皆様こんにちは。葉月です。
いろんなことが起こった気がする大学生活が終わりました。
将来また学生をやっている可能性が無くもないですが、自分の人生の一つの大きな区切りとして、感想を書き残しておきたいと思います。
1年休学(留学)を挟んで、大学5年間を時系列順に見ていこうと思います。
大学1年生:
大学入試も終わり、いろいろなことに手を出しながら、新しい生活に慣れていこうとした期間でした。
4~6月辺りまでは勉強したりサークル行ったりと、真面目な大学生をしていたような気がします。自分の通っていた大学だとクラスというシステムがあり、そこで人付き合いがそれなりに出来ていたのも大きいかったですかね。
ただきちんと授業に出席して、授業の予習復習をするのはけっこう大変でした。勤勉な学生であろうとすると、5月病になる気持ちが分かった気がします。
6月にアルバイトも始め、大金じゃないけれど、自分の力でお金を稼ぐようになった感慨深さがありました。
夏休みは、大学で留学に行こうと動いたタイミングであり、書類を作ったり奨学金に申し込みをしたりとしていたんですが、専門課程の年数が足りないという理由でボツに。
元々はスペイン語圏の大学に留学をしたいと考えていたので、国を変えて計画を進めることもできましたが、一回留学の話は脇に置いておくことにしました。
留学自体はすごくしたかったんですけれど、何となく今の留学のプランがあやふやで、このまま計画を進めることに対してしっくりこなかったというのがありました。
今考えると、ここで中断したからこそカナダ留学を見つけることができたというのもあるので、悪くない判断だったかなぁと。
9月には青春18きっぷで長旅をしました。その当時は鉄道についてあまりよく知らなかったので、安い値段で旅行がしたくて、青春18って書いてあるから18歳しか使えないかも、急がないと、と思って長旅を実行。
この名前紛らわしいんよなぁ……。青春きっぷとかに改名しません?
7月の試験期間中に旅行日程を作っていたんですが、これが試験勉強の息抜きとして最高に楽しかったです。8泊9日で関西、中国、四国辺りをグルグルと廻ったりしていました。ベルギー留学時にもちょこちょこ一人旅をしていたんですが、やっぱり旅行って楽しいと思ったのもこの時期。
そんなこんなで大学1年の後半戦。
夏休み明け、9月病なのか分かりませんが、大学に対してのやる気がすっぽりなくなりました。なまじそれなりにいい成績を取ることが出来てしまったが故かもしれないんですけれど、学校で学ぶことに対しての価値を見出せなくなってしまいました。
ただ夏休みでスペイン語教科書のフル日本語訳を作ったりもしていたので、何か成果を生み出し続けていたい、みたいな価値観はあったのかなぁと。
1年生の後半は、投資、対人関係の本を読み漁るなどもしており、自分なりに何か知的生産活動をしていたい、という、ある意味では「頑張り病」みたいな感じになります。
これ自体は今でもあんまり変わっていないですね。まぁベルギーから帰ってきた自分の1つ大きな要素とでもいいましょうか。
2020年の1月に恋愛でやけどをしたりもしましたが、大学に来たり来なかったりをしている内に、Covidが姿を見せ始め、春休みから不穏な空気が漂いはじめます。
春休みに集中講義で伊豆に行っている間に、どんどんと不穏になってくる世情。
予定していたサークルの合宿、バイトがどんどんと無くなっていくのを目の当たりにしながら、2020年度が幕を開けたのでした。
大学2年生:
前半期は本当に記憶が薄いです。
Covidで授業がオンラインになったり、サークルの新歓がほとんど出来ない状態になったりと、変化は激しい時期だったとは思うんですが、イマイチ実感に欠けていまして……。
テレビでみる感染者の数字の提示の方法、報道の在り方に強く疑問を覚えたり、せっかく暇な時間が増えたのだからと思い、1年生の後半でいろいろ本を読んでいた対人関係の方法論についてブログでまとめてみようとしてみたりと、時代の流れの中で、どう生きたらいいか模索をしていました。
オンラインとはいえど、授業で時間が埋まっていればよかったのかもしれないですが、元々は1年生で単位を多くとり、2年生でアルバイトを多めに入れながら遊ぶ予定だったので、2年生の前期の授業のコマ数は本当に少なかったんですよね。
暇な時間をひたすら持て余す毎日。
今でも覚えているのが、1回目の緊急事態宣言が出されていた最中に訪れた東京の街並みです。
昼間なのに外を歩いている人がまばらにしかいない渋谷のスクランブルや、原宿の竹下通りを歩いて、感染症に対する恐怖の強さや集団心理とか、そういったものの力の大きさを実感した瞬間でした。
そういうのも、私が専門課程で社会心理学を選んだ理由の一つになっている気がしますね。
私の通っていた大学では、ざっくりと1~2年生の前半期までが教養課程で、いろんな学問を幅広く薄く学ぼう、という雰囲気なのに対して、2年生の後半期からは、専門課程の学びを深める時期になります。
後半期は社会心理学を学ぼうと進路を決めましたが、最初がとにかく大変。
統計を勉強しつつも、実験と調査スタイルに慣れるため、毎週のように分析と考察を含めたレポートが課せられ、課題に追われながらツイッターで悲鳴を投稿する、大学生っぽい生活をしていたような気がします。
オンライン授業だったので、専修課程の人と実際に会って話をするようになったのはわりと最後のほうになりましたが、新しい学問分野と人と知り合い、けっこう楽しかった時期です。
大学3年生:
大学3年生になる前の春休みくらいが面倒だった時期で、私の代で幹部だったサークルが潰れる渦中あり、後輩を巻き込まないようにいろいろ画策して頭を使っていました。
そういうわけで、新学期が始まったばっかの時のいい思い出はあまりなく、覚えていることといえば、自分の人生に対する焦り。
大学1年生の夏の時点でいったん白紙にした留学計画でしたが、大学生の間には絶対にどこか違う国に行きたいとは思っており、ワーホリ、交換留学、海外インターンシップなど、自分がやりたいことはどういった留学の形でなら達成できるのかずっと悩んでいました。
Covidによって、留学というかそもそも違う国に行くこと自体が無理ゲー、という空気が漂っていた2020年から、ほんの少しだけ空気が変わってきた2021年。
そんな中において、留学をしたいと思う気持ちはずっと心の中にありました。
ただ大学3年生になると、どうしても現実問題として迫ってくる進路選択。
早く職を得て自立したいと思っていた自分にとって、就職活動を通じてきちんと自活できる仕事を探すことが必要でした。
最初のほうは「自己分析」をしたり説明会に参加したりと、いろいろ情報を集めていましたが、あまりの企業の多さ、やりたいことの漠然さから、情報の海に飲まれてしまいそうに。
とりあえずインターンシップとやらに参加してみようかとやってみるも、「学生時代に頑張ったこと」「将来やりたいこと」などをESで聞かれ、イマイチ自分の中で言葉にできない。
やらないといけないこと、やりたいことが自分の中で納得のいく形にならない中、タイムリミットは刻一刻と近づいてくるので、プレッシャーがだんだんと強くなっていった時期でもありました。
そんな中でぽっと湧いて出てきた、一時的な1人暮らし。
どうも両親は実家をリフォームするつもりだったらしく、大学の授業はまだまだオンラインが主流だったので、工事の音やら生活やらを考えて、半年くらい1人暮らしをしないかと言われます。
ずっと1人暮らしをしたかった葉月にとって願ったりかなったり。二つ返事で引っ越しを決めました。
そうして8月から1人暮らしを始めていましたが、夏休みに1dayのインターンシップを受けながら、やっぱり自分は留学に行きたい、と再認識します。
それは、「大学生活で何かを成し遂げたい」という気持ちがあったことに加えて、「仕事をすることに対して自分なりの観点を持ちたい」という気持ちが生まれてきたからでした。
1人暮らしをしてて、日々の生活を生きることは簡単だったんですけれど、自分がやりたいと思うことをやりきれていない不完全燃焼感であったり、1人暮らしという完全自由の中に生きていて、達成したいと思うことがまだ出来ていないことに対しての不満感のようなものがありました。
自分で自分に誇ることの出来る体験を、大学生の間にしたい。
仕事をするってどういうことなのか、学生の内に知っておきたい。
部屋にポツンと独り。自分のやりたいことや進路を頭に浮かべて、紙に書きつけては消してを繰り返し、インターネットで留学の形をいろいろ調べた結果、カナダのCoop留学に行くことを10月末に決意しました。
1人暮らしの最中には友人の紹介で付き合う人が出来たりと、生活において自分の知らない世界が広がっていくような楽しみがあった時期でした。
大学時代で一番楽しかった時期を挙げるなら、この1人暮らしの時期ですね。実家から1Rの狭い部屋に移ったけれど、自分の世界は大きく広がった時期でもありました。
大学4年生(留学):
本当は留学って1年くらいかけてしっかり準備をすべきものなんですが、10月末に留学に行く決断をしてから、実際に渡航するまで半年。
ビザとか諸々が突貫工事になるのを行動力で誤魔化しつつ、4月からカナダのVancouverに留学に向かいました。
なぜカナダなのか、生活はどうだったのか、どんな学びがあったのか、については過去記事でかなり真面目に書いているので、まだ振り返ってないことなんてないような感じもしますが、ベルギーに留学した時とは全く違う体験をしたことは間違いありません。
(以下、過去記事の貼り付け)
カナダ留学では、半年の勉強 + 就労という面白いタイプのビザで、自分の力の限りでいろんなチャンスを掴もうとしたこと。
遠距離恋愛から別れたりと、手から零れ落ちたものもありましたけれど、しっかりとつかみ取ったものもあり、このタイミングで1年という時間を使った価値はあったなぁと思いました。
留学の副産物のようなものですが、この留学の途中でボスキャリに参加し、内定をもらうことが出来たので、就活も終了しました。
働くこと、自分の力で生きていくこと、という二つの課題に対して、自分なりに足掻いた結果なのかなとも思います。
大学5(4)年生:
記憶が新しい大学4年生(2回目)です。
2023年の振り返りでも軽く触れていますが、4~5月頭まではとにかく「寂しい」って気持ちが強かったですね。
留学期間を経て、手のひらから零れたものの存在。そして1年という時間の間に、友人のほとんどは大学を卒業するなり、大学院に進学するなりと、大学の学部4年の自分のいる場所とは遠い所に行ってしまったかのような寂しさを覚えます。
また研究室のミーティングで顔も知らない一個下と同じ学年となり、やりにくさを感じていました。
すでに形成されているコミュニティの中に入り、しかも1年間しか所属しないという時間制限がついているのはベルギー留学の時と似ていて、そういえばアレもやりにくい状況だったんだなぁとふと思い返したりしました。
そんなこんなで寂しさを感じることがあったものの、授業に追われているわけでもないので暇な大学生生活。
暇を持て余すのも何だかなぁ、という気持ちがありましたし、2020年度に遊ぼうと予定していたのがCovidで無くなっていたことから、この1年は遊び尽くしたいと考えていました。
そうした経緯から、大学生モラトリアムを謳歌し始めます。
旅行に変なこと企画、卒論にぼちぼちやる気を出しながらも、自分のこれからの人生の方向性を探るための肥やしをいろいろ作っていました。
5月に箱根を歩いたり、7月で簿記2級取得RTAをした後には、8月では北海道と四国、9月には九州で自動車免許合宿と、大学生に自分らしさをトッピングした遊びができたんじゃないかなぁと思います。
夏休み後の後半期も、10月は自動車運転の練習にTOEICの勉強、11月はドライブ企画をしたり部屋探しをしたり、思い立って京都に行ったりと、多動に生きておりました。
12月は何だかんだやる気になっていた卒論の執筆に集中。データが全て集まったのが11月末と遅めだったのですが、分析が楽しく、2週間くらいずっと卒論に浸っておりました。
1月は新生活の準備をしながら、残りの学生生活の間にやり切りたいことを消化していっているような感じで、2~3月はほぼ一人暮らしの家にいません。最初の数日は暮らし企画をしますが、その後はベルギーにいたり、日本全国を飛び回っていたりとする予定です。
(なんで1月末に部屋借りたんだよ、とかは言わない方向で……)
最後の5年目は本当に多動に生きていますね。やりたいという気持ちと行動力を重ねるとこんな風になるのかもしれません。
全体的な感想:
2024年2月に卒論発表会の打ち上げが終わった後に、自分の大学生活が終わりに近づいていることを強く実感したと同時に、自分の大学生活を振り返ると、いろんなことをやってきたなぁと思いました。
それと同時に、自分自身が気づかないうちに相当変わったんだなぁと思います。
これはベルギーに帰省した時にも思ったことで、そりゃ思春期真っ盛りの17歳の自分と比べたら少しは変わったのだと思いますが、あまり大きく変わっていないベルギーの街並みの中、それを見る自分自身がかなり変化したんだなぁと強く感じるようになりました。
進んでいる時は頑張って歩いているだけなものの、ふと後ろを振り返って、自分の歩いてきた道を振り返ると、確かにそこに自分の足跡が見える感覚といいましょうか。
地点地点を区切って振り返れば、正直二度とやりたくないと思う体験も多いですけれど、振り返ってみると、不思議と全部セピア色のいい思い出に思えました。
サークルのゴタゴタとか、カナダ留学時の限界140%の稼働とか、やっている最中は無我夢中で、終わった直後はもうやりたくないと思った体験の数々。
沢山学びがあり、でもやれることはもっとあったと思えるカナダの留学ですら、記憶を引き継いでもう1回できるとしてもやりたくないです。遠距離恋愛も続けられた自信は皆無ですし。
後から客観的に物を見れば、もっといろんな選択や判断があっただろうと思う点もありますが、あの時のできる限りで決断を繰り返してきたとは思うので、そういう意味で、いい思い出になっているのかなぁと思います。
もう少しだけこのモラトリアムを長引かせたい気持ちもありますけれど、夏休みが8/31に終わるからいい、みたいな感じで、ここで区切りがつくのもいいと思うようになりました。
私自身、大学に入学する前は「大学生活なんて遊ぶためのモラトリアム」と思っていたんですけれど、想像していたよりも遥かに多くのことが起こって、それに対してアクセクしながらも決断をしていった5年間だったと思います。
高校のように、親や家庭、教師や学校の存在が強く影響を及ぼすでもなく、大人のように、自己責任が肩に重くのしかかって、行く先を自分の足で全て決めないといけないわけでもない。
結束バンド(アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の中のバンド)の「忘れてやらない」の歌詞の中で、「オトナほどクサってもいなくて、コドモほど天才じゃないが、僕は今、人生の中間だ」と歌われた「高校生/青春」。
この大学生活は、そんな言葉通りの「青春」だったように思います。
もうすぐそれが終わる時期になりましたが、なぜか寂しいという気持ちは少ないんですよね。どこかでこれを受け入れているような気分でして。
2021年に束の間の一人暮らしをしていた時、自分の人生に予想もしなかったことが訪れ、世界が広がっていくような気分になりました。そして、その「読めなさ」で人生が面白くもなっていきました。
人生のステージが変わるということは、自分の想像もしなかったような人や環境に触れるようになることなんだと思います。
それを楽しみにしている自分がいますし、自らつかみに行きたい。もし出来るのならば、誰かにとっての自分が「読めなさ」であればいいなぁ、なんて。
高校時代で見え始めた自分の方向性と、それに向けての修正を行えた5年間だったと思うので、面白い大学生活でした!
社会人としての生活を楽しみにしつつ、今の自分ができることを精一杯あがいて生きていこうと思います。
次のライフステージでは、どんな読めなさが待っているのか、楽しみです。