葉月のまったりブログ

中の人の日常体験とか思ったこととかを雑記的に記していくそんなブログです。

留学生活の体験記

皆様こんにちは。葉月でございます。

 

突然の告白なんですが、葉月は高校生の時にベルギーに留学していました。

高校生での留学もそれなりに数が増えてきたとは思いますが、まだそこまでメジャーではない気がします。ましてやベルギーに行く人なんてほとんどいないかと。

今回は、そんな私の留学体験記についてです。

なぜブログを書こうと思ったのかと言いますと、そういえば私の留学の体験をあんまり人に話していないなぁー、とか思ったからってのが大きな理由です。

話している人には話していますが、あんまり聞かれないし、長々と話す機会を多くの人と持つことも無かったなぁということで、この場を借りて少し紹介してみようかなと。

 

とはいっても、留学ってやつはいろんな経験を含んでいまして、また人によっても全然違う体験を持っていて、いろんな角度から語ることが出来ます。今回は一年間を、自分的視点でまとめて要約するとどうなるのか、という視点でご紹介していきたいと思います(ぶっちゃけほとんど自分史ですが…)。

これから留学を考えている人のご参考にでもなればうれしいです。

 

 

 

(以下、ちょっと小説チックな留学体験記)

1. 留学決意~留学前

――――

私の中で、留学という選択肢が生まれたのは、高校1年生の頃だった。

それは、何気ないある日のこと。私は職員室の前を通り過ぎようとした所、そこに留学案内のポスターが貼ってあった。

たったそれだけの事であるが、何となく興味をそそられ、何か面白そうと感じたのだった。今考えてみても、ずっと貼られていたそのポスターに、なんでその時だけそこまで気を惹かれたのか、上手く説明することが出来ない。

 

もしかすると、5月辺りの頃だったから、高校生になりたての自分に何か変化が欲しかったのかもしれないし、どことなく自分の将来を考えるきっかけにしたかったのかもしれないし、真相はよく分からない。

私はその後、ポスターで紹介されていた、留学説明会へと足を運んだ。放課後の講堂、だだっぴろい部屋の中に人は数人程度。こんくらいの人がいるのか、といった程度以上の感想を抱くこともなく、私は席に着いた。

説明会の中で魅せられたのは、日本語が通じない世界。全く違う文化であった。

私は不思議に興奮していた。自分の知らない「未知」への好奇心が自分の中からあふれ出てきそうになるのが自分でも感じられた。自分の想像を超えた世界。どうしようもないくらいに興味を惹かれた。

しかし、なによりも私の印象に残ったのは、話している人の立ち振る舞い、その堂々たる自信、2歳しか年が違うとは思えないほど、誠実な物腰、その全てであった。

どういった経験を積んだらこんなに人間として成長出来るのか、不思議であったし、それが留学のおかげであるのなら、それはとんでもない「学び」なのだろうと感じた。

競い合う対象が、目指すべき目標が目の前に現れたと思った。

 

―その興奮冷めやらぬまま、両親に留学について相談すると、あまり揉めたりはしなかった。留学の時期に話が差し掛かるまでは。

初めは母親だけに相談をした。「一年間留学に行ってみたい」と。

その時は特に反対されることはなかった(母も料理中だったので、私の話をあまりちゃんと聞いていなかったのかもしれないが…)。

私は留学の申し込み書類に、両親のサイン以外のすべてを記入して、両親がいるタイミングを計らって話を切り出した。

 

結果だけ言うと、猛反対された。両親共に(特に父親が)、私が進学校に入っていることを引き合いにだして、高校2年生から3年生まで留学をすることに大反対をした。

今考えると、あたりまえだろうと思う。

少なくとも進学校に通わせている時点で、何かしらの学問的到達を求められているのは明らかであるし、大学受験の成績もいい方の学校であったから、両親も私にそれなりの期待をかけていたのだとも思う。

でもその時は、自分に反対する両親に強い抵抗感を覚えたのだった。

両親が大きな壁となって自分の前に立ち塞がった。私はどうしたら両親を説得出来るかということに頭を使わなければならなかった。

 

「何で留学に行きたいのか」という問い。

 

留学に付随する問題はいろいろあったが、結局はこの問いがすべてであった。

受験期真っ盛りの高校2年生から3年生にかけての留学。

それを正当化するだけの、何かをもって、両親を説得しないといけなかった。

 

結局、両親の説得には1か月を要した。その1か月の間、留学に行った先輩に話を聞く、いろんな先生にアドバイスをもらう、留学について情報をたくさん集める、など、様々な人やメディアから知恵をもらい、両親の説得材料に用いた。

そうして、自分なりの留学の理由について思ったことは、「いろんな人に会える留学は、自分の考え方を広げる上で、日本と違う社会に触れる上で、最適なのではないか」といったものだった。

正直、国際関係の学問をやりたかった訳ではない。それでも、好奇心とでも言うべき、その興味がとどまることはなく、自分の留学を両親に主張するだけの力になっていた。

今考えても、どうしてそこまで粘って説得し続けることが出来たのかという問いに対しては、はっきりとした答えを持ってはいない。

それでも、自分が知らない世界を覗いてみたいという好奇心は、知らない人と出会って、心を通わせてみたいという気持ちは、自分の中を満たしていたと思う。

そこまで私が折れないで主張したことが無かったからなのだろうか、両親は認めるというよりも、半ば投げやりに「もうどこにでも行け」といった風に書類にサインをした。提出期限日、当日のことであった(どうでもいいが、当日消印有効だったので、郵便局にめちゃめちゃ焦って向かった)。

 

ここまで長々と留学に行くまでの経緯を書いてきたが、悩んで、両親に説得しようとした、あの一か月が、自分の留学生活を下から地味に支えてくれたように感じる。

「あそこまで言い切って留学に向かったのだから」という意思が、自分の竦む足をどうにか地につけてくれる。

留学の体験を、自分の人生の中で一番大事な、自分を形作る経験だと胸を張って言うことが出来る。今はそんな風に感じる。

 

 

さて、私が留学先として選んだ国はベルギーという国ですが、何でその国を選んだのかについてちょっと書きたいと思います。

元々、私はアメリカとかイギリス、オーストラリアといった英語圏の国に留学するつもりはありませんでした。その理由は単純で、英語なら多分どうにかなるだろうと思っていたからです。

今考えると傲慢以外何者でもないですが、その当時は、言葉、文化、人間を一体として学んでみたかったというのがあり、英語はある程度知っている分、わざわざ一年かけていく必要もないのかなと思っていました。

多分、英語圏に留学した人は英語としての苦労があっただろうと思いますけれど(ネイティブの英語では、二外国語としての英語と全然速度も単語のチョイスも違うでしょうから)、当時の私はそんなことなんて考えてもいませんでした。

 

そして、私はヨーロッパに行きたいという思いをずっと持っていました。

おしゃれ、歴史的、先進国といったイメージが強いヨーロッパですが、自分も例にもれず、ヨーロッパのその優美さ、華やかさをその目で見てみたいという憧れのようなものを持っていました。

さらに、私はフランスやドイツといった、ある意味「有名」な国に行くつもりもありませんでした。それは、有名な国なら、多分大人になってからでも行ける、とか思っていたように思います。

だから、自分はあんまり知らない、所謂「小国」とやらに行ってみたかった。

そうしてヨーロッパのあんまり知らない国々を見ている時に、ベルギーという国にあたりました。

その国は、言語で国が二つに分かれているような国で、自分が参加した団体でも、ベルギーのフランス語とオランダ語で派遣地域が分かれているのが、自分にとって何よりも新鮮で、その国に大きく心を惹かれました。

チョコレートとワッフルでしか聞いたことのない国。それでも、言語的な分裂、そしてEUの中心地であるという経済的発展地。自分の興味を駆り立てるには、十分でした。

そうして自分の留学先として、ベルギーが選ばれたという訳です。

(こんだけ書いておきながら何ですが)その当時はあまり深く考えていませんでしたけど、今考えるとこれ以上ないくらい正解だったなと思います。

 

次からは留学期の話です。

 

2. 留学開始~留学倦怠期まで

――――

私の留学は、波乱の幕開けであった。

 

運悪く天候不良のため、羽田からドイツへと向かう便が遅れ、その影響で、ベルギーの首都、ブリュッセルに向かう便に乗り継ぐことが出来なかったのだ。

前述した通り、留学団体を通じての留学だったので、同じようにベルギーへと留学する日本人が何人か一緒になって、日本から出発していた。けれど、その団体のモットーである「自主性」によって、私たち日本人一行に、大人が誰も付いていなかった。

これが、この日の夜に大きな問題となる。

ドイツに着いたのが、22時のことであり、ドイツからブリュッセル行きの飛行機が無くなってしまったので、ホテルを見つけないといけなくなってしまったのだ。

異国の地について最初にすべきことが、右も左も分からない状態から飛行機会社と話をして、ホテルを見つけてもらうことだなんて、誰が想像出来ただろうか。

そこで問題が起こった。その日本人一行がみんな未成年であるので、ホテルを見つけるのがとても困難になるとの旨を伝えられたのだ。

親の許可書を見せたものの、その場にいるのが未成年だけであったから、ホテルは難しいと伝えられたのだった。

「そこを何とか…」という風に拙い英語で粘り続けて、ようやくホテルを見つけた時には、日が変わっていた(そのホテルがめちゃめちゃゴージャスだったのも、この話のオチとしては最高かもしれない)。

それでも、私達日本人一行は、どこか異国に来たことで浮かれていた。

ちょっとした冒険気分、というのが正しいのか分からないが、どこか楽しんでいた。

しかし、波乱はまだ終わらない。

 

翌日、ドイツからブリュッセルへと出発し、ブリュッセルへ着いた時が、運悪く空港のストライキの時期と重なった。

預けていた私の荷物をすべて無くされたのだ。

持っていたのは、機内に持ち込んだ、わずかな着替えとパソコン、ちょっとした小物だけであった。

長い列に並んで、受付の方と話をするも、「遺失届を出してくれ」以上のことは特に言われることがなく、その場にいた日本人留学生一行の実に半分が、ベルギーについた時に、手荷物しか持っていない状態となったのだった。

予定より一日遅れ、異様に軽い荷物を片手に、留学団体の集まりの場所へと向かった。

 

(ちなみにこの時に失くされた荷物ですが、5日後くらいに空港にもう一度探しにいった所、受付では埒が明かず、遺失物を保管する倉庫にまで足を踏み入れました。そこでようやく乱雑にほっぽらかされていた自分の荷物を発見した訳です。最初の5日はどう過ごしてたのかといいますと、ホストブラザーの洋服を借りてました。さらに、帰国した時も羽田で荷物を失くされ、荷物が届いたのが1週間後だったのは本当になんなんだとか思いました…)

 

これは、今でもはっきりと思い出すことが出来るが、私が初めて外国の空港に降り立った時、私は高揚感と緊張感を同時に感じていた。 

異国に来て一年間、しっかりと励もうと意気込む気持ち、異国へ来たという興奮と共に、海外を経験したことがなく、語学を含めた生活全般に対する不安も、現地に着くと一層膨らんでいった。

 

私が留学した国はベルギーであるが、日本から一緒に出発したベルギー留学のメンバーと別れると、そこからは、日本語が全く聞こえない環境に放りこまれた。

今思うと滑稽ですらあるが、私は初めてベルギーに着いたその日に一番ホームシックになった。

なまじ一日前に、日本人留学生達と飛行機や荷物のトラブルを乗り越えて、少し仲が良くなったのが災いしたのかもしれない。

日本語が、私の意志を伝えるに足る言語が、全く使い物にならなくなった。

それだけで、今でもはっきりと思い出せるレベルで恐怖を感じた。

「外人」が怖くて仕方なかった。英語でしかコミュニケーションをとれないことが自分を委縮させた。

 

突然ですが、初対面の人と出会った時、読者の皆様は何を話すでしょうか?

天気、政治、スポーツ、ニュース、最近ハマッていること、興味、仕事、家族…

話すことはいろいろあるでしょう。

でもその初対面の相手が、日本語を知る由もなく、私とは違った見た目をしていて、自分とは別にコミュニティを築いて話している状況を考えると、どうでしょう。

どんな話をすればいいのか、全く見当もつかない。

その時、私の置かれていた状況が、少し想像出来るのではないでしょうか。

 

閑話休題。そんな状況にあって、自分は異国についた時に感じていた、高揚感をすっかり失ってしまった。

残ったのは膨れ上がった緊張感で、それが敗北感にゆっくりとすり替わっていったのであった。

部屋に戻って、何もせずにボーっとするのも、どこか負けたような気がして嫌だったので、トイレに小一時間くらい引きこもって、ベルギーに来たことを後悔する文章をひたすらスマホに打ち込んでいたのは、今となっては苦き思い出でしょうか。

そんなくらい、自分の無力感に絶望していました。

相手の自信たっぷりな話し方に私は、発言する勇気をすっかり失ってしまった。

今考えると、大した話ではなかったのかもしれない。

それでも、その時は英語の能力とかではなく、相手の様子、自分の不慣れさでどうしようもなく落ち込んでいた。

 

日本であれば、留学団体によって、スケジュールがしっかりと組まれて、何時にあるアクティビティをするといった風に縛ってくれるものがあるが、ベルギーにいった時に、そんなものはあってないようなものだった。

留学団体のスタンスとしても、フリーに人間関係を構築してもらいたかったのだろう。

食事の時間だけ、1.5時間くらいの幅を作り、班ごとに食べてもらう形をとっていたが、それ以外では、本当に「フリー」だった。

みんなが自分の思い思いに輪を作り、会話を弾ませていて、サッカーやフリスビーをして楽しむものもいた。私はただそれをぼんやりと見て、どうしようと戸惑うと同時に、何も出来ない自分に対するやるせなさすらも感じていた。

そんな落ち込んだ時間を過ごしていたが、そんな時間は一日で終わった。

 

ホストファミリーとの対面。

ベルギーに着いて二日目、そこから10か月お世話になったホストファミリーと対面したのだった。

「よく来たな」

そんな言葉と共に家族全員とハグをした時、単純ではあるが「ようやく認められた」というような思いが自分を満たした。

私は、まだその時も自分から喋りだすことが出来ないでいたものの、ベルギー初日で感じた落ち込みは、もう無くなっていた。

そこからの一週間くらいは、学校が始まる前であったので、いろんな町を見て回り、異国を楽しんだ。

ある意味、あの一週間は、観光客として楽しんでいたように思える。

きれいな景色を見て、おいしい食べ物を食べて、とにかく楽しかった。

そうしてホストファミリーと慣れ始めた一週間後に、学校が始まった。

その一週間で、英語での会話そのものは慣れ始めてきたので、言語的なコミュニケーションの齟齬は比較的少なくなっていた。

それでも、「このまま上手くいく」なんてことはなかった。

 

当然ではあるが、ベルギーのオランダ語圏に留学していたので、学校の言語はオランダ語だ。

学校に行った初日、周りから聞こえるオランダ語はほとんど理解出来なかった。

一日、一週間、二週間と経てども、この状況が良くなる気配は見えなかった。

私はベルギーにいる人とロクに会話を繰り広げることが出来ないままでいた。

学校という小さなコミュニティの中でさえ、輪を広げることが出来なかった。

 

私は不安になった。私は留学前に意気込んでいた、自分の目標を達成したかった。「いろんな人と交流する」という目標だ。

ベルギーの私のクラスメイトは、英語をよく理解してくれる人々であったものの、自分が話を繋げることが出来なかった。

そこには英語というよりも、ベルギーの公用語の一つであるオランダ語の存在が大きくあるという風に私は考えた。

自分がオランダ語を話さないから、あんまり話が続かないのだと思った。

 

元々私は、オランダ語をベルギーに行く前にある程度勉強していたものの、現地の人の会話をほとんど理解することが出来ず、一緒の学校に通っていた留学生達と英語で会話をしていた。

クラスメイトや他の現地の生徒とオランダ語で会話するのは、ほとんど無かったのだ。

留学してから1か月くらい過ぎると、現地の生活のリズムにも慣れ始めてきて、英語でのコミュニケーションも苦をあまり感じなくなっていった。しかし、状況は決して良くはならなかった。

良く言われることではあるが、1か月くらい過ぎると、「異国にいる」という楽しさが無くなる。

異国に対する「適応」がなされるのがこの時くらいなのだろうけれども、その時が丁度、自分が悩んでいた時だった。

 

「自分のオランダ語が拙いから…。」

そんなことを頭の片隅で、言い訳のように思っていたのかもしれない。

クラスの人とほとんど会話をすることが出来ず、私はとことん「異質」な存在であり続けた。ホストファミリーは私を献身的に支えてくれたが、それでも状況は厳しかった。

ある日一度、授業(勿論全てオランダ語で行われていた)が全く分からず、半分ボケーとしていた瞬間があった。

その時、私は先生にこんなことを言われた。

「君がオランダ語で授業についていけてないのは分かる。けれども、せめて集中して聞く努力はしないのか」と。

心に深く、トゲのように刺さった。

あんまりじゃないかと。

こっちはオランダ語と、友人関係、ホストファミリーとの関係で手一杯なのに、そんなことまで要求されるのかと。

あまりにつらくて、この日は涙をこぼした。

 

家に帰って、半泣きになりながら、日本語が話せるホストシスターに相談した。

私は変な意地があったのか、そのホストシスターとも英語で話していたのだったが、その時は、日本語で私の思いを吐き出した。

「学校がしんどい。オランダ語が分からない。生活すべてがつらい」と。

私の話を聞いてくれたホストシスターの答えは、「ちょっとずつ勉強して、ちょっとずつ良くしていく」というものであった。

クラスの人達と、ホストファミリーとのコミュニケーションに、オランダ語が原因で苦戦する。

自分の描いていた、自信と楽しみに満ち溢れ、いろんな人と交流関係を築く、理想の留学生活との乖離にやきもきした。周りの人間の思考が分からなかった。

 

理想とはほど遠い状態で、言語で苦戦する自分がみじめだった。

ここで自分の支えになったのは、同じ学校にいた留学生の人たちであった。

彼らとの会話はいつも英語であったので、オランダ語での交流にコンプレックスを感じていた私でも会話を楽しむことが出来た。

しかし、彼らとの交流を深めれば深めるほど、私はある一つの疑問に悩まされた。それは、この心地よいグループの中にずっと浸っていていいのかということだ。

クラスの人達はオランダ語を使ってコミュニティを築いている中、自分は英語だけの交流で満足していいのか、オランダ語を会得して、一人でも多くの人と関わらなくていいのか、もっと広げなくて、ホストファミリーとの会話が出来なくていいのか、という思いに囚われた。

もちろん留学生たちの考え方をきちんと深く理解していた訳ではないが、留学前に描いた、そして一度は崩された自分の「理想の」留学像が、また自分の目の前に現れた。

オランダ語を学ばなくていいのか? ベルギーの文化、考え方を学ばなくていいのか? と自分に語り掛けてくる。

私は、留学生達の会話の中で得た、一握りの勇気と自信を持って、その目標にもう一度立ち向かった。

留学してから2~3か月くらいの話である。

 

3. 転換期~成長期

――――

私はしばらく経った時、クラスの人に勇気を出して話しかけてみた。

拙いオランダ語で、「一緒にお昼ご飯を食べよう」と。

しかし、クラスメイトの何人かと丸くなってご飯を食べる中、私が感じたのは、結局喋れない自分だった。

オランダ語が理解出来ない。喋れない。

たったこれだけでクラスの人が楽しそうにご飯を食べる中、私は相槌を適当に打ちながら、心の中で涙をこぼし、表では薄っぺらい笑顔を張り付けるしか方法が無くなってしまったのだ。

 

休み時間中に話すなんてことが出来たら、お昼休みも苦労しない。

結局、「いろんな人と交流する」という目標に対して、自分はロクに前進していなかったことに気づいてしまった。

ホストファミリー、一緒に通っていた留学生くらいしか、話す相手がいないことに気づいてしまった。

日本にいた頃の、友人関係の中で築いたアイデンティティが通用しない世界。

日本の常識が通じない文化は、言葉を会得しないことには何も始まらないという風に気づいたのであった。

 

私はそこからオランダ語をひたすらに勉強し始めて、とにかくコミュニケーションをとろうと腐心した。

オランダ語の動画をいろいろ探して聞き続け、家に置いてあった子供向けの絵本を端から読んでいき、ホストファミリーに相談して、小学生向けの新聞を購読してもらい、何度も分かるまで読み直しを続け、知らない単語を逐一辞書で調べ、マークを入れ、努力を重ねた。

学校の休み時間にその新聞を読み、家に帰ってからも、オランダ語の学習を重ねた。

ネイティブの高校生にまで言語のレベルを寄せるのは、数か月程度では到底不可能なのかもしれない。

それでも、そうしないことには何も始まらないと思っていた。

生活がつらくて弱音を吐いても、ホストファミリーが聞いてくれた。受け止めてくれた。私はとにかく言語の学習に力を注いだため、言語の上達は想像以上に早かった。

 

そして、それが幸いして、オランダ語で少しずつコミュニケーションをとれるようになっていった。

クラスの人が何を言っているのか少しずつ理解出来るようになっていった。ホストファミリーともちゃんと受け答えができ始めるようになっていった。

だんだんと相手の言っていることが理解できるようになり、荒野を開拓していくような気分でとても楽しかった。

そうして、この辺りの時期から、留学生が集まって騒ぐパーティーにも顔を出すようになった。

私の使った留学団体では、南米、中米からの留学生がとても多く、週末にはパーティーが行われている、という情報は一緒の学校にいた留学生から聞いていた。

「いろんな人と関わる」

その目標を胸にパーティーへと足を踏み入れたのだった。

 

そこは、一言で言うならカオスであった。

酒を飲んではしゃいでいる子、輪を作ってお話をしている子、曲を流して騒いでいる子、狂ったようにダンスしている子…。

その様子をラテンカルチャーと形容するのがふさわしいのか分からないが、私はそんな光景に、ただあっけにとられてた。

それでも、自分の目標を追うために、輪を作ってはしゃいでいる子に話しかけにいった。

何回かパーティーには行ったが、正直、楽しかったという経験よりも、話す相手を必死に探していた記憶のほうが、自分の中に強く残っている。

とにかくいろんな人と関わろうとした。

いろんな国の出身の子と会話した。

そこで、ラテンアメリカの子達の間での、スペイン語の汎用性を見た。

この経験が、自分が大学生になった時に二外国語を選ぶに当たって、スペイン語を選んだ大きな理由なのだ。

 

さらに、ホストシスターのツテで、大学のゼミに参加させてもらった。

ホストシスターは日本について勉強していて、日本とベルギーの関係について考えるゼミにも所属していた。

自分が日本人であったこともあり、そのゼミに何回か参加させて頂いた。

ベルギーは大学になると英語化が一気に進み、授業が英語で行われるのもザラであるので、そのゼミの参加者は、私と英語か日本語でコミュニケーションを図ろうとする人がほとんどであった。

そのゼミの参加者には、日本人も少しいた。

自分の母語が使えるという環境、そして、オランダ語を頑張って喋ろうとした自分を褒めてくれるゼミの参加者たち(経験則ではあるが、母語を喋ってくれる人はそれだけで嬉しいのだろう)。

大学生の視点からのベルギー生活、大学生事情なども聞くことが出来て、自分の留学にさらに別の視点をくれたように思える。 

 

それでも、言葉だけでは会話が大きく弾むことは無かった。言葉の裏にある文化的背景、さらにはその人自身のバックグラウンドが存在することを強く自覚した。

英語から始まり、オランダ語へと進んでいた、私の語学との闘いは、人との関わりの中では、第一段階でしかなかったことを知った。

ベルギーで流行っているもの、パーティーの話などで会話が弾んでいても、それがなんなのか分からないことがあった。

語学だけに勉強を絞っていた分、日本以外のヨーロッパの知識、「海外」の知識をそもそもあまり得ようとしていなかったし、元々あまり持っていなかった。

前提として知っているだろうものに「それって何?」と聞くことが出来なかったのは、それが言葉の問題ではもう無かったからだ。

言葉以前の問題ですらあった。

言い換えるのならば、言葉の問題を言い訳にすることが出来なくなっていったのだ。

明らかに前提知識が足りない。だからなのか、この時でさえ、私はクラスの人達とそこまで仲良くはなれずにいた。

 

そしてもう一つ、私が考え方を改めざるを得なくなる出来事が起こった。

それは同じ学校にいた留学生の子がクラスの子と、とても楽しそうに話している所を目撃したのが始まりだった。

その時、私はその事実が正直に言って理解出来なかった。

その留学生はオランダ語ではなく、英語でずっと会話を続けており、言葉でずっと悩んでいた自分にとってはあり得ない光景だった。

オランダ語で会話出来ないから、自分はクラスメイトと会話出来ないと思っていたのに、その前提すら破って会話をしていた。

何で英語なのに、そんなに楽しそうに会話出来るのか?

その疑問は、「どうしてオランダ語を勉強している自分が、会話に苦戦しているのに…」という嫉妬に近いものであったのかもしれない。

自分の頑張りは、ホストシスターのゼミの仲間達や、ホストファミリーから褒められていたので、腐ることは無かったものの、その疑問が拭われるわけではなかった。

その留学生の子が特別ベルギーの文化に精通していた訳では全くないのに、授業や趣味の話で楽しそうに会話しているのが、正直なところ、悔しかった。

なんで自分にそれが出来ないのか、分からなかった。

 

私は、その答えを見つけるのに、数か月を必要とした。

その間の時間は、オランダ語が上達するにつれて、広がるコミュニティや、ようやく自分なりの留学の楽しさを見つけ始めた時期でもあった。

ベルリン、パリ、ロンドン、プラハアムステルダム、そしてもちろんベルギー国内の様々な都市に旅行しに出掛けた。

自分は元々旅が大好きで、その好奇心のままにいろいろ出かけるのが本当に楽しかった。

平日の学校をなんとか耐えて、週末、長期休みにゆっくりするなり、旅行をするなりして楽しむ。

そんな安定した留学スタイルを作っていったのも、この辺りの時期である。

有り体に言うなら、この時期は、留学がだんだん楽しくなっていった時期なのだろう。

毎日がちょっとずつ楽しくなって、それと同時に、留学生活のタイムリミットがゆっくりと近づいてくるのも感じていく、そんな感情が交じり合った感じ。

それでも、自分の留学が100%楽しくなった訳じゃない。

まだ自分には、コミュニケーションの問題が残されていた。

いろんな人と会って、話をしたいという自分の目標は、まだ完全に達成しきっていなかった。

 

―私は、留学終了2、3か月前でようやく原点に立ち返ることができた。

それは、コミュニケーションは人間同士で行うものであって、それぞれ各個人が好きなようにコミュニティを築いていくという基本原則であった。

当たり前すぎて何を言っているんだと思うかもしれないが、このことをきちんと理解するのに、相当の時間を必要とした。

 

言葉なんて、お互いの意思が通じれば最悪それでも構わない程度ものであった。

もちろん、その国の言語を学ぼうとすることは、その国に適合しようとする上でとても大事なものだろう。

でも、コミュニケーションの中では、言葉が占める部分は、その中身に比べると、とても少ないものであった。

何よりも大事だったのは、その会話を楽しんで、相手と心を出来るだけ共有しようとすることであった。

なぜ自分はクラスの人とあまりうまくいかないのかと考えると、結局クラスの人達に、私の「色」をあまり見せることがその辺りまで無かったからであるように思った。

これを自覚してから、自分のオランダ語に躊躇いがほとんど無くなった。

「文脈に即さないのではないか」

「トンチなことを言っているのではないか」

その一瞬の迷いが、コミュニケーションを円滑にするわけは無かった。

 

自分に足りなかったものは、語学力は当然だが、何よりも「自分自身」であった。

自分はこうであると思い、それを言葉や態度で表出すること。そして、時に他人とぶつかることもあるけれども、コミュニケーションを続ける中で、自分なりの、自分にしか作れない人間関係を築いていくというのが、私の理想の留学生活像への道筋であったのだ。

これを意識するようになってから、留学先での生活をとても楽しめるようになり、今ではベルギーを恋しく思うくらい、楽しい思い出をたくさん、あの国で作った。

帰国日、一年前と同じ空港で集まった日本人留学生の顔つきは、みんな違えど、一年前と比べてものにならないくらい大人びていて、どこか満足したような顔つきであったように感じた。

 

ブリュッセルから飛行機が離陸した時、私は最後に泣いた。

ホストファミリーとのお別れの時には泣かなかったのに、飛行機が離陸して、地上から離れると、何故だか涙が止まらなかった。

一年間、ベルギーで足掻いて、精いっぱい生き切った。

どこかで張りつめていた緊張の糸が切れた瞬間だったのかもしれない。

そうして私たち日本人留学生は帰国した。

大事な思い出を、ベルギーでたくさん作った後に。

 

4. 帰国~今まで

――――

ベルギーの一年間の経験は、様々な側面で自分の中に生きている。

まず、時間はとてもかかったが、オランダ語をちゃんと喋れるようなレベルまで完成させることが出来たという事実が、自分の語学への自信を高めた。

それが、今スペイン語を学習する中、自分の中で強く活きていると感じる。

そして、自分が全く知らなかった異国でも上手くやれたという経験が、自分自身への自信をとても強くした。

加えて、次も自分の知らない国に入国して、ベルギーでの一年間で得た見地、経験を試すために、チャレンジしていきたいと思えるようにもなった。

自分の自信がまた砕かれるかもしれないが、今の自分ならもっと上手くやれるような、そんな気がしている。

さらに、あの一年間のコミュニケーションの迷いと抗いの中で、人間関係の築き方に、少し自信が持てるようになったし、もっと人間関係について知りたいと思うようになった。

それが、今の自分の心理学、対人関係への強い興味の原因の一つとなっている。

 

留学の経験で得られることは、三者三様だろうから、私と同じ気づきを得るかは分からない(多くの留学生に聞いて思うのが、コミュニケーションの問題は、誰もが一度は抱える問題みたいであるらしいが…)。

 

留学はハッピーな記憶だけではない。

それは一つ言いたいことではあるけれど、それと同時に、全部が全部、嫌な思い出になることもない、とも言いたい。

頑張れば、足掻けば足掻いた分だけ、きっと大きな学びと経験を得られると思う。

 

 

この文章を、これから留学を考えている人、これから留学に行く人、読者の皆様、全員に捧げて、締めくくりたいと思います。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

最近思うこと

皆様こんにちは。葉月です。

 

社会人2年目ももう終わり。

社会人3年目という期間に突入するのだと思うと、驚きと悲しみとドキドキとが混ざった複雑な気持ちになります。

「社会人3年目」、社会人として一人前の時期(と個人的に感じています)。
「石の上にも三年」じゃないですが、3年やっていればいっぱしのことはできるようになっていて、次のステップも考えられるくらいのタイミングです。

そんな時期になってしまいました。ちょっと病みます。ちょっとだけですが。

まぁ、そんなことを思いつつも、最近はありがたいことにめちゃくちゃ暇です。

2月にいろいろ前倒しで進めておいていたおかげで、3月はまったりと本を読んだりぼーっとしたりできました。(だからこそ、3年目になることに対していろいろ考える余裕があるという側面もありますが、、)

今回はそんな3年目に入ってしまう前に、自分の考えていることをつらつら書いていきます。

 

 

生活周り

1月に引っ越しをして、大分新天地にも慣れてきました。

新卒より住んでいた東京23区内から、埼玉に引っ越しをしまして(かなり東京に近い地域の埼玉ではありますが)、今現時点で既に引っ越しは英断だったなぁと思っています。

とにかく、静かであることと、人込みが少ないことがありがたいです。

東京に住んでいると、住んでいる部屋でゴロゴロしていても、何だか落ち着かないというか、常にどこからか音がする毎日でした。(23区内でもアクセス抜群の場所に住んでいたから、というのはありそうですが)

慣れれば別にストレスでもなかったですし、それはそれで東京らしくて好きではありましたが、改めて引っ越しをした後は、ゆっくりすることができる時間が増えたなぁと感じています。

窓の外から沈む夕日を見たり、自分の部屋で日向ぼっこをしたり、公園でのんびりしたり。……老後かな??

東京は、頑張って仕事をして成長しよう、と駆り立てられるままに仕事をしていく場所としてはいいのかもしれませんが、頑張らなくてもいいタイミングがある生活にも、その「頑張りマインド」が入りこんでしまうような気がしました。

自己啓発でよく謳われる文句のように、生活の細かい部分まで調整して、目標に向かってコツコツと成長をし続ける、といったやり方を、生き方レベルで染み込ませるにはいい場所かもしれません。

私としても、目標に向かって頑張る感じの人生をやっていたつもりだったので、自分自身に意外な気持ちがありますが、東京はどこか最後に「何か嫌だな」という気持ちが拭えませんでした。

というわけで現在埼玉在住ですが、もちろん週5で出社なんてするつもりはありません。というか、週5出社なら否応なしに元の場所に戻ります。(葉月は満員電車が最も嫌い)

どこのベッドタウンもそうなのでしょうが、電車の混み具合はすごいです。

たまーに乗る朝の電車は、めちゃ混んでる + 1時間弱乗るのに人が減るタイミングがほぼないのダブルパンチで、出社必須になるとかなりメンタル削られそう。。

これを耐えて出社している方々もいると思うと頭が上がらないです。(と思う反面、毎日多くの人間が出社することに意味があるのだろうか、とも思ってしまう)

リモートワークができることが条件ではあるため、しばらくはリモートワークを死守していきたいと思いました。

 

あと、今年から自炊する企画を始めました。

東京に住んでいた頃は自炊はほぼしていない(冷凍野菜チン)で生きていたけれど、今年は企画(冷凍食品1年間禁止縛り)として自炊を始めています。

これが思ったよりもきちんと大変。世の人は自炊をしていてすごいなぁとなりました。

……ただ、今のところ、自炊をしたからといって食費は安くなってないんですよね。

栄養面は大分改善されたとは思いますが、金銭負担はあまり変わらず、手間と栄養の天秤となると、中々考えてしまいます。誰かカロリー含めた1食100円くらいのすごい食べ物発明してくれませんかね?

業務スーパーの冷凍野菜の偉大さと、自炊をしている人へのリスペクトを忘れないように、今年は何とか冷凍食品に甘えずに走り切りたいと思います。

何だかんだ、生活の変化は大きい数か月でしたね。自炊については、今年の健康診断結果が良くなっていたらモチベに繋げたいです。

 

 

仕事周り

コンサルという仕事に慣れてきたのか、大分肌感が分かってきたと思う場面が増えてきました。意外と3年目らしくはなってるんですかね。

昇進したいという気持ちと同時に、そろそろコンサルから次の道を考えないとなぁと考えるタイミングが増えました。

今の仕事は、紆余曲折はあったものの何だかんだ自分が楽しく仕事ができるPJに入っているので、このPJで力をつけていきたいなと思っています。

ただその反面、慣れが原因なのか、だんだん仕事にタルみがでてきた気がするんですよね。「まぁこうやればできるでしょ」みたいな。

慣れることそのものはいい(というか似た仕事を続けていれば慣れていくもの)のですが、ヌルっと仕事をしてしまっているな、という気持ちがあります。

生き方周りの話でも深掘りますが、仕事含めて何かダレてるな、と感じることが増えたんですよね。

いつぞやのブログで、「今のコンサルの仕事の先に自分の考える『余裕のある社会像』は無い」といったことを書いたことがありますが、その感覚は変わらぬままここまで来てしまいました。来てしまったんだよなぁ。

自分なりには伏線の種は拾い集められていると思うけれど、自分が芽吹かせたい草はなにか。というか、そもそも芽吹かせようと水をかける挑戦をできているか……。

――なんてことを考えているうちに、時間は経ってしまう、という循環をここ最近の1~2か月で体感している気分です。

頭の中だけでグルグルしてんだろうな、という自己認識はありますが、行動できていないのがシンプルに良くないんですよね。

 

あとは、現状の職場が何となく官僚主義的というか、大企業病をこじらせてきたような感覚があります。

給与や昇給のルールが変わったのですが、大分年功序列的になったというか、保守的になったというか。ゴニョゴニョ……(喋りたいけどどこまで喋っていいか分からない)

自分の評価だと今後の年収の伸びが微妙になってきたので、上述した考えとも相まって、転職活動にはきちんと本腰を入れる必要があるな、と思うようになった最近です。

「石の上にも三年」の3年目という時期もあり、この場所にいることも、現状の職場を消極的に選ぶことである、という自覚が出てきました。

いい意味で、今の職位と年収で任される仕事じゃない(上司が自分のことを信頼してもらっていることそのものは嬉しい)し、仕事の内容にも不満はないものの、組織として見切りをつけないといけないタイミングはあるのかなぁと思う最近です。

ただまぁ新卒から比較的高い年収をもらう側になって思うのが、機会コストというか、転職した先で年収を落としたくないと思ってしまう感覚といいましょうか。

学生の時と比べて、社会人は「仕事をして金を稼いで飯を食う」という巨大タスクを手に持ってしまい、それが故の行動の鈍さが如実に出ているなと思っています。

 

 

人間関係周り

埼玉に引っ越したことも相まってなのか分からないですが、人と会う機会自体減ったような気がします。

1年目、2年目、3年目、と順調に人と会う回数が減り、特に新しい人と会う機会がどんどん減っている(というかほぼない)感覚です。

まぁ、去年にマチアプをやろうという企画を立てたのも、新しい人間と会う機会が減っていると思ったから始めたので、順調にその傾向が強まっていると言いましょうか。(会社の人間や友人と話をしていても、新しい人間と出会っている人が少ないような印象です)

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そして、同僚との会話にも変化(?)が。

私があまり人と会わなくなったからかもしれませんが、仕事と趣味とそれっぽい近況報告をしていると2時間くらい埋まってしまい、相手の表層的な特徴やステータスをある程度知っていれば、会話としてわりと成立してしまうことに気づきました。

社会人1年目の時に感じた「表層的な会話で時間を潰せる」感覚について、深掘りもできるけれど、表層的に流しているだけで時間を潰せてしまう感覚は、3年目にもなると、相手の深掘りすらもあまりないような感覚になってしまいました。(それなりに交流ある人だから仕方ないといえば仕方ないのかもしれませんが)

表層的な新しいこと(something newとでもいいましょうか)を話題に投げて、チューイングガムとして味がなくなるちょっと前くらいに新しい味のガムが入って、という時間を繰り返すと時間が経っている。

何となく、社会人の多くは「一人でいる」という不安を無くすために誰かといるんじゃないかと思ってしまいました。

スルメをしゃぶるような価値観と生き方をダラっと会話するでもなく、どうでもいい話を酒と一緒に流してサッパリするわけでもなく、それっぽく中身があるように見える話をして、誰かと一緒に暇つぶしをする。

それが社会人なんだと言われればそうなのかもしれませんが、何だか私的には、「楽しいっちゃ楽しいけれど、(自分はそこまで興味のない)他人が行きたい遊園地のアトラクションを乗らされ続けている気分」がどうしても拭えないんですよね。

 

加えて、同僚以外での職場の人間は、どうしても家庭やこどもの話が多くて疲れます。(当人の前で言ったら怒られそうなので、このブログで好き勝手書くわけですが)

「家庭と仕事の両立」「こどもの成長を見守れることが幸せ」「パートナーとの丁寧なコミュニケーション」「自分の時間を持つことが大事」みたいな、どこかで聞いた話がずっと具体例を変えて繰り返されている気分なんですよね。

表層的な会話で時間を潰す、ことそのものはいいのですが、話す内容は、仕事で関わっている当人ですらない(ぶっちゃけどうでもいい人間の)話題。

まだ仕事の話をしてるほうが楽しいです。というか仕事の話をしている時のほうが全然楽しいです()

まぁ別の側面から考えると、仕事の人間と会話する時に使えるネタが、個人情報を明かしすぎないけれど自己開示ができる + 政治等思想や誰かの価値観に抵触しないもの、となると、こどもや家庭等の「当たり障りがない」話題しかないのかな、とも思います。

摩擦や接触がないように、丁寧に丁寧に話題を選びすぎたら、目の前の人間と食事をする意味がどこにあるのか分からなくなってしまいそうなのは、私だけですかねぇ。

それとも、社会人の皆様は出てくる具体例の違いや語りにも差異をきちんと見出して、楽しむことができているんですかね。知らんけど。

そういえば、いつぞや同じチームメンバーの人と一緒の帰り道の時に、「葉月さんは結婚しないんですか?」と聞かれて、「いやぁ、するかも分からないですね、はっはっは」的な回答をしたら、「そういう価値観もありますよね」と返されて、モヤモヤっとしたこともあり。

そういうところだぞ、マジョリティの無配慮な一言って。
……とは言いたいものの、わざわざ取り沙汰して論議したいわけでもないので、適当に流してしまいますが。

当たり障りのない自己開示仮面の見せあい、たまに飛び出てくる無意識の発言を見ていて、「何だかなぁ」と感じる場面がボツボツあるので、ぼやき交じりで思うものを書いてみました。

別の場所で会っていれば別の話をして仲良くなる人もいるとは思いますが、「職場の人と仕事以外で関わりたくない」という人が一定数いるのも理解できちゃいますねぇ。

 

そんな感じで、どんどん陰キャというか引きこもり度合いが高まっている気がしますが、孤独がつらいと感じる場面は少なくてありがたいです。

マチアプを始めた時のように、新しい人間と会う伏線の張り方を模索したいなーとは思うものの、しばらくは一人でも埼玉の土地を楽しもうと思います。

 

 

生き方周り

ここ最近で一番停滞を感じているエリアです。。

考えることも大事なのですが、上述した「頭の中だけでグルグルしている」のが、如実に表れている気がします。

休日に図書館行ったり電車乗ったりしている時に、紙とペンを持って、「どう生きたいか」を練ることがあるのですが、どうにも表層的というか近眼的というか、雑にまとめると「こう進んだら面白そう!」と思えないアイデアしかなく。

とりあえずやりたいこととしては、「生き方を煮詰めたい」ですね。

社会人2年目の時から感じていますが、社会の「普通」に飲まれるじゃないけれど、ただ「社会人」をこなしているだけの人生になっているという危機感のようなものを感じており。

今の仕事は、肌感を掴むことも出来始めており、リモートでラクにこなすことができているけれど、このままこの仕事の道に入りこんで大丈夫なのか。
「人生に伏線を張る」というサブクエストはこなしているけれど、人生に何を求めるかというメインクエストは停滞している感覚があるが、問題はないのか。

現状の安寧(ホメオスタシス)にいることと、それをどう破っていくか、という話はベルギーの時やカナダの時にも考えましたが、同じ命題が社会人というフィールドで現れたと思います。

当時は「とりあえず小さな伏線を張る行動をする」で解決っぽい答えは導けたと思っているので、「どう動いたらいいか」に頭をひねりすぎず、どう動いたら楽しそうか考えて、さっさと挑戦しちゃったほうがいいんですよね。恐らく。

しかしながら、フルタイム正社員をしていると、平日の動ける時間が相当量拘束されることに加えて、「生きるための金を稼ぐ」という視点をどうしても考えてしまいます。

上述の転職周りの話でも書きましたが、この行動の愚鈍さをちゃんと考慮に入れないとダメだな、というのが最近考えていることです。

可処分時間(≒余裕)が少ないなら、少ないなりに(現状を一旦踏まえた上で)動くというメンタリティをきちんと身に着けないとなぁと思います。

 

ただ一番怖いなぁと思うのが、生き方周りの話は社会人になってから、なんならずっと前から似たような話をしている気がします。

そして、たまにSNSで見かける同期や友人の成功を見て、今の自分の足跡と照らした後に、いろんな感情が浮かんできます。羨ましい、妬ましい、どうして自分は、とか。

そういった感情を覚えるものの、自分で満足する結果に至る過程(≒伏線≒努力)がまだ足りないんだろうな、という感覚はあるので、もどかしい。

しかし、安直に自己啓発をしすぎたくもないんですよね。

カナダ留学で感じた「頑張る」ことと優先順位の付け方に近い話かもしれませんが、ただ「目標に生きる」だけを敷き詰めた人生整理をしたい訳でもない。

目標を定めるための努力、目標に向かって頑張る努力、(現時点では目標に据えていない)面白そうなことを探す努力、頑張らない努力……。

いろんな種類の「頑張り方」がある中で、自分の心地よいと思う塩梅と、自分が望む(頑張りたいと思う自分)塩梅との折り合いの付け方なのかな、と思うようになりました。

面白そうなことを探す努力はわりとできていると思うけれど、すぐに目が出そうなものが多い気がするから、長期的な本当の意味での種まきもしていきたいです。というか、仕事に関わるものばっかりをサブクエストにしないようにしたい。

目標を定めるための努力(&目標に向かって頑張る努力)では、自分の作りたい余裕、あってほしいと思う社会観をとりあえずいろんな人に話していこうかと思います。その上で、自分の生活の中や価値観にも「あるべき」なイメージをしみ込ませていきたい。

そのためにまずは、自分という一市民を使って、どういう生活や在り方なら「余裕」があっていいと思えるのか実験してみたいですね。その時に、常に自分の前提にある能力や環境、資本等にも自覚的でありたいです。

 

まとまっているんだかまとまっていないんだか分からない書きっぷりになってしまいましたが、埼玉での生活を始めたことで、いい意味で仕事を軸に据えすぎない生き方の模索に悩めてると思います。

自分の中の肥やしをたくさん作れるように、もうちょっと生き延びてみます。

マッチングアプリをやってみた

皆様こんにちは、葉月です。

 

今回の話題は、今年のネタその2です。(もう来年になってしまいました。ブログを書く速度がガバガバすぎる問題)

2025年1月から小説を仕込みに仕込んで書き上げたものとは違い、特に何も考えずに、「とりあえずやってみるか!」くらいのテンションで始めたものとなります。

なので、正直全然準備していないというか、見切り発車してる部分が多々あり……

まぁ準備に時間を使いすぎずに走ってみるのもよいか、と思い、企画をやってみた感じです。

 

企画の内容は、「マッチングアプリで人と会ってみる」です。

最近よく聞くようになりましたね。マッチングアプリ(マチアプ)。

マチアプに対する偏見全開でまずは書きますが、マチアプを使って恋人を作るって、すごい「恋愛欲」があるな、というのが企画前の私の所感でした。

自分の所属しているコミュニティや対人関係に満足せず、プロフィールを作ったり、男なら課金をしてまで恋人を作りたい、という感覚が私にはイマイチ分からなかったです。

なので、マチアプを使って人と会うっていうのは、正直縁の遠い世界かと思っていました。自分が使うことはないだろうな、とも。

考えが変わるようになったのは、2025年8月辺りのことです。

①大学でお世話になった先輩の結婚式に参列して、社会として祝福され、認められた関係になる、というリアリティを間近で見る。

②社会人になって、新卒で同じ会社に入った同期や元々遊んでいた高校・大学同期以外で、新しく人と会っていないんじゃないか、と思い始める。

上の2点が自分の心にひっかかる中で、会社同期とメシを食べている時にマチアプが話題になりました。

その人は相手を探していると言いながらも、「こういうオモロイやつがいた」という話をいくつかしてくれて、話を聞いていてかなり面白い。

企画として、ネタとして新しい人間に会って会話をしてみるのって大事じゃないか + もし恋愛に進むことがあったらそれはそれで面白いんじゃないか、と考えるようになりました。

社会人になると、職場と旧友(元々のコミュニティ内の人間)以外、人と会わなくなることは肌で感じていましたので、手段としてアリなんだろうな、と思うようになり、「マッチングアプリ、やってみるか」と思いました。

というわけで、10月頭の深夜テンションのままにアプリをインストール。企画スタートをしました。

 

目次:

 

アプリ選び

マッチングアプリは数種類あり、性質が異なるらしいです。

Tinderはヤリ目的が多そう、タップルは気軽に会えるらしいが、陰キャには向いてなさそう。。

そんなことを考えながら、心理診断等にも興味を惹かれてwithを選択。内面で会うには良いアプリらしいです。(友人談)

新しい人間に会うからには、内面まで掘り下げて理解とかしてみたいなーと朧気に思っていたので、その意味でもちょうどいいのかなと思いました。

さて、アプリをインストールした後に、課金システムの紹介が入ります。

女性側は無料で有料会員のシステムが使えるけれど、男性側はメッセージを送るのに、そもそも課金必須。

何だかなぁとは思いつつも、課金があることで遊び目的の人間を排除する力が働くのだろうから仕方ないかぁと思い、年末までの3か月に設定しました。

3か月で1万円と考えると、今通っているジム代くらいなので、ぼちぼち高いな、、と思いながらスタート。

 

初日のやる気がピーク

出オチ感のある章タイトルですが、この企画を総括するとこれに尽きる。

アプリを入れて、有料会員になったのはいいのですが、やらないといけないのがプロフィール作成。これがひじょーーーうに面倒くさい。

写真、属性埋め、好きなものカード、心理テスト等々……。

これだけで1時間は軽く溶けた気がします。Twitterのプロフくらい適当に作るつもりだったので、初っ端からかなり萎えます。

まず写真ですが、外に行っても風景しか写真をとらないオタク君に自撮りの画像があるわけもなく、かなり困りました。

自分の顔の写真が写真ギャラリーにある人って、すごいと思いますよ本当に()

まさか高校の留学の時に送った写真を使うわけにもいかず、友人に頼んで撮ってもらうことにしました。(ちなみに、最初は酔っ払ってイキったポーズをしている写真にしていました。(バカ)全然マッチせずに萎えます)

次に属性埋めや好きなものカードです。出身、学歴、仕事や年収、会うまでの希望等、個人の好みを反映することはできるのですが、サイトを調べていると、「これにしておけば丸い」みたいな回答があり、しかもこの通りに書いている人の多いこと多いこと。

流石に学齢や出身は個人で分かれますが、こういう分かりやすいリストの情報でその人の判断をすることに苦手意識が湧いちゃいました。

最後に心理テスト。これは、なまじ心理学を専攻してしまっていたので、「本当にこんなんで分かるんか……?」という懐疑心が勝ってしまいます。

ただ、初日はシンプルに新しいアプリをポチポチするのが楽しく、紹介文を読んでいいねを吟味して送ったりしていたのですが、まぁ次の日に一人も帰ってこない。

今思えば「まぁそうだろうな」という感じなのですが、紹介文を読んで写真を見て考えて……、というのをめちゃくちゃ多くの人にやると、単純に疲れるんですよね。

最初はこういう人もいるのかーと思いながらいいねを押すのが楽しかったのですが、だんだんと仕訳作業のような気分になってしまい、二日目にしてやる気が下がります。

やっぱり人間って選択肢が多すぎると迷うし、処理に時間を使ってしまうからよくないんですよね。

写真や自己紹介文から、頭の中の関数に照らして、「陳列」されている人を判断しているような気分になり、初日のやる気はどこへ行ったのか。アプリを開いて適当にポチポチするだけになります。

 

何人かと会う&通話する

上で書いた内容と矛盾するように見えるかもですが、確率が低いといえど、いいねを送りまくって、写真を整えたり自己紹介文をきちんと考えたりすると、いいねはたまに返ってきます。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる精神です。

ただ、基本的には①いいねを送ってもマッチしない => ②マッチして会話を始めたとて、会話が続かない => ③会うまで行かない、が個人的な感想です。

①の壁を乗り越えても、②③の壁がまた高いんだなぁこれが。

いいねをどのくらい送ったのか記憶にもないですが、マッチしたのが10~20人くらい、通話したり会ったりした人が3人ですね。

0人目:大学生。メッセージでやり取りをして通話をすることになるも、通話をブッチされる。マジか。別日にしますか?と言ったらブロックされ、これがマチアプの会話か……と思いましたね。(大量にオスが溢れているから、面倒なチャットは速攻で切ってもリスクが少ないんでしょうね多分)

1人目:社会人1年目(1個下)。スイーツ巡りが好きらしい。私も甘党なのでとりあえず会ってみるかと思い夜パフェを食べてみます。2回会うも会話のキャッチボールが微妙に合わない感覚になる。

2人目:大学生。アニメの話で盛り上がって通話することになりました。dアニメを見ながらオススメアニメリスト共有する会してたらかなり楽しかったです。……いや楽しかったんですけれど、これって異性のオタク友達を見つけただけなのでは説があります。新宿御苑でお散歩してみたり。

3人目:社会人2年目(同い年)。どういう会話をしていたかも記憶にもないです。記憶がないってそういうことなんだろうな。。ただお相手の話の相槌が上手かったから通話は楽しかったです。でも会おうってなった後にブロックされたので、まぁそういうことなんでしょうね(語彙力)。相槌を打たせんじゃねぇぞってことですかねぇ。

 

クリスマス直後は何かやたらとマッチする

やる気がないけれども一応課金しているし、ということで、11月中旬辺りまでは毎日ログインして、いいねを送ったりしておりました。

ただまあ朝適当にポチポチして終わり、寝る前に特にリアクションがなく「ほーん」と思ってアプリを閉じる、というルーティン化してましたね。やる気なさすぎだろ俺。。

その後、「今年の反省」でも書きましたが、仕事がバタつき始めたことで放置するように。

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そんな感じで12月真ん中くらいまで普通に放置していましたが、流石に課金してほったらかしはなぁ、という気持ちもありましたし、「1月頭で終わりだし、最後くらいちょっと頑張るかー」と思うようになり、アプリを開くようにはなりました。

すると、いつもはいいねを送ったとて何もないのが常なのですが、わりと返答が返ってきたり、相手側からいいねをもらったりするように。

12/26以降からはわりと多くの人とマッチした印象です。

クリスマス近辺で何かしら関係性に終わりが付いた人がアプリを始めた + クリぼっちから彼氏彼女がほしい!みたいな層が増えたのかな、とか思ったりします。

……というのを体感してみて、嫌な言い方をすると「恋人」というものがブランド品のような、一種のステータスじみたものになってるんだなーという感覚が生まれます。

何だか彼氏彼女というステータスを分かりやすく吟味するプラットフォームが「マッチングアプリ」なんだろうな、と思いました。

 

まとめ

正直まとめというほど会話したり会ったりしたわけではないので、感想っぽいものを書き連ねていきます。

まず、社会人で出会いを探すならマチアプ、マチアプでいろんな人に会える、なんて話を会社とかで小耳にはさんだことはあり、その真偽についてです。

個人的には、「前提条件が相当高いけれど、間違いではないな」とは思いました。

あくまで男性目線で、にはなりますが、プロフィールや写真の練り方、通話やデートの時の話題運びやプランニングなど、デートにかける「コスト」を厭わない人(そこに労力を使える人)であれば、いろんな人にマッチして、会話を行い、デートをする、その先に恋人を作ることは全然難しくないだろうな、と思います。

まぁ正直これができる人は、今居るコミュニティでも恋人を作ることが難しくないのでは?という話もあるので、アプリを使うことにどこまで意味があるのか謎ではありますが。

葉月は人と会うことや話をすることも、「時間を使う」という意味でコストだと思っていたから、「こんなにいろいろ頑張らないといけないのか」と思い、けっこうげんなりした印象です。(※マチアプ疲れってこういう予想コストに対する虚脱感なんじゃないかと思ったりします)

ただ、そもそも論としてこの体験にも男女差があると思います。そもそもマチアプは男側の競争が激しいイメージ。(というか、若い時の男女の恋愛は女性が強い、みたいな話もありますかね)

男は課金するシステムで、いいねを送っても返ってこないことが多いです。その一方で、女性は無料で会える + いいねをもらうから吟味のみにリソースを割けるのかなと。(すごい人だと4桁とかいいねもらってますね。そこまで行くと会話もチャットも追え無さそうですが)

 

個人的には、マチアプを始めたとしても箸にも棒にも掛からぬ状態になるかとも思ったりしていたので、3か月(うち1.5か月くらい放置)といえど、意外とチャットや通話、会ったりする機会はあった気がします。

ただ、相手の写真や自己紹介を見て分かることなんて、その人の今の状態の軽い表層だけ。過去や生き様、思考や感性は話を重ねないと分からないと思いますが、マチアプはいろんなパラメーターが全てランダムでくる可能性がある宝くじという感覚がしっくりきました。

自分が属している「世間(会社や友人、家族等の人間関係の輪)」は、よくも悪くも形質は似ていて、自分の今まで生きてきた世界や経験から類推できるものだと思っています。

そして、その各人が有している「世間」という物差しから、他人を見たり図ったりして、何となく「こういうのがスタンダート(≒常識)」という感覚ができます。

友人関係、学校や会社等のコミュニティで出会う人は、大体この「常識」の枠の中に納まっていることが多いんじゃないでしょうか。

しかし、マチアプで出会う人はいい意味でも悪い意味でも物差しに当てはめるとよく分からない、自分の中で「当たり前」と思っていたことが食い違うタイミングがけっこうありました。

マッチする中で、会話の進め方や話題内容等、自分的にしっくりこない人にも会うことができたので、自分の中で大事にしている価値観というか、物差しの形を知れるいい体験だったなぁと思いました。

 

また、自分の側に焦点を当てると、どれだけお相手と波長が合い気遣いのできる人間であるかをアピールするゲームだったような感覚があります。

恋愛ってそういうものじゃない?と言われればそうですけれど、このゲームをプレイしてみて、自分でも頑張ればできることが分かったのは一つ収穫ですね。

ただ、そこで得た繋がりは、自分のそういう普通な面を気に入っている人だから、「自分」と居て楽しい人なのか分からないんですよ。

表に出している社会性をある程度保った自分のみに終始すると、内面含めた人間関係を築く足掛けになっていたのか疑問ですね。まぁこれはアプリに限らず、新しい人間と付き合う時の戦略的な話になるかとは思いますが。

そういう意味での反省点として、自分の厄介具合というか、思考や信念がもっと滲み出る自己開示なり見せ方なりをする方法があったような気がします。

 

あとは、社会的紐づけがない人を信用する難しさがあります。

マチアプは前述したように、自分の価値観や生き方から想像しえない人間と出会う確率もあります。プラスに捉えれば新しい人に出会えるだけど、マイナスに捉えると、どれほど信用に足る人間が来るか分からない、という問題をはらんでいます。

友人の紹介や大学、コミュニティの中での出会いは欲も悪くも社会的紐づけ(友人同士の線で繋がっている等)があるから、一定程度の信頼はあるのかなと。

しかし、マチアプで出会う人間をどこまで信用できるか。(これは女性 => 男性の信頼のほうが重要かもですね)

……書いていて、一般的に人が出会い、何を信用して自己開示し、仲良くなっていくか、という問題に帰着するような気がしました。

恋人を作る、という目標というか考えの中で、見知らぬ人間とも出会い、どう仲良くなっていくか、という戦略を作るプラットフォームだったのかな、と終わってみて思います。

 

正直なところ、本当に彼女を作ることだけが目的なら、多分マチアプを始めるよりも、周りの友人から紹介を受けるほうが、社会的な紐づけという意味でも、性格を知っている人間から斡旋されるという意味でも、成功率が高いのでは?と思ってしまいました。

男女差ありますし、私のアプリの運用方法がダメだった説も全然ありますので、あくまでやってみた感想にはなりますけれど、①出会う、②会話をして価値観や信念を擦り合わせる、③恋人になるという状態を是と思う、の3段階のステップがある中で、①②がアプリだとかなり労力を使う、という印象です。

逆に、友人とかからの紹介だと、②も見こんで紹介されると思うので、そういう意味でも成功率が高いのかなーと素朴に思ったりします。

ただ、「新しい人間に会ってみたい」という気持ちがあるなら、マチアプはいい手段かもと思います。前述したように、見知らぬ人間と出会い、話をしていく、というのがエッセンスとして強く存在する気がしました。

 

企画として見切り発車したため、詰め切れてない(戦略を練り切れていない)部分がけっこうあったな、というのが本音です。

もし私が恋人を作りたいとなった際には、アプリも使うけれど、あくまで手段の一つとして、くらいには思えるようになりました。

面白かったか、といわれると少し悩みますが、これはこれで良かったかなぁと。

今年の反省

皆様こんにちは、葉月です。

 

今年も残すところあとわずか。

というか、こういう一年の反省日記を大晦日夜に出す時点でアレなんですよね。特に今年は年末にやることを詰め込んでいたわけでもないのに……。

とまぁ、ドタバタしていたからこそ、(?)反省も沢山ある2025年でした。

全然反省をする時間がなかった、というのがまず第一の反省なのですが、それは後でするとして、2025年もいろいろとあったので、時系列に振り返りながら、今年を振り返っていきます。

すごく雑にまとめると、2025年は「マンネリで過ごしてしまったかも」という感覚があった1年だったので、それも踏まえて来年はこうしたいなーとか考えていることを書き綴っていきます。

 

 

目次:

 

 

時系列振り返り

1月

振り返り記事を書く時に気づいたのですが、この時ってまだ1つ前の国の案件をやっていたんですね。

今も国の案件をやっていることに変わりはないのですが、3月末まで国の案件 => 半年開発系の案件 => 10月から国の案件、と動いているので、コンサルらしいなぁと思いつつ、今年はお仕事的な意味だと密度が濃い一年だったなぁと思います。

年末までに仕上げないといけない資料とか会議の取り回し等で12月の年末はバタバタしていたのですが、年明け1月からは大分ラクだった記憶があります。

多分来年の1月も同じ感じになると思うのですが、まったりとしていて、余裕があった時期ですね。

仕事のペースが落ち着いてきている中で、やることをどこまで絞っていくか考えるようにしようとか思っていた記憶があります。

 

2月

1月から引き続き仕事がスローペースになるのですが、1か月もするとスローペースなのにも慣れてくるのか、刺激が足りないと思うように。

というか、仕事を含めてイージーになっていたので、張り合いがないなーとか思うようになっていたんですね。

もちろん(?)有給も簡単に取れたので、札幌雪祭り(毎年恒例行事にしたい。2回目)にも行きました。

ただまぁ訪日外国人もうなぎ上りに増えていた時期。路線バスが満員で乗れない。列車が遅延して40分止まる(これは北海道あるあるかも?)、ホテルを決めないで行ったら、ネットカフェ含めて満室と言われ、寝床探しに腐心するなどなど。。

観光を行う中で、土日やイベントのタイミングで何か「理由」がないと休みが取れない社会人らしさというか、休みが他人と揃ってしまう感覚が鬱陶しいなぁと思うようにはなりました。

(ちなみに札幌駅近郊は完全に全滅していたので、地下鉄に乗って新札幌近辺まで下って快活のブースで寝ました。ずっとかかっているあの快活のBGMは一体何……?)

あとは横浜に歩いて向かった後に吐き気がすごくなり、人生で初めて119から救急車を乗ったりと、よく分からない病気もしたりしていました。緊急で運ばれた病院では胃腸炎と診断。仕事のストレスではと同僚から口々に言われましたが、仕事はヌルかったので原因は何だったのか。。

 

3月

流石に年度末になると仕事もスローというわけにはいかず、ボチボチで仕事をします(それでも忙しくはなかったです)。

振り返って思いましたけど、カナダ留学の感覚に近かったですね。年末の最後まで頑張ったら、最後の3か月はやることもなく暇になり、それはそれでやる気がなくなる、みたいな感じで仕事人生を過ごしていました。

この1年で自分はコンサルタントという職種に染まってしまったんだなぁというお気持ちです。お仕事が人生の張り合いの主要因になってしまうなんて。。

しかし地味に2月の胃腸炎がダメージを引きずっており、この辺りは体調不良で飲み会に顔を出しては体がだるくなる、みたいな日々を過ごしていた感覚があります。
(自分でも書いていて「なんで俺飲み会行っていたんだ?」と思っています)

 

4月

「継続の案件があったら、葉月さんを入れたんだけどねー」という、上司の励ましなのか追い出しなのかよく分からん言葉の上で、新しいプロジェクトに入ります。

海外展開も行っている会社の売上等のデータをデータマートとしてまとめ、BIツールで可視化する、というプロジェクト。

けっこう大き目の会社なのに(だからこそ?)、データを一元管理して、経営や営業に活かせていないこと。

データを使うだけの予算や指示を持っていくことができていないことが、私にとっては一番大きい気づきでしたね。データ分析・AIとかに興味は持っていたのですが、それを扱える人間や組織体制が会社の中にできていないと、オーバースペックというか、金の無駄になってしまうこと。

良くも悪くも、この案件の経験が、「データ分析」という言葉を安易に使って、自分のキャリアややりたいことを説明した気にならないようにする意識はついた気がします。(そこにたどり着くまでにデータ収集やクレンジング、可視化等、ハードルがあまりにも高い)

あとは、下の記事でも紹介していますが、物語を一本ちゃんと書くぞ、という企画を本格始動させていたので、土日もかなり稼働時間(?)が高まります。

leafkeylosttime.hatenablog.com

 

1月から企画自体は進めていたのですが、しっかりと物語作成と執筆に着手し始めたのは4月からですね。

1~3月までの日記を見返していて思うのが、仕事をしていない時の自分は、どうやって時間を過ごそうか悩んでいる記述が多く目立ったので、典型的な仕事熱心で家に居場所がない(リモートだと逆に家にしか居場所がない?)サラリーマンへの道を進んでいるなぁというお気持ち。

このプロジェクトで始めて同期と一緒に仕事をすることになるのですが、仲良しの同期、というわけではなく、顔は知っているけれど程度の仲の同期ではあったので、どう関わるのがいいのか最初は悩んでました。(まぁ他の人と同じでいいやと思ってからはラクでしたが)

開発系のプロジェクトあるあるなのか分からないのですが、クライアントからPCを受け取ったりアカウント申請している間に勉強をしておいてね、みたいなことを言われます。しかも、それに1~2週間はかかるという。

勉強と言われても、そもそも何がどう役立つのか分からないので、どう勉強したらいいか分からん、というお気持ちに。

あとは、仕事を適当にしているだけで時間が過ぎてしまうことへの違和感も強くなっていったのがこの辺りの時期でしたね。

 

5~6月

この辺りは仕事は定時で落ち着いていたものの、小説を書くという仕事(?)も土日にあったので、何までやらないといけないか考えるのが難しくなっていました。

本業のコンサルタント以外にやることがある状態を理想にはしていましたが、いざやってみると、あれもこれもやらないといけないと思ってしまい、けっこう頭が疲れるようになります。

仕事の生産性とメンタルがかなり関係してしまう自分に気づき始めたのもこの辺りですね。メンタルが下がると生産性が下がる。でも生産性が下がると、仕事にかけないといけない時間が増えるから、結果的に時間が圧迫される、みたいな感じで。

仕事をしている間(平日)も小説をやらないといけない、という考え方をしていたのがけっこう問題だったのかもしれません。

YouTubeを見ている時間やゴロっと無駄にしている時間を削ってみようと、YouTube禁止縛りを始めてみたのがGW辺りでして、一応今年いっぱいはYouTubeを禁止していました。

これは記事にするほど発見があった企画ではなかったですが、雑にまとめると、「YouTube辞めた分アニメ見るようになったから、時間の総量は変わらず。ただ、アニメを沢山見ることで小説に活かされた部分はあるかも?」みたいな感じです。

受動的な動画コンテンツをきちんと全て辞めれば話は違うのでしょうけれど、アニメ辞めたら、メンタル病むのが早くなりそうだなぁーというお気持ち。

 

7月

本業がちゃんとする(ちょっと忙しくなる)のがこの辺りの時期でした。

元々今年の大きな企画の一つとして、今後の住む土地を考えるという企画があったので、友人のつてで、北海道(札幌)に2週間くらい滞在する企画をしてみました。

まぁその前にコロナになって味覚飛んだりとかいろいろあったのですが、ギリギリ北海道滞在期間とキャリア潜在期間は被っていませんでした。3連休は消え去ったけれど、まぁよし。

ちなみにワーケーションという名目で北海道に行ったのですが、全然仕事は集中できませんでした。

むしろ同棲生活(男)のペースの合わせ方や、誰かと一緒にメシ食べながら生きることがけっこう面白いな、と思えたのがこの期間。

この伏線が活きるか分からないですが、図らずも勉強になりました。

……いや、本当に伏線になるのか、これ?

 

8月

お盆ギリギリまで北海道にいたので、北海道の記憶が多い、というか、北海道から帰ってきてから何をしていたのか全然覚えていません。

覚えてはいないのですが、プロジェクトの進捗が怪しいことから、仕事量が加速していました。多分仕事しかしてなかったんだろうな、というお気持ちです。

8月の勢いのまま9月に突入しそうだったため、むしろどこまで残業できるか、、とか考えてた記憶があります。狂ってますね。

仕事量はあったものの、正直仕事を頑張らなくてもいいと少しだけ開き直れた時期な気がします。

労働時間って業務量 / 捌く効率、の割り算なので、効率が死んでいたら必然的に残業時間が増えちゃうんですよね。残業が増えていた理由って、仕事へのやる気が減っていたから、というのもありそうです。

合間合間で親戚に会ったり、結婚式に出席したりと、社会の「当たり前」の在り方を見つめた月でもありましたが、モヤっとはしていましたね。何というか、これには憧れないなぁと思う感情といいましょうか。

 

9月

この月は、残業していたことと、土日になるべく遊んでストレス解消を図った、という記憶しかないです。

平日は8~22時くらいまでが自分の中での限界だと思いましたね。13時間労働が人間として生活できるギリギリだった気がします。(睡眠をしっかりとる + リモート前提)

これを超えると、メンタル病むとかバーンアウトする気がしますね。

ただ9月で案件から抜けるつもりだったので、1か月だけと思って頑張れた感じはあります。終わりが見える残業はまだどうにかなる。

それでも、定時になって、仕事が山ほど残っている時や、やる気は0になっているのに作業をしないといけないことの面倒くささはすごかったです。

仕事の記憶しかないですが、まぁ1か月だけだったのでヨシ!

 

10月

新しいプロジェクトに入った、、のですが、お客さんとのキックオフ会議で提案書がひっくり返ることからスタート。

提案書ってプロジェクトの大事な地図なので、ここがひっくり返ると、ほぼゼロからやり直しになります。何でこの提案書が通ったんだよ……。

元々お世話になった上司のツテの案件であったのですが、直属の上司は始めましての人。10/1から自分がスタートなのに、9/30で内部向けのインビテーションの文面を赤字添削してきたので、「これは面倒くさそうだ」と思ったり。

大分楽しみに案件入ったものの、初っ端から暗雲が立ち込めます。やめちくり~。

(ちなみにこの上司は段取りがしっかりガバっていたので、お客さんが定例会議でプッチンして、大分リカバリーが大変だった月ですね)

先輩はハイテンションで「2徹目~」とかいいながらチャットでメンヘラ化したり、それを上回るかのように直属の上司もメンヘラ化し、内部でゴタゴタする。なめとんのか働け。

まぁ10月末辺りから、お世話になった上司が介入してきて、段取りと体制を全て整えて去っていったのはマジイケメンだった。俺もこんな上司になりたいですねぇ。

あとは、私が大阪万博に行こうかクネクネしている間に、ホストファミリーが日本に来ることに。流石に会いに行きましたが、まだオランダ語が喋れる自分に驚きでした。

日本の歴史とか「この銅像は誰? 何した人?」とか聞かれた時に説明がけっこう大変だったので、教養なぁーという顔をしていました。

加えて、詳しい話は別途記事を作るつもりですが、マッチングアプリを3か月だけ始めてみました。

仕事が忙しい時は全然放置していたので、そこまでしっかりやり尽くしたとは言えないのですが、通話したり人と会ったりしましたけれど、「コレじゃない感」がありましたね。

 

11月

体制立て直し&私にもけっこうお仕事がいろいろ振ってきたので、シンプルに仕事が忙しかった時期ですね。そしてなぜか直属の上司が僕の下について、仕事を振ったりもしていました。意味分からん。

実力主義らしいコンサルの世界を垣間見ることができました。普通に怖かったです()

技術的な要件の設計とかは先輩がやる中で、私が資料全般を骨子から作ることになったので、中々しんどかったです。ただ、2025年の1~3月まででやっていた案件のおかげで、国系の資料を作る力はある程度ついていたので、どうにかできました。経験って重要だぁ……と無邪気に思います。

あとは、どこかでびゅーんで新潟を引き当てたので、蟹を食べて温泉に入る旅行とかをしていたりもしました。

まぁ、ちょっとお高めのホテルに泊まると、じいちゃんばあちゃんと家族連れしか泊まっていないので、朝飯を食べる時の席が、一人席は端っこでポツンとテーブルを用意されることが多いんですね。

別にそういう意図はないのだと思います(信じたい)が、きゃっきゃこどもが騒いだり、夫婦が談笑している仲で、一人隅っこでご飯を食べる僕は何なんだろうか、とかふと思いました。社会の最小単位は二人なんでしょうかねぇ。

そして、月末からは東京都脱出の本格的に実行に移し始めました。

賃貸を探したけれど、資料の取り寄せと見取り図、内見等、学生の気分で調べているとかなり時間がなくなって圧迫されていましたね。

平日に家を見ることはできるけれど、内見や契約はどうしても土日になるので、ここら辺は次に家を探す時にショートカットできるポイントを復習しておきたいところです。

 

12月

月の真ん中くらいまでは資料作成にバタバタするも、そこからは新しく入ってきた上司にバトンパスをして、ダラっとする、、つもりではありました。理想では。

自分が仕事をする上で信念にしていることが、「自分しかできないことを無くす」というもので、私がサボったり休んだりしたとしても、自分しか進められないからストップする、ということを無くしたいんですよね。

まぁ裏を返せば私がサボっても誰かが巻きとってくれる体制を作りたい、というのが本音ですが。

ただどうにも中核メンバーになってしまった感があり、新しく入った人にいろいろ自分の領域を説明して標準化して作業を渡したとしても、クライアントと会話させてみるとけっこう怪しい。

ナレッジを渡すことの難しさと、下に部下をつけて作業等をお願いすることの難しさを感じました。(僕はまだ2年目なんだけどなぁと思いつつ。こういうことを考えさせてくれるのはありがたいといえばありがたいですが)

まぁそんなこんなでサボるには至らないまでも、それなりに負荷は減らすことができて、年末に一度成果物の素案をお客さんに投げつけてfinish。

年末は引っ越しの準備と大掃除、フラっと18きっぷ旅行などをしております。

 

 

反省

まず、仕事がスローな時によく考える「めちゃめちゃ頑張って働いて達成感を得る」or「ゆるくお金をもらいながらほどほどに仕事をしていく」の2択について、考えすぎていたような気がします。

コンサルタントってこの差がすごく激しいんですよね。同じプロジェクトの中でも、忙しいタイミングと暇な時の落差もあったりして。

なので、仕事で忙しい時には仕事の達成感を得て満足するものの、仕事が暇な時は悩む、という無駄なエネルギーを使うのではなく、暇な時に何をするかを考えたほうが良かったなぁと思ったりしました。

仕事の稼働が大変な状態にならなくなると、暇・退屈になる => メンタルが若干病む => 生産性が落ちる => (特に年の最初の方は)小説もやろうとするから仕事量が増える => またメンタルが病む、というループになっていたような気がします。

 

また、それと関連しますが、冷たい気持ちだけを人生を頑張る燃料にしないように。もうちょっとプラスのエネルギーで仕事や努力をしてみてもいいのでは、とかも思います。

私が頑張る理由って、頑張らなかった後の時間に、「頑張っておけばよかった」とウジウジするのが嫌だから、というものが大きく、「これをしたい」「こうなってみたい」というエネルギーで何かをすることが減っていたんですよね。

ある意味では、ベルギーやカナダの留学期間が、プラスもマイナスの理由も大きく頑張っていた時期なので、その時の頑張りを一番として考えていることに近いかもしれません。

その気持ちで仕事なり努力ができていることそのものはいいと思っているのですが、仕事がなくなった時に、頑張らないといけないものが無い中で、でも分かりやすく頑張るものがないと、ネガティブな気持ちに心を食べられてしまう。

冷たい気持ち、という書き方をしましたが、ざっくりまとめると、「頑張らないといけない」という気持ちだけでない頑張り方を追い求めてもいいかも、というのが私の思いですね。

そして、それが仕事に対して頑張らないといけない、という頑張りの向け方でなくてもいい、と思えるようになることでしょうか。

 

地味に大事だと思ったのが、3月くらいに日記に書いた、1週間ごとに思い出を作ること。

これは目標として日記に書いていたのですが、恐らく書いた直後に忘れさっていたような気がします。振り返りをしていないところがこういう部分で効いてるんだよなぁ……。

これはけっこう大事なんじゃないかと思っており、「総括」でも考えます。

 

 

総括

1年自体をまとめると、かなり濃密でしたし、仕事や人生に迷うことができていたので、それはそれで良かったなぁというお気持ちです。

しかし、仕事などをバタバタと頑張ってやれていたのがわりと限られた時間だったと思います。総じて地道な努力というか、やれることをコツコツやるみたいなことはあまりできてなかったような感覚があり。

特に仕事をして頑張っていた、と思う時間であっても、「何のために頑張っているのか」「これを頑張ってどこにつなげていくのか」という観点については、あまり深掘りできてなかったような気がしてしまいました。

3月の時の反省記事でも書いた、「ここから先の生き方の解像度」を高める動きはもっとできたかなぁという気持ちです。なので、「自分の目指す社会、やってみたいことの言語化」という観点だと、正直進捗はイマイチだったなぁと思います。

というのも、12月末の時点で公共系の案件に入っていて、多分ここでしばらく腰を据えてプロジェクトに関わっていくんだと思うけれど、じゃあ「こういうなりたい」という姿があるかと言われると悩みます。

むしろ、公共系に進むとしたことで、「なんで公共」「どういう分野、課題に関わっていきたいのか」という、より具体的な命題に応えられる必要が生まれてきたように思います。それが顕著に表れていたのが今年だったのかなぁと。

特に、仕事に追われているとメンタルが落ち着く(とりあえず作業をしている感覚がある)、仕事がスローになるとメンタルがしなってくる(作業をしている感がなくなったから、自分が時間やキャリアを無駄にしている感覚を覚えてしまった)、というのがいい事例でしょうか。

来年は転職エージェントなりで、キャリアというかやってみたい方針を壁打ちする人間を社内外に作るようにしたいですね。

実際に転職するかどうかは置いておいて、人と話をするということで、強制的に言語化のプロセスを必要とするようにして、紙面での言語化と同時に進めていけたらなぁと思っています。

 

関連して、コンサルタントっぽい仕事はわりと長くやるかもだけど、この会社にずっといるかというと分からないんですよね。

高給取りの業界に今は居るけれど、年収が落ちる可能性もあると思っています。

そういう意味で、最近流行り?のFIREという言葉がありますが、そのFI(Financially Independent:経済的独立)を取り出して達成できるように、資金の動かし方や貯蓄などを厚めにしたいですね。

それに、1月から埼玉に引っ越しますが、東京から離れた理由の一つに生活の固定費を下げたいという思いもありました。

どこまでできるか不明瞭ですが、来年は継続的に資金繰りを上手く画策する時間にしたいと思います。

 

あとは、自分の「頑張る」の軸を、仕事に寄せすぎているような感覚ですね。

もっと仕事以外にも人生で追いかけたいことがあるはずという感覚とでもいいましょうか。残業で仕事をする(仕事量もあるにはありますが、ダラっとすることが沁みついてしまったかも)のはよくないと改めて思うようにしないと、業界柄仕事からある程度距離を置くのが難しいんですよね。

来年は東京から離れて出社や人と会う頻度も落ちると思うので、自分一人でも楽しめるアクティビティや小旅行など、こういう楽しみや遊びをしたと思い返せるような「面白い」記憶を積み重ねていきたいです。

人に話すことが目的ではなく、100%自己満足でも構わないこと。

自己満足して、これは今月・今週面白かったと思えるものを集めていきたいと思うようになりました。

「これは面白かった」というものの中に、仕事以外のものがいろいろと入ってくるようになればいいなと思っています。

とりあえずは毎月知らない電車に乗るなどして、自分の知らない関東近郊の景色をいろいろ開拓していけたらいいなぁと思っております。

 

そして、それらの記憶ややったことを振り返って、反省に活かしていきたい、というのが来年の向けた考えていることです。

今年は特に仕事をやりっぱなしで終わりにしていることが多く、達成したこと、できなかったこと、課題として残ったことをまとめることがあまりできていませんでした。

特に仕事では次年度以降の課題として積み残しの何かをまとめることがあるのですが、こういう発想を自分の人生にも持っておきたいです。

考えたこと、やりたいと思ったこと、チャレンジしたことやその結果、次年度の課題ややりたいこと等、可視化する何かがあればいいなと思いました。

 

 

というわけで、旅行をしながら今年の日記をパソコンで読みつつ、日記の本文を電車の中で揺られながら書くという限界スケジュールでした。

振り返りでも書きましたが、反省をあまりできていなかったことが一番の反省だと思うので、来年こそは毎日振り返りをして、こんなタイトスケジュールで今年のまとめを書かないようにするぞ……。

来年も、よい一年になりますように。

ではでは。また来年の葉月もよろしくお願いいたします。

表現することを表現してみる

皆様こんにちは、葉月です。

 

今回の話題は、今年のネタというか企画の一つについてのまとめです。

期間が長く、正直何回か心折れそうになったので、その辺の話も含めて書いていきたいと思います!

 

さて、今回の企画の内容は「ラノベを一本書いてみること」でした。

〆切が9月末だったのですが、ギリギリまで修正し続けて、書き上げたラノベを出版社に送りました。9月頭とかには友人に「読んでみてくれー」とぶん投げたこともあったので、読んでくれた方には頭が上がりません。。

今年の1月からネタを考え始め、きちんとプロットを起こして書き始めたのは4月くらいから。6月の真ん中でプロットの中身から修正することにして、泣きながら土日に書きまくったのが6~7月。8月で一次校正、9月の合間で友人に読んでもらいつつ自分でも直して提出、というタイムスケジュールでした。ざっくり7~8か月で1作品作った感じですね。

ちなみに商業でラノベを書いている人のペースは、人にもよりますが新人は大体2~3か月に1冊くらいらしいです。エグくないか??

今年のブログ更新が少なかったのは、土日にひたすら文字を叩いていたので、あまりブログまで書く気力がなかったんです(という言い訳タイム)

 

途中何度も「これもう無理じゃね? 間に合わなくない?」と思いながらもひたすらパソコンをカタカタしていましたが、とりあえず自分が納得できるレベルまで書いたものを提出できたので、ひとまず満足しています。

ただまぁ、「今自分が書けるものはこのくらいだろうなぁ」という満足なので、世の中に出ている作品が好きで、いろいろ読んでしまっている身からすると、自分の作品に対しては正直「うーん、微妙……」くらいのリアクションになってしまいまして。

自分の現状の執筆力の低さを痛感しましたし、世の中の物書きに対するリスペクトがめちゃくちゃ上がりました。

そもそも、200~300ページくらいキャラやストーリーが通った物語を作るのが難しいのに、面白さとか独自性とかキャラへの感情移入とか、、いや本当に面白い作品を世の中に出せる人はすごい。やってみると大変さが分かるやつでした。

結果が出るのは2~3か月後とかだと思うので、忘れた頃に確認しようと思います。

 

 

目次:

 

 

1~3月(企画段階)

というわけで、今更ですが、私はラノベやアニメが大好きです。

中学1年生の時に友人が「読んでみてくれ」と、ラノベの1シリーズをロッカーの中に置いていて、ふと手に取ってしまったのが運の尽き(?)。テンポのよい会話とちょっとのお色気とに惹かれ順調に沼っていき、気づいたらこんな人間になってしまいました。

そして、思春期に1度は絶対に考える「俺も作ってみたい!」というワナビの気持ちはずっと存在していて、高校の時も(当時好きだった作品に影響を受けまくった)小説もどきを書いていて、大学・社会人でも1万字くらいのSSをポツポツ書き貯めていました。

その時々で書いてみようと思った理由や着眼点や心境は全然違うものの、「物語にまとめる」という営みが好きなんですよね。

今年で社会人二年目。私が好きなラノベのレーベルの新人賞で、今年の選考委員に、めちゃくちゃ推している作品の作者の名前が入っていました。

その作品は、目標に手を伸ばして、もがきあがくことを熱く鋭く肯定してくれて、私にいつもやる気とパワーをくれているのですが、ここで私(ワナビ)は思ってしまいました。

――「砂粒一つの確率でも、推しの作者さんに選考してもらえる可能性があるなら、出さない理由、無くない?」

年明けの1月、今年はどんなことを企画としてやろうかちょうど考えていたタイミングであり、今年はこれをやってみよう。

そう思って、きちんと一本ラノベを仕上げることを企画に据えました。

 

さて、「じゃあ何を書こうか」と考えた時に、「今だから書けるものを書きたい」と思いました。

高校生の自分でも、大学生の自分でもなく、社会人であり、24歳で人生に悩みもがいてじたばたしている、そんな今だからこそ言葉にできることがあるんじゃないかと。

そうした時に浮かんだのが「大学生」でした。

モラトリアムであり、「人生の夏休み」と形容される期間なはずなのに、時間だけが茫漠と余っていて、どこにも向かってない、自分の向きたいと思う方向に足が向いていないと思った瞬間が多々あったあの頃。

全体的にもちろん楽しく面白い大学生活を送っていたとは思うものの、特にコロナ真っ盛りの時期に感じていた「倦怠感」のようなものを、取り上げたいと思いました。

それは、自分が今まさに社会人をしていて、似た感覚を覚えているから。

「働く」というステージに変わり、ただ仕事をして休日に趣味っぽいことをする生き方にだんだんと慣れていく自分がいる。

でも、社会人になったからこそ思うこととして、「何となく日々を消化すること」そのものを否定したくない、という感情もあります。

すごい人はすごいけれど、普通にただ生きる人もいて、各人の正義や思想がごちゃっと混ざっているのが社会の形なんだと思いますし、その普通に生きる人を、普通に生きることを、書いてみたい。

違う人間同士が出会って別れてが続く中で、家族でも恋人でも友人でもなく、「隣人(neighbor)」として社会の中で生きていく姿を書いてみたいなと、と思うようになりました。

「大学生」という、学生の守られた身分と、社会との境界線の真ん中で、どう生きたらいいかだけシンプルに迷える(ある意味では)最後の期間、その中で上手く人とやっていく方法を模索する姿を、今なら言葉にできるんじゃないかと思いました。

 

そこまで考えた辺りで、まずは企画を作成することに。(めちゃめちゃ抽象的なままスタートしたため、これが原因で後に苦労をするのですが。。)

小説の企画、というか大枠を考える上で「プロット」が必要であることは知っていたので、とりあえずプロットを作るかぁと思い、いろいろと本を買ってみました。そしてパラパラと読んでみるも、正直本によって書いてあること違いすぎる。。

とりあえず最初だし、と思って見様見真似で作り、同じくラノベ好きの友人のF君に相談することにしました。(この企画では大変お世話になりました)

(このF君ですが、一番最初に自分の企画のことを話したら「壁打ち相手になる」と言ってくれてました。後押ししてくれる人ってありがたいですねぇ)

そんなこんなで相談をしつつもプロットは作ったけれど、ストーリーを細かくするにはキャラもシーンごとのイメージもスケジュールもいろいろ決めなきゃじゃん、と思い始めます。(当たり前)

具体的にすればするほど、内容を作る⇔内部矛盾を起こして発狂する、のループ。初手からもう暗雲が……。終わってんな。

日本の都内大学なんて別に難しそうではないけれど、規模や最寄り駅、そこの学生の雰囲気や登場人物の時間割etc、いろいろ筋が通るように設定しないといけないので、SFとかってやべーんだろうなぁと思いました。SF作家さんはすごいっすわ。

キャラ表や設定、各シーンの流れをまとめたプロットは作りきったものの、この時点で大分疲労というか「これやべーな」という気持ちになりました。こんな膨大な設計書から作品を作るのか……。

 

 

4~6月(執筆ver1)

設計図を作ったので、実際の執筆作業に向かうことにしました。とはいえど、私は普通の社会人。平日はお仕事の民なので、基本的に土日を執筆の時間に充てることに。

ただ、ほとんどリモートでやるお仕事なので、部屋から出ないことが多いんですよね。休日も家に引きこもってパソコンを叩こうとしても、やる気は微塵もでず。(家のパソコンの前に座るとお仕事モードになるんですが、土日はそのモードを引き出せないんですよね)

なので、近所の図書館にめっちゃ通うようになりました。

最初は、お出かけがてらいろんな図書館を巡って、その場所で執筆、なんてこともしていたのですが、早々に移動するのが面倒になり、近所の図書館に落ち着くことになりました。ホント、人間って怠惰。(ちなみに、この時に次の引っ越し先候補の場所に行ったりもしています)

設計書を見ながら執筆、するのですが、パソコンを叩いていると、マジで秒で時間が溶けていきます。フルタイムの仕事よりも時間が溶けるのが早いかもしれない。

なので土日はほとんど図書館に引きこもり。開館とほぼ同時にINして、17時くらいに帰る生活をしていたので、週七労働みたいな感じでしたね。9~17時で労働を終わらせられるなんてホワイトだぁ……(洗脳済み)

まだお仕事がヌルい時期だったので本業も支障は出ずに耐えてましたが、最初は2か月くらいで全部書きあがるだろ!と舐めていたけれど、全然終わらなさそうで焦ります。2か月で終わったの、物語の半分くらいだが??

ただ焦っても、物語は遅々としか進まないから非常にもどかしかったです。会社のお仕事みたいだなぁと今なら思えますが、本当に9月末までに書き終わるんか?とちょっとだけ不安に。

それでも、文字を作っていくごとに、何となく自分が書きたい物語の輪郭がはっきりしてくるような気がして、書いててけっこう楽しかった時期でもありました。(プロットの段階からちゃんと作っておけという話ではある)

しかし、半分くらいで、自分の書いているものに対して違和感を覚えるようになりました。

 

 

6~7月(執筆ver2)

物語の半分を書き終えると、何となく、キャラや物語が縮こまってるような感覚を覚えます。

違和感、といえばその程度なのですが、キャラが走っていないというか、物語の上に乗って動いてるだけな感じがしたので、広げたはずの物語が、風船の空気が抜けていくように萎んでいく気がしたんですよね。

一旦書き進めてみるも、物語の山場のセリフや展開が全然浮かばなくなり、手が止まることが増えていきました。

友人と壁打ちをしたり、AIと会話をしてみたりしながら先の展開やセリフを考えていたのですが、小手先では上手くいかないだろうと思い、キャラに動いてもらおうとプロットから練り直すことにしました。

この辺りでメンタルがやられ始めます。プロットって物語の設計書みたいなもんなのですが、そこから変更すると、整合性とか設定とか全部修正しないといけないので、今まで作ったものも意味がなくなるし、最初からまた作業をやり直すのか、と思うと、徒労感がすさまじかったです。

プロットを練り直そう、と考えた最初の頃は、書くのを辞めようかと思いました。

自分が考えたキャラクターではあるけれど、すぐにごちゃごちゃメンドクサイことを考えて停滞するし、上手い言葉ややり方ばっか考えて全然前に進まない。

何となく自分と似ている部分はあると思いつつも、「この子はこういう子」みたいなのが分からないまま、見切り発車で走ってきたことのツケが回ってきた気がしました。

救いだったのは、本業がヌルいままだったことですね。これで仕事もきつかったらダメージが許容量を超えていたかもしれません。

そんなこんなで、プロットを練り直して執筆もしていたのですが、(私だけかもしれませんが)小説でのキャラの感情って、書いてる側にもけっこう伝染するんですよね。

起承転結でいうと、起承の部分は、主人公がいろいろバタバタに巻き込まれていき、伏線や物語が始まっていくワクワク感もあるので、楽しく書けるんですよ。

ただ、転の辺りで停滞をして、主人公が悩み落ち込んですれ違ったりする物語なので、自分も感情が引っ張られてしまい、すごく細かい「てにをは」が気になったり、急に自分の書いた文章が一ミリも面白くないと思えるようになったりして、書くことがけっこうつらくなってきます。

自分が書きたくて始めたことなのに、その物語上のストレスの部分で、書いている本人がストレスを受けるという意味分からない構図なのですが、この辺りで大分しんどくなりました。

スケジュール的な意味でも、土日だけ執筆をするのが無理になってきたので、平日も少し進めようと思うも、仕事は仕事として頭を使うので、小説を書くといっても少ししか進まない、という状態に。

 

 

8~9月(見直しとコメントもらい)

そんな感じでメンタルに大分ダメージを負いながらも、7月末には一応ざっくりと終わりまでの物語とスケジュール感の見通しが立つようになりました。

元々執筆とは別に、7~8月にかけて北海道に2週間くらい滞在をする計画をしていたので、遊びつつ仕事をしつつ、小説も書きつつの生活を送っていました。

有給を消化してやることが執筆というのも何だか頭悪い気がしましたが、ちょうど8月上旬くらいに初稿を書き終えたので、まずは報告を、と思いF君に読んでもらいました。

感想は、「プロットの校正はロジカルだけど、キャラが動いてないかもね。コンサルが書いた文章っぽいわ」とのこと。大分凹みました。物語読んだ感想が「コンサルみたい」って褒めてないだろそれ。。

しかし、実際に物が上がるとやっぱり議論が活性化するというか、プロットの時には出てこなかった「この発言って本当にこのキャラの言葉?」とか「このキャラたちがぶつかってこういう話になるの?」とか、考察っぽい話で盛り上がります。

そして8月のお盆の時期、世間では帰省や旅行で盛り上がる中、私は休日の図書館の中や散歩中に、「この子はどういう生き様、考え、過去から、今この物語の中にいるんだろう」とずっと考えるようになりました。

最初からこれやっておけよ、というのは本当にそうなのですが、不思議とキャラクターに集中すると、今までの物語の違和感が少し見えるように。

それと同時に、キャラクターの内面が、文章に現れてないと分からないし、それをあまりに言葉にし尽くしてしまうと面白くないし、という語りと語らないのバランスが超絶難しいんだなぁ、と思うように。

そこから2週間かけて修正をし、第二版を作成して、友人に読んでもらいました。

実はというか、会社のオタク同期とかに「小説書いてる」とは言っていたので、感想をもらおうとラインでpdfを送りつけます。普通に文庫一冊分を送ってごめんと思いつつ、コメントくれた友人に感謝の念がつきません。

9月もしっかり修正したい、とは思っていたのですが、本業が繁忙期に突入してしまい、残業パラダイスになっていたため、土日も小説を考える余裕がなく、気づいたら中旬になっていました。

もらったコメントの修正をしたいんだけどなぁと思いつつ、でも2週間くらい内容から離れていたら新鮮な気持ちで読めるだろうと思い、もう1回修正を行います。

この辺りになると、文章としての読みやすさに修正を行った感じですね。

文章構造を平易にするにはどうするか、どう言葉を補い・そぎ落とせば、シャープに伝えたいことだけを伝えることができるか、そして、本当にこのキャラクターがこの言葉を言うか、などなど。

市販のものと比べたら、まだまだな箇所は星の数ほどあると思うけれど、自分が書いてみたいと思ったエッセンスは入れられた、とは思ったので、9月末まで誤字脱字チェックをして、提出をしました。

 

 

反省と感想

「本業よりも遥かに大変だった」正直この一言に尽きます。

いやまぁ、9月は本業が忙しかった時期ではあるものの、物語や世界観を広げて収拾をつけるやり方を考えるほうが、仕事よりも全然頭使った感覚がありますね。

「慣れ」かもなぁとは思いつつ、作家を志して新人賞を送っている人も沢山いる中で、物語を書くという営みがいかに大変かを知ることができました。

 

さて、始まりは「作家になりたい」というよりも、「自分の中で納得できる長編を一本書きあげたい」という感情でしたが、これで満足……、ではないですよ? そりゃもちろん。

一本書ききること自体は出来たのだから、次はいいものを書きたい。磨きに磨きぬいた言葉を誰かに届けたい、と思います。

自分の中の整理しきれない感情や体験を物語・言葉にして整理する、みたいなこともよくやりますし、その時に書いた話もけっこう好きなのですが、最後は誰かに読んでもらいたいのです。あわよくば、自分の書いた文章が、一節が、切り口が、言い回しが、誰かの心の片隅に残るものであったらいい。

このブログも、誰かに読んでもらって、クスっと笑ってもらうなり、面白がってもらうなり、「こいつバカだなー」と思ってもらうなり、何かしらの心が動くものがあればいいな、と思って書いてる部分が大きいですし。

新人賞を応募し続けるか、「小説家になろう」のような投稿サイトに投げるか決めてないけれど、小説を書くという営みは続けていきたいという意欲が高まりました。

ちょっと余談なのですが、私の仕事の一つに、「ごちゃごちゃなものを整理して分かるように伝える」のがあると思っています。この仕事のスキルも、小説を書くことに活かせないかな、と思ったり。

文章を書くことが、本業になるのか、副業なのか、趣味なのか、はたまたただの酔狂になるのか、正直分からないです。

それでも、先人たちの言葉に心を震わされて、かっこいいヒーロー像や、生きる意味をもらったように、自分が言葉を生み出すことができたらいいなぁ、と子供心に今でも思っています。

また物語を書きたいな。

 

PS.(12/27追記)

年末になり、仕事も一段落したタイミングで新人賞の1次選考の結果を見てみました。結果は、まぁ予想はしていましたが1次落選。そんなに甘くないですね。

次に書きたいことはまだぼんやりとしか頭に描けていませんが、また物語を書いてみたいな。

社会人2年目の反省

皆様こんにちは、葉月です。

 

久々のブログ更新です。

社会人一年目終わったねぇ、みたいな話を書いていた時はけっこう肌寒かったような記憶もあるのですが、もう梅雨を忘れて夏の気温です。暑い……。

6月からずっと夏の暑さですが、エアコンをつけて仕事をすることに慣れすぎてしまっている自分に気づいたので、エアコンをつけないで暑さと戦ったりしています。

あと、初めてコロナになってちょっと大変でした。外の気温よりも、俺の体温のほうが熱かったぜ! と今なら書くことができますが、大人になってからの38度の熱は体にキますね……。

一人暮らしの楽しさと苦しさを同時に味わうことができている最近です。

今回は、自分の中の反省が溜まってきたので、備忘録的に書き残しておく記事になります。

5~6月はテンション下がり気味だったといいますか、ダウナーな感じで過ごしていたので、あんまり反省等はなく、日々が通り過ぎただけだったんですよね。

自戒の意味もこめて、生き延びるだけじゃない社会人二年目を。という感じでブログにまとめることにしました。

ちなみにブログの更新が落ちているのにも理由はあるといえばあるのですが、、それはまた別の記事でお話しようかと思います。

 

 

目次:

 

 

金銭感覚をバグらせないように

まずは反省一つ目:「金銭感覚ガバ」です。

社会人一年目の記事においても何回か同じ話を書いていますが、葉月は給与がよい業界の会社におります(それが良いのか悪いか、という話もあるかと思いますが、ここでは一旦おいておきます)。

そこまで支出も多いわけではないため、もちろん(?)お金は余りますし、資産運用とか貯金とかを計画して作ってはいるものの、ちょっと贅沢をするくらい別に問題ありません。

そのせいか、浪費をしても気にならない(厭わない)メンタリティができているのではないか、と最近思うようになりました。

ちょっと家計簿とかを見直してみたら、去年はリモートワーク用の設備にめちゃめちゃ金を使ってるし(40万くらい。仕方ないと思う自分も居ますが)、旅行や外食も定期的に行っています。大学生の頃までは、旅行でホテルに泊まるのにも抵抗があったけれど、今は6000円くらいのビジホに抵抗なく泊まるようになってしまいました。

総じて、何か高いものや、欲しいとは思うけれど値段的にちょっと手が出せない、と大学生の時までは思っていたものを、「まぁ別に買えるな」と思うようになってしまったなぁと感じることが増えたんですね。

自分の身銭が切られる感覚の中で、本当に欲しいものは何かを悩んで買った後のほうが物を大事にしているような気がするし、大学まではそれで物を買うことができていたような気がするのですが、サクっと「まぁ金あるし買うか」と思って買うことが増えて、金銭感覚がユルくなっているような気がします。

それを「ストレスフリーにお金が使える」と見ることもできるけれど、私自身は「きちんとお金を使う感覚が薄れた」と考えるようになったって話ですね。

 

 

夢を語れるように

お次は反省二つ目:「夢を描けていない」です。

社会人も気づいたら二年目に突入しており、いい意味でも悪い意味でも、会社や社会の「現実」を肌で理解できるようになっていきました。

一年目の時の記事でもちょこちょこ書いていますが、夢を追いかけて働いている人って私の目の届く範囲ではすごく少ないです。

――子供を養うため、生きていくため、将来FIREをするためなどなど、義務的や消極的な理由で働いている人が多いんだろうなぁと思いますし、それ自体を否定するつもりもありません(私も働かないと一人暮らしができないので、働いているという事実はあります)。

ただ、その義務感だけが自分の仕事や人生を動かす動力源になっていて、動きたくて動いているのではなく、止まらないために動いているのは、何だか自分を貶めているみたいで、私は嫌だなぁと思うんですよね。

社会人一年目や入社前に考えていた夢・目標の軌道修正が必要になり、ひどい場合だと、自分の夢がこの環境で叶わない、叶えることが難しいという状態になることもあります。

そして、理想と現実のギャップに耐えられなくなった人間の行きつく先は、メンタルを壊すか諦念を持つかの二択だろうなぁと。

私は、幸い(?)自分の目標である「余裕のある社会を作る」が今の職場だけでは完結しないと思っているので、今の仕事がどこに向かっているのか考えて空しくなるとかはないのですが、5~6月は前述した義務感や虚しさに飲まれていたな、と今になって振り返って思いました。

「諦念」については後述で掘り下げますが、この虚しさって、自分のやっていることがどこに繋がるのか分からない。そもそも目標とする「余裕のある社会」ということが、どういう状態を指しているのか分からない、という迷いというか悩みが大きかったなと自分としては振り返っています。

自分の北極星が何であって、それに向かってどう進んでいる(と思っている)のか、という話を、高飛車でも無謀でも意味分からなくても、言葉にして定義することって大事だなぁと思うようになりました。

これを言語化できたら解決するのか、というと答えは出ていないですが、自分の目標をもっと他人にも共有できる言葉にするのがサブ目標に加わりましたね。

 

 

好奇心をもっと全開にできるように

上の夢を持つこととも関連しているけれど、反省三つ目:「好奇心をもっと燃やす」です

最近、特に意識をしていないとただ時間を過ごしてしまい、月一回の給料日とたまに友人と会ったりすることで人生そこそこ幸せで満足する(気がする)生き方になっているなぁと思うようになりました。

「普通にそこそこ幸せに生きること」自体は否定したくないですが、「このくらいで生きていたらこのくらいのところに収まるんだろうな」とか「まぁこのくらいか」と満足するだけにならないようしたいと私自身は思っています。

関連する話で、心理学の見識に人はmaximizerとsatisficerの2種類ある、という話があります。雑に言うと、今あるもので満足するか、最大限まで満足を求めるか、という2種類の生き方ですね。

それによると、幸せになりやすいのはsatisficerだという話ですし、肌感としても理解できるんですよね。私の今の環境で十分だと思うようになったら、仕事も慣れてそこまで大変ではなくなってきていますし、高給取りの業種で生きていけるので、本当に恵まれていると思います。

でも、恵まれているからこそ思う、「ここで安寧を貪っていていいのか」という不安というか焦燥感というか、そんな感情が私の中にありまして。少し話はずれますが、「まだもっと人生を楽しむ、あがききることができる」と思って生きていたい自分もいます。

久々の友人と会うと、「何か企画してないの?」と聞かれることもあり、ふらっと名古屋に行ったりは出来ているため行動力は落ちていないけれど、「これをやってみたい」と思う好奇心やワクワク感を養うって大事じゃないかと思うようになりました。

 

 

「つまらない」と諦念しないように

反省四つ目、というほどきれいに分かれていませんが、反省四つ目:「諦念に飲まれてしまった」です。

上の二つの話の裏返しですが、夢を立てなくなったり、好奇心のままに行動することが減ると、「つまらない」と思うことが増えるような気がしています。

最近はけっこうこの気持ちになることが多く、自分の中で原因を考えていたんですが、どうにも2つ原因がありそうです。

1つは前述の理想と現実のギャップ。

仕事において、会社の内部事情といいますか、政治的関係がどうとか、所属する部門によって昇進がどうとか、あのプロジェクトはブラックだとかいう話を聞く機会が増えました。コンサルがキラキラしているとは思っていなかったのですが、現実のつらい(?)話を聞くと、やはりギャップを感じてしまいます。

また、今自分がやっているプロジェクトで自分が主にやっていることが開発であり、決められた設計書や要件から外れないように、ミスをしないようにコードを叩いてモノを作るのがメインの仕事で、正直そこまで面白いとは思ってないんですよね。
(今はデータ活用の基盤を作るフェーズなので、お客さんと要件を擦り合わせてモノを作るのがメインです。データの利活用とかを検討するってことになったら楽しそうなのですが。。)

別にコンサルだからといってキラキラした?仕事が全てではないですし、実際にモノを作る人がいないと、コンサルがパワポで作った理想像を現実にできないのは事実です。特に、私はテクノロジー部門のコンサルタントなので、SIerみたいな仕事といいますか、要件定義・設計開発をして、きちんとモノを作り上げるのも大事なのは分かります。

ただ、この案件をやっていて、「社会に余裕を作る」という目標にあまり近づいていないような気がしてしまうんですよね。

まだ言語化ができていないので、どう近づいていないのか、どうすればたどり着けるのかまだはっきりと分からないですが、「この道を進んだ先にはないな」という肌感だけが存在しています。

理想と現実のギャップに耐えられなくなった人間の行きつく先はメンタルを壊すか諦念を持つかの二択、と前述に書きましたが、仕事をしないとメシが食えないという資本主義的な理由から諦念を抱いているんだろうなぁと思っています。

2つ目は悪い意味で仕事に慣れてしまったことです。

最近、手癖で仕事をしているなぁと思うようになりました。

開発がメイン、と書きましたが、プロジェクトごとにやることは違うといえど、求められることや動き方は似ているから、「まぁこうすればいいんでしょ」という頭が働いてしまうんですね。

加えて、自分で自分のタスクのスケジュールを管理しているのも大きいとは思いますが、スケジュールの中にバッファが沢山あるので、別に頑張らなくても仕事は終わります。

そういう意味で、前までの案件であった、仕事が終わらなさそうで緊張しながら作業をするとか、頭をフル回転して頑張って資料作るとかがなく、手癖でスライドを作ったり、AIに投げながらコードを作ったりしていれば、まぁ終わると慢心しているし、その慢心を脅かす要因がありません。

向かう先がイマイチ自分の目標と噛み合ってないような気がしていて、でも仕事に忙殺されることもなく、ホワイトにこなせることができてしまうのが、「つまらない」と思う原因なんだろうなぁと思っています。

 

 

これから自分ができること

金銭感覚:

大学生の時にちょっとだけ一人暮らしをしていた時の節制レベルまではいかないにしても(あれをやると体調を崩しそう)、悩んでモノを買うようにはしたいと思いました。

とりあえず買いたいと思ったらリスト化して一日置いて、朝に検討するのをやってみています。買おうかなーと思ったものが、本当に欲しいのかちゃんと考えるように、買い物の心理的ハードルを上げるように、というのが意図です。

あとは、東京という場所はお金がないと何もできないような感覚に陥る(≒お金があれば何でもできるような気がしてしまう)から、一度東京から離れるために引っ越ししようかなーと思ってもいます。

来年はお仕事的に勝負の年なので、すぐに会社(≒東京中央圏)にいける今の場所のほうが好条件ではあり、ちょっと悩みではありますが。。

リモートでいけそうなら引っ越し、常駐とかになったらステイかなぁ。

 

 

夢を語る:

仕事も人生の目標もまずは口に出して、いろんな人に自分の考えを揉んでもらおうかと思っています。

その上で、数年ごとの具体的なステップを作ること、夢を現実にできるようなムーブを考えられればベストかと。

自分の目指す「世界観」が何であるかは、管理職になる上でも大事な気がしているので、深掘りしていきたいですね。

今は「社会に余裕を作る」が自分の目標ですが、この「余裕」とは何か、何を行えばそれが達成されている状態になるのか、そのための前提(価値観)は何か、辺りを言葉にしていきたいなと思っています。

 

好奇心とつまらなさの解消:

人生がつまらないと思う時、自分自身がつまらない人間になっている、というのが誰かの言葉ですが、本当にその通りだと思っているので、つまらないと思ったら振り返るようにします(自分がつまらなくなっていないか、日々やっていることや思考と見直す)。

フットワークはまだ軽いままでいると思うので、月に一回思いつきの企画や旅をするなどの行き当たりばったり企画をしていきたいですね。

一応7~8月に一本、11~12月にかけて一本企画は考えてはいまずが、どちらもけっこう真面目よりの企画なので、「役に立つかどうか分からんけど一回はやってみたいこと」というYouTuberみたいなことをきちんと模索していきたいです。

個人的には、「つまらない」と思う体験をしたのも大事な気がしています。

「社会に余裕を作る」という目標の中で、今の自分は「余裕はある」状態だと思っていますが、「つまらない」という状態になると、そのプラスの効果を上手く享受できないといいますか。

「頑張らなくても生きられるように」と「頑張るところがない」は全く別物であることを理解したような気がしているので、目標の言語化の一助になればいいなぁと思っています(……ただの願望ですね笑)

また、コンサルタントとしての自分の経験が、守破離の「破」の部分に差し掛かってきたと思うので、今まで何となくでやってきた仕事や社会人生活を見直しながら、自分の生活を作っていければいいかなぁと思っています。

 

改めて、こういう記事を書くと、仕事をしている時の自分が目の前の仕事にただひたすら近眼に向き合っていたんだなぁと思いますね。

今この瞬間をきちんと走りぬくこと自体はそれはそれで大事なんだと思いつつ、自分が今どこに向かって走っているのか、遠くから見る視点も持てるようにしたいですね。

「メダリスト」の司先生の視点といいますか、いのり選手ががむしゃらに練習しているだけだと、体を壊してしまったり上達に伸び悩んだりするのでしょうが、司先生がアドバイスをしながら選手が力を伸ばしていくって構図は、人生においても大事なんだろうなぁと思った次第です。

メンターとして誰かをコーチにつけてこの構図を作る人もいますが、私はまだメンターとして見習えそうな人を探している最中、なような気がします(誰もいないような気もしているので、あんまり積極的に他人のロールモデルは探していませんが、、)。

無我夢中に走って、頑張る時を追い求め続けた高校・大学の留学期、仕事に慣れながら頑張ってみた社会人一年目ときて、仕事も含めた自分の走りをどう調整するか、悩める社会人二年目になった気がします。

上手く内容がまとまっているか分からないですが、悩んでもがいで答えを探してみて、その間のジタバタの軌跡が答えになっていればいいなぁと思います。

ではではノシ

1年目が終わってみて

皆様こんにちは。葉月です。

 

3月末、桜が見頃を迎える季節になりました。

今年も誰かがどこかの学校から卒業し、新しい人生のステージに足を踏み入れていくんだなぁと考えると、時間が経つのが早いような、そんなことを思うようになってしまった自分がなんだか年を取ったような、不思議な気分にもなりますね。

今年は私にとってもわりと節目であり、ストレートに修士課程を進んでいった(学部時代の)同期が卒業していく年でした。わりと頻繁に会っていた友人が東京圏から離れた場所での勤務になり、大学生で東京在住だったためふらっと会って話をすることができていたのに、来年度からは難しくなると思うと、少し寂しい気持ちがあります。

さて、社会人を一年やってみて、自分自身でスレたと思う部分、変わった部分、変わらなかった部分、変えなくてよかった部分などなど、いろいろと考えることが増えたように思うので、雑多ですがまとめておこうと思います。

 

 

全体感

まずは全体的なお話ですが、時間が経つのが早く感じるようになりました。似たようなことを前の記事でも書いている気がしますが、社会人になって一番感じることがこれなんですよね。

2023年度は1か月ごとに旅行していたりしたので、1年間といえばもう長いというか遊んでいたというか、いろんな思いでがあったり語ることができる話題も多々あるんですけれど、2024年度はそこまで多くの印象がないです。

研修を受けたこと、最初のプロジェクトのキツさとか、夏休みにちょっと遊んだとか、誕生日に変な企画したり、冬辺りに旅行をしたことくらいで、文字でまとめると情報量が多くないんですね。

仕事をすると7日の内の5日が「仕事したなぁ」と思ったら終わっているような生活になるので、雑な計算をすると、1年の体感時間(何かしたなーと思う時間)が7分の2くらいになります。なので、2024年度は本当に気づいたら終わったなぁという印象です。夏暑いなーと思ってたらもう寒くなっていて、寒いなーと思っていたら今はもう春で暖かくなっていますし。

 

そんなわけで、体感時間が短く感じるようになった影響か、時間のスパンを長く考えるようになった気がします。

学生時代に友人と遊ぶ約束をする際、「来週遊ぼうぜ」くらいで予定を合わせることができていたような気がするんですが、最近同僚や友人と遊ぶ約束をする際に、1か月先とかになる場合が多いんですよね。(人によりますが)

高校同期とか、暇しているやつ相手だと「明日遊ぼうぜ」で約束できたりすることもあるんですが、2週間先とか、1か月先とかがざらになってしまいました。

そこまで先になると、どこか行くとかご飯食べる際とかに予約をする場合もあったりして、後述しますが私が比較的企画することが多いので、そういう諸々が面倒くさいなぁと思ったりします。

あとは物事を考える際(ここまでにこういうことをやろう等)、大学の時とかは1日で何をするか、というのを基準で考えていたのですが、ここ最近は1週間、1か月でどうするか、というスパンで物事を考えるようになりました。

仕事をする時間は自分の時間としては扱えないので、お仕事は楽しいものの、時間という観点で見ると少しひっかかりますよね。

 

あとは、社会人だからというわけではないですが、一人暮らしにいい意味でも悪い意味でも慣れました。

自炊(※別にやってない)や、洗濯(※ドラム式でショートカット)、掃除(クイックルワイパーで毎日)など、一人でやらないといけないことが多いんですね。……あれ、別にそこまで自分でやってないな?

実家から引っ越した時には新鮮だった一人での生活、仕事も含めた社会人としての生活は、1年くらい経つと日常となり、新鮮味はなくなっています。

そういう意味で、平日は仕事をして時間が過ぎていき、休日は寝たりアニメや漫画を読んだり、友人と会ったりしていたら時間がどんどんと先送りされ、季節が変わっていくことに体が追い付かないままに年が1つ増えていくことに、ほっとする自分と、ぞっとする自分の二人がいるような気がします。

 

 

スレたと思う部分(社会人になって変わってしまったと残念に思う部分)

先に社会人になって良かったと思う部分から書くべきなのかもしれませんが、個人的には社会人になって変わっちゃったなぁと思う部分のほうが印象があるので、こちらから。

一つ目は他人と適当に会話するのが上手くなったことですかね。まぁ元々人と会話をするのは苦手じゃないので、苦手を克服したというよりも、表層的に相手の地雷を避けながらその場を保つコミュが得意になったなぁというお気持ちです。

社会人での会話の「場」って居酒屋とかの飲みの場になることが多く、酒が入って失言やらキャラが変わってしまってどうこう、みたいになる人もいるのでしょうが、自分をセーブしながら酒を飲んで会話をするのはできるので、まずそこに問題はないです。

加えて、休日の過ごし方(家庭、旅行等)や仕事の話、キャリアの方向性まで話ができれば、大体2~3時間くらいの飲みの時間は消費できて、まぁ楽しかったねーと思えるくらいの雰囲気は作れちゃいます。

ただ、私自身はもっと踏み込んで人間の輪郭を見るほうが楽しいと思える人なので、その人の信念は何か、何を正しい・間違っていると考えているのか等、地雷かもしれない人格形成の一部に足を踏み入れて会話をするほうがいいなぁと思うんですね。

ハラスメント・多様性などの言葉に埋もれて、その人の考え方や生き方を生々しく言語化して会話の俎上に載せることがない(そもそも求められてないのかもですが)のが、自分自身は不満に思うのに、でもそういうのがない薄っぺらい(ある意味薄氷の上を歩くような)会話が慣れてしまったのが、「変わっちゃったなぁ」と自分に対して思うことだったりします。

せめて自分の考え方や生き方を言葉にして会話していく努力というかスタンスは変えないようにしようと思っていますが、来年度の自分はどうしているのでしょうかね。

 

そして二つ目の変わった部分はお金への価値観についてです。

これは自分が働いている業界(会社)特有の話なのかもしれませんが、日本の新卒でもらえる額としては高く、東京で一人暮らしをしていても十分で、ふらっと旅行にいったり贅沢品を買うなどもできます。

前に一人暮らししていた頃や実家で大学生をしていた頃は、親のお金に頼っていて、一人暮らしは親に家賃を払ってもらっていた、大学生時代は学費を払ってもらっていたことから、早く自立したいって気持ちがあったんですね。

ただ、きちんと自分が生きていく上で給料を高めにもらえる会社に入った後、ある意味では執着していたお金を手に入れると、それが手段でしかないことに気づいたような感覚といいましょうか。

例えば今の給料から月10万円ひかれたとしても、別に生きていけるんですよね。でも、だからといってじゃあその「無くても問題ない」10万円分がなくなることは嫌だと思います。

いつしか前の記事で、「貧乏ではなくなったけれど、貧乏性はそのまま」なんて書いた気がしますが、欲しいものや欲しかったもの(自立)を手に入れることは容易になった分、元々物欲は少ない人間なので、じゃあお金をどう使うのか。

旅行は好きなので、定期的に旅行にいけるお金を持つようになって良いと思う反面、銀行口座の数字が増えていくことにどこか寒々しさを感じるようになった気がします。

これは社会人がどうというよりも、一年目で高給取りであるが故に思うことなのかもしれませんが。

 

最後は、人生の「ステージ」というか、ここから先の生き方の解像度についてです。

ここら辺は最近思うようになったことなので言語化がまだ出来てない感覚がありますが、こどもの頃にうすぼんやりと思っていた「大人」としての生き方が何となく(悪い意味で)理解できるようになってしまった感じといいましょうか。

それこそ高校生くらいまでは、20歳くらいまでのイメージって結構浮かびやすいと思うんですね。小学校、中学高校、大学に行くか就職するか、その辺りで成人しているんだろなぁと朧気ながらに思う。

ただ、そこから就職した先で、どういう仕事をして、どういう人生を送っているか、という話は、平べったく「仕事をして、結婚して、こどもを持っているか」くらいのぼんやりとしたイメージしかなかったんですね。

これが仕事をするようになって、少なからず「大人」の世界に足を踏み入れて思ったことが、「別に大人っていっても、今までの人生の延長で生きてる人が多いんだなぁ」ということ。

社会人になったら視点や視座が変わって、もっとみんな「大人」に、一生懸命に生きているのだと思っていたけれど、どうにもそうじゃなさそうです。

印象論にはなりますが、上司を見ていて思うのが、家族とか子供の養育とかの経済的・義務的生活をこなしている人が多い。何となく「この年代だからこんな感じだろう」という暗黙の空気の中で、算盤をはじいて(論理的に考えて?)人生のステージを進めている人が多いといいますか。

こういう空気感も含めて「同調圧力」とするのなら、それはそれで納得できるものの、何か名状しがたい気持ち悪さがあるなぁと思ってしまいます。

しかし、ある意味「論理的」になるならば、それが日本で生きる上でのぼちぼちな最適解になるのならば、自分もその空気の一部になっていく可能性もあるのだろうと思ってしまい、何だか嫌だなぁと思っている感じです。

高校生の頃辺りに考えていた、周りとは違う「自分らしさ」をピュアに追い求めていた時とは違い、その「自分らしさ」の一部分に、社会の空気が食い込んでくる感覚といいましょうか。

書いてて何が言いたいのかよく分からん文章になってしまいましたが、社会にちょっと足を踏み込んで、解像度が少しだけ上がった際に、社会の同調圧力を感じるようになった気がします。

 

 

社会人になって変わってよかったと思う部分

社会人ネガキャン?はこのくらいにして、次に社会人になってよかったと思う部分です。

これは一人暮らしだからかもしれませんが、自分の責任と裁量で人生を設計できるのがなにより楽しいですし、社会人になってよかったと思う部分です。

実家暮らしでかかっていた生活の制限、親の扶養下にあったことによる金銭の制限、もっと言えば学生としてかかっていた労働?の制限など、(あくまで私個人として)制限が多いと思う中での暮らしをしてきた期間が長かったですが、それが全部自分の裁量で決められるようになりました。

もちろん職業を選ぶ中での制限とか、労働しないで生きていくには金銭的・社会的制約とかはあるものの、2年前とかの自分と比べて、好きに生活を構築して、自分の責任で自分の人生を送れている度合いは広がったように思います。

まぁ実家暮らしがストレスじゃなかった人とか、仕事をやり始めたけど全然面白くない等を感じている人からしたらまた違う感想を抱くのかもしれないと思いますが、私自身が今まで生きていて感じた「息苦しさ」の一部分は解消された気がします。

 

あとは、勉強が楽しくなったのもあります。

これまた業界あるある?かもですが、仕事をしてて、新しいこと、知らないことを「したり顔」で話さないといけない。もしくはそれが前提で話をしないといけない場面がめちゃくちゃ多いです。

なので、基本的に知らないことは既存の知識の結びつきで誤魔化しながらも、勉強する必要はあり、図書館に行って関連書籍をとりあえず5冊借りて読んでおくことをよくやってます。

その中で、中学高校とかでは「こんなこと勉強して何になんだよ」と思う場面も多々ありましが、社会人で(ある意味では実学を)勉強していると、けっこう仕事に直結するんですよね。

軽くでも知識つけておくと、業務中に「これ進研ゼミで見たやつだ!」となる場面が多く、大学までで勉強の型をある程度身に着けておいたのが活かされているなぁと思います。

 

最後に、付き合う人間関係を選びやすくなったように思います。

私の会社が外資系でドライな人が多いからかもしれませんが、行きたくない or どうでもいいと思う飲み会は少なく、その飲み会もしれっと「休みまーす」ということが可能なので、本当に好きで関係を築きやすくなったように感じます。

陽キャなグループに入っていたらまた違うかもですが、社外含めて社会人って好きに使える時間が少なくなるので、自分から誘わない限り人に誘われることは少なくなると思います。

その意味ではきちんと一緒にいたい人とだけ関係が継続するようになるので、新卒最初の頃の4~6月くらいまでのボーナスタイムを除き(同期飲みとかけっこうありました)、落ち着くところに落ち着くといいましょうか。

面白いのが、人から誘われなくなったからといって、人を誘えばけっこう来てくれることが多いんですよね。企画が面倒で誰もやらないだけな気もします。なので、自分が会いたいと思う人、気になる人に対して企画すればわりと人は集められる感覚。

誘われるのを待つだけだと寂しい場面があるかもですが、誘う側になると自分の築きたい人間関係をけっこう選びやすくなったような気がします。

 

 

社会人になって変わらなくてよかったと思う部分

ここは自分らしさだと思っている部分です。

一つは、まだまだ夢追い人であることですね。社会人になってだいぶ「現実」とか「社会で生きる」とかについて、地に足のついた見解とか経験を得るようになりましたが、それでも月に手を伸ばすことを忘れないようにできていると思います。(できていてほしいとも思いますが)

今年も仕事とは全然関係ない目標が一つありますし、本業と「堅実に生きる」人生から外れる仕込みをいつでも張っておきたいなぁと。

高校の辺りから思っていた自分の人生のイメージが、「足掻く」とか「もがく」という言葉で形容しているのですが、それは変わらないままいられるのが良かったなぁと思います。

上述した「スレたと思う部分(社会人になって変わってしまったと残念に思う部分)」は、社会人になって現実を知って失望した部分、と言い換えることもできると思っており、夢追い人(で在りたい自分)の中に、現実が混じる感覚がどうにも慣れないという見方もできるかなと。

 

あとは、いろんなことが(まだ)楽しいと思えることです。

これは仕事外の趣味やふとしたお散歩、旅行だけでなく、仕事も含めて、自分自身で勝手に面白いと思うことを見つけているのが大きいと思います。

仕事だけが楽しい(ワーカーホリック)のではなく、趣味に生きる(仕事は兵糧を得る手段と割り切る)のでもなく、どちらも甘い汁をすすりながら、どちらかに振り切るわけでもなく生きること。

自分の性格から起因する話なのかもしれませんが、社会人になったからといって人生の楽しみが減るのではなく、種類の違う面白さをまた楽しみとして取りこむことができているのが、よいのかなぁと思ったりしています。

 

 

感想とかまとめとか

「社会人になったからといって、何かが大きく変化するわけでもないし、自分の人生が好転するわけでもない。」

一年前の私も、きっとどこかでそう思ってはいたでしょうが、改めて1年を過ごして、その事実を目の当たりにすると、ここから自分の先にある(気がする)50~60年程度の時間の茫漠さに対して、どこか心が無になる瞬間があります。

とはいえど、1年スパンであれ数年スパンであれ、はたまた1週間スパンであれ、自分の人生の時間をどのようなことをするのに割り当てていくか。刹那的な楽しみと言ってしまえばそれまでですが、自分が面白いと思うこと、楽しいと思うことを追い求めながら生きていける今この現状は、私はけっこうよいと思っています。

高校でベルギーに留学していた自分が、大学でカナダに留学していた自分が、「そんな適当に今の安寧に生きてていいのか?」と問いかけてくるような気がしますが、その視線を背中で感じながら、「絶望の国の幸福な若者」の空気を吸い込んでは吐き出していき、仕事をして、時間はしっかりと9~17時以上に潰れていく。

日々の生活と、月に手を伸ばし続けた先の夢と、その間に横たわる時間の長さ。

その茫漠さに社会人は心をすり減らして、人生のステージという節目を作って、何か埋めようと時間を使い、埋まりきらない事実に不充足感を抱いて生きているんだろうな、とか思えるようになりました。

同じような日々がループ再生のように繰り返され、ある意味成長も退行もしない生活や生き方にどこかで納得できず、足を止めて動けなくなるのが怖いから、足を動かし続けるように。

立ち止まることができずに、かといって走っていて変化(幸福や絶望を感じること)が少ないまま、マラソンの残り30km超の文字に「絶望」するのだろうなぁと。

……なんか書いてて暗い話になっちゃいましたね。。だから何、というほどのものでもないですが、現状・目標・そこまでの時間、という大きな区切りの間で悩みってあるんだろうなぁと思った次第です。

20,30代の人が結婚するのも、家庭を持つのも、長い人生の「給水所」として、と考えると、ただ単純におめでとうとかお幸せにとか言えないなぁと思ってしまいます。まだそういう機会はないですが。

ただ、24年くらい生きていて思ったことは、「それでも」と言える人は社会を生き延びているような気がしているので、「どうせ」「やっぱり」といって目を背けるようになるのではなく、「それでも」とつらい時にも言えるような人間でいたいと思います。

つまらなそうに生きている大人も、楽しそうに生きている大人も見てきましたが、楽しそうに生きている大人は、何か予定を埋めることを目的にせず、きちんと目的があった中で、その手段として時間が埋まっていくように生きている気がします。

「どうせやっても無駄」「やっぱり意味がなかった」と言いたくなる場面なんていくらでもありますが、「それでもこれがしたい」と目的・目標を掲げて生きるのが、目の前にある茫漠たる時間の大きさに対するせめてもの抵抗だと考えます。

まとまっているんだか言い散らかしているんだか分かりませんが、3月のちょっとだけセンチな気持ちも文章に載せつつ、締めたいと思います。

ではではノシ

24歳、誕生日企画を実行する

皆様こんにちは、葉月です。

 

私事ですが11月に24歳になりました。

社会人になってもブログの更新(という名の雑記や振り返り)を適度にしていきたいとか思っていたんですが、誕生日の企画の記事が次の月になってしまいました。

こういうのはなるべく無くしたいなぁ。。

 

誕生日を迎えるにあたって、「年をただとっていくのではなく年を重ねていきたい」みたいなことを去年書いていた気がしますが、せっかくなので自分のもっている記録を破っていきたいと思います。

というわけで、「24」という数字にちなんで、24時間企画か240km企画か。「24」という単位でいろいろ考えた結果、「24時間路上生活」をやることにしました。

これをやるにあたって友人とアイデアとブレストしてたりしてたんですが、以下2点を重要視していました。

1. 発見・学びのある企画にしたい

2. 1~2日の休みで実現可能なレベルでありたい

24歳の今しかできないとか、24という数字が意味あるものにしたいとか、諸々他にも考えていた要素はありましたが、24歳は挑戦する野心を忘れないようにしたい、という思いもあり、ただ路上にいるだけでは終わらせません。

24時間でやれる限りの自分の見地を広げていきたいなぁと調べてたら全24駅の路線を見つけてしまったので、そこを踏破することに決定。その路線とは新京成線。松戸から津田沼まで26kmくらいの路線です。(ちなみに有楽町線も24駅らしいです。これは歩かないといけないか……?)

というわけで千葉県を舞台に、とりあえず新京成線を24駅全て歩ききり、24時間を外の世界で過ごして自分自身を見直す時間にしていきたいと思いました。

ちなみに次点で面白そうだったのが「24種類のファミレスチェーンを巡る」でした。これは企画というよりも1か月に1回くらいでやりたい企画ですね。そのうちやろうかな、?

 

 

目次:

 

 

ルール

まずは路上生活の定義から。

1. 建物の中に入るなど、空調を味わうことが可能な施設や設備への侵入禁止

基本的に外気と接している場所しか滞在しちゃいけませんよ、というルールであって、道(路)のみ滞在可、という定義にはしません。というのもこれをやると公園等もルール上NGになってしまい、知らない場所を楽しむという目的にはそぐわないためです。

途中で路上睡眠をとる必要性が生まれる場合もありますが、その場合もダンボールや橋の下で風が当たらないところなど、風をしのぐのはいいものの、ネカフェやコンビニのトイレなどの外気と接していない場所を使うのはNGとします。ちなみに公園のトイレは個室は外気と接してるのでOKとしました。流石に常識の範囲内でやりますけどもね、、

 

2. 1の条件はトイレ、食事、休憩に対しても適応される

ごはん食べるためにイオンモールに入るとか、ちょっと休憩するためにスタバによるなどしたら、路上生活ではなくただのお散歩になってしまうのでNGとします。

トイレは公衆トイレや駅のトイレを探す、水分補給は公園の水道や自動販売機、食事は立ち食いソバなどの屋台や自動販売機で済ます、休憩は公園のベンチなどで行う、といった対応で1の条件は達成できます。

とはいっても一応例外は設けていて、トイレがピンチなレベルで行きたくなり、しかも公衆トイレが近くに存在しない場合は、コンビニや施設内のトイレの利用をOKとします。社会的に死なないようにしようということで。

まぁ結局は公衆トイレと駅トイレで対応しきれましたし、食事は立ち食いと駅アーケード内の弁当屋、飲み物は自販機でいけたので、千葉県なら24時間路上でもいけることが判明しました。首都圏だからこそできたことだとは思いますけどね。

 

 

準備

・極温のヒートテック上下 + ダウン + 防寒グッズ。ずっと外にいるので、防寒を怠ったら死にますね。今回は途中で雨も降ったので、かなり寒かったです。

・タオル。歩いていると汗をかくんですが、靴下含めて汗を取らないとかなりしんどくなります。足に豆を作るのも汗で蒸れるのが原因の一つですしね。

・(替えの着替え)。どう考えても持っていくべきだったんですが、なぜ忘れたのか、、靴下は3足くらいあったほうがよかったです。忘れてめちゃくちゃ後悔しました。

 

 

実況

11/10の12:30、新京成線の始発である松戸駅より企画スタートです。前日は25:00くらいまで友人とくだを巻いていて、酒も微妙に残っていたのでわりと眠く、完走できるか不安でしかないですが企画をやります。最後までどんな企画をしようかきちんと決めないまま当日を迎えてしまったのが一番大きいので、果たしてどうなるのか、、、

12:30スタートとは書いたものの、お昼ごはん食べすぎたなーと思いながら駅前でぼーっとしてると、元気な高校生の声と暖かい日差し。「あれ、もう幸せでは? 企画やる意味ないような??」とか思いつつまったりしてたので、ざっくり13:00で駅から歩き出し始めました。

まぁお散歩は好きなので、日が出ているうちは楽しくお散歩できるんじゃないでしょうか。日があるうちは。お散歩的な観点からすると時間が早いほうがいいんですが、11/11が誕生日なのであまり10日の早い時間からはやりたくなかったんですよね。

11/11に一日フルに使うと、次の日が仕事にならなくなるというのもありましたし、、

 

そんなこんなで心地よい眠気を感じながら歩きだして、13:20上本郷、13:40松戸新田、13:47みのり台と通り過ぎていくと、14:05に新八柱到着。武蔵野線八柱駅との乗り換え駅ですね。

この辺りは駅間が狭いので、新京成線が地域に密着しているように作られていることがよく分かります。人口もぼちぼち居そうですし。

途中の21世紀の森?に寄り道をして軽く休憩しつつ、14:50常盤平。団地って何かいいですよね。駅前は寂れてそうで寂れてない感じがわりと好みでした。首都圏の団地って、高度経済成長期くらいに工業地帯で働く人の家として機能してたイメージだったんですが、けっこう若い人もいたので人口分布が気になったところでした。ちなみに駅前のまねきは潰れてるかと思ったら意外とやってるんですかね??

ここら辺からかなり疲労との闘いになります。2.5時間くらいしか歩いてないのにヘバってるので「前日の疲れよなぁ、、」というお気持ちになります。15:16五香、15:45元山と到着すると、鎌ヶ谷が大きい駅なので、ちょっとだけやる気が生まれました。

16:05くぬぎ山、16:25北初富と経て、16:40新鎌ヶ谷に到着。五香駅のコンコースでお団子屋がやっていたので買っておいたのですが、駅ピアノを肴に団子を食べてたら体力がけっこう回復。単純にお腹減ってたから疲れてた説ありますね。ウォーキングって普通にダイエットの一項目ですし。

ちなみに鎌ヶ谷までで大体半分弱くらい進んだことになるのですが、辺りは暗くなりはじめ、ポツポツと雨がチラつき始めます。この中で24時間過ごすの? と絶望しかけるも、やるしかないのでアーケード内で弁当を買って備えることにしました。後から思うと、もう一つ弁当買っておく、途中のケバブ屋台で何か食べておくなどしとけばもっとラクだったなぁ。。

 

17:21初富、17:48鎌ヶ谷大仏とくると、雨が止んできたのでありがたや。鎌ヶ谷大仏はバスターミナルがエモくて好きですね。18:04二和向台、18:19三咲と進んだものの、18:42滝不動近辺で道に迷って萎えます。

この辺りは住宅街の中に田んぼや小道がポツポツあったりして、昼ならお散歩が楽しいんでしょうけれど、夜だと道が分かりにくくて面倒でしたね()

19:06高根公団はけっこう大きな駅でよさげでした。ちょうどいいベンチがなくて、ヘアカットの店の前のちょっとしたスペースで縮こまりながら弁当を食べていると、けっこう視線を浴びたなぁ……。

まぁ靴下を乾かすために脱いで裸足になっていて、厚手のジャケットで体を抱えながら弁当食べてるんですから、ヤバそうな風貌してますよね。実際寒くて困ってはいましたが()

そこからは19:33高根木戸、19:47北習志野、20:12習志野、20:22薬園台、20:39前原と進みます。何となく津田沼っぽい雰囲気が見えてきて、頭の中でZARDが流れ始めます。もうゴールしてもいいよね……。

そういえば、北習志野のコンコースでとんかつさぼてんがあったので、カツ弁当を買おうかかなり迷ったんですが(店の前で10分くらいはうんうんやってた)、やっぱ弁当に1000円超払うのは躊躇いましたね(ただの貧乏性)。

社会人になってもそういう貧乏性は治らなさそうで、いい意味でも悪い意味でも変わらない自分を発見しました。

21:05新津田沼に着いて、終わりかと思ったらまだまだ全然あるのでやる気を削がれつつ、21:15京成津田沼まで歩き、新京成線24駅歩ききることに成功しました。もう歩きたくない!

 

24駅歩き切った達成感もひとしおに、24駅踏破は24時間生活の一部でしかないので、ここから何をしようか迷います。というのもここから何をするか決めないで始めちゃったんですよね、、

休憩をしながら企画を考えた結果、最後の数時間はベランダ生活をしてみたかったので、朝方に家に帰る想定で企画を進めることにしました。

徒歩企画じゃないし、せっかくならいろんな移動手段を使いたいと思ったので、Hello Cyclingを使用して家に帰ることと、本八幡サイゼリア一号店を見に行こう、という辺りまでざっくり決めて、21:40津田沼から出発しました。

総武線は乗ったことあるし、京成線沿いで歩いてみるか、ということで京成ウォークを開始。22:20谷津、22:31船場競馬場、22:41大神宮下、22:54京成船橋とサクサク進んでいきます。

JR船橋はかなり人が多くて賑わっていたのですが、日曜の23時でこんなに人がわんさかいるのもちょっと不思議な感覚ですね。大学生だった頃は気にならなかったですけど、今は「明日仕事じゃないの、、?」と思ってしまいます。

この辺りから豆ができ始める+股擦れがきつくなり、徒歩での帰宅は危険と判断して、家までは自転車を使うことに決定しました。いつぞやの企画で使ったHello Cyclingの出番になります。

 

船橋でじっくり休憩をした後に、東葉高速鉄道を観察しに東海神駅まで移動。地下駅だと知らずに行ったら「企画的にこれ入れなくね、?」となって悲しくなりました。

0時からチャリを借り始めるなんて、終電を逃した大学生かよってお気持ちですが、チャリ解放をすると早いのなんの(23:54西船橋、23:58京成船橋、0:04東中山、0:10京成中山、0:14鬼越、0:20京成八幡、1:07青砥、1:50三ノ輪)。

三ノ輪からは家まではお散歩気分で歩けるんですが、ここら辺までくると帰ってきた感がすごいです。というか日光街道を上りながら東照宮まで行ったときもこの道通ったな、とか思うと、本当に去年を俺は何をしてたんだか。。

もう帰って寝たいなぁと思いながらも24時間終了までまだ時間が残っており、プライベート空間で横になりたかったのでベランダを検討し始めます。

ベランダは企画的には問題ないんですが、ベランダを通るために一瞬部屋の中を横切らないといけないためそれはどうなんだと考えていたんですよね。

ただ体は疲れており、午前中の過ごし方はベランダで寝るか公園で寝るかの違いでしかなく、公園でずっとベンチで寝ていたらリアルに通報されるな、といったところまで考えて、朝方までは外、そこからはベランダをOKということにして企画を進めることにしました。

そういうわけでまだ部屋には帰れず、家の近くの公園の水道で歯磨きをして、2:28田端駅。替えの着替えは忘れたのに歯ブラシと歯磨き粉は持ってきてるんですよね。意味わからん。マンションの近くの公園のトイレで歯磨きをしていると、ちょっと悲しい気持ちになりました。

頭がフラフラしていましたが田端駅の始発列車(4:20の京浜東北線)でも見るかーと思い、暇つぶしがてらいろんな場所で寝てみることにしました。

まずは手始めにベンチでごろ寝。座って寝ていると眠気はじんわり襲ってくるものの、道路に面していると音とかたまに通る人の気配が気になってしまいます。

そういうわけで公園のベンチに寝る場所を移して寝っ転がると、けっこう寝れそうな感じでした。うとうととしながら3:38くらいになると、寝れなくもないけど、雨は冷たいし、あんまり食べてないからか気持ち悪くなってきて、トイレでちょっと休憩します。

トイレの個室、臭いがこもっていようが、雨に当たらなくて済むってだけで天国に思えますね、、、

少し体力が回復したのでベンチでまた寝なおそうとすると、何か人の気配がするなぁーと思っていたら、4:00で公園にスケボー片手に5人くらいの集団が騒ぎながら公園に入ってきました。お前何時やと思ってるん?? とか思いながら、まぁ公園で寝てる俺が言えた話じゃないかと思い、そそくさと退散。

 

というわけで時間もぼちぼちちょうど良かったので、田端駅のガチの始発に向かう人を観察していたんですが、ブルーカラーの方が多いのかと思いきや、スーツを着たサラリーマンやらがぼちぼち駅に向かっていったので、すごいような恐ろしいような。

渋谷とかの始発は飲み会帰りの大学生がけっこう多かったりするんですが、田端はガチで始発に乗って働きに向かっている人がいる印象でした。月曜日なのに怖いなぁ……。

ちなみに田端に初めて到着する電車から降りてくる人も、この辺りの会社に向かう風貌をした人と、飲み会オール明けの人とで半々くらいで、始発からけっこう人が乗ってるんだなぁと勉強になりました。京浜東北線は偉大だぁ。

朝ごはんを食べないと倒れるなと思ったので、田端駅の近くにある立ち食いそば屋の開店(AM6時)を待つことにしたんですが、まぁ時間が余る。

企画の性質上、暖を取ることがほぼ不可能なので、田端駅から特にやることもなく凍えながら時間が過ぎるのを待つことに。

いつもは仕事に追われて時間が欲しいと思うこともあるんですが、この時は早く時間が経ってほしかったですね。朝ぼらけ前の5時、極暖ヒートテックにダウンを着ても震えが止まらずにつらい。

深夜って実はそこまで寒くなくて、朝ぼらけの時間が一番寒いんですよね。

寒さに耐え忍んで6時、空腹を通り越して無になっていた葉月ですが、駅前の立ち食いソバ屋に入ります。

ここのお店はドア開けっ放しなので今回の企画的には行けると思っていましたが、せっかくなのでかき揚げそばを食べるとめちゃくちゃうまい。空腹が最高のスパイスとか、愛が一番の調味料とか言いますが、違います。徹夜明け寒い時期の温かいメシが何よりもおいしいんです。

田端駅近くの立ち食いそば屋、朝営業だけですけど400~500円で手軽にうまいソバを食べられるのでけっこうオススメです(宣伝)。しかし駅ナカや駅チカの立ち食いそばって何であんなにうまいんですかね?

ごはんも食べて元気が出てきたところで、戦いを自宅のベランダに移します。ベランダに行くために一瞬だけ部屋に入りますが、靴下脱いだだけでそのままベランダに行ったので許して……。

一応この企画をやる前にベランダで寝転がれるか検証しておいたのですが、きちんと寝転がるスペースがあることは確認済みだったので、そのまま寝転んで就寝。気絶に近い形で寝てました。徹夜明けって脳がトロけている感覚があるんですけど、電車の音を遠くに感じながらぐっすり眠れました。

昨日は雨だったのに誕生日当日はすっきり晴れていたので、気持ちよく3度寝を決めていたら11:30に。プライベート空間で寝転ぶと、ベランダでもかなり快適に眠れることに気づきました。喉乾いたなーと思ったけれど、部屋の中に入れないので泣く泣くペットボトルの残り50mlくらいを舐めながら、終了の時間を待つことになりました。

すぐそこにある水道の蛇口をひねれないのがこの企画の醍醐味、ではあるんですけれど、この時の自分の心境は「明日仕事かぁ」でした。コイツ仕事のことしか考えてねぇな。

そんなこんなでスマホを見ながらベランダでゴロゴロしていたら12:30に。

最後の6時間はベランダを解放したので、かなりヌルゲーになっちゃった感がありましたが、24歳になってしまった事実をかみしめながら、部屋の中の暖かさ(暖房は入っていない)をかみしめて、シャワーを浴びに向かいました。

 

 

感想

24時間の間でかなり長い時間滞在していた千葉県ですが、面白い場所だなぁと思いました。

東京から近いのに意外によく知らない場所なんですよね。駅近くはきちんと町、都市が点在しているようで、沿岸部の形成や総武線を外れると田んぼなどが増えて田舎な感じになったりします。

この企画とはまた別の機会で、上総亀山とか上総中野とかで電車を乗り通してたりしていたんですが、その時にも見ることのできた首都圏に近い田園風景。

地理の授業とかだと近郊農業の話や京葉工業地帯で千葉県は触れることがありますが、稲や野菜を育てているところも都市から外れると見ることができて、面白い場所でした!

 

そしてまた毛色の違う感想になるんですけれど、睡眠において、寝転がることと、プライベートな空間が確保されていることの2つが重要だと感じました。

田端近辺に帰ってきた時から、まずはベンチに座っての睡眠をしてみたのですが、眠気は訪れるものの、意識が落ちそうになると首がカクっとなって負担がかかり、起きてしまいます。

電車でこの状態になっている人をよく見ますが、あの後起きるとけっこう首が痛くなりますよね。

ましてや暖房の効いた車内ではないので、座って寝るのはかなり人間に向いてないと思います(そう考えると夜行バスって睡眠を犠牲に安く移動する手段なんだよなぁと思ったり)。

そのあとベンチで寝転んでいたのですが、何だかんだ30分くらいはウトウト寝ることができました。

寝転ぶことで恐らく体の負荷が分散されているんですよね。直方体を縦に置くか横に置くか、みたいな話と同じだと思います。

その後でベランダで睡眠をした時は、普通に徹夜明けに布団で寝る時とほぼ同じくらい寝ることができました。

公園のベンチで寝ているにせよ、頭のどこかは休まらないんですよ。これはゲストハウスや快活のブースで寝たことがある人なら分かるかもですが、疲れているから寝るけれど、自分の近くに他人がいる(かもしれない)という感覚は、地味に安眠を妨げてきます。

野宿、路上睡眠をとらないといけないタイミングが人生のどこかであるかもしれませんが、その時はぜひプライベート空間を作ることと、寝転がることを大事にしましょう。

 

 

24になった感想

さて、禊(?)も済ませて24となった葉月ですが、きちんと大人になってしまったな、というのが正直な感想です。

社会人も累計1年くらいやっていて、11/11の企画終わりに思ったのが「明日仕事かぁ……」というものだったので、学校が仕事にすり替わっただけといえばだけですが、やらないといけないこと、やらないと進まないものがはっきりと頭に浮かぶ分、学校よりも面倒くささの輪郭がはっきりしてしまうような気分になりました。

冒頭で、「24は挑戦する野心を忘れないようにしたい」と書きましたが、社会人を始めて改めて大事だと思ったことの一つである、「日々を淡々と生きていく」という心がけを忘れないようにしたいです。

仕事をすると、3年後のキャリアの目標を考える時があったりしますし、基本的に1週間単位で仕事は動いていると思います。

同僚との日程調整も1か月先で動くのがデフォになっていて、(私は抗おうとしていますが)何だかんだ1か月先まで予定が入ってくるときもあり、学生の時にできていた「今日何をするか」を考える瞬間が減ってきたように思います。

もちろん、予定を決めておいて、それをこなしていく日々が悪いというわけではないですし、私自身目標を立てて生きていくスタイルだったので、遠くのゴールを見据えるのはよくやります。

ただ、そうやって遠くの目標をただ見据えて、どうすればいいか悩んでいる時間は、今自分が生きている時間を削っている行為なんですよね。

今自分がやりたいこと、やるべきことに集中している時間ではない。

未来を考える時間と、今この瞬間をきちんと生きる時間の塩梅はまだ模索している最中ですが、未来を考えることが増えたような気がするので、今この瞬間の、仕事なり時間を気を付けて大事にしていきたいと思うようになりました。

ここ1~2か月くらいは特に諸々悩むことがあり、友人にけっこう相談をしてたりもしていた(気がする)のですが、その反省も踏まえて今この瞬間を大事にしたいと考えるようになりました。

そういうのも踏まえて、24の自分は「毎日をやれるだけ生きて、自分史上最高の自分を目指し続ける」みたいなことを目標として据えていきたいと考えています。具体的には一日の振り返りを丁寧にする、カッコいい自分の理想像を見つける、少しずつ毎日に負荷をかける、辺りですかね。

 

社会人になっても、人生を楽しく生きることは大事だと思いますし、そういう姿を自分なりに理想として頑張っていきたい。

書いていたら何だかんだ長くなりましたが、こういう企画も合間合間でやっていけるような生き様でありたいですね。

次は何の企画をしようかな、、