皆様こんにちは。葉月です。
今回は「言語化すること」に引き続き、自分の中で大事にしている考え方、「努力をすること」について書いてみました。
努力をするしないの話というよりは、葉月が努力することについてどう捉えて思考しているのか、という切り口で書いていきます。
- ざっくり努力とは
- 努力のタイミング
- 努力の方向性
ざっくり努力とは
まずは努力をすることの意味をざっくりみていきますが、葉月は植物の水やりと同じようなものだと考えています。
水をあげれば芽吹くわけでもないけれど、種がそこに眠っていれば芽吹くかもしれない。雨が降って勝手に芽吹くこともあるけど、水をあげないと水不足の可能性が起こり得る。そして、水をまいても芽が出るまでは時間がかかり、花が芽吹くにはもっと時間がかかります。
ただ、水をあげていれば雑草なり何かしらは芽吹いてくるもので、無駄に終わる努力も沢山あるとは思うけど、それ自体が完全に無駄になることは少ないかなとも思っています。
玉虫色な感じに聞こえるかもしれませんが、基本スタンスとしては、努力が無駄になることはないけれども、きちんと身になるものを生み出すには、それなりに努力を続ける必要がある、といった感じです。
人に与えられている時間が一律24hで有限である以上、ただ努力を続けるだけでは時間切れになってしまう可能性があるので、ある程度努力の量と方向を絞る必要があるのは事実であり。
ただ漫然と頑張るだけに終始するのではなく(頑張ることを目的にせず)、自分の人生に蒔かれた伏線(種)を回収、発展させていくのが「努力」であり、頑張ることかなぁと思います。
それはそれで自分の人生に蒔かれた種をきちんと認識して、それを育てたいと思いながら水を撒くことが必要なので、中々努力すること自体が難しいと思えるかもしれませんが。
努力のタイミング
いつ努力をするか、というのは人それぞれだと思いますが、まず必然的に頑張らないといけない状況というのは、対処すべき出来事や状況に自分の能力が追い付いていない時ですね。
力不足だから努力をしないといけないということで。
もちろん努力をすることで能力が向上し、対処すべき事態に対してキャパが追い付くようになることもありますが、学習曲線になぞらえると接線の傾き、つまり頑張る(努力)の効率/質も上昇していきます。
こうした努力の質、努力(能力)が向上していくのは、もちろん投入した時間も関係があるとは思いますが、筋トレと同じように自分の限界を少し超えた量をこなそうとすることがきっかけになると思います。
やりすぎると潰れるから注意しないといけないけど、壁にぶつかるからこそ、それをなんとかしようとあがく。切羽詰まってないと、自分の限界まで能力を使いこなそうとは思わないかもしれないのかなぁと。
留学とか異文化交流でよく言われる「コンフォートゾーンから抜けていく」というのは能力に負荷をかける感覚に近いものがあります。
自分の安全地帯の中でも困難は生まれるとは思いますが、生活のそこらかしこに障害というかハンデを背負う材料が転がっている中で、掲げた目標を達成しようとすることは、その課題単体で挑む時よりもはるかに負荷がかかっている状態になります。
加減が必要ではありますが、限界ギリギリまで頑張ってみることで努力をする自体の質が向上するのかなと葉月は考えたり。
この努力の方法は水やりの例えでも言及したように、そこに種が眠っていて、芽吹かせることに意味があるものに(絞れるなら)絞るほうが効果的だとは思います。前述のような努力の方向性は消耗が激しいですし…。
さて、少し人生論っぽくなりますが、葉月としては、能力を注ぎ込んで頑張る(頑張らないといけない)時が人生で幾度かあると思っています。
山場といいましょうか、がっつりそれに集中して取り組むことで、自分にとって大切なものを形にする、模索するタイミングは誰にとってもあるんじゃないかなと。
その頑張る時では自分の出来る限りの力を注ぐべきだと思いますし、悩みながらも模索して取り組んでいく期間がないと、人間として成長する機会が一つ失われてしまうような気がします。
と、いうのがベルギーから帰国した当初の葉月の考えだったのですが、カナダ留学で少し考えは変わったような気がします。
山場で頑張らないといけない時が存在はすると思いますが、それでキャパオーバーして生活が回らなくなるのも問題です。
だんだんと温度を上げると、高温で茹で上がっていることに気づかない、というゆでガエルの例えにならないように、この一線を越えたら今抱えているものが回らなくなるラインを自覚するのも大事というか。
キャパシティを自覚するのも大事であり、バランスを取るのが難しいなぁと思います。カナダの留学で葉月が直面した問題で、対処方法を模索しています。
努力の方向性
人それぞれ分野なり、やりたいことは当然違ってきますが、一つ大事なのは、自分が変えられることは何かと問い続けることだと思います。
自分が変えられないことには努力をするな、という訳ではなく、変えられないこと(他人だったり、環境だったり)に文句を言ってるだけで終わるのではなく、自分の変えられることに挑戦すること。
自分の努力が実るために出来ること、少しでも現状を良くすることが出来ることに対して努力をしようと行動出来るのが、いい努力の方向性じゃないかなと葉月は思います。
最後の結果はどうしても自分依存ではないものがありますから、ここが「努力しても上手くいくことがない」という難しい部分です。
心理学的には、自分の周りのことを制御出来るという感覚を持つことで精神的に安定する、といった自己コントロール感のようなものもありますね。
そして、何かに向けて頑張ろうとした経験は、何だかんだ他の分野でも置き換えが効いたりするものです。
某ゲームの名言を引用するなら「一つの道を究めた人間は、他分野も得意分野に置き換えて要領を得る」というもので、葉月も最近少しだけ分かるようになってきました。
あとは、何をしたいのか、という大きな目標から具体的に行動のプランに落とし込んでいくのが努力の方向性を絞る上で大事かなぁと。
やりたいことを並べてタスクにして頑張るのもいいですが、毎日タスクでギリギリまで頑張る生活は心が持たなくなります(実体験)。
何をしたくて、何を成し遂げたくて、今この努力をしているのかを常に考えておくことで、時間と労力を投資する感覚から少しだけ逃れることが出来るのと、遠回りをしている時に気づきやすくなるといったことがあると思います。
努力が出来ることも才能だとかGritだとか、様々な切り口で語られることの多い努力ですが、留学も終盤なタイミング、ふと自分の考えを雑記的に書き残しておきたくなりました
そろそろこの留学もまとめに入ろうかな。ではでは(^^)ノシ