコンセプトのもと旅行をしていました。

限界旅を目標に頑張ったのですが、体力の限界に迫る旅を楽しむことができたんじゃないかなぁと思います。ただ次は普通に観光したい()