葉月のまったりブログ

中の人の日常体験とか思ったこととかを雑記的に記していくそんなブログです。

時間とお金の交換について

皆様こんにちは。葉月です。

 

今回は自分がまだ専門学校に通っていた頃、印象に残ったことについて少し考察していきたいと思います。

それは、移動時間が1.5時間の人に対して「近い所に住んで、その移動時間分働けばこのくらい稼げるのに」と言っていた留学生がいたこと。

葉月は電車とかでぼーっと窓の外を眺めているのが好きなので、移動時間がまるで無駄みたいに捉えているこの発言に少し引っかかりを覚えました。

さらに、こっちで暮らしている留学生は、アルバイトの限界である週20時間(最近変わりましたが)の内、けっこうギリギリまで働いている人が多い気がしますし、金>時間という優先度が頭にあるのかなとふと考えました。

今回はそんな時間とお金という資源の交換について考えてみます。

 

この時間とお金の交換について気になり始めたのは大学に入ってからわりとすぐで、暇な時間を惜しむようにバイトをしている人がそれなりに存在していることを不思議に思いました。

もちろん大学の費用等々でお金が必要だからがっつり働いている人も居ますが、必要性を超えてバイトをしている層はいるんじゃないかなと思います。

その時に思ったのが、何か予定を埋めていないと不安なのかなと思ってしまうという考えでした。暇な時間を作っていると、ムダにしてしまうのではないかという考え方があるのではないかと。

休憩やゴロゴロした時間など、振り返ると必要がなかったと思える時間を過ごした後、もしアルバイトをしていたら(仕事をしていたら)、他のものに交換出来る(欲しいと思うものを買える)お金が手に入っていたと考えると、その交換のほうが良い、という発想です。

まぁ大半の人がもっとお金が欲しいという現状から、自分が暇な時間で行う行動 < その時間で生まれるお金、という式が成立しているような気がします。確かに暇すぎる時間を過ごした後、もっと他に有意義なことがないのかと考える気持ちは分かるけれども、暇を詰めてアルバイトをすることが完全に有意義だとも私はあまり思えず。

大学生という身分からすると、お金があればいろんなものと交換が出来るし、時間という資源の使い方がはっきりとしていない場合、欲望を満たしてくれるもの(お金)を獲得しておくという思考なのかなと考えました。

 

 

そしてカナダでフルタイムをしている内に、時間とお金の交換比率は時期によって異なるような気がしてきました。

今までの思考のスコープは大学生でしたが、ビジネス書なんかを読んだ時に、時間が大事といっている人が多いのにもどことなく納得感はあり、フルタイムの身になるとけっこうピンときます。

フルタイムを始めると、平日にがっつり遊ぶ、出かけるという発想が無くなります。

一日8h(残業ならもっと)が仕事に吸われるので、独学と食事やら雑事をして、睡眠時間を8h取ろうとしたら、遊ぶ時間はほぼ存在しないです。

趣味とか人と会うとかをしようとしたら自分の時間、雑事や睡眠時間などの時間からどこか切り出さないといけなくなる(毎日仕事終わりに飲み会とかどうやって生活しているんですかね…?)。寧ろお金を使うことで、遊んだりゆっくりする時間が作れるならお金を使いたいと思う。

そう考えてみると、金>時間となるのは学生だけな気がしてきます。学生時代は時間という資源が余っていてお金がない状態。逆に仕事を始めると時間がなく、お金は増える状態になるのかなと。

 

 

さらに、フルタイムで仕事している人の中でも、年代によっての違いを考えてみます。

時間とその対価としてのお金という変換は、スケールは異なるにしても、フルタイムでもアルバイトでも本質は同じであり、不労所得のシステムを持たない限りは時間を投資して、その結果としてお金を得るという構造になると思います。

時間という資源はどんな人に対しても一日24hなので、その時間の資源を時間として消費するか(直接はお金を生まない活動。間接的に繋がるであろう自己研鑽とかもこっちに入りますが、少し的が広いかも)、時間資源を消費してお金を得るか。

要はどっちの資源をより求めるかという話になる気がします。

少し派生した議論になりますが、定年退職をした人が、時間の使い方が分からなくて困っている(暇すぎて困る)みたいな話は、この交換が外的要因も含んでいることを示していると思います。

定年退職は、あるタイミングで時間とお金のトレードが出来なくなるということ。

時間とお金の交換(仕事)をずっとしてきた人間が、そのトレードが出来なくなった時に、時間を時間的に使うことが出来なくなるというか、手元にある時間資源が価値のないものになってしまうといいましょうか。

どっちがいい悪いという議論よりも、このトレード自体が年代、人生のステージによって影響されることもあるという点を認識する必要性があるのかなと思ったり。

この時間とお金の交換は、仕事とプライベートという切り口でも語ることが出来ますが、プライベートというよりは、自分の持っている時間資源を使用するアイデアがあるか、という問題に全部まとめられるような気がします(趣味とか)。

これは自分も納得できるもので、仕事に対して力を振ってみて思ったことが、仕事以外の時間も同じくらい大事であること。

残業をすれば仕事で埋め尽くせるとは思いますが(さらにいいレートで時間とお金が交換できますが)、週40hでビザ制限がかかっている身としては、一日の中で仕事8h、睡眠8hの後に自分の時間8hが余る。

移動時間とか食事とかで自分の時間8hを全て使えることはないにしても、仕事で時間を交換していった先に待っている、仕事で時間を埋められなくなる未来に対して、どうやって時間を時間として使っていくか。そんな命題があるような気がします。

 

 

 

定年を過ぎても働くなどの新しい議論もありますが、フルタイムと学生の両方を体験している身として、自分の時間をどう仕事や時間として消費することに分配するかという思考と、前に考えていた思考とが何か重なるじゃないかと思って書いてみました。

ではでは(^^)ノシ