葉月のまったりブログ

中の人の日常体験とか思ったこととかを雑記的に記していくそんなブログです。

留学生活の体験記

皆様こんにちは。葉月でございます。

 

前回、旅についてブログをまとめる…と言ってはや半年。

下書きはしたのですが、書きたいことがいっぱいあって、どうにも全部まとめあげる気になれませんでした…。見たかった人はすみませんが、気長にお待ちください。もしかしたら別の旅についてのやつとまとめてになるかもしれませんが…

 

さて、今回なんでブログを書こうと思ったのかと言いますと、ふと、私の留学の体験をあんまり人に話していないなぁー、とか思ったからってのが大きな理由です。

話している人には話していますが、あんまり聞かれないし、長々と話す機会を多くの人と持つことも無かったなぁということで、この場を借りて少し紹介してみようかなと。

 

とはいっても、留学ってやつはいろんな経験を含んでいまして、また人によっても全然違う体験を持っていて、いろんな角度から語ることが出来ます。今回は一年間を、自分的視点でまとめて要約するとどうなるのか、という視点でご紹介していきたいと思います(ぶっちゃけほとんど自分史ですが…苦笑)。

これから留学を考えている人のご参考にでもなればうれしいです。

 

 

 

(以下、ちょっと小説チックな留学体験記)

1. 留学決意~留学前

――――

私の中で、留学という選択肢が生まれたのは、高校1年生の頃だった。

それは、何気ないある日のこと。私は職員室の前を通り過ぎようとした所、そこに留学案内のポスターが貼ってあった。

たったそれだけの事であるが、何となく興味をそそられ、何か面白そうと感じたのだった。今考えてみても、ずっと貼られていたそのポスターに、なんでその時だけそこまで気を惹かれたのか、上手く説明することが出来ない。

 

もしかすると、5月辺りの頃だったから、高校生になりたての自分に何か変化が欲しかったのかもしれないし、どことなく自分の将来を考えるきっかけにしたかったのかもしれないし、でも真相はよく分からないままである。

私はその後、ポスターで紹介されていた、留学説明会へと足を運んだ。放課後の講堂、だだっぴろい部屋の中に人は数人程度。こんくらいの人がいるのか、といった程度以上の感想を抱くこともなく、私は席に着いた。

説明会の中で魅せられたのは、日本語が通じない世界。全く違う文化であった。

私は不思議に興奮していた。自分の知らない「未知」への好奇心が自分の中からあふれ出てきそうになるのが自分でも感じられた。自分の想像を超えた世界。どうしようもないくらいに興味を惹かれた。

しかし、なによりも私の印象に残ったのは、話している人の立ち振る舞い、その堂々たる自信、2歳しか年が違うとは思えないほど、誠実な物腰、その全てであった。

どういった経験を積んだらこんなに人間として成長出来るのか、不思議であったし、それが留学のおかげであるのなら、それはとんでもない「学び」なのだろうと感じた。

競い合う対象が、目指すべき目標が目の前に現れたと思った。

 

―その興奮冷めやらぬまま、両親に留学について相談すると、あまり揉めたりはしなかった。留学の時期に話が差し掛かるまでは。

初めは母親だけに相談をした。「一年間留学に行ってみたい」と。

その時は特に反対されることはなかった(母も料理中だったので、私の話をあまりちゃんと聞いていなかったのかもしれないが…)。

私は留学の申し込み書類に、両親のサイン以外のすべてを記入して、両親がいるタイミングを計らって話を切り出した。

 

結果だけ言うと、猛反対された。両親共に(特に父親が)、私が進学校に入っていることを引き合いにだして、高校2年生から3年生まで留学をすることに大反対をした。

今考えると、あたりまえだろうと思う。

少なくとも進学校に通わせている時点で、何かしらの学問的到達を求められているのは明らかであるし、大学受験の成績もいい方の学校であったから、両親も私にそれなりの期待をかけていたのだとも思う。

でもその時は、自分に反対する両親に強い抵抗感を覚えたのだった。

両親が大きな壁となって自分の前に立ち塞がった。私はどうしたら両親を説得出来るかということに頭を使わなければならなかった。

 

「何で留学に行きたいのか」という問い。

 

留学に付随する問題はいろいろあったが、結局はこの問いがすべてであった。

受験期真っ盛りの高校2年生から3年生にかけての留学。

それを正当化するだけの、何かをもって、両親を説得しないといけなかった。

 

結局、両親の説得には1か月を要した。その1か月の間、留学に行った先輩に話を聞く、いろんな先生にアドバイスをもらう、留学について情報をたくさん集める、など、様々な人やメディアから知恵をもらい、両親の説得材料に用いた。

そうして、自分なりの留学の理由について思ったことは、「いろんな人に会える留学は、自分の考え方を広げる上で、日本と違う社会に触れる上で、最適なのではないか」といったものだった。

正直、国際関係の学問をやりたかった訳ではない。それでも、好奇心とでも言うべき、その興味がとどまることはなく、自分の留学を両親に主張するだけの力になっていた。

今考えても、どうしてそこまで粘って説得し続けることが出来たのかという問いに対しては、はっきりとした答えを持ってはいない。

それでも、自分が知らない世界を覗いてみたいという好奇心は、知らない人と出会って、心を通わせてみたいという気持ちは、自分の中を満たしていたと思う。

そこまで私が折れないで主張したことが無かったからなのだろうか、両親は認めるというよりも、半ば投げやりに「もうどこにでも行け」といった風に書類にサインをした。提出期限日、当日のことであった(どうでもいいが、当日消印有効だったので、郵便局にめちゃめちゃ焦って向かった)。

 

ここまで長々と留学に行くまでの経緯を書いてきたが、悩んで、両親に説得しようとした、あの一か月が、自分の留学生活を下から地味に支えてくれたように感じる。

「あそこまで言い切って留学に向かったのだから」という意思が、自分の竦む足をどうにか地につけてくれる。

留学の体験を、自分の人生の中で一番大事な、自分を形作る経験だと胸を張って言うことが出来る。今はそんな風に感じる。

 

 

さて、私が留学先として選んだ国はベルギーという国ですが、何でその国を選んだのかについてちょっと書きたいと思います。

元々、私はアメリカとかイギリス、オーストラリアといった英語圏の国に留学するつもりはありませんでした。その理由は単純で、英語なら多分どうにかなるだろうと思っていたからです。

今考えると傲慢以外何者でもないですが、その当時は、言葉、文化、人間を一体として学んでみたかったというのがあり、英語はある程度知っている分、わざわざ一年かけていく必要もないのかなと思っていました。

多分、英語圏に留学した人は英語としての苦労があっただろうと思いますけれど(ネイティブの英語では、二外国語としての英語と全然速度も単語のチョイスも違うでしょうから)、当時の私はそんなことなんて考えてもいませんでした。

 

そして、私はヨーロッパに行きたいという思いをずっと持っていました。

おしゃれ、歴史的、先進国といったイメージが強いヨーロッパですが、自分も例にもれず、ヨーロッパのその優美さ、華やかさをその目で見てみたいという憧れのようなものを持っていました。

さらに、私はフランスやドイツといった、ある意味「有名」な国に行くつもりもありませんでした。それは、有名な国なら、多分大人になってからでも行ける、とか思っていたように思います。

だから、自分はあんまり知らない、所謂「小国」とやらに行ってみたかった。

そうしてヨーロッパのあんまり知らない国々を見ている時に、ベルギーという国にあたりました。

その国は、言語で国が二つに分かれているような国で、自分が参加した団体でも、ベルギーのフランス語とオランダ語で派遣地域が分かれているのが、自分にとって何よりも新鮮で、その国に大きく心を惹かれました。

チョコレートとワッフルでしか聞いたことのない国。それでも、言語的な分裂、そしてEUの中心地であるという経済的発展地。自分の興味を駆り立てるには、十分でした。

そうして自分の留学先として、ベルギーが選ばれたという訳です。

その当時は、あんまり深く考えてはいなかったのですが、今考えるとこれ以上ないくらい正解だったなと、ふと思うことがあります。

 

次からは留学期の話です。

 

2. 留学開始~留学倦怠期まで

――――

私の留学は、波乱の幕開けであった。

 

運悪く天候不良のため、羽田からドイツへと向かう便が遅れ、その影響で、ベルギーの首都、ブリュッセルに向かう便に乗り継ぐことが出来なかったのだ。

前述した通り、留学団体を通じての留学だったので、同じようにベルギーへと留学する日本人が何人か一緒になって、日本から出発していた。けれど、その団体のモットーである、自主性によって、私たち日本人一行に、大人が誰も付いていなかった。

これが、この日の夜に大きな問題となる。

ドイツに着いたのが、22時のことであり、ドイツからブリュッセル行きの飛行機が無くなってしまったので、ホテルを見つけないといけなくなってしまったのだ。

異国の地について最初にすべきことが、右も左も分からない状態から飛行機会社と話をして、ホテルを見つけてもらうことだなんて、誰が想像出来ただろうか。

そこで問題が起こった。その日本人一行がみんな未成年であるので、ホテルを見つけるのがとても困難になるとの旨を伝えられたのだ。

親の許可書を見せたものの、その場にいるのが未成年だけであったから、ホテルは難しいと伝えられたのだった。

「そこを何とか…」という風に拙い英語で粘り続けて、ようやくホテルを見つけた時には、日が変わっていた(そのホテルがめちゃめちゃゴージャスだったのも、この話のオチとしては最高かもしれない)。

それでも、私達日本人一行は、どこか異国に来たことで浮かれていた。

ちょっとした冒険気分、というのが正しいのか分からないが、どこか楽しんでいた。

しかし、波乱はまだ終わらない。

 

翌日、ドイツからブリュッセルへと出発し、ブリュッセルへ着いた時が、運悪く空港のストライキの時期と重なった。

預けていた私の荷物をすべて無くされたのだ。

持っていたのは、機内に持ち込んだ、わずかな着替えとパソコン、ちょっとした小物だけであった。

長い列に並んで、受付の方と話をするも、「遺失届を出してくれ」以上のことは特に言われることがなく、その場にいた日本人留学生一行の実に半分が、ベルギーについた時に、手荷物しか持っていない状態となったのだった。

予定より一日遅れ、異様に軽い荷物を片手に、留学団体の集まりの場所へと向かった。

 

(ちなみにこの時に失くされた荷物ですが、5日後くらいに空港にもう一度探しにいった所、受付では埒が明かず、遺失物を保管する倉庫にまで足を踏み入れました。そこでようやく乱雑にほっぽらかされていた自分の荷物を発見した訳です。最初の5日はどう過ごしてたのかといいますと、ホストブラザーの洋服を借りてました。さらに、帰国した時も羽田で荷物を失くされ、荷物が届いたのが1週間後だったのは本当になんなんだとか思いました…)

 

これは、今でもはっきりと思い出すことが出来るが、私が初めて外国の空港に降り立った時、私は高揚感と緊張感を同時に感じていた。 

異国に来て一年間、しっかりと励もうと意気込む気持ち、異国へ来たという興奮と共に、海外を経験したことがなく、語学を含めた生活全般に対する不安も、現地に着くと一層膨らんでいった。

 

私が留学した国はベルギーであるが、日本から一緒に出発したベルギー留学のメンバーと別れると、そこからは、日本語が全く聞こえない環境に放りこまれた。

今思うと滑稽ですらあるが、私は初めてベルギーに着いたその日に一番ホームシックになった。

なまじ一日前に、日本人留学生達と飛行機や荷物のトラブルを乗り越えて、少し仲が良くなったのが災いしたのかもしれない。

日本語が、私の意志を伝えるに足る言語が、全く使い物にならなくなった。

それだけで、今でもはっきりと思い出せるレベルで恐怖を感じた。

「外人」が怖くて仕方なかった。英語でしかコミュニケーションをとれないことが自分を委縮させた。

 

突然ですが、初対面の人と出会った時、読者の皆様は何を話すでしょうか?

天気、政治、スポーツ、ニュース、最近ハマッていること、興味、仕事、家族…

話すことはいろいろあるでしょう。

でもその初対面の相手が、日本語を知る由もなく、私とは違った見た目をしていて、自分とは別にコミュニティを築いて話している状況を考えると、どうでしょう。

どんな話をすればいいのか、全く見当もつかない。

その時、私の置かれていた状況が、少し想像出来るのではないでしょうか。

 

閑話休題。そんな状況にあって、自分は異国についた時に感じていた、高揚感をすっかり失ってしまった。

残ったのは膨れ上がった緊張感で、それが敗北感にゆっくりとすり替わっていったのであった。

部屋に帰って、何もせずにボーっとするのも、どこか負けたような気がして嫌だったので、トイレに小一時間くらい引きこもって、ベルギーに来たことを後悔する文章をひたすらスマホに打ち込んでいたのは、今となっては苦き思い出でしょうか。

そんなくらい、自分の無力感に絶望していました。

相手の自信たっぷりな話し方に私は、発言する勇気をすっかり失ってしまった。

今考えると、大した話ではなかったのかもしれない。

それでも、その時は英語の能力とかではなく、相手の様子、自分の不慣れさでどうしようもなく落ち込んでいた。

 

日本であれば、留学団体によって、スケジュールがしっかりと組まれて、何時にあるアクティビティをするといった風に縛ってくれるものがあるが、ベルギーにいった時に、そんなものはあってないようなものだった。

留学団体のスタンスとしても、フリーに人間関係を構築してもらいたかったのだろう。

食事の時間だけ、1.5時間くらいの幅を作り、班ごとに食べてもらう形をとっていたが、それ以外では、本当に「フリー」だった。

みんなが自分の思い思いに輪を作り、会話を弾ませていて、サッカーやフリスビーをして楽しむものもいた。私はただそれをぼんやりと見て、どうしようと戸惑うと同時に、どうしようもないやるせなさすらも感じていた。

そんな落ち込んだ時間を過ごしていたが、そんな時間は一日で終わった。

 

ホストファミリーとの対面。

ベルギーに着いて二日目、そこから10か月お世話になったホストファミリーと対面したのだった。

「よく来たな」

そんな言葉と共に家族全員とハグをした時、単純ではあるが、「ようやく認められた」というような思いが自分を満たした。

私は、まだその時も自分から喋りだすことが出来ないでいたものの、ベルギー初日で感じた落ち込みは、もう無くなっていた。

そこからの一週間くらいは、学校が始まる前であったので、いろんな町を見て回り、異国を楽しんだ。

ある意味、あの一週間は、観光客として楽しんでいたように思える。

きれいな景色を見て、おいしい食べ物を食べて、とにかく楽しかった。

そうしてホストファミリーと慣れ始めた一週間後に、学校が始まった。

その一週間で、英語での会話そのものは慣れ始めてきたので、言語的なコミュニケーションの齟齬は比較的少なくなっていた。

それでも、「このまま上手くいく」なんてことはなかった。

 

当然ではあるが、ベルギーのオランダ語圏に留学していたので、学校の言語はオランダ語だ。

学校に行った初日、周りから聞こえるオランダ語はほとんど理解出来なかった。

一日、一週間、二週間と経てども、この状況が良くなる気配は見えなかった。

私はベルギーにいる人とロクに会話を繰り広げることが出来ないままでいた。

学校という小さなコミュニティの中でさえ、輪を広げることが出来なかった。

 

私は不安になった。私は留学前に意気込んでいた、自分の目標を達成したかった。「いろんな人と交流する」という目標だ。

ベルギーの私のクラスメイトは、英語をよく理解してくれる人々であったものの、自分が話を繋げることが出来なかった。

そこには英語というよりも、ベルギーの公用語の一つであるオランダ語の存在が大きくあるという風に私は考えた。

自分がオランダ語を話さないから、あんまり話が続かないのだと思った。

 

元々私は、オランダ語をベルギーに行く前にある程度勉強していたものの、現地の人の会話をほとんど理解することが出来ず、一緒の学校に通っていた留学生達と英語で会話をしていた。

クラスメイトや他の現地の生徒とオランダ語で会話するのは、ほとんど無かったのだ。

留学してから1か月くらい過ぎると、現地の生活のリズムにも慣れ始めてきて、英語でのコミュニケーションも苦をあまり感じなくなっていった。しかし、状況は決して良くはならなかった。

良く言われることではあるが、1か月くらい過ぎると、「異国にいる」という楽しさが無くなる。

異国に対する「適応」がなされるのがこの時くらいなのだろうけれども、その時が丁度、自分が悩んでいた時だった。

 

「自分のオランダ語が拙いから…。」

そんなことを頭の片隅で、言い訳のように思っていたのかもしれない。

クラスの人とほとんど会話をすることが出来ず、私はとことん「異質」な存在であり続けた。ホストファミリーは私を献身的に支えてくれたが、それでも状況は厳しかった。

ある日一度、授業(勿論全てオランダ語で行われていた)が全く分からず、半分ボケーとしていた瞬間があった。

その時、私は先生にこんなことを言われた。

「君がオランダ語で授業についていけてないのは分かる。けれども、せめて集中して聞く努力はしないのか」と。

心に深く、トゲのように刺さった。

あんまりじゃないかと。

こっちはオランダ語と、友人関係、ホストファミリーとの関係で手一杯なのに、そんなことまで要求されるのかと。

あまりにつらくて、この日は涙をこぼした。

 

家に帰って、半泣きになりながら、日本語が話せるホストシスターに相談した。

私は変な意地があったのか、そのホストシスターとも英語で話していたのだったが、その時は、日本語で私の思いを吐き出した。

「学校がしんどい。オランダ語が分からない。生活すべてが正直つらい」と。

私の話を聞いてくれたホストシスターの答えは、「ちょっとずつ勉強して、ちょっとずつ良くしていく」というものであった。

クラスの人達と、ホストファミリーとのコミュニケーションに、オランダ語が原因で苦戦する。

自分の描いていた、自信と楽しみに満ち溢れ、いろんな人と交流関係を築く、理想の留学生活との乖離にやきもきした。周りの人間の思考が分からなかった。

 

理想とはほど遠い状態で、言語で苦戦する自分がみじめだった。

ここで自分の支えになったのは、同じ学校にいた留学生の人たちであった。

彼らとの会話はいつも英語であったので、オランダ語での交流にコンプレックスを感じていた私でも会話を楽しむことが出来た。

しかし、彼らとの交流を深めれば深めるほど、私はある一つの疑問に悩まされた。それは、この心地よいグループの中にずっと浸っていていいのかということだ。

クラスの人達はオランダ語を使ってコミュニティを築いている中、自分は英語だけの交流で満足していいのか、オランダ語を会得して、一人でも多くの人と関わらなくていいのか、もっと広げなくて、ホストファミリーとの会話が出来なくていいのか、という思いに囚われた。

もちろん留学生たちの考え方をきちんと深く理解していた訳ではないが、留学前に描いた、そして一度は崩された自分の「理想の」留学像が、また自分の目の前に現れた。

オランダ語を学ばなくていいのか? ベルギーの文化、考え方を学ばなくていいのか? と自分に語り掛けてくる。

私は、留学生達の会話の中で得た、一握りの勇気と自信を持って、その目標にもう一度立ち向かった。

留学してから2~3か月くらいの話である。

 

3. 転換期~成長期

――――

私はしばらく経った時、クラスの人に勇気を出して話しかけてみた。

拙いオランダ語で、「一緒にお昼ご飯を食べよう」と。

しかし、クラスメイトの何人かと丸くなってご飯を食べる中、私が感じたのは、結局喋れない自分だった。

オランダ語が理解出来ない。喋れない。

たったこれだけでクラスの人が楽しそうにご飯を食べる中、私は相槌を適当に打ちながら、心の中で涙をこぼし、表では薄っぺらい笑顔を張り付けるしか方法が無くなってしまったのだ。

 

休み時間中に話すなんてことが出来たら、お昼休みも苦労しない。

結局、「いろんな人と交流する」という目標に対して、自分はロクに前進していなかったことに気づいてしまった。

ホストファミリー、一緒に通っていた留学生くらいしか、話す相手がいないことに気づいてしまった。

日本にいた頃の、友人関係の中で築いたアイデンティティが通用しない世界。

日本の常識が通じない文化は、言葉を会得しないことには何も始まらないという風に気づいたのであった。

 

私はそこからオランダ語をひたすらに勉強し始めて、とにかくコミュニケーションをとろうと腐心した。

オランダ語の動画をいろいろ探して聞き続け、家に置いてあった子供向けの絵本を端から読んでいき、ホストファミリーに相談して、小学生向けの新聞を購読してもらい、何度も分かるまで読み直しを続け、知らない単語を逐一辞書で調べ、マークを入れ、努力を重ねた。

学校の休み時間にその新聞を読み、家に帰ってからも、オランダ語の学習を重ねた。

ネイティブの高校生にまで言語のレベルを寄せるのは、数か月程度では到底不可能なのかもしれない。

それでも、そうしないことには何も始まらないと思っていた。

生活がつらくて弱音を吐いても、ホストファミリーが聞いてくれた。受け止めてくれた。私はとにかく言語の学習に力を注いだため、言語の上達は想像以上に早かった。

 

そして、それが幸いして、オランダ語で少しずつコミュニケーションをとれるようになっていった。

クラスの人が何を言っているのか少しずつ理解出来るようになっていった。ホストファミリーともちゃんと受け答えができ始めるようになっていった。

だんだんと相手の言っていることが理解できるようになり、荒野を開拓していくような感じでとても楽しかった。

そうして、この辺りの時期から、留学生が集まって騒ぐパーティーにも顔を出すようになった。

私の使った留学団体では、南米、中米からの留学生がとても多く、週末にはパーティーが行われている、という情報は一緒の学校にいた留学生から聞いていた。

「いろんな人と関わる」

その目標を胸にパーティーへと足を踏み入れたのだった。

 

―そこは、一言で言うならカオスであった。

酒を飲んではしゃいでいる子、輪を作ってお話をしている子、曲を流して騒いでいる子、狂ったようにダンスしている子…。

その様子をラテンカルチャーと形容するのがふさわしいのか分からないが、私はそんな光景に、ただあっけにとられてた。

それでも、自分の目標を追うために、輪を作ってはしゃいでいる子に話しかけにいった。

何回かパーティーには行ったが、正直、楽しかったという経験よりも、話す相手を必死に探していた記憶のほうが、自分の中に強く残っている。

とにかくいろんな人と関わろうとした。

いろんな国の出身の子と会話した。

そこで、ラテンアメリカの子達の間での、スペイン語の汎用性を見た。

この経験が、自分が大学生になった時に二外国語を選ぶに当たって、スペイン語を選んだ大きな理由なのだ。

 

さらに、ホストシスターのツテで、大学のゼミに参加させてもらった。

ホストシスターは日本について勉強していて、日本とベルギーの関係について考えるゼミにも所属していた。

自分が日本人であったこともあり、そのゼミに何回か参加させて頂いた。

ベルギーは大学になると英語化が一気に進み、授業が英語で行われるのもザラであるので、そのゼミの参加者は、私と英語か日本語でコミュニケーションを図ろうとする人がほとんどであった。

そのゼミの参加者には、日本人も少しいた。

自分の母語が使えるという環境、そして、オランダ語を頑張って喋ろうとした自分を褒めてくれるゼミの参加者たち(経験則ではあるが、母語を喋ってくれる人はそれだけで嬉しいのだろう)。

大学生の視点からのベルギー生活、大学生事情なども聞くことが出来て、自分の留学にさらに別の視点をくれたように思える。 

 

それでも、言葉だけでは会話が大きく弾むことは無かった。言葉の裏にある文化的背景、さらにはその人自身のバックグラウンドが存在することを強く自覚した。

英語から始まり、オランダ語へと進んでいた、私の語学との闘いは、人との関わりの中では、第一段階でしかなかったことを知った。

ベルギーで流行っているもの、パーティーの話などで会話が弾んでいても、それがなんなのか分からないことがあった。

語学だけに勉強を絞っていた分、日本以外のヨーロッパの知識、「海外」の知識をそもそもあまり得ようとしていなかったし、元々あまり持っていなかった。

前提として知っているだろうものに「それって何?」と聞くことが出来なかったのは、それが言葉の問題ではもう無かったからだ。

言葉以前の問題ですらあった。

言い換えるのならば、言葉の問題を言い訳にすることが出来なくなっていったのだ。

明らかに前提知識が足りない。だからなのか、この時でさえ、私はクラスの人達とそこまで仲良くはなれずにいた。

 

そしてもう一つ、私が考え方を改めざるを得なくなる出来事が起こった。

それは同じ学校にいた留学生の子がクラスの子と、とても楽しそうに話している所を目撃したのが始まりだった。

その時、私はその事実が正直に言って理解出来なかった。

その留学生はオランダ語ではなく、英語でずっと会話を続けており、言葉でずっと悩んでいた自分にとってはあり得ない光景だった。

オランダ語で会話出来ないから、自分はクラスメイトと会話出来ないと思っていたのに、その前提すら破って会話をしていた。

何で英語なのに、そんなに楽しそうに会話出来るのか?

その疑問は、「どうしてオランダ語を勉強している自分が、会話に苦戦しているのに…」という嫉妬に近いものであったのかもしれない。

自分の頑張りは、ホストシスターのゼミの仲間達や、ホストファミリーから褒められていたので、そこを否定することはしなかったものの、その疑問が拭われるわけではなかった。

その留学生の子が特別ベルギーの文化に精通していた訳では全くないのに、授業や趣味の話で楽しそうに会話しているのが、正直な所、悔しかった。

なんで自分にそれが出来ないのか、分からなかった。

 

私は、その答えを見つけるのに、数か月を必要とした。

その間の時間は、オランダ語が上達するにつれて、広がるコミュニティや、ようやく自分なりの留学の楽しさを見つけ始めた時期でもあった。

ベルリン、パリ、ロンドン、プラハアムステルダム、そしてもちろんベルギー国内の様々な都市に旅行しに出掛けた。

自分は元々旅が大好きで、その好奇心のままにいろいろ出かけるのが本当に楽しかった。

平日の学校をなんとか耐えて、週末、長期休みにゆっくりするなり、旅行をするなりして楽しむ。

そんな安定した留学スタイルを作っていったのも、この辺りの時期である。

有り体に言うなら、この時期は、留学がだんだん楽しくなっていった時期なのだろう。

毎日がちょっとずつ楽しくなって、それと同時に、留学生活のタイムリミットがゆっくりと近づいてくるのも感じていく、そんな感情が交じり合った感じ。

それでも、自分の留学が100%楽しくなった訳じゃない。

まだ自分には、コミュニケーションの問題が残されていた。

いろんな人と会って、話をしたいという自分の目標は、まだ完全に達成しきっていなかった。

 

―私は、留学終了2、3か月前でようやく原点に立ち返ることができた。

それは、コミュニケーションは人間同士で行うものであって、それぞれ各個人が好きなようにコミュニティを築いていくという基本原則であった。

当たり前すぎて何を言っているんだと思うかもしれないが、このことをきちんと理解するのに、相当の時間を必要とした。

 

言葉なんて、お互いの意思が通じれば最悪それでも構わない程度ものであった。

もちろん、その国の言語を学ぼうとすることは、その国に適合しようとする上でとても大事なものだろう。

でも、コミュニケーションの中では、言葉が占める部分は、その中身に比べると、とても少ないものであった。

何よりも大事だったのは、その会話を楽しんで、相手と心を出来るだけ共有しようとすることであった。

なぜ自分はクラスの人とあまりうまくいかないのかと考えると、結局クラスの人達に、私の「色」をあまり見せることがその辺りまで無かったからであるように思った。

これを自覚してから、自分のオランダ語に躊躇いがほとんど無くなった。

文脈に即さないのではないか、トンチなことを言っているのではないか。

その一瞬の迷いが、コミュニケーションを円滑にするわけは無かった。

 

自分に足りなかったものは、語学力は当然だが、何よりも「自分自身」であった。

自分はこうであると思い、それを言葉や態度で表出すること。そして、時に他人とぶつかることもあるけれども、コミュニケーションを続ける中で、自分なりの、自分にしか作れない人間関係を築いていくというのが、私の理想の留学生活像への道筋であったのだ。

これを意識するようになってから、留学先での生活をとても楽しめるようになり、今ではベルギーを恋しく思うくらい、楽しい思い出をたくさん、あの国で作った。

帰国日、一年前と同じ空港で集まった日本人留学生の顔つきは、みんな違えど、一年前と比べてものにならないくらい大人びていて、どこか満足したような顔つきであったように感じた。

 

ブリュッセルから飛行機が離陸した時、私は最後に泣いた。

ホストファミリーとのお別れの時には泣かなかったのに、飛行機が離陸して、地上から離れると、何故だか涙が止まらなかった。

一年間、ベルギーで足掻いて、精いっぱい生き切った。

どこかで張りつめていた緊張の糸が切れた瞬間だったのかもしれない。

そうして私たち日本人留学生は帰国した。

大事な思い出を、ベルギーでたくさん作った後に。

 

4. 帰国~今まで

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ベルギーの一年間の経験は、様々な側面で自分の中に生きている。

まず、時間はとてもかかったが、オランダ語をちゃんと喋れるようなレベルまで完成させることが出来たという事実が、自分の語学への自信を高めた。

それが、今スペイン語を学習する中、自分の中で強く活きていると感じる。

そして、私が全く知らなかった異国でも上手くやれたという経験が、自分自身への自信をとても強くした。

加えて、次も自分の知らない国に入国して、ベルギーでの一年間で得た見地、経験を試すために、チャレンジしていきたいと思えるようにもなった。

自分の自信がまた砕かれるかもしれないが、今の自分ならもっと上手くやれるような、そんな気がしている。

さらに、あの一年間のコミュニケーションの迷いと抗いの中で、人間関係の築き方に、少し自信が持てるようになったし、もっと人間関係について知りたいと思うようになった。

それが、今の自分の心理学、対人関係への強い興味の原因の一つとなっている。

 

留学の経験で得られることは、三者三様だろうから、私と同じ気づきを得るかは分からない(多くの留学生に聞いて思うのが、コミュニケーションの問題は、誰もが一度は抱える問題みたいであるらしいが…)。

 

留学はハッピーな記憶だけではない。

それは一つ言いたいことではあるけれど、それと同時に、全部が全部、嫌な思い出になることもない、とも言いたい。

頑張れば、足掻けば足掻いた分だけ、きっと大きな学びと経験を得られると思う。

 

 

この文章を、これから留学を考えている人、これから留学に行く人、読者の皆様、全員に捧げて、締めくくりたいと思います。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

国際協調の在り方

皆様こんにちは。葉月です。

 

今回のタイトルはかなり壮大な感じですが、カナダに住んでいて自分が感じたことをまとめてみました。

国際協調について、カナダという国は多文化共生を掲げています。北米全体に言えることですが、移民の数が多いので、多文化、多民族とどう上手くやっていくかは喫緊の課題です。

私はバンクーバーで過ごしていて、いろんな見た目の人とすれ違いながらも社会がうまく成立しているように感じるので、多文化共生はけっこう上手くいっているような印象があります。

バンクーバーは特にアジアンが多いので私(日本人)が住みやすく、ヨーロッパや北米らしさ(カナダっぽさ?)、アジアやその他の地域とが混ざり合っているように感じます。

国際協調を考える上で、カナダをモデルケースとするには微妙だと思いますが(経済が安定しているのも多文化を抱えられる要因の一つに感じるので)、これからの「国際」を考える上でのヒントを持っているように感じました。

そこで、自分が感じた視点から、「多様性」や「グローバル」など、言葉だけが独り歩きしない国際協調の在り方を考えてみたいと思います。

 

まず取り上げたいのが、「留学って金持ちの道楽でしょ? に対して」という記事で少し触れた、「世界中の国から人が集まったとしても、すぐに国際交流が起こるわけではなく、国同士、地域同士で固まることが多いのではないか」という視点です。

leafkeylosttime.hatenablog.com

 

これってよく考えたら当たり前ですね。文化、言語を共有している人だと、互いの違う部分、理解出来ない部分を擦り合わせる努力、面倒くささがありません。

さらに、違う国へと移民した場合やインターナショナルな場だと、外国というだけでプレミアがつきます。

例えば、日本という国の中でラーメンや寿司のレストランを開いたとして、「日本料理」という属性が推しポイントになることは当たり前ですがありません。他にいくらでも競合がいるので。

ただ、カナダやアメリカなどでラーメンや寿司のレストランを開くと、「日本食」というイメージやブランドが付与されます。日本食(外国の食文化)であることそのものがプレミアになるということです。

商売の観点からみても、こういうお店を作るなら元々同じ食文化を共有しており、勝手をしっている自国民同士で固まるほうが簡単です。加えて、文化や宗教などで自国が恋しくなることもあるだろうけれど、国同士で固まり、コミュニティを形成することで、そういった不安を無くすことが出来ます。

チャイナタウンやコリアンタウンなど、固まった場所に飲食店や食料品店、文化センターなどが出来るのはそういう力が働いているからでしょう。

 

国同士、地域同士で固まるという点を念頭に置きながら、もう少し深く考えると、多文化のやり方に2つの方法があるように感じました。1つは移り住んできた国の文化に啓蒙、同化していき、その文化に馴染もうとすること。もう1つは、多文化がそれぞれコミュニティを作っていき、文化が分断されるけれど、大きな枠組みとして移り住んできた国の文化が存在し、多文化コミュニティがそれぞれその文化にも少し寄与している、とする考え方です。

 

1つ目の考え方は、何か統一された「強い」文化に全員を合わせようとすることです。これはヨーロッパなどがやっているイメージで、1つの文化に全員を強制すること、規範の意識が強くなる点が特徴だと思います。2つ目の考え方は、大きな枠組みとしての「弱い」文化を全員が保有しているけど、それを押し付けることはしない。カナダはこのイメージがあります。

 

この二つの考え方は、メリットデメリットが裏表になっていると思います。

1つ目の考え方は、国や文化として一つにまとまりやすいけど、宗教や文化などでどうしても馴染まない部分が生まれてしまうと衝突の原因となります。ヨーロッパと、北アフリカ辺りのムスリム移民との難しさがこの問題に直面しているように感じる所です。

2つ目の考え方は、それぞれがコミュニティを持っていて大きな紐帯も強制力がないから、軋轢が起こりにくいが、まとまりがなくなる。この国に属しているといったアイデンティティが薄れる。これはカナダでけっこう問題になっているような気がします。特にFrancophone、フランス語圏で顕著。フランスでもないし、カナダでもない微妙な感じだからかな?

カナダ文化、アメリカ文化と聞いてイメージがしづらいのはこれが原因でしょうか。ただこれは地域やコミュニティなど、単位を小さくすることで解決出来る可能性もあるのではないかと考えます。地域単位での帰属意識アイデンティティを持てばいいという考えですね。都市化で小さなコミュニティが無くなっているという現在の潮流とは反している気もしなくはないですが…。

二つ目のほうが衝突を避けてまとめることが出来るという意味で丸いような気がします。

 

 

さて、多文化共生に対してのこの二つの考え方は、多様性(バラバラなもの)をどうまとめあげるかという視点が共通しているのではないかと考えました。

多文化といっても、ただ文化が沢山があるだけでは成立しない。

多様性、という言葉のいいイメージが一人歩きしているような気もするけど、多様な人間が集まると、文化やコミュニティの「常識」がお互いに通用しなくなるし、礼儀や善悪などのすれ違いが起こるようになります。

だからこそ、何かまとまったもの、ある程度合意が形成されているものを各個人が共有していて、そうして社会が成立する方法がとられます。

 

しかし、多文化といっても、多くの人が共有している文化か、少ない人しか共有していない文化かによっても勢力や扱われ方が変わってきます。そこで、マジョリティとマイノリティという視点から多文化共生を考えました。

ヨーロッパと比べて、カナダではアジアン差別が少ないように感じます。カナダ、特にバンクーバーでは多くのアジアンが存在していること、アジアンの種類が豊富なことが大きいように思います。

多くのアジアンがいるからこそ、種類も豊富です(韓国、中国、フィリピン、マレーシア、タイなどなど、挙げればキリがない…)

ヨーロッパにいた時は、Chineseとして侮蔑されるなんてことがたまにありましたけど、数がある程度存在することで、個人としての特性、性格と集団としての特性や性格にある程度分類されます。

少数派を見つけた時に、多数派と異なる特徴をもっている人間を見ると少数派を劣っていると思ってしまい、個人、集団をひっくるめて差別する事態になるんだろうなぁと。

多文化といえども、その構成比率によっても考え方が変わるということですね。

 

多文化の中の少数派を考えると、多文化共生といっても、マイノリティの文化が差別されないくらいの介入を大きな「弱い文化」がする必要があるのかもしれません。

「弱い」文化と名付けているけれども、多文化と同じくらいの規範、力を持っていて、並列して存在する一つの統一規範として存在するべきなのでしょう。

 

 

書いておいてなんですが、何かこうすべきであるといった結論があるわけではありません。

生活の中でぼんやりと思う多様性の言葉の裏表、多文化共生を掲げているカナダだけれども決して理想郷ではないという現実。

ただ、自分が考える、大事なエッセンスはいくつかあります。

それは、それぞれの文化がある程度の大きさのコミュニティを保有していて、「弱い文化」を共有しているという意識をそれぞれが持つことです。

少なくとも「自分の文化が正しい」という近眼的な視点に囚われないために「弱い文化」の自覚を持っているといいのかもしれません。また、自分の文化を多数派(正義 / 善)と思い込まないように、多文化を生活の中で実感出来るくらいには、他の文化の種類や数、交流も存在していることも大事でしょう。

抽象的にまとめてみると、自国の文化を絶対的なものだと思わずに、他の文化や視点が存在するという自覚を持つこと、そしてそれを尊重することなのかなぁと思ったりします。

そういった営みが言葉だけで流行るのではなく、経験知として理解することが出来ればなおいいんだろうなぁと。

 

 

ここまで読んで頂きありがとうございました!

ではでは(・ω・)ノシ

バンクーバーの治安~住みやすい街の裏側~

皆様こんにちは。葉月です。

 

 

バンクーバーはようやく夏っぽい気候になってきました。北米は夏休みだからか結構多くの観光客がいるように感じます。

そういえば今年は私にとって、夏休みという概念が存在しなさそうです()

まぁ大学に入ってからは夏休みにアルバイトをしていることが多いのであんまり関係ないといえば関係ないですが…。皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 

さて、今回のお話は中国人コミュニティについてです。

人口の多さもさることながら、バンクーバーにおいても、非常に多くの中国人の方が住んでいます。

同じ国籍の人がある程度集まるとコミュニティが出来るもので、そういった中国人コミュニティは「中華街」という名称で日本では存在しています。

横浜や神戸にある中華街に行ったことがある人も多いでしょう。

肉まんやゴマ団子などの食べ物がおいしいのもそうですが、ちょっとした異国気分を味わえる楽しい場所なイメージがあると思います。

しかし、北米でのChinatown(漢字表記だと「唐人街」って書かれることが多いですね)は、日本の中華街のイメージとは違って、治安が悪い場所、ホームレスが多い場所として有名です。

 

これはバンクーバーも例外ではなく、バンクーバー市の中で治安が悪い場所はどこか、となると、真っ先にChina Town周辺のEast Hastings Streetが挙がります。下の動画を見てもらえばヤバさは理解出来ると思います。

www.youtube.com

 

位置関係は下の図の通りです。余談ですが、Hastings Streetの上にあるPowell Streetは戦前期にはJapan Townとして日本人コミュニティがあったらしいです。今はほとんどゴーストタウンになっていますが、名残りとして日本人学校があります(画像はWikipediaより)。

vancouver east downside map

 

他のChinatownについては、6月、モントリオールのQuartier de Chonoise(唐人街)に調査がてらお散歩しに行きました。こちらのChinatownはお店も栄えていて、そこまで治安が悪い感じではなさそうでしたが、その周辺地域にホームレスがけっこういて、治安がちょっと悪そうな感じではありました。

ニューヨークのChinatownも治安が…という話を聞きますが、実際に行ったことはないので言及は避けたいと思います。

 

 

さて、北米でのチャイナタウンのイメージが何となく描けた所で、なんでチャイナタウンはそんなイメージになっているのか? という点を見ていきたいと思います。

歴史的には、19世紀真ん中辺りで、北米に中国人が労働力として移民してきたのが黎明期です。世界史だと、アメリカの歴史で、太平洋横断鉄道を作るために「苦力」(中国人移民を指した)が用いられた、なんて習ったことを覚えている人もいるでしょうか *1

当然ながら、働くためには食料は住む場所を確保する必要がありましたが、白人が多かった社会で、中国人(アジア人)が大きく差別されただろうことは想像に難くありません。

そこでチャイナタウンというコミュニティを作って、同胞が固まる場所を作った。これがチャイナタウンの始まりになります。

 

チャイナタウンは、白人というマジョリティと、移民(マイノリティ)という差によって生まれたコミュニティですが、マジョリティの社会では生きられない、社会構造的に下層に位置する人たちも次第に流入していきます。

この「マジョリティの社会では生きられない」人々として、ホームレス、売春婦や貧困労働者などが集まっていきますが、社会から距離を置かれた場所のため、風紀や秩序を取り締まるものがなく、だんだんと治安が悪くなっていきます。

そうして、最初に紹介したようにChinatown(周辺)は治安が悪い場所、として認知されるようになっていきました。

 

現在のバンクーバーのチャイナタウンは、Chinaと書いていながら、恐らく中国人が多く住む場所ではなくなっている。つまり、中国人が身を寄せるコミュニティの場所としての機能は薄れていると思います。

というか、今はゴーストタウンになりつつあります。ホテルやお店の壁紙が剥がれていたり、窓ガラスが割れていたりと、誰も修復する人が居ないのか、荒れたまま放置されている建物が多いのが印象的です。

しかし建物の扉に頑丈そうな鉄格子が囲われてあったりと、治安を警戒しているのがひしひしと伝わってきます。

何回かバンクーバーのチャイナタウンを歩いたことがありますが、日本の中華街と違って、元々は現地にいる中国人のために出来た場所なので、中華系の独特の匂いを感じます(香辛料か何かの匂いかな)。また、チャイナタウンで見かける中国人の方もかなり高齢な人が多く、貧困層なのか、昔から住んでいる人なのか気になるところです。

小耳に挟んだ程度の話ですが、普通の中国人はリッチモンドにいる、みたいなことも聞きます。気になったのでちょっと統計を見てみたところ、リッチモンド市にはバンクーバー全体のおよそ20%ほど(10.7万人 / 54万人)の中国人がいるみたいです。リッチモンド市の総人口が19.8万人なので、人口のほぼ過半数が中国人と考えると中々すごい場所だなぁ…。

ちなみにですが、自分が今住んでいるNorth Burnabyにも中国人の方は結構いるような印象があります。数字ではなく実感でしかないですが。

 

 

さて、なぜチャイナタウンという場所を取り上げたのか、といいますと、マイノリティとマジョリティという構造を知ることが出来ると思ったからです。

チャイナタウンという場所が悪いのではなく、マイノリティを括って排除したことで、社会的に排除された(隔絶された)層が固まる場所となってしまい、治安の悪い場所になってしまったという背景があり、現在も治安が悪い場所として認知されてしまっています。

歴史的には人種差別、移民(マイノリティ)隔離によって出来た場所でしたが、社会的に排除された層が固まる場所、という状況は現在も同じだと思います。

2018年にカナダ政府がマリファナ大麻)を(一定の規制があるとはいえ)合法化し、チャイナタウンも中華系の匂いに加えて、大麻独特の匂いもする場所です。

移民が集まり、人種のごった返す場所においてもマイノリティとマジョリティという地位関係、力場が出来ているのが個人的に興味深いと思います。

 

基本的に治安がいいバンクーバーですが、歴史の負の遺産として、こんな場所が残されているのもまた興味深いと思い紹介してみました。

 

 

 

参考文献 

canada-ryugaku-center.co.jp

gotovan.com

 

リッチモンドの中国人割合のデータ。Ethnic - Chineseの数を取り出しました。

https://www12.statcan.gc.ca/census-recensement/2016/dp-pd/prof/details/page.cfm?Lang=E&Geo1=CSD&Code1=5915015&Geo2=PR&Code2=59&SearchText=Richmond&SearchType=Begins&SearchPR=01&B1=All&GeoLevel=PR&GeoCode=5915015&TABID=1&type=0

「留学ってお金持ちの道楽でしょ?」に対して

皆様こんにちは。葉月です。

 

只今カナダに留学しておりまして、日本人に人気の留学先だからか、ベルギー留学の時よりは多くの日本人を見かけます。滞在理由も様々な印象で、よくも悪くもいろんな人がいるなぁと思うばかりです。

 

今回のタイトルは若干釣りな気がしなくもないのですが、留学している今、留学に対して(特に留学生に対して)思うことをいろいろ書いてみようと思い、こんな記事タイトルにしてみました。

私自身は留学に対して肯定的ですし、いける機会やモチベを感じたなら行くべきだとも思っています。

ただ、「留学ってお金持ちの遊びでしょ?」という、留学に対して否定的な意見もあるのは事実で、私もそれを否定出来ません。

正直金はめちゃかかります。私のケースなら、今回の留学でかかる費用はざっと250万くらいです(大学院留学や財団、企業での留学、有名大学での留学では奨学金を狙いやすいので比較的安く済ませることが可能ですが、私は私費留学を選んでるので金がかかっています)。

 

今回の記事の視点としては、留学、留学生について「お金持ち(→金がかかる / その金を支払うことが出来る)」という観点と「道楽(→学んでないと思われている / モラトリアム?)」の2点から考えていきたいと思います。

ここでの「留学」は、交換留学、私費留学を念頭に置いていますが、たまに混同されるワーキングホリデー(ワーホリ)にも言及しています(長期留学は何も知らないのでこの記事では触れません)。

 

お金持ち

1. 留学生の消費癖

留学している大学生と、日本で普通に暮らしている大学生の違いは何かと考えると、私の周りだけかもしれないですが、留学生が全体的に消費癖が強いように感じます。毎日の昼ご飯としてファストフードやドーナッツをつまんだり、休憩時間になったら外に出てコーヒーを買ってきたりしますし(もちろん人によりますが)。

少なくともカナダだと街中でコーヒーを片手に歩いている人を沢山見かけますので、そういう消費生活スタイルに合わせようとした結果なのかと思ったりしますが、日本でもそうだったっけか(印象がない…)。

もう少し考えると、「現地のものを楽しまないと」という、ある意味では時間的に逼迫した思いがあるからでしょうか。何か「現地でしか出来ないこと」と、「金を使っていろんなことをすること」(食や観光、旅行とか)が結びつきすぎているような気がします。

または、通貨が違うのでこの国の中で稼いだお金は使い切りたいという思いがあるのでしょうか。日本という「しがらみ」がないので、旅の恥は掻き捨てといった風に金を使いたい、遊びたいという精神があるようにも感じます。

現地の人のライフスタイルに合わせてみるのもいいとは思いますし、食や旅行、そこにしかない博物館に行く、などの楽しみを見出すのも留学の楽しさだと思いますが、私としては、それが本当に留学の目的なのかな? と思ってしまいます。

 

2. 留学ってそもそも一人暮らしをするようなもの。

一人暮らしをしたことがある人なら分かると思いますが、家賃や食費など、実家暮らしだとあまり意識しなかった部分で費用がかかっており、生きるのに結構お金がかかるんだなぁと思うことがあると思います。

日本の場合ですと、家賃+食費+交際費+諸々雑費でざっくり12~13万くらいでしょうか。国の物価指数によっても変わってきますが、例えばカナダなら同じくらいのお金がかかり、1年間だと144~156万 (+通うなら学校代)がかかります(補足参照)。

これに加えて、保険や旅費、携帯や身の回りのものなどで、初期費用もまぁまぁ嵩むのが事実で、為替差とかでもわりとお金をもっていかれます。まぁ言ってしまえば、私立大学に一人暮らしをして通うのと変わらない費用がかかるのが留学、と考えると分かりやすいかもしれません(しかしそう考えると、日本での大学生活も中々コストがかかる暮らしですね)。

就労をするので無ければ、一年分の生活コスト+αを賄えるだけの費用を予めもっておかないと金銭的に非常に不安な生活になること。ビザ申請の際に資金証明を求められることもありますので、資金を持っていないとビザが下りないという側面もあり、未来の1年~数年の資金を用意できた上で留学が候補に入ってくるというのが現実的な所だと思います。

そうなると、未来数年分のまとまった資金を用意出来る≒お金持ちというイメージになるのは、ある意味仕方がないことなのかもしれません。

 

*上では資金がある程度必要と書きましたが、国や自治体、学校レベルでも海外支援を行っている所はとても多いので、留学と奨学金を同時並行で進めることを筆者は強くお勧めします。奨学金をもらうハードルが高いものもありますが、お金をもらうために奨学金の書類を書くことは留学へのモチベを相当高めますし、何より「こういう目標を掲げて頑張ろうとしたんだから」という思いが自分を支えてくれます。

 

 

道楽

「お金持ち」の部分でも触れましたが、何かを食べた、どこかに旅行に行ったという行為をすると、その留学生の中で、体験として沈積していきます。こうした体験は言語化が簡単で、言語が拙かった人は、言語の成長も目に見えるものとして感じると思います。

しかし、内面の変化や考えの変容なんて言語化するのが難しく、ともすれば「何か分からないけど成長した」っていう状態になってしまうことが考えられます(私もベルギーからの帰国直後はこんなんだったような…)。大学生の留学がメジャーになってきた分、留学生が語る話は、分かりやすく言語化出来る、表面的な体験の話題に偏るかもしれません。

成長度合いは人によって異なると思いますが、少なくとも異国で、ある程度の期間生き抜けばそれなりに成長しているはずです。でも、言葉として具体的に語られない内面部分の成長が分かりづらい、語られないことで、表面的な体験を聞いた人からすると、ただ旅行している、遊びに行っただけという風に聞こえてしまう気がします。

 

また、語学学校において、ESL第二外国語としての英語勉強)を終えた留学生の英語を聞いていると、レベル感が人によって大きくばらついているように感じます(n=20くらいですが…)。つまり、言語を学びにいった留学なのに、帰国してきた留学生を見ても、人によってはあまり言語が伸びたような気がしないというのが勉強してきたと思われない理由の一つなのかなとも思いました。

英語のアクセントについても思うものがありますが、移民の街バンクーバーですと、いろんな国のアクセントの英語に慣れないといけないので、英語っぽくないアクセントに難癖をつけるのはあまり良くないかな()

そして、日本人に限った話ではありませんが、母国語をシェアする人たちで固まり、あまり英語を話そうと異文化交流に挑戦している人をあまり見かけません。まぁブログとかだと「俺はこんなに挑戦して英語力がついたんだぜ」と書いている留学記事がめちゃいっぱいあるのですが…。留学に行く数が多いから、自分の体験に誇りを持っている人が発信していき、インターネットに溜まっていく感じですかね。

移民の街であり、語学学校がたくさんあるバンクーバーですので、それを目的に世界から人が集まります。ただ、世界中から人が集まれば国際交流が起こるかと言えばそうではなく、国同士や地域同士などの「気楽な繋がり」「内輪」でまとまることが殆どです。(個人的にカナダに来て大きな発見だと思ったので強調してみました)

母国語をシェア出来る人がいれば頼りたくなる気持ちも分からなくもないですが、授業を受けていれば英語が身につく訳ではないのは、中高で英語の授業を受けてきた人なら想像に難くないと思います。もちろん英語を効率的に教えるメソッドなどはあるのでしょうけれども(そうでなければあの授業料は高い…)、本気で言語を伸ばしたいなら触れる量と質を高めないことには始まりません。

しかし、語学学校に通っていれば英語力がつくというイメージが存在すること、そして日常会話が出来ればいいと思っている人が大半なのでしょうか。ESLを受けたわけではないので、受けた留学生を見た感想でしかないですが。

学校にもよると思いますが、語学学校や専門学校はそこまで忙しくないです。授業の予習復習をがっつりしてバイトをしても、自分の独学をする時間が残ります。なので、授業時間以外では何でも出来るんですけれど、何でも出来るが故に「休日」として消費してしまう、遊びに時間を使ってしまうケースが多くなるんじゃないかなぁと思います。

 

ワーホリについて

さて、留学と混同されやすいワーキングホリデーについてですが、これは厳密に言うと留学ではないです。

違う国に留まって、何かしら勉強をするのが留学ですが、ワーキングホリデーは(ワーホリ)は、現地で働いたり学校に通ったりすることが出来る観光ビザです。いろんなことが出来る観光のようなイメージでしょうか。

ワーホリは、ただの観光ビザでは出来ない、就労や学校を加えた海外体験を求めてやってくる人が多く、ワーホリでカナダに来ている日本人は、がっつりレストランなどで働いている人が多い印象があります。

しかし、別に就労をする必要もなく、長いバカンスを楽しむためにワーホリを使うことも可能です。ホリデーと名がついている通り、「休み」なので、かなり自由に海外で時間を過ごすことができ、旅行をしたり、がっつり働いたり、学校に行ってみたりすることが出来ます。

このワーホリが「留学」(≒海外に行くこと?)と結びつくと、遊んでいるように思われるのかもしれません。ワーホリはそもそもホリデーですから、それに対して「道楽」だと否定するのも不思議な感じです。

留学に興味をもって調べてみると、意外に留学の種類が多いことに驚く人もいると思いますが、それを知らない人からすると、海外に行ったのに遊んでばっかいる人間もいる、と否定的に捉えてしまうような気がします。

 

 

まとめというほどのものでもないですが、「留学ってお金持ちの道楽でしょ?」という言葉に対して私が答えるなら、「お金持ちは正直事実だと思う。でもあまり道楽だとは思わない。どれくらい成長するかどうかはその人次第だけど、言語化しにくい部分で遊びとは違った成長をしていると思う」といったところです。

海外に行くことがそれほど特異なことではなくなった今は、留学(異国の地に滞在して学ぶこと)のスペシャリティが薄れているのかもしれません。寧ろだからこそ、留学が道楽になるか学びになるかはその人が努力するかであり、やるかやらないか、という次元になるのでしょう。

留学が目的ではなく、手段だと考えるといいのかもしれませんね。

 

補足

途中で紹介した物価の話の参考リンクです。

ふとデータを眺めてて思ったのですが、日本の外食指数がかなり低いんですね。韓国も低め。日本で友達を誘う時に「ご飯食べに行こう」というのが多いのはこういうところもあるのかな?(カナダでよくある誘い文句は「コーヒー飲みに行こう」なので)

https://www.numbeo.com/cost-of-living/rankings_by_country.jsp

 

 

ここまで読んで頂き、ありがとうございました!

留学を2回体験している身として、この記事は書いておきたかった。

バンクーバー = アジアンクーバー?

皆様こんにちは。葉月です。

 

只今カナダに留学しておりまして、6月なのにも関わらずたまに寒い日があります。夏が来るのが待ち遠しいです。

今回のネタはふとカナダに暮らしていて思った疑問から、いろいろ統計を漁ってみた結果をまとめたものになります。

数字を眺めていると、実感と違っていたりすることがあるから面白いですね。

 

さて、カナダというと、少しグーグルしてみると「多文化主義」という言葉に出会うと思いますが、そのくらい移民を広く受け入れている国の一つです。

バンクーバーダウンタウンを歩いていても、イラン系、インド系、アジア系、ヨーロッパ系などなど、人種が混ざりをひしひしと感じることが出来ます。

留学生もいますし、永住権を持っている人、2世として生まれている人など、もはやカナダ人って何だろうと思ってしまうくらいです。

しかし、ふと「アジア人っぽい人多くないか?」と思うときがありました。

多文化主義っていってるけど、バンクーバーってアジアン文化主義では?」と。

 

そんなことが気になったので、果たしてバンクーバーはアジアンが沢山いるのか、数字を見て検証してみようと思いました。

最新の国勢調査のデータ(2021年度)は、国籍などの詳細がまだ集計中らしく、2016年度のカナダの国勢調査のデータを参照しています。

 

目次

 

 

定義と用語の確認、基礎情報

定義と用語の確認
  • アジアの定義

    *南アジア、東南アジアと東アジアに絞るのもいいかと思いましたが、感覚として統計上のアジアの定義でも問題無さそうなのでそのままにしています。

  • どのくらいをもってアジアン文化と定義するか?

 

基礎情報
  • Vancouver CityとMetro Vancouverの違いは?
    • これから先に出てくる"Vancouver City"と"Metro Vancouver"の違いについてです。東京23区と東京都みたいなイメージをもってもらうと分かりやすいと思います。Vancouver Cityが都市部になりますが、そこから少し広がった郊外地域を含めたものがMetro Vancouverになります。

    詳しい定義が知りたい人はMetro Vancouverでググってみてください。

  • Metro Vancouverは2882km²なので、神奈川県と近く(2442km²)、Vancouver cityだと115km²になります。Metro Vancouverの人口は246万人(2021: 264万人)であり、近いのは大阪市(269万人)でしょうか。Vancouver Cityだと63万人(2021: 66万人)になります。

 

 

結果と考察

Ethnicの項目から、アジア地域に入る人の割合を計算しました。Vancouver Cityでは48.5%(約63万人中30万人)、Metro Vancouverでは45.8%(約246万人中113万人)となります。

  • 結論としては、過半数を超えないものの、4割以上はアジア人という結果から、アジアン文化と言えそうな気がします。

何とも微妙な割合ではありますが、ヨーロッパ系の人が多いことを期待してバンクーバーに来ると驚くかもしれません。

 

 

補足

 

  • 現在自分が移民であり、移民の状況にも興味をもったので調べてみました。地域別の移民数を集計したものが下の図になります(図1)。アジア地域からの移民が多く、アジア地域内を確認すると(図2)、中国人の数がとても多く、次点でフィリピンやインド、香港が多いことが分かります。

中国人が多い理由としては、元々の人口が多いこともありますが、ダウンタウンに大きなチャイナタウンがあるのも大きい気がします。インド人はMetro VancouverのSurrelyという地域に多くいるらしいです。実際に行ってみると確かにインド系っぽい人達が多かった印象。

 

Area comparison

図1. 地域別移民数。アジア地域が突出している。

 

Country comparison in Asia

図2. アジア内国別移民数。中国が突出して多い。

 

ちなみに留学生の国籍を見ると、インドが多いのが特徴です(全体の3割ほど)。2021年に中国からの留学生が少ないのはコロナなどの影響もあるのでしょうか(infographicより)。2017年だと中国とインドの留学生が多いのが印象的です。

 

 

出典

人口と民族の数、移民の数はこちらを参考にしました。Metro VancouverとVancouver Cityが比較出来る状態になっています。

<URL: https://www12.statcan.gc.ca/census-recensement/2016/dp-pd/prof/details/page.cfm?Lang=E&Geo1=CSD&Code1=5915022&Geo2=CMACA&Code2=933&SearchText=Vancouver&SearchType=Begins&SearchPR=01&B1=All&GeoLevel=PR&GeoCode=933&TABID=1&type=0>

脚注103より、ここでの民族(Ethnic)は3, 4世の移民においても移民時のEthnicが適応されるので、かなり前まで遡ると想定されます。

 

留学生の情報はこちらです。サイト内で引用されているsurveyのデータが見当たらないので概観に留めておきます。

https://cbie.ca/infographic/

https://cbie.ca/wp-content/uploads/2018/09/International-Students-in-Canada-ENG.pdf

 

 

ちょっとした調べもののつもりが楽しくなってグラフまで作っちゃいました。また何か気になったら統計を漁ってみたいと思います。

ではでは~

Youは何しにカナダへ?

皆様こんにちは。葉月です。

 

只今カナダに留学しております。どことなくデジャブを感じる町バンクーバーに滞在中です。

日本が寂しくなるかと思いきや、専門学校に日本人がいっぱいいるので、どんなマインドで留学に来ているのか、能力はどの程度あるのか、ということを英語を使って分析したくてワクワクしています()

「留学先で日本人と絡むな!」って書いてある留学記事をたまに見かけますけれど、私個人としては、けっこう長く住んでいる日本人の情報とかは暗黙情報として有用だと思うので、無理せず「知り合い」程度でも日本人留学生と付き合うほうが良いのでは…? というお気持ちです。

まぁまだ友達を作っている最中ですけれども…。

 

そんなことはさておきまして。今回は、そもそも一回ベルギーに留学したはずの葉月が、何故またカナダに行っているのかという理由をきちんと言語化しようと思って書いてみました。

需要あるか知りませんし、私のFacebookを知っている人はけっこう内容が重複する点があるように感じると思いますがご承知おきください。

 

 

―――

私が2回目の留学を考え始めたのは、留学に帰ってきた直後からでした。

高校でベルギーに留学し、無知の知を知ってしまった。

異文化を、知らない世界を学びに行こうとして10ヶ月滞在した結果、自分が最後に思ったことは、やはり自分が知らない世界は多いな、ということ。

ベルギーという世界をある程度理解したものの、そこから広がるヨーロッパという多くの矛盾と理想をはらんだ共同体、そして世界の広さを改めて実感してしまいました。

だから見知らぬ世界を知りたい、大学でも留学に行ってみたい、と思っていました。

その思いを叶えるため、大学に入り、スペイン語を集中して学習し、南米の文化に触れようと考えました(この辺りの理由はベルギー留学の記事でも少し触れていますので是非…!)。

 

leafkeylosttime.hatenablog.com

 

大学1年生の時に(スペイン語での)交換留学を検討し、奨学金とか大学への書類を作成したものの、専門分野の学習年数が足りずに留学に行くことは叶いませんでした。

大学を変える、英語圏の大学にするなど、留学を強行する選択肢はいろいろありましたが、自分の留学の目的があまりにぼんやりとしていて、とりあえず一旦保留にしようと思い、留学のことを放置していました。

迷いはしましたが、何となくこのまま留学へと足を進めるのは違う、と感じていたと思います。

そうしたら新型コロナウイルスが流行り始め、留学なんてムリゲーという空気が漂い始めます(余談ですが、2021年に渡航した人がけっこう知り合いにいて、コロナ真っ只中の時期に留学準備してたってことだから本当にすごいなというお気持ち)。この辺りの時期は留学なんて毛ほども考えていなかったような気がします。

 

年が明けて2021年になって、何となく留学にいけそうな兆しが出てきたので、留学について改めて考えたのですが、本当に交換留学が自分のしたいことなのか疑うようになりました。

見知らぬ世界を見たい、という目的はずっとありましたが、大学に入り、授業を受けて課外活動で友達と遊んだりする生活は、自分にとって意味はあるのだろうか。一度ベルギーで体験したことを、別の国で焼き増ししているだけなんじゃないかと思い始めます。

そもそも海外に行くってだけなら交換留学だけでなく、ワーキングホリデーとか語学留学とかでもその目的は達成されると考えました。というよりも、学部で大学の勉強をしたところで、専門分野を極めるには学部よりも院とかで留学するほうが遥かにコスパいいことを(奨学金がケタ違いに多い)考えると、俺ってなんで留学したいんだろう? と悩みました。

 

5~6月辺りで就活サービスからいろいろ情報が届くようになり、就活に対してやる気は欠片もありませんでしたが、野次馬のような気分でインターンとか就活とかしてみるかーと思い、ESとかを書き始めました。

ちなみにナメてたらわりと大変でした。「学生時代に頑張ったこと」って何だよ…。なくはないけど語れるほどのものはないよ…。みたいなお気持ちになりながらも、インターンに参加していく内に、学生のままで業界や働く会社を決めて、自分をアピールすることへの虚しさを感じます。

そもそも働いたことないのに、どんな仕事をしたいのか、さらには個々の会社や部署を決めるなんて、ただの直観でしかないと思いましたし、企業名だけで新卒という強力なカードを切るのはもったいないと思いました。

だからこそ、1回ちゃんと働く体験を経てから就活をしたいと考えるようになりました。よく考えると、海外に行くことも達成しておらず、このまま大学生活終わるのは絶対嫌だなぁと考えるように。

加えて、先ほど話題に出した「学生時代に頑張ったこと」ですが、自分が胸を張ってこれを頑張ったと誇れる体験を得たいという思いも生まれました。

別にESに書くような内容が全くない訳ではないと思いますし、適当に遊んでいたわけではないのですが、自分が自分で納得出来るようなレベルで努力を積んできたかと問われると悩んでしまいます。

 

そんなこんなで、インターンをやり始めた頃から、仕事+海外長期滞在+勉強(出来れば)っていうのが叶えられる留学がないか探したところ、カナダのCoop留学を見つけました。

Coop留学とは、1年のビザ期間の中で、半年専門学校で勉強をし、半年就労(フルタイム勤務も出来る)をするプログラムのことで、ワーキングホリデーだとフルタイムでの就労の可能性があまり高くなさそうだったので、こちらを選びました。

*後でワーキングホリデーの人たちと話す機会があったのですが、レストランのサーバーなどでフルタイム勤務している人は多いとのこと。自分がしてみたい仕事がオフィスワーク系だったので親和性は良くなかったですけれど、学生ビザのような就労時間の制限がないので寧ろフルタイム就労の可能性はワーキングホリデーのほうが高いかも?

 

自分が選択したのはDigital Marketingの講座で、Google AnalyticsSEOには元々興味を持っており、データ分析が出来ればいいなぁと思い選択しました。

そうして留学の準備を半年の突貫工事で進めて、今に至ります。

―――

 

 

長々と経緯を書いてきましたが、今回の目的はわりとはっきりしていて、1. Digital Marketingを学びたい。2. 日本で就活とかやる前に海外でフルタイム勤務をしてみたい。3. 自分が自分で誇れるような頑張りをしたい。が大きな目的となっています。

英語を鍛えたい、友達を作りたい、異文化を体験したい、というのはもちろんあります。けれど、今回においては優先順位は低めで、今回は友達と遊ぶことよりもボランティアとか就労の機会を獲りに行く留学にするつもりです。

英語はまぁ使えるので別にわざわざ鍛えなくてもいいかなと思っていましたし、異文化に関しては、バンクーバーは移民の街なので何か連綿と続く文化を学ぶような感じではないかなぁと思いました。

もちろん就労する上でカナダの文化や環境をきちんと理解していないとトラブルが多発するでしょうし、ビジネスで使う英語は勉強してきた英語とは違うでしょうから、そこら辺の暗黙知の獲得は怠らないようにしたいなぁと思いますが。

 

 

前回の留学でしみじみ思ったのですが、理想を高く掲げすぎて、そこに至るまでのステップを、自分がちょっと頑張ってやれる範囲に抑えておかないと挫折します。

階段やエレベーターなしに家の二階に上るのってすごく大変ですよね。

これって多分留学だけじゃなくて、何か成し遂げたい、成長したいと思った時にも言えることで、そこに至るまでのプロセスを一つずつきちんと考えたほうが成功率は上がるように感じます。

留学中の仕事に関しても、まずはボランティアやアルバイトの申し込みから初めて、フルタイムを狙っていくつもりです。

上にあげた目標を全て達成して帰ってこれるかは正直なところ分かりません。前回も異文化を学びたい、知らない世界を知りたいという思いで留学したものの、不完全燃焼だったなぁと思う点はいくつもあります。今回も全て完璧にこなせるなんてあんまり思っていません。

それでも、一年という時間と、自分の資金+借金をつぎ込んで挑もうとしている、自分の人生の一大プロジェクト、やれる限りはやり尽くしたい。

壁にぶつかる時は絶対にくると思いますし、きついことも沢山あると思いますが、留学2週目という反則技を使って、挑んでいきたいと思います。

 

 

ここまで読んで頂きありがとうございました。定期更新するか未定ですが、留学中の思考や思いを発信していければと思っています。

ではでは(*‘∀‘)ノシ

一人暮らしを続けてみて

皆様こんにちは。葉月でございます。

 

ツイッターでぽつぽつ呟いていますが、一人暮らしを始めました。

この記事を書いている時点で大体2か月くらいが経過し、生活にもかなり慣れてきました。

生活に工夫を見出そうといろいろやっているので、一人暮らしをしている時にいろいろ思ったことを雑記風に書いていきます。

住まいは家賃6万の1R6.3畳です。一人暮らしのテンプレっぽい感じの家なので、次に一人暮らしする時もこんな感じの家に住むんだろうなぁと思ったり。

 

~家事編~

・食事

献立考えるのが最高に面倒くさいです。毎日違う料理とか、冷蔵庫の中みて献立考えることが出来る人は本当にすごい。

決まった献立のルーティンを作成中…だったのですが、季節が変わっていく内に寒くなってきたので、最近は鍋を作って一日で回しています。

野菜も肉も切って煮ればおいしいので、脳死で作れる料理として愛着が湧いております()

 

目標、というか考えているポイントは、炭水化物、タンパク質、野菜とカロリーをどうやって資金内に抑えるか、です。毎食作るのは面倒くさいですが、自分の食べたいものを適当に自作するのは思ったより楽しい。

実家だと食事は半分作業になってましたけど、ご飯を食べる幸せが分かるようになりました。

ただ我が家の調理場が狭く、まな板を置くスペースがない、一口コンロなので鍋とフライパンの同時調理が出来ない、など、あまりガチな料理には向いていません。

まぁそこまでガチるつもりはないのでいいのですが、調理スペースは広いといいなぁ…とか思ったり。

 

・洗濯

どこまで貯めて安全なのか…というところから私は始まりました。毎日洗濯をする気が欠片もなかったですね。

洗濯機が全部自動でやってくれるのですが、少ない洗濯物で洗濯機を稼働させるのも何だか負けた気がして、タイミングを計るのがけっこう難しいです。

夏は下着のストックが無くなりそうになったら洗濯していましたけど、冬はあまり汗をかかないので、ほっとくと1週間くらい同じ服を着まわせるのではないかと錯覚しそうになります(2日は普通に着回してますが)。

水や電気をあまり使わないようにしたいので、どのくらいの頻度がいいのやら悩みながらも、とりあえずは週2ペースで洗濯中です。

アウターボトムが3着しかないわりに、この洗濯頻度で回ってる感があるので不思議()

もっと頻度を減らせそうな気がしなくもないですが、公衆衛生的なアレで一応週2にしています。

 

・洗い物

人にもよりそうですが、私は家事の中で一番億劫に感じるものかもしれません。

朝昼晩の食事ごとに洗い物をするのが時間の無駄に感じて、一日の洗い物をすべて夜にまとめてするようにしました。これが結構時間の短縮に繋がったのと、洗い物を増やさない食事の取り方を心がけるようになったので、けっこうオススメ。

ただ水場が狭いので導入出来なかった「食洗器」という家電がありまして、確かに留学していた時のファミリーの家にあってすごく便利だったなぁ…。

次の引っ越しは水場周りを気にして引っ越すつもりです。食洗器は絶対に導入したい。

 

 

~時間の過ごし方編~

・朝型になった

これが一番自分の中で変化を感じているところですね。

元々夜型ってほどでは無かったんですけど、まぁ24,25時くらいに寝て、8,9時辺りに起きる生活をしてました。

8~9月で本をガンガン読んでいましたが、その中で朝の時間を有意義に過ごすことの重要性を説く本がけっこう多く、試しにやってみたらハマりました。

確かに夜を長く過ごしていても、あまり充実した一日になる感がありませんけど、朝早く起きた日の夜とかは充実した一日になった感があります。

そういったことから、睡眠を意識して、毎日大体23~7時で睡眠を取るようにしてみました。けっこう毎日充実して楽しい。

実家にいた時から出来たことだとは思うんで、別に一人暮らしをしたからという訳ではないですが、自分の中のリズムが良くなった気がします。

 

・自己分析…というかいろいろ思考

とにかく一人でいる時間が長くなったので、自分と対話(ほぼ独り言)する時間が圧倒的に増えました。

一日の予定とか、自分が何をしたいのか、どう生きていきたいのか。

最近は思考に新たな発展が起こっていませんが、自分の考えや思いを紙にガシガシ書き残すようにしています。

PCで全部出来ることっちゃそうなんですが、何だかんだ思考整理はアナログのほうがいいなぁと。

 

・時間をどう分割するか

時間って有限だなぁと改めて実感しています。

家庭の事情で半年くらいしか一人暮らしをしないのですが、もう1/3終わったのかと考えると、光陰矢の如しとは良く言ったものだなと。

時間を無作為に消費するのではなく、きちんと使い道を選んで割り当てていく感覚を持てるようになりたいなーと思い、いろいろ試行錯誤中です。

買い物や洗い物をまとめて行ったほうが時間の短縮になるなーとか、ゆっくりする時間は午後、頭を働かせる時間は午前中、みたいにタスクの割り振りをきちんとしたほうが時間は有意義に使えるなーとか。

一人暮らしって、実家に比べて時間のコントロール範囲が大きく広がるのがメリットだと思っていて。食事や起床時間など、実家だと決められがちな時間もいろいろずらしてみて実験が出来るのが楽しいです。

まぁただデメリットもありまして、当たり前ですけどやることが増えます。親というアウトソーシングが優秀だったんだなぁ、と実感するのも一人暮らしの醍醐味だろうなぁと思ったり。

 

 

~所感~

一人暮らしを始めると、自由と責任が表裏なのをすごく実感します。

一人暮らしは生活のコントロール幅が広いですが、広いが故に生活の結果は全て自分の責任になります。不健康とか怠惰さとか、実家にいれば人のせいに出来る余地がありますが、一人暮らしとなると、自己責任でしかないですからね。

そういう意味で、時間配分の決め方や、思考の深堀など、まだまだやることが多いからきちんとしないとなぁと思う最近です。

 

あと自炊をしてて思うのが、冷蔵庫70Lはかなーり厳しいです。料理の幅が狭くなる…(野菜をそこまで貯めることが出来ない)。一人暮らしでも130L辺りの冷蔵庫を持っておくといいかもしれません。冷凍庫も広いので、アイスとか困ったときの冷凍食品を貯めることが出来たりと便利だと思います。次は大きい冷蔵庫にしよう。

そして、食事のところでも述べましたが、1つしかコンロがないと作業はかなりしづらいです。1Rなので仕方ないけども、料理をある程度やろうとすると、スープを作りながら何かを炒めるといったことをしたい場面とかがあったりします。コンロが一つだと作業が渋滞するので結構不便…。

まぁただこれは料理にそれなりにこだわりたい人向けだとは思うので、そこまで自炊しない人だったら小さい水場で十分かもしれません。

 

最後に、これが一番言いたいことですが、一人暮らしでいらないものはけっこう多いです。引っ越しをする前に部屋のレイアウトをイメージするために、Youtubeで多くのルームツアーなどを見てきました。その中で掃除機(ルンバ含む)、食器棚、収納カゴなど、いろんな便利グッズや家電がありましたが、基本的にいらなくね?という印象。

掃除ならクイックルワイパーで十分ですし、収納や棚を置くほど、そんな物を抱えて消費する(使う)タイミングがあるのか? と疑問に思ってしまいます。テレビ、ソファ、ベッド。ラグもいらないと思いますが、これは人によりそうですね。

あとは敷布団と毛布辺りをどうしようかなぁと考えています。けっこうスペースとるんですけれど、普通にマットレスの上で寝れば良くないか? と思ってしまいます。

ミニマリスト志望の人間だから、というのもありますが、コンパクトに必要なものだけで生きる、というのは自分の目指すライフスタイルとしていいなぁと最近感じています。

 

 

 

ガチのミニマリストの人みたいにショールームのような部屋を作るつもりはさらさらないですが、マインドというか考え方はかなり共感出来る部分が多く、今はモノを少なくすることに鋭意努力中です。

自分にとって必要なもの、生活の中にあって欲しいと思うものを選び抜くこと。

いらないものをバシバシ捨てる、という考えだとどうしてもモノを粗末に扱う考えに繋がってしまいますが、自分が生きる上で外せない、譲れないものを取りそろえる、という考え方だとモノを大切に出来るんじゃないかと思っていたり。

自分が一人暮らしを終える際に、次の一人暮らしの時の自分のニーズアイテムを見極められるようになっていることが目標なので、まだまだ生活の改良を頑張っていきたいと思います。

 

ここまでお読み頂きありがとうございました!

だから僕は、塾講の道を辞めた。

皆様こんにちは。葉月でございます。

 

今回のタイトルはヨルシカの「だから僕は音楽を辞めた」のオマージュです。

前々から、ずっとこの話題については書きたくて温めていた記事になります。なので「辞めた」とかいってもこれを決意したのはかなり昔の話です。

 

今回こうして記事を出すきっかけとなったのが「二月の勝者」というマンガを読んだことでした。

私自身、中学受験経験者で、アルバイトとして塾講師をしている立場上、マンガを読んでいろいろ考えさせられることがありました。

自分語りも少し入りますが、取り合えず「二月の勝者」の感想を述べて、その後に自分の塾講師としての経験も踏まえた自分の考えを述べようと思います。

 

 


まず軽く自己語りですが、自分は中学受験と大学受験をして、一般に「名門」と言われる学校に進んでいったタイプの人間です。

受験の際にゴリゴリに勉強して合格したのか、というと、自分としてはそんなことは全然なく。このマンガを読んだ最初の印象が、こんなに中学受験って苛酷になっているのか、という驚きでした。

合宿とかは経験したことないのですが、塾通いはつらかったかというと、塾に向かうバスの中で友達と軽く喋ったりして結構楽しかった思い出のほうが強いです。

親がそこまで受験に対して熱心ではなかったので、自分が好きで塾に通わせてもらって受験をした、というのも大きかったのかもしれませんが。

今考えると、親も文化祭に連れて行ってたので私立中学を意識していたのかもしれませんが、実体験としても、漫画を読んだ感想としても、親の意向が強く滲むのが中学受験だなぁという気持ちになります。

 

そういった意向とぶつからなければ気楽なのですが、成績を気にする親を持つと子供にとってもストレスフルでしょう。

実際、中学受験をする子供の割合は年々上がっていますし、同調圧力か分かりませんが、「ならウチの子も…」となり、参加者が増えると同時にヒートアップしていくような印象です。

そして、マンガの一番最初で語られる「君達が合格できたのは、父親の経済力。そして、母親の狂気」

受験を意識して塾に通い始めるのが大体小学校4年生頃でして、確かに3年間通ったらとんでもない金がかかります。

(自分が受験をした時は、5年生からでもいける、みたいな雰囲気がありましたけれどもね…。)

学年によっても違いますけど、一年でざっと100~150万くらいかかりますし、季節講習とか特訓講座等を加えると、6年生はもっと高くなります。

「習い事」であるはずの塾で、これだけお金がかかる。そして、かかるはずなのに、それを出費する層が相当数存在すること。

仮に自分が子供を持つ親だったら…、と考えて読んでみると、寒気がするような気分になりました。

 


感想はこのくらいにして、私が塾講師をやっていて思うことについて書いていきます。

いろんな校舎、クラスで子供たちを見てきて思うことは、勉強をしたいかどうかなんて正直上のクラスだろうが下のクラスだろうが変わらないんじゃないか、ということです。

もっと言うと、別に上位のクラスでも大して勉強をしたそうにはしていないといったところでしょうか。勉強にやる気があって勉強しているわけじゃない。

今の小学生を批判したい訳ではなく、主語がデカイのは承知の上で「学生」がこういう風になってきているんじゃないかと勝手に思っています。

小学生に焦点を当てるなら、「親に言われて」などの外部からの強制力があるからやってるんだろうなぁと。

それではクラスを分けるものは何か。

もちろん表層的な話で言えばテストの点の高い順なのですが、概ね上のクラスでは大人からの指示の聞き分けがいい子が多い印象です。

ここでいう「聞き分けがいい子」は、教師の指示した方法で問題を解くとか、家庭学習を指示通りにやってくるとか、教師の言ったことをそのままトレースして実行出来る子です。

下のクラスになるほど、「自分のやり方のほうが…」とか「そんなの面倒くさい」とか思う子供たちが増えてきます。

私は別にクラスの上下に優劣なんてないと思っていますが、受験勉強をしていく環境の中で、周りの子が教師の言うことを懸命に聞いてメモをしている子たちか、ボーっとしている子たちかでは本人の勉強に対する姿勢は変わります。

私自身も、先生がどうこう言ったから、というより、周りの友達がどのように勉強に取り組んでいるかのほうが影響を受けた自覚がありますし。

これに加えて、教師側はクラスの上下で色眼鏡をかけて授業をするので、下は騒がしくてもまぁいいやとなぁなぁにされがち。

塾全体の雰囲気として、「クラス」を何か人間的序列、価値序列のように見てしまう環境が、そしてそれにある程度馴染んでいる自分を含めた教師が、歪な社会を形成しているような感じすらあります。

 

教師側として思うことは、生徒が20人とか(小学校とかなら35人くらいかな?)に対して全員に刺さる授業をするのはそもそも不可能であることを痛感します。

あまり授業についてこれていない層を支えようとすると上位層の身にならず、退屈してしまう。上位層を支えようとすると下層がついてこれずに退屈してしまうという事態が日常茶飯事。

教師の体は一つしかないので、指示、様子確認、説明、生徒管理をどれもマルチタスクの中でこなさないといけません。

さらに言うなら、勉強にやる気が元々ないのに、内容が難しすぎたら(問題が解ける楽しみがないので)意欲を削ぐのは想像に難くありません。

実際に塾講師をしていて思うのが、簡単な問題を解いている時には不満なく数をこなす子供たちも、難しい問題をじっくり時間をかけて解くといった場面になると、途端に文句を垂れたり別の簡単な問題を進めようとする様子がよく見られます。

ちなみにクラスが真ん中から上くらいになると、上位層をどんどん上のクラスにあげることが教師の求められる働きになるので(受験成績を良くする有望株を早くいいクラスで培養したいのでしょう)、中間から下は捨てられがちになる印象です。

 

それでも塾にやってくる子たちは、子供という母集団の中から相当選ばれた層。

先ほども述べましたが、親が相当の収入を持っていないと子供を塾を2~3年間通わせること、私立に入るのならそこから先の授業料を払うことなんて困難です。

学歴意識(子供を良い学校に入れたいという意識)が高い親が、実際に子供の学歴を高める手段として塾に通わせるには収入が条件になってきます。

塾によっても違いがありますが、基本的に塾は目当ての学校に入れるノウハウを提供するコンサルみたいな仕事で、中学受験においては塾に通わせることがほぼ必須条件になっています。

すると親の収入が高い → 子供の学歴のスタートラインが(早い段階で)進んだものになる → 子供を持つ親となった時に良い収入を得やすい、のように、学歴投資の連鎖とでもいうか、収入面からみた社会層の再生産が階層ごとに起こっているような、そんな気持ちになります。

さらに、中学受験の世話をした子供が大学生になったらバイト講師として採り、それなりな給料で労働力として用いるというシステムが確立されており、自分のような塾講師自体が、階層の再生産を象徴しているような気もします。

ただ、自分は学歴の面ではエリート街道を進んできており、歪だと思いながらも、これを享受しない手はないと思ってしまうのもまた事実で。

受験制度が無くなれば話は違ってくるのだろうけど、(いい幼稚園、小学校)→ いい中学校 、高校 → いい大学 → いい企業(そして収入)はドミノ倒しみたいに受験で繋がれているように感じます。

(就活もある意味では受験と変わらないと思っていて、一定の評価の枠組みや勝ち方(合格のセオリー)や、一括採用(チャンスは一年に一度のセンターと同じような)が存在すると思います)

相関関係でしかありませんが、中学受験という受験での接続と、いい収入を得る(子供を塾に通わせることが出来る)という事象が繋がっているように見えてしまいます。

 

 


そもそも論として塾講師は、全国の小学校の中の(親の収入面という意味においても)選ばれた生徒と、放課後の少しの時間しか生徒と触れ合う機会がありません。

講師の根幹にあるはずの「教育」というものに対して、自分の力の及ばなさとでも言いましょうか、及びようのなさを感じます。

まぁ塾講師にそんなものを求められていないのかもしれませんが。

たかだか一科目を教えているだけの教師でしかないから、自分がそこで教えていることに価値を見出すことが出来ないです。ぶっちゃけ誰でも自分の代わりって出来るわけですし。

もちろん教え方が上手い人は十分に価値があるとは思いますが、多分塾的には大して変わらないのでしょう(そういう人よりはコマの穴を埋めることが出来る、ある程度のクオリティの人材が大量に欲しいのかなぁと)。

企業側から考えても、塾講師の教えるスキルが属人化してしまうと、その人が抜けた際に困ります。なので、普遍的なマニュアルを作って、全員が求められるクオリティの授業を作れることが重要になる。

教材は教えるべき範囲がカッチリ決まっていて、その範囲をこなすだけでタイムオーバーになり、初心者でも出来るように、というよりも誰でもある程度は出来るように、という印象です。

バイトをして小銭をもらう分にはやりやすく、自分たちが得てきた「教育」を次世代に対してそれなりに繋げればいい。授業の形を作ること自体は容易です。

でもこれで子供に関われるとか、未来世代を育成したい、みたいな、自分が教育に対して抱いていたイデアが叶うとは絶対に思いません。というか思えません。

職業として、私が得たかったものは手に入らなかったような気がします。

 

 

バイトという身分で一塾企業の末端で働いて、得られたものがこの業界に対する諦念というのも、ある意味社会勉強なのでしょうか。

働く、という将来の道に対して、選択肢が一つ減ったことを僥倖と捉えるべきなのでしょうか。

社会の一員となって働く。なんて陳腐な言葉が、「自分が取り換えの効く歯車のようになっている」と解釈出来るようになると、仕事に対する見方をきちんとしないとなぁと思う気持ちで一杯です。

考えすぎなのかもしれないし、バイトなんてそんなもんかもしれない。

それでも、社会階層の再生産の一助をしているという感覚に対してはっきりと抵抗感があります。

なんで今でもバイトをしているのか、と聞かれると、小銭稼ぎ以上の答えを見いだせませんし、金を稼ぐ方法が他に身についたら心の底から辞めたいと思っています。

バイトを始める前は、私にも信念があったんでしょうかね。

部屋に干してあるワイシャツは、高校生から同じものを使っているはずなのに、どうにもくたびれたように見えてしまいます。

 

 

 

ここまでお読み頂きありがとうございました。

次の記事は未定ですが、ブログを書く頻度を上げていきたいなぁと思う最近です。