葉月のまったりブログ

中の人の日常体験とか思ったこととかを雑記的に記していくそんなブログです。

夏の卒業旅行(仮) 第1, 2部の感想とか

皆様こんにちは。葉月でございます。

 

前回の記事でも紹介しましたが、この夏休みは聖地巡礼の旅を複数計画しており、現在鋭意実行中です。

だんだんと旅行が長くなると、自分の現在地がどこになるのか分からなくなるのがけっこう面白いです。

夏休みに北海道に行く予定は前回の記事で紹介しましたが、それ以外にも8月の頭から聖地巡礼ポケモンとはまた別のゲームの聖地)の旅をしております。

leafkeylosttime.hatenablog.com

 

私の夏旅行は3部構成(予定)になっており、その第1, 2部が終了したので、備忘録も兼ねて、ざっとまとめてみました。

ちなみに第1部が瀬戸内海の島々の訪問、第2部(幕間)が四国一周(台風で縮小)、第3部が北海道巡りとなっております。

台風でけっこう四国一周は中々予定変更を余儀なくされましたが、わりと楽しむことが出来たんじゃないかなと思っています。

 

前置きはそんな感じで。

第1部編からの紹介ですが、8/5~8で、瀬戸内海の島々を訪問してきました!

Summer Pocketsというゲームの聖地である、直島、男木島、女木島を友人のオタクと一緒に巡っていました。

まぁ正確にいうなら8/7までがゲームの聖地巡礼で、微妙に一日余ったので小豆島になりましたが…。

旅行の計画の時点では男木島、女木島を一日ずつかけて周る予定でしたが、そんなに時間をかけなくてもいいことに気づき。

瀬戸内の島で最初に頭に浮かんだ小豆島をよく調べると、「からかい上手の高木さん」という作品の聖地らしく(調べるまで聖地だと知りませんでしたが)、聖地巡礼の旅にふさわしいし、行ってみるかという流れに。

8/9に一応屋島も行ってはいますが、瀬戸内海の内で直島、男木島、女木島、小豆島を訪れた形になります。

聖地紹介もいいですが、正直観光というには(女木島の鬼ヶ島洞窟以外は)マイナースポットなので、気になる人は「サマポケ 聖地」とかで調べてみてください…

 

・旅の感想

旅の感想としては、島の中の時間の流れが首都圏、なんなら本土の流れと異なっているんだなぁという印象が強かったです。

時間がゆっくり流れているからか、都会で感じる新陳代謝、文化、流行りや年の流れなど、すべてが都会に比べて2倍くらいゆっくりとしている気がしました。

田舎全般に感じる空気感かもしれませんが、島だと一層顕著なように感じました。

島を散歩していて感じる、家が古い、高齢化が進んでいる、島に住んでいる(と思われる)若者をほとんど見かけない、などは、島の時間の流れがゆったりしていることに起因しているのかなと。

でも本土と隔絶されているわけではなく、宇野港や高松のフェリーターミナルではそれぞれの島を仕事で行き来しているであろう通勤客を多く見かけ、島の中で閉鎖的に生きることが「合理的」ではないように感じました。

自分の話になりますが、あらゆることを吸収したり、新しいものに触れたいと思う感性が強い身からすると、島のゆっくりとした時間の流れってそこまで嬉しいものじゃないのかもしれないなぁと感じます。

そういった新陳代謝が早い文化の有り様を、若者文化として形容していいものか悩みますが、島の空気と若者文化は少し親和性が悪そうな気がしました。

少しネガキャンみたいになってしまいましたが、逆にいそいそとした人生を送りたくない人に島は向いているのかもしれません。

聖地の元ネタであるゲームのストーリーは、主人公が本土でやらかして、そこから逃げるように(癒やされに)島にくる、という設定ですが、島のゆったりとした時間の流れは傷を癒やす(ゆっくりする)には最適な場所だったように思えました。

人がもっと余裕を持って生きるにはどうしたらいいか、というのを自分の中で疑問として掲げている身としては、こういう環境と生き方があるのかと印象に残りました。

 

 

そして第2部は四国一周(予定)でした。

いやまぁ、四国一周したかったですけれど、台風で高松〜高知の間の線路が一部運休になってしまい、予定変更を余儀なくされた部分です。

まぁ予定が変更しようが、むしろそういうハプニングを楽しむのが旅行の醍醐味でもあると思うので、ハプニング分を楽しんだとでもいいましょうか。

元々は高松〜宇和島宇和島〜高知、高知〜徳島で3日+1日予備日で楽しむつもりでしたが、台風を恐れて予備日を前倒ししたら逆に高松では時間が余る、でも進むのは出来ないという微妙な感じに。

実際には初日を高松で休息にし、高松〜徳島で鳴門をお散歩しながら徳島を観光、列車復旧と共に高知に向かい観光、最終日は大歩危と徳島で残っていた見たかったものを観光して終了となりました。

 

・旅の感想

四国は2019年に一度瀬戸内側を巡った事があったので印象に残っている場所は多かったです。

直島から高松港に向かった時、最初に感じた感想が「帰ってきた…!」というものでしたし、高松の駅構内とかを見ると思い出が蘇るくらい懐かしかったです。

さてそんな四国ですが、自分の印象に残ったのは行ったことがない地域です。阿波池田大歩危、高知の桂浜などですね。

時間の流れがゆっくりしている、という島で感じたことは、四国の山間部などでも感じましたが、なんというか質が少し違うように思えました。

四国は高知、高松などの都市にくると、せわしなく人が存在して、あくせくと生きている(それでも東京ほどの人の圧力はないですが)印象を抱くけれど、山間部に行くと、自然の雄大な時間サイクルと一緒に感じるというか。

東京とかに住んでいる人間からすると、ざっくり田舎として括られがちな四国ですが、その「田舎」の中でも規模が異なるといいましょうか。

島の時間は「止まっている」感覚に近いのですが、四国は、都市の空気があり、山間部の時間は自然の長い時間サイクルに合わさっている感覚で。

まぁ何が言いたいかというと、四国とか瀬戸内の島とか、ざっくり括られがちな「田舎」の中でもいろんな違いがあり、その違いを肌で感じられてよかった! みたいな感じです(適当)。

 

さて、まるで旅行が終了したかのようにまとめていますが、まだまだ旅行は続きます。北海道巡りの感想も一区切りがついたら執筆できるようにしておきたいなぁ

四国、北海道のゲストハウスや快活クラブからのブログ作成でした。

ポケモンの舞台、巡っちゃおうぜ?

皆様こんにちは、葉月でございます。

帰国してからずっと、3~5割夏休みみたいな日々を過ごしてきましたが、7月の2週間くらい詰め込み勉強をして、ようやく名実ともに夏休みになりました!

 

さて、大学生の夏休みは長いです。しかも一応大学生最後の夏休み。

何か大きいことをしたいなぁー、どこか旅行をしたいなー、という気持ちがあり。

夏休みっぽい旅行…、長い時間をかけて楽しめる場所…と考えていたら思い当たった場所が北海道でした。

スキーで有名な場所も多いですが、北海道は夏でも観光客がごった返す場所です(日本人もそうですが、何より訪日外国人にとんでもない人気を誇っています。日本に来る外国人で北海道に行かない人を見たことがないくらい)。

ここで閃いてしまったのは、「北海道…って、シンオウ地方の舞台じゃん」

 

ポケットモンスター、ダイヤモンドパール。

2006年に発売された、北海道が元ネタであるシンオウ地方を巡って主人公が冒険するゲームですが、世代的にちょうどドンピシャというのもあり、小学生の時に一番遊びました。

耳が喜ぶBGM、随所に見られる元ネタ北海道の町の雰囲気、そして面白かったストーリー。

ちょうどダイヤモンドパールは夏の北海道を舞台にしているということもあり(主人公が半袖なので。プラチナは長袖で季節感を分けていると思いました)、これはピッタリだ! とテンションが上がる。

 

ポケモンの舞台、本気で巡るか…!」

 

私の夏休み/卒業旅行/プロジェクトが、ここに始まりを告げました。

 

 

1. そもそもシンオウ地方って?

さて旅行の説明の前に、そもそもシンオウ地方って具体的に北海道のどこなのか、というところから。

シンオウ地方(ゲーム)

図をよく見てもらうと気づくと思いますが、おもいっきり北海道です(小学生の頃には全く気づきませんでしたが)。

北は稚内、東は根室、西は小樽と、北海道のかなりの部分が舞台になっていることが分かります。

北方領土樺太など、現在日本が領土として保有していない部分も舞台に組み込まれており、任天堂なりの思惑もあるんでしょうかね?

 

さて、そんなシンオウ地方ですが、実際の地名に当てはめるとどの辺りになるのか。

そんな疑問に対して応えてくれるかのように、有志で作成された聖地マップが公開されていました。この方自身もポケモン北海道巡りをしていたので、後の先駆者研究にて改めて引用します。

シンオウ地方(現実)

(引用:https://twitter.com/RILemonGO/status/944391094657204224/photo/1

 

もう一つはダイパのリメイクを記念して作成された画像です。

おもしろ地理 on Twitter: "ダイパ世代道民として、ダイパリメイク発売を記念してシンオウ北海道対応地図を作りました  https://t.co/vKGJpyXHjk" / Twitter

(引用:https://twitter.com/omoshirochiri/status/1366376884246704137/photo/1

 

二つの地図に差はありますが、どちらも北海道の主要都市をほぼ全て網羅しつつ、北竜町、足寄など、鉄道だけでは行けない場所も含まれています。

また、湖、山も北海道の地形にかなり近い形で設定されています。

嬉しいのはかなり緻密に舞台設定をされているということで、聖地を巡った時の一致感というか、感動もひとしおだろうなぁと思い、行く前からもう楽しい。

厳密にツッコむと、ズイタウン(足寄/北見)からカンナギタウン(遠軽)に抜ける辺りの位置関係とか、ハクタイシティ(旭川)からヨスガシティ(帯広)に抜ける際に、クロガネ(夕張)は通らんやろとかありますが、細かいこたぁ気にしない!

 

 

2. 先行研究(先駆者研究)

大まかにルートを把握した所で、そもそもこんな計画を思いつくの俺だけじゃないだろうということで調べてみると、先駆者様がいました。

 

まずは一人目(ひとりぃさん)。この企画を実際にやろうと思う前から見たことのあった動画であり、かなり広範に移動されています。

https://www.youtube.com/watch?v=8W_YOl9i5Hg

 

次に二人目(リルえもんさん)。聖地マップを作成された方でもあり、ポケモン人形と共に多くの場所を巡られています(画像はブログ内より引用)。

http://realpokemongo.blog.jp/archives/12040115.html

 

もっと探せば他の方もいるかもしれませんが、それなりに日数をかけてポケモン聖地を主軸とした北海道旅行をしている人は、自分が見つけた限りこのお二方でした。

記録として目についたのは、しんげつじま、まんげつじまやテンガンざんが入ってないこと。

もっと北海道を楽しみながら、シンオウ地方を巡ることは出来ないだろうか。

そんなことを考えながら、私もルートを考え始めました。

 

 

3. 旅の企画ルール

というわけで、先駆者様の資料を参考にしつつ、「シンオウ地方巡りを最優先に、北海道の様々な土地を楽しむこと」をルールとしました。

以下細かいルールです。

  1. 町の巡る順番は問わない
  2. 公共交通機関のみ
  3. 各駅停車の列車を主とする

 

1については、ゲームの中では町が解放されていく順番が存在しますが、それに完全に準拠すると7番目の町(キッサキシティ - 稚内)から8番目の町(ナギサシティ - 根室)までの移動を一息でしないといけず、移動そのものに無駄が生まれる場面がいくつか生まれてしまうため、順番にはこだわっていません。

聖地巡礼ということで、なるべく着想を得たであろうスポットを多く巡ることを最優先としました。

2については、車を開放すれば、かなり自由度高く旅行日程を組むことが出来るものの面白くないだろうということで(訳:まだ運転免許を持っていないので)、公共交通機関のみで北海道を縦横無尽に巡ることを目標とします。

車で自分ひとりだけのルートを作るのも面白そうではあるのですが、公共交通に興味がある人間としては、北海道の列車やバスになるべくお金を払っていきたい。

安く行くために工夫はしますが、北海道の公共サービスになるべく課金をするために、こんなルールをつけてみました。

3については、まぁ特にルールとして明文化しなくてもやっていることではあります。特急でバカスカ飛ばして北海道を巡ったかのような顔をするのではなく、なるべく各駅停車を用いてじっくりねっとり北海道の大地の広大さを感じようと思っています。

…とは言いつつも、北海道の列車の本数と接続的に、特急を使わないとわりとどうしようもない場面がいくつか存在するので(長万部とか…)、絶対に各駅停車じゃないとダメではないけれど、なるべく各駅停車で楽しもうねーといったくらいの縛りです。

後これは別にルールでもないですが、シンオウ地方を巡るだけでも相当北海道を巡ることになるものの、函館、知床などのシンオウ地方に入っていないけれど有名なスポットも存在します。

シンオウ地方聖地巡礼ではありますが、聖地巡礼だけに縛られず、北海道をなるべく堪能しようという企画です。

 

 

4. 旅のざっくりとした予定

さて、鉄道好きの友人にも監修をお願いしつつ、作成したルートが以下の通りです。先駆者研究としても取り上げた、リルえもんさんの聖地マップに準拠する形で観光するスポットを決めています。

作っておいてなんですが超見づらいですね()

 

旭川の辺りはかなり入り組んでいるので分かりにくいかもですが、地図で見るとこんな感じです。北海道の鉄道はほぼ全域乗ることになる予定です。

バスもかなり多用するので、交通費だけで10万くらいするんじゃないですかね(計算してない)

 

日別の大まかな予定表は以下の通りです。

1日目:苫小牧(マサゴタウン)、白老(ウポポイ博物館 - アイヌについて勉強)

2日目:室蘭(フタバタウン)、洞爺湖(シンジこ)

3日目:小樽(ミオシティ)、札幌(コトブキシティ

4日目:夕張(クロガネシティ)

5日目:北竜町(ソノオタウン)

6日目:旭川(ハクタイシティ)

7日目:帯広(ヨスガシティ)

8日目:足寄(ズイタウン)

9日目:遠軽(カンナギタウン)、常紋トンネル殉職者追悼碑(ロストタワー)

10日目:網走(トバリシティ)

11日目:知床

12日目:釧路(ノモセシティ)、釧路湿原(ノモセだいしつげん)、摩周湖(おくりのいずみ)

13日目:根室(ナギサシティ)

14日目:大雪山テンガンざん

15日目:足寄、音威子府(216, 217ばんどうろ)

16日目:稚内キッサキシティ

17日目:礼文島利尻島(しんげつじま、まんげつじま)

ポケモン聖地巡礼としてはここで終了。

18日目:函館

19日目:大沼公園

 

ここまで見てお気づきの方もいるかもしれませんが、回れていない聖地もいくつかあります。

リッシこ(阿寒湖/屈斜路湖)とエイチこ(クッチャロ湖)は時間的都合でカットです。

リッシこはおくりのいずみ(摩周湖)と一緒に行きたいなぁと思ってバスの時間をみたら本数が少なく、一日で回れないという事態に…。エイチこも稚内の時に行こうと考えていたのですが、稚内音威子府のバスでうまく接続するかと思ったらそんなことはなく、一日使ってしまうことに気づいたので泣く泣く断念。

あとはこうてつじま(焼尻島)、タタラせいてつじょ(芦別炭鉱?)、もりのようかん神居古潭?)などが残っていますが、それは次回があれば持ち越しという形で。

 

 

日数を使っているので当たり前っちゃ当たり前ですが、かなり濃厚な巡礼が出来るんではないかと思っています。

個人的な推しポイントとしては、ひまわりが有名な北竜町(ソノオタウン)、鉄道ではいけない足寄/陸別(ズイタウン)、利尻島/礼文島(しんげつ、まんげつじま)辺りにも足を延ばしている所がいいんじゃないかと思っています。

とまぁこんだけ書いてきてなんですが、旅は予定通りにいかないことも多々ありますので、実際にこれを全てこなせるかは分かりません。

ただ、夏休みの予定はこんな感じだよーという記録的な感じで残しておきます。

夏が楽しみだ…!

107.5km歩きました。

皆様こんにちは。葉月でございます。

 

日本に帰国して早二か月。光陰矢の如しとはよく言ったもので、もう怠惰な大学生ルーティンが体にだんだんと慣れてきてしまいました。

改善しないとなぁ…。

そんなことを思いながら、今回は留学記に書いていたような、人生とか頑張って何かをする感じの内容とは違い、ただただ107.5km歩きましたっていう感想記になります。

正確にいうと、迂回ルートや家と最寄りの追加距離とか、休憩所(快活)までの寄り道とかで総計120kmくらい歩いているのですが、公式のルートとしては107.5kmということで、そんな感じで。

この「箱根駅伝」公式の往路ルートを、スタートからゴールまで歩いたぞ、というのがこの記事の主な内容になります。

 

目次:

 

何故やろうと思ったのか

有名な長距離ウォークとして、山手線一周、新橋~桜木町の鉄道初開業区間などの30km前後のお散歩が存在しますが、もっと長いものをやってみたい。

そう語る友人がいました。

箱根駅伝を実際に歩いたらどうなのかやってみたい、と言っていたような気もしますが…。記憶が曖昧です笑)

この友人と20km程度なら日常茶飯事のようにお散歩をしているので、確かにやってみたら面白いかもしれないと私も思いました。

私が留学に進む前、なんなら一人暮らしすらまだだった2021年の2月末。

大手町の読売新聞社前。箱根駅伝の往路出発地点に、私を含む6人の勇者(狂人)が集まりました。

何だかんだ100kmを越える長距離になるということで、各々気合を入れて準備をしてきたわけですが、30kmを超えた辺りから痛みが強くなり動かなくなっていく足。ただただまっすぐな道路。心が折れそうになりながら見えた道路の看板には「小田原まで26km」の文字。

箱根ウォーク初回は、ただ一人の成功者を除いて、全員が断念をしてしまいました。

100kmの壁は、信じられないくらい分厚かったのです。

私も初回は大磯駅近辺(60kmくらい)で断念してしまい、もっと頑張って小田原辺りまでは死力を振り絞って歩けば良かったかと思っていました。

そして2022年。

私がカナダに留学している間に、再び結集した勇者(狂人)たちはなんとほぼ全員が駅伝ウォークを完走していました。

(初回で成し遂げた友人は2回目も踏破してましたね…。変態だ。)

これはやるしかない。

カナダで地味にエヴァンゲリオンのアニメを全て見終えた私は、聖地巡礼も兼ねて、芦ノ湖の地に降り立つことを決意します。

そうして日本に帰国した後、気温(夜が寒くなく、かつ日中が暑すぎない)や天気(雨用のグッズはかさばる)などの条件を考えて、5月がいいだろうと思っていたので、実行の機会を待ち望んでいました。

これを成し遂げないことには、私の大学生活が終われない。

そう決意をして迎えた、2023年5月24日早朝。

私は再び大手町のスタート地点に降り立っていました。

 

箱根駅伝のルート詳細

お正月の丁度いい感じの時間帯にテレビでやっているので、なんとなくどこを通るか知っている人がほとんどかと思いますが、細かいルートは意外と知らないかもしれませんね。

ただそこまで複雑なルートではなく、かなり道なり&まっすぐに進んでいきます。国道1号線を通る区間が多いので、街道沿いの街並みと発展の歴史を楽しめます。

駅伝と違って車道を歩くことは出来ないので、信号停止や歩道橋を渡ったりとちょっとだけ面倒ですが、戸塚近辺の車両専用っぽい1号線の区間と、車両のみの西湘バイパス(平塚中継所から近くの道路)を除いて、ルートに準拠した形で歩くことができます。

箱根駅伝のルート


完全再現は難しいですが、戸塚近辺は22号線で迂回できますし、西湘バイパスは、平塚中継所を少し過ぎた辺りから1号線に入ってしまえば回避することができるので、距離も見る景色もかなり近いものに出来ると思います。

 

ざっくりとしたルート紹介です。

一区が東京から鶴見。大手町から三田あたりまでは409号線(日比谷通り)を進み、三田から鶴見まで国道15号線をひたすら進んでいきます。山手線、京急線沿いということもあり、高い建物も多く、目まぐるしく風景が変わっていく様子を横目に歩くのはかなり楽しいです。

二区が鶴見から戸塚を少し超えた辺り。鶴見から京急線の神奈川(横浜近く)までは国道15号線。横浜からは国道1号線を進んでいきます。戸塚近くで車両だけっぽい道路があるので、22号線で迂回します。

下の画像で上側が国道1号線になりますが、歩道的にも下側の22号線を通っていくほうが歩きやすかったりします。このルートだと戸塚駅を通ることになるので、遠くまで歩いてきたという実感が湧くのもこのルートのいいところですね。

下のほうのコーナンの文字が見える辺りが戸塚中継所になります。

三区が戸塚から平塚の辺り。戸塚から藤沢バイパスまでは1号線。そこからは30号線で海に向かって下っていき、浜須賀歩道橋から海を左に見ながら134号線を進んでいきます。箱根駅伝的には海が見えるいいスポットらしいですが、歩道を歩いている分には潮の匂いを感じる以外特に何もなく、けっこう退屈しがちな区間です。

 

四区が平塚から小田原を少し超えた先。中継所から少し進んだ先のところで、大磯駅に曲がって入っていく部分から1号線に戻ります。基本的にそこからは134と1号線は並走して進むので、似たルートで走ることが出来ますね。

今回私が行ったときはルートを少し間違えて、中継所近くからすぐに1号線に抜けるように大きめに迂回をしてしまいましたが(たまやとかローソンを通る道路)、まぁ誤差だよ誤差()

 

五区が小田原から芦ノ湖までです。ひたすら1号線を進んでいきます。この区間は山登りで、全然下る気配がないままにとにかく登っていきます。

ゴール前5kmくらいで国道一号線の最高地点を通過し、そこからは下り勾配になっていきますが、登って足に疲労が溜まった後、下りで一気に膝を破壊しに来るという、中々に初見殺しなルートとなっています。

元箱根が見えるとゴールはすぐ近くとなり、テンションが上がって楽しいです。ただ地味に2kmくらいあるので遠く感じますけどね…。

 

歩いてみて。1~5区の感想

1区は午前中で天気も良かったし、それなりに景色の変化が激しい区域なので、ここが一番ラクでした。

なんだかんだ20kmってちょっと足が痛くなり始めるくらいでお散歩が楽しめる距離なので、エンジョイするならここだけ歩くのもいいかもしれません。

神奈川県に入ったら30分~1hくらいで鶴見中継所に到着するので、けっこうあっさりと歩き切ってしまいました。


そして2区は、だんだんと足の痛みと疲れを感じ始める区域でした。

鶴見~横浜までは国道沿いに見どころもけっこうあり、京急に沿って歩いて楽しむことが出来ますが、横浜を過ぎるとつらさが見え始めます。

保土ヶ谷~戸塚の区間において、東戸塚~戸塚が地味に遠い&風景が単調になってくるので、風景の変化で進んでいる実感が得にくくなります。

横浜までで大体30km近辺となり、長距離ウォークとしていい具合に足が痛くなるのに、普通にそこからも全然歩くので、足の痛みが本格化してくるのがこの辺り。

箱根駅伝的には権太坂がけっこうきついらしいですが、歩いている分にはほとんどきついと思うことがなく。気づいたら権太坂を登り切っていたので、まぁ走るのと歩くのだと違うんでしょうかね。

戸塚駅に到着するとかなりテンションがあがります。江戸時代とかだと江戸~戸塚宿で大体1日の移動距離だったらしいですが、大して歩かない現代人なのに、まだ歩くわけですからきつさが加速していきました。


3区は足の痛みのきつさが激しくなってくる区間です。

45km辺りで足に異物感があったので確認してみたら豆ができており、「あー出来ちゃったか」となった区間ですね。

100km歩くとなると豆が出来るのが当たり前なので、もはや地面を踏みしめる時に痛みで歩くフォームが乱れないように、ということしか頭にありませんでした。豆なんて気にしてたら歩けません()

この辺りで一度本気で辞めたくなり、でも足を止めると歩き出すのが痛いから歩く、という意味の分からない行動を取っていました。

それでも歩こうってなったのは何だかんだ134号線に入って、浜辺と夕日を見たのが大きいかったですね。

今回の歩きは速度も重視しており、ペース的に夜ご飯を食べるいいタイミングと場所が無さそうだったので、おなかが減ったら食べようとコンビニ飯を適当に購入し、海岸沿いを歩きながらおにぎりをつまんでいました。

特に134号線の区間ですが、絶妙に公共交通機関へのアクセスが悪い場所を歩くことになるので、現実問題としてこの区域でリタイヤをしても帰るのが大変で、しんどさがあります。

ここを通過する時間帯にもよるとは思いますが、海を見れるわけでもなく、林の隣を5kmくらいずっと歩く区間があるので退屈への対策は必要かなぁと。

平塚中継所で写真とか取りたかったのですが、足を止めるとしんどいというのと、DQNっぽい見た目の人がスケボーで滑走していたので近づけませんでした()まぁ通過したのでヨシ!

 

4区は…、この箱根ウォークの中で一番きつかった区間ですね。

何がきついって、体は疲れているから横になって休みたいし、ずっしりと全身に重りがかかっている感じがあるのに、休もうとしても足が痛いし、体は運動というか緊張状態になっているから全然休めない。

3区の辺りからずっとそうでしたが、足を止めて休憩すると、歩き出しで足に激痛が走るんですよね。

泳ぎ続けないと死ぬマグロかって感じですが、足を動かしていないとつらい。

まぁでも流石にここからまだ40km以上あったし、山越えの区間が待ち構えていることを考えて、休息を取ろうと大磯で15分くらいベンチに寝転がっていたら体ががっつり冷えてしまい、このタイミングでも本気で辞めようか悩みました。

歩き出そうとすると足にくる激痛、朦朧とする意識、着きそうで全然つかない小田原。

前回とほぼ同じ場所で辞めようか悩みましたが、同じ場所でまた挫けたら結局自分が成長していないみたいですごく嫌だったので、足をほとんど引きずりながら歩きを再開しました。

知らない道を歩いているのに、頭の中に浮かぶのは辞めたいと思う自分から逃れるための説得の数々。

元々の予定は夜通し歩くつもりで、深夜近辺で軽食でも食べてエネルギー補給をしようと考えていましたが、大磯~二宮間は本当に何もない。いや、あったのかもしれないけれど、その時の朦朧とした意識では認知できませんでした。

歩道の小さな坂の一つ一つを歩くたびに足が痛み、疲れと眠気で意識がもうろうとしてくるも、頭は痛みで覚醒状態を保たされ、一秒一秒がとんでもなく長く感じました。

普通に歩いても大磯~二宮区間が長いので、先の見えなさでも精神的に折れそうでしたが、ほとんど惰性と執念で歩いていました。

二宮駅前の看板が見えた時には、「一歩ずつでも歩くと前に進むんだ…!」と、今考えると当たり前なことにすごく感動した記憶があります。

そこからもう少し進み、国府津が見えると、これは本当に行けるのでは? という気持ちになりました。

(距離的には大磯~二宮が6kmくらい、二宮~国府津が4.5kmくらいなので、そこまで距離的には変わりませんけれど、大磯~二宮間はとんでもなく長かったです…。普通の状態で歩いたらどう感じるんでしょうね)

箱根バスの時刻的に、箱根を夜通しで歩いて越えても接続が良くなさそうだったので(後でしっかりと調べたら朝でもバスはありそうでしたが…)、快活クラブで休憩をすることに。

地味にラス1だった鍵付き個室を確保して、部屋に入って横になったらもう寝てました。隣でオンラインゲームをしている住人がなんか騒いでいたような気もしましたが、寝ていたので記憶が曖昧です。

ちょこちょこ快活で泊まることはありましたが、あそこまで快活でぐっすり寝られたのは初めてでした。やっぱり人間疲れて寝るのが一番気持ちよく寝れるんだなぁって。


5区は快活クラブ鴨宮店からスタート。

寝起きでもう足が痛く、このまま鴨宮から帰ったら普通にちょっとつらかった散歩だなとか思いましたが、Google Mapで距離を確認したところあと30kmくらいだったので、まぁ歩くかぁ…と消極的になりながらも出発。

どうでもいいですけれど、快活のナイト8hパックは信じられないくらい安いのでこの企画みたいな限界旅にはオススメです。学割こみで1700円くらいでした。ドリンク飲み放題&個室でこれはすごい。

朝ポテトさえ残ってくれれば…涙

まぁそんな感じでもうちょっとだけ頑張るかと歩きだしましたが、小田原は城下町っぽい景色がけっこう楽しい場所ではあります。

箱根は江戸時代から難所として知られている場所で、私自身徒歩で突破するのは初めてだったので、かなりワクワクしていました。

温泉街っぽい雰囲気がある、小田原~箱根湯本までは歩いていて楽しかったけれど(途中の道がちょこちょこわかりにくかったのは許しがたいが)、そこからが正念場でした。

まず湯本の辺りまでは歩道があるのでいいのですが、そこから先の国道1号線は、道路が車とバス専用みたいになるので、歩行者の人権がなく、葉っぱや小枝が乱雑している整備されていない側道を歩くしかありません。まぁこんな場所を駅伝再現で歩く人なんてそうそういないでしょうし、仕方ないですが。

そういう訳で、私のスレスレを車やトラック、バスがビュンビュン通り過ぎていくので、疲れで頭がぼんやりしているのに、車に気を付けないといけないのが精神的に疲れます。

バスに何度も抜かされるので、途中何回も「元箱根港まで連れてってくれないかなぁ」と思うタイミングが訪れました。

山の5区と言われているくらいこの区間はひたすら上がっていきますが、上りは意外と大丈夫です。足の痛みは限界をとっくに突破しているので、上り坂で痛みが加速するとしても誤差()

休憩の回数を増やせば、何だかんだ耐えられる区間だと思います。

ただ問題なのが、ひたすら細い道路を歩いていくので休憩を入れにくいんですよね。

小涌谷近辺までは箱根登山鉄道の駅周辺だけ建物があるので、それを目安に休憩していくといい感じにペースが取れますが、最後のほうは休憩の取り方がイマイチ分からなかったです。なので、バス停近くの小さなスペースに座り込んで休憩を取ってたりしていました。

椅子に座っても、ふくらはぎに体重がかかって痛く、足を伸ばして倒れこむように休憩していたので、はたから見るとかなりヤバいやつだったなぁと。

無心で歩いていたとはいえ、国道1号線の最高地点の看板、元箱根や芦ノ湖が見えた時には興奮しましたね。

元箱根の入口についた時にはZardの「まけないで」が頭の中でループ再生されていました。もう、ゴールしてもいいよね…?

そして元箱根港近くの箱根駅伝往路のゴールポスト、駅伝ミュージアムなどに到着し、大手町から107.5km、32時間くらいかかってゴールしました。

 

完走した感想

特に4区の間、途中100回くらいは辞めて東海道線に乗って帰りたいと思ったけれど、ゴールした後、おみやげを買いながらバスを待っていた間、「終わっちゃったのか」と寂しい気持ちになりました。

折れそうなタイミングは幾らでもありましたが、大きかったのは大磯~二宮間で折れずに歩けたことかなぁと。

なんとなくこの箱根ウォークは人生のエッセンスがあると思います。

つらいときや大変なときは頑張っていたとしても全然前に進めている実感がないけれど、歩ききってゴールしてやるという気持ちで足を進めていると、振り返った時に相当なものを達成できている、という感覚。

つらい時って、頑張っていても成長とか進捗の実感が得にくいよなぁと。

2年ごしの自分に対しての課題が一つ解消できたので、嬉しいと思うと同時にちょっとだけ寂しくもあります。

もうやりたいとは思いませんが、復路だと全く違った感じになりそうでちょっと興味はあります。復路なら最後の区間が歩きとしてはラクだと思うので、どんな感じなんでしょうかね。

 

とまぁそんな感じで、少しだけ自分なりの意味や解釈も持ちつつも完遂した箱根ウォークの記録でございました!

精神力を試すという意味ではけっこういい企画だと思うので、良ければやってみましょう()

ではでは~ノシ

カナダ留学、第2フェーズを終えて

皆様こんにちは。葉月です。

 

冬も終わりに近づき、だんだんと春の陽気が体を包むような気候になってきました。バンクーバーにもようやく春が訪れてきたようです。

桜も芽吹き始め、カナダに初めて到着した時、空港から眺めた桜をまた再び見ることになったのだと考えると、実感とは違うものの、1年という時間が経ったのだと自覚させられます。

ようやく、というか何とかカナダ留学を終わらせることが出来ました。

この1年はとにかく長かった…。前回の留学はここまで長く感じなかったので、さらに密度の濃い日々を今回の留学は送れたのでしょうか。

「いやまぁ2回目の留学だし」とか言っていた自分が遠く昔のような気がしてきます。カナダはカナダで別の大変さがありましたので、ベルギーの時とどっちが大変だったかと聞かれると、比較するのが難しいです。

前回の留学みたいに小説っぽい文章にしようか迷いましたが、今回は仕事をしに行った留学でもあるので、感想も交えながら、ちゃんとした感じのまとめとして書いていこうと思います。以前に出した1年のまとめの記事と重複する部分もございますが、ご了承ください。

 

 

目次

 

 

後半6か月の振り返り

前半の6か月が専門学校での学びのフェーズであったのに対して、後半の6か月はフルタイムを行うフェーズでした。

フルタイムを獲得すること自体がかなり難しかったというか、前半は前半で大変でしたけれども、フルタイムをやることは、自分が想像も出来なかった別の大変さがありました。

前半の話は過去記事にて語っていますので、宜しければどうぞ。

leafkeylosttime.hatenablog.com

 

まぁそりゃ日本ですらやった経験のないことを異文化でいきなり始めるんですから、普通に大変だろうという話なんですけれども、フルタイムを始める前の私は何故かいけるだろうと過信している所がありました。

フルタイム全体の学びとして、人と協働しないと仕事自体が回っていかないこと、仕事の内容、自分の人生の中で仕事をどう位置付けるか、視点の高さの調節など、恐らく新卒で入って体感したであろうことをいろいろと突貫的に学ぶことが出来た気がします。

まずは人との協働についてですが、仕事をするにしても以下のような形でけっこう長いフローがあります。

 

営業-> コンペ (大体1つ以上の会社に受注して、どういった仕事内容をどういう金額で行うのかの競争をするのがよくある流れらしいです。ここの部分は見たことがないので少し曖昧ですが)

-> 要件定義(顧客と交渉して、仕事内容と金額、プロジェクトの期間などの契約締結)

-> キックオフ、チーム作成

-> 打ち合わせ。具体的な提供物や顧客のニーズのインタビュー

-> 作業、顧客との打ち合わせ。プロジェクトの進捗報告とQ&A

-> まとめとハンドオーバー。(今後も継続的に仕事を行うための)次のステップの示唆

 

要件定義の部分なんかは比較的役職が高めな人が当たりますし、チーム作成や作業といった部分はチーム単位で、ジュニアが作業をしつつ、シニアがその確認と難しめの作業、マネージャーがプロジェクト全体を統括する、という風にいろんな人が関わってきます。

いろんな人が関わってくると、当然のように思惑、考えのずれが発生するのが常でして、それを擦り合わせること、作業を手分けすることが必要です。

プロジェクトにもよるとは思いますが、例え手を動かすのが仕事の大半であるジュニアとして働いていたとしても、意見を出すこと、意志決定のプロセスに関わっていかないと仕事がしづらく(作業がしづらい)。

他人といつでも話をして意見をすり合わせられますよ! という状態で仕事をすることが求められるとでもいいましょうか。

そういう方向性でのコミュニケーション力って必要なんだなぁと学べたことが大きいです。

関連して、視点の高さの感覚の違いを得られたのも大きいです。マネージャーとジュニアではプロジェクトに対する視点が違いますし、パートナー、ディレクターともまた違います。

具体的な作業やプロジェクトの成果物に意識が向くのがジュニアであり、プロジェクトの進捗やリソースの配分が上手くいっているか気を遣うのがマネージャーであり、パートナーになると恐らく顧客との関係維持やプロジェクト全体の利益などに目を向けていると思います。

このようにプロジェクトに対する視点が違うと(というか視点が違うので)、意見や考えのすり合わせが難しくなりますし、どういった切口でコミュニケーションを図ればいいのか分かりにくいです。

葉月は幸いにも上流から下流までプロジェクトを見渡す機会がフルタイムの後半3か月にあったので、視点の高さの切り替えの感覚を少し理解した気がしました。

同じ視点でのすり合わせは容易ですが、視点の違う人の考えを理解出来ない、と放置せず、そもそもどういう視点で物事を見ているのかの理解から入ることが、人とどう協働するか、という課題に対しての一つの答えになるんじゃないかと感じることが出来ました。

 

そして、フルタイムで仕事をするなら仕事の内容はやっぱり大事になると思います。

一日の内の8h(以上)を使うのだから、金のためと割り切ったとしてもあまりに長い時間を取られることになります。ただ、仕事の中身が100%面白いということはあんまりない気もするので、そこら辺のバランスをどのくらい許容できるか、という視点があると一つの基準にはなりますかね。

そして仕事の内容が大事といっても、やっぱり時間は余るものです。土日など、疲れたとしてもゴロゴロしているだけだと時間を浪費することに危険性を感じると思うので、独学とか自分の好きなことするなど、仕事外の時間も使い方もまた大切だと思いました。

どっちも大切、みたいな月並みなことを書きたいのではなく、生きていく中で仕事と自分の人生を切り離して語ることが出来ないといいますか、どちらかを犠牲にして一本に絞る、ということがない生き方がいいんじゃないかなぁと考えています。

 

 

こみいった仕事の話になっちゃいましたが、次は後半6か月を時系列順に見ていきます。

9月末~10月。フルタイムを始めたばっかりで、まずは仕事に慣れよう、というはずの時期なのですが、この時期にボスキャリ(ボストンで開かれる、海外留学生を対象にした就活フォーラム)やら副業のSNS運用やらにも手を出しており、稼働時間がすごいことになっていた時期です。

その当時は「何かちょっと忙しいな」的に思っていたんですが、後から振り返るとどうやって生き延びていたのか不思議なくらいで、留学の山場でした。

タスクが少し制御しきれなくなっていたので、優先順位をつけて物事を片付けようとしていましたが、仕事だけでかなり手一杯だったので、いろいろと管理しきれず…。

特に人間関係についてはかなりきつい時期でした。

慣れない仕事で毎日少し緊張しながら仕事をしていたのにも関わらず、いろいろと要素を加えようとしていたので、ここを乗り越えられたのは自信になりつつも、こういう無茶はしちゃいけないなぁと、留学での反省点の一つでもあります。

また7月の辺りからタダで英会話レッスンが受けられるとのことだったので週1~2ペースで少し英会話をしていましたが、それが10月にちょうど終わり、かなり高評価をもらったので、英語の側面においてフルタイムへの自信が少しずつついていった時期でした。

 

11月。初週がボスキャリ本番で、お祭り騒ぎでした。

9月辺りからESをぼんやり考え始め、事前面接、Webテストなどのピークが10月、それなりに通過したりしなかったりでボストンに向かいました。

そもそも対面で就活イベントに参加したことが今まで無かったので、一番初めに抱いた感想が「みんなスーツ着てる、面白い!」とかいうくらい気楽な感じで。

元々ボスキャリでは内定取れたらいいなぁ~くらいにしか考えてなかったので、あまりがっつりと内定を取ってやるといった気持ちはありませんでした。なので面接がトントンに進んだりしたりした時は普通に驚きましたね。

そしてボスキャリには「ディナー」と呼ばれる、人事やパートナーの人と夜飯を食べるイベントが存在するのですが、葉月はこれに誘われたくてボスキャリに行ったといっても過言ではないくらいディナーを楽しみにしていました。

そんなディナーにも参加出来たので葉月的には大満足のボスキャリでしたが、戻ってきて体調とメンタルがダウン。

10月でいろいろと取りこぼしていたことのメンタルのツケが回ってきたといいますか。

ボスキャリはお祭り感覚で楽しみながら活動出来ていましたけれど、バンクーバーの日常に戻った途端、糸がプッツリ切れた感覚がありました。

また中旬くらいに人事異動で直属の上司が変更され、仕事の責任も含めて独り立ちをかなり要求されるようにもなり、この辺りは生きていくので精一杯だった記憶があります。

 

12月。11月の底辺メンタルを引き継ぎながらなんとか仕事をしていましたが、11月末~12月頭くらいで一気に具合が悪くなり、気管支炎になって吐き気と熱と咳と鼻水が一気にやってくるなど、これまた別の意味で生きるのがつらかった記憶があります。

リモート診察を受けたり、徒歩5分の薬局が無限の彼方に感じる体験をしたり、リモートワークを3週間くらいずっとやったりと、まぁそれはそれでユニークな体験をしました。

前回のベルギー留学の時は保険を使った記憶が全くないのですが(多分加入はしていた)、今回はきちんと使うことになり、民間保険のサービスのレベルが違いすぎて震えました。深夜でも対応してくれるなんて感動だぁ…

そして北米あるあるなのか分からないですが、年末が近くなると人々が浮足立っていき、仕事が年内に終わら無さそうなら「来年でよくね?」みたいな感じになっていたので、HPが赤ゲージの葉月もギリギリ耐えていました。

だんだん体力を回復させつつ、年末の1週間の休みでは独学や副業に力を振って進めることが出来たので、最終週は満足のいく時間を送れました。

 

1月。いろいろな偶然が重なって自分の携わるメインプロジェクトが1つだけ(!)しかなかったので、1月からフルタイム最後まで仕事がかなりスローだった時期です。

留学の残りの時間を意識するようになり、Analystとしてのスキルを独学をしながら、自分磨きもかねてジムに通うようになったのもこの辺りの時期でした。

仕事にも慣れ、自分の代わりとなる新人さんも中旬から加入していたので、テンプレの作成や新人教育など、なぜ4か月目の自分がやっているのか不思議でしょうがないことをやり始めていました。

メンタルはイマイチだったものの、仕事のキャパが少なめだったので、そこまで生活がきついと感じることはなかったです。

メインのプロジェクトは仕事最終日まで携わる形になりましたが、シニアもマネージャーも自分にけっこう信頼を置いてくれた人たちだったので、ほぼ全ての作業を自分がリードすることが出来ました。

 

2月。プロジェクトでの作業量が減っていたので、新人教育や作業の効率化をしたりと、会社内部での作業に力を振った時期です。

内部作業に力を振った所で時間は余ったので、独学に力を振るようにしましたが、やる気によってかなり進捗が変わる感じになり。

ゴールを設定してそれを埋めていくように独学を進めたほうがモチベが落ちないかなぁとかいろいろ考えたりしましたが、毎日時間を設定してやっていくのが一番コンスタントに勉強出来た気がします。

2月の後半からは自分が今までやっていたことを、新人さんに画面共有してやってみせたり、逆に画面共有をしてもらってチェックしたりとジュニアとシニアの中間みたいなことをしていました。

「このレベルでジュニアの給料か?」という思いも少しあったりしましたが、まぁ仕事量自体は減っていたからなぁ…。

そんなこんなで独学にかなり力を割いていた2月でしたが、学んだことが概念的、テクニック的に仕事に反映できるのがかなり面白く、フルタイムをして寧ろ勉強が楽しくなったこともありました。

 

3月。生活の効率化や独学がひと段落していたので、少しゆっくり目な日常を過ごしていた時期です。

この辺りでメンタルがかなり回復してきたので、メモ書き、思考を紙に残すことを重要視しつつ、帰国後の生活をぼんやりと考え始めました。

プロジェクトのまとめや課題に出会った時の対処など、仕事に慣れるにつれてそれなりに器用にこなせるようになっていたので、自分の仕事的な成長を実感し始めたタイミングでもあります。

最終日にはけっこうな数の人がオフィスに来てくれるなど、自分がここの場所で成し遂げたことを振り返る機会が多かったので、いい環境に恵まれたなぁと思うばかりです。

 

生活の学びは後ほど語るとして、フルタイムに慣れるまでの忙しい日々と、慣れてからの生活の改良と知識の体系化と、自分のフェーズに合わせていろいろと考えながら動きを変えていけたのが、何より自分としてプラスだったなぁと思いました。

フルタイムは大変なので、最初はいろいろ詰め込まないようにしたほうがいいですね…

 

フルタイムの仕事内容、会社の感じなど

私がフルタイムでやっていた仕事内容としては「Google Analytics 4 (GA4)、Google Tag Manager (GTM)を主としたウェブサイトのトラッキング、および活用法の導入」というのがjob descriptionに書いてありそうな感じの説明になります。

まぁ分からないですね。

ECサイトがいい例ですが、商品を購入する前に、商品をカートに入れたり、品物をお気に入りしたりと購入の前にいろんなステップ/消費者行動があり、ウェブサイト上のそういう一連の行動(カートに追加 -> クレカ情報記入 -> 購入など)を収集して活用しようとするのが自分の仕事分野の一つです。

別にECサイトに限った話でもなく、ウェブサイトに様々なトラッキングを設置して、その情報から、ユーザーにとってもらいたい行動を促進するようにデータを活用することが自分のざっくりとした仕事領域です。

あとは自分の会社が広告運用もしている(というかそっちが会社的にはメイン)ので、広告の成果を測るためのトラッキングタグを設置したりと、ウェブサイトのトラッキングに関わる話なら大体カバー範囲になります。

顧客に対してプレゼンを作成したり、アドホックな質問に答えたり、ダッシュボードを作成したりと、その他諸々の作業もありますが、基本的にはGA4とGTMを弄るのがお仕事でした。

 

仕事時間としては、9-17時とよくあるフルタイム時間でした。日本では雇用契約書を見ると昼休憩時間1時間を給料からみみっちく引いてきていることが多い気がしますが、こっちでは9-17時で実働時間8hとして認識されます。

昼休憩も拘束時間なんだし、実働時間に入れてもいいと思うんだけどもなぁ…。

一日のスケジュールとしては、午前中がクライアントとミーティングだったり、一日の予定をチームと確認したりして、午後にタグを導入したり、プレゼンを作ったりなどの手を動かす仕事をする感じです。

自分的には午前中のほうがバリバリ仕事が出来るので、ミーティングが無い日は午前に難しめの仕事、一日の流れを作っておき、お昼を食べてからはまったりやる感じにしていました。

とはいっても最初の2か月くらいはペースの作り方とか仕事のやり方とか全く知らない中で仕事をしていたので、毎日ヘトヘトになっていました。8時間は長いです。途中休憩をしても普通に目は疲れますし、腰は痛くなりますからね(そのくせボスキャリをしていたのだから本当に頭が悪かった。いやそこしか時間が無かったのですが…)

 

会社の雰囲気はけっこう良かったです。人当たりのいい人が多く、日本のフルタイムイメージとして持っていた、ストレスに耐えながら仕事をする、という雰囲気はありませんでした。

求められるクオリティ以上で成果物を出さないといけないプレッシャー、という意味でのストレスは無くもないですが、比較的ストレスフリーに仕事が出来ていた気がします。

これは個人個人というよりも雰囲気が重要な要素で、個人間で競争する感じの仕事の進め方ではなかったというのが大きいのかもしれません。

まぁ仕事で協働しないといけない、という話にも通じますが、広告を運用しているチームとは緊密に連携して働かないといけない(当たり前ですが計測したいイベントを指定するのは広告を運用する側)ので、人当たりを良くしておかないと仕事がやりづらくなる、というのもある気がします。

 

あとは、北米らしいかどうか分かりませんが、あんまり労働時間で縛る感じはないので、体調悪いとなったら普通に3日くらい休んでも問題ないですし(プロジェクトに支障が出てもまぁその人が回復したら進めようねって感じの雰囲気)、そもそもミーティングに出席して期限までにタスクをこなしていれば、いつ何をしていようがあまり気にされません(9-17hの間は当然連絡が来ますが)。

リモートになるとより時間を自由に使えるので、眠い時は普通にベッドで寝てたりもしてました(寝すぎて連絡が溜まっていた時には震えましたが…)。

そして恐らく世界共通だとは思いますが、プロジェクトごとにマネージャーもチームも異なるものの、マネージャーが無能だとマジでグダグダになります。

自分が抱えていたサブのプロジェクトの内の一つが、明らかに2週間くらいの仕事内容なのに4か月かかっても終結せずに私の最終日になり、上司に引継ぎをした時、二人で「このプロジェクト終わってんなぁ~」みたいな会話をした記憶もあり。

自分の場合は上司がかなり頭の良い人だったのでやりやすかったですが、上司が無能だった場合を考えると頭を抱えたくなりますね。

 

そして気になる(?)給料ですが、年棒制だったので、年収が24分割されて月に2回支給される感じでした。

残業代は…、あるんですかね? 少なくとも、自分のように下働きが主な仕事になると、労働時間にがっつり縛られていないため、効率的に仕事をこなすだけで時間対給与のコスパが良くなりますが、私の上司はスケジュールにミーティングがぎっしりつめられて残業をしてそうなのに、残業代とかの話を聞いたことがないです…。

なんなら残業代の話は同僚との会話で聞かないですし、アメリカではwhite collar exemptionとかいう特定職には残業がつかない法律があったりするので、地位が上がると中々闇が深い感じになってそうでしたね(ただこれって日本も役員になったら残業がつかないみたいなのがあった気がするので、それと同じ感じ?)

 

元々フルタイムをするというのがどういうことなのかを知りたくて留学に来たので、フルタイムの感覚や、会社のいい雰囲気のベンチマークを手に入れることが出来たのが何よりも大きいと思います。

 

留学全体として学んだ/思ったこと

まずは留学の目標を振り返りたいと思います。去年末で少し目標を変更しましたが、元々の目標として、「Digital Marketingを学びたい」「日本で就活とかをやる前に、海外でフルタイム勤務をしてみたい」「自分が自分で誇れるような頑張りをしたい」というものがありました。

そして、年末になって「フルタイムをしながらの自分の人生の時間の使い方を模索する」「思考や体験をメモにまとめる」として、これからも使えそうな生活の経験値を貯めていくことを主軸にしていました。

適当にまとめるなら、自分が掲げた目標は全て達成することが出来たんじゃないかと思っています。

Digital Marketingを学び、カナダでフルタイム勤務を半年することが出来たこと。プロジェクトが軽くなるにつれて、自己研鑽を含めた自分の人生の時間の使い方を模索したこと。なにより、この留学の1年で頑張ったことは、自分にとって誇れる努力をした体験となっていること。

思考や体験をメモにまとめることは、あまり時間をかけてじっくり取り組むことが出来なかったので、日本に行ってからも継続する課題となりますが、自分がやってみたいと思うことにとにかくチャレンジと努力を重ねることが出来た期間だと思います。

100%満足のいく結果とはならなかったとしても、そこまでの過程でいろんな試行をすることが出来たと思っているので、満足のいく留学生活でした。

 

今度は北米と日本で違いを感じた点ですが、まず目につくのは家の大きさ、土地のスケール感の違いですね。日本の住宅街のようにきっちりと敷き詰められている感じが無くて、広々とした感じがけっこう好きでした。

そういった所は緯度的にも北海道に近い所があるかもしれません。面積の違いだとは思いますが(日本は面積が38万km2でその内2/3が森林。北米は998万km2(カナダ)、983万km2(合衆国)で森林はざっくり35%くらい)。

あとは地震とかの天災が少ないことに起因して、本当に高いビルやマンションが都市部や沿線沿いに出来がちです。

葉月は縁があって、1回だけかなり高いビルの57階の部屋に行ったことがありますが、そこまで高所恐怖症ではない私ですらかなり怖かったです。ここで生活するのはちょっと躊躇いますね…。

ただ国土が広い弊害か、車がないと移動がかなり不便です。欧州でも似た感じではありますが、あっちは交通機関が大してないからというのに比べて、こっちは交通機関が発達してても国土が広いから交通網にも限界があります。都市部の真ん中で暮らすなら交通機関に頼れるけど、そうでない限りは車は必須でした。

まぁ運転免許を持っていない葉月はそういう意味で人権がなかったので、あまり交通機関の外にお出かけをすることが少なかったように感じます。

さらに北米の特徴と言えば、行きかう人々と多言語ですね。中国語、スペイン語などなど、普通に道を歩いているだけで沢山の異言語が耳に入ります。耳に入る言語を聞き分ける遊びが出来るので、個人的にはめちゃめちゃ楽しかった。

そして社会は統一感がなく、何だかんだ人種で固まっているイメージです。それぞれの人種が集まってコミュニティを成し、モザイク状に分布しているような感じ。何より歴史的にも移民が相当の割合を占めている土地柄で、公用語の英語であっても、第二外国語として話している人がほとんどなように感じます。

 

さて、この1年をざっくり振り返って思うのが、とにかくこの1年は長かったということ。

1年という期間を長いと感じるか短いと感じるかは人次第な所があると思いますが、私個人として、この留学期間は長距離を短距離のスピードで走っていたような気持ちでした。

持続不可能といいましょうか、まだまだ長く時間が続くのに、日々にいろんなことを詰め込んでがむしゃらに努力をしていたと思います。

特にそれが顕著だったのが7月中旬から10月までのフルタイム準備と慣れの期間、ボスキャリ準備で、なるべく早い段階で結果を出そうという側面ではプラスでしたが、生活にボロがいろいろ出ていました。

ボスキャリを終わらせて留学が終了するなら、そういう無茶も悪くはなかったのかもしれませんが、そこから留学が普通に続いているという時間感覚の欠如があったような気がします。

少し気合を入れて頑張りたい時はあるにしても、安定しない無茶な努力を長期間行うのは反動を生み、11月から3~4か月くらいは失速していたことを鑑みると、やっぱりいい努力の方法じゃなかったなと思いました。

 

前の内容とも繋がりますが、葉月はこの留学で「頑張ること」に対していろいろな視点を手に入れたと思っています。

この留学時期は「頑張った」時期として思い出すような時間を過ごしていたと思いますが、それでも無茶やストイックが度を過ぎていたと思う部分があったので、今後の課題ですね。

留学のこと以外に2番目、3番目で大事なことがあったとしても、留学に100%の力を注いでしまったら、留学が終了した時に1番大事になるものに力を割けない。

葉月は比較的ストイックな人間ではありますが、この1年は輪をかけて、日々の効率化や努力をしようとした時期なので、こういう負担のかけ方も改良していかないといけないなぁと思うばかりです。

 

 

次に、ベルギーという国に10か月住んでいた経験も加えて、外国に住むことについて少し考えてみました。

私自身、雑草のように生きていこうという信念で、どんな土地でもとりあえず根を生やしていきていこうとするタイプなので、基本的に住む場所へのこだわりはあまりありません。

そういう意味で「日本ならこうなのに…」となることが少ないので、結局は好みの問題になるかなぁというのが正直な所です。

日本という国と比べて、外国は外国で不便に思うこともあるし、気楽なこともあり、「北米と欧州、日本をふんわり比較する」の章で詳しく触れますが、どこの場所も良し悪しがあります。

まだ他の土地も見てみたい気持ちはありますが、私にとっての暫定1位は欧州ですかね。

外国に住む、となると大変なことは多くなりますし、言語や文化が違うという難しさはありますが、結局は慣れな所もあります。

ただ、外国に住む体験をして、とにかく自分にとってプラスになったことは、日本以外にも文化や勝手をそれなりに理解している場所があるという感覚を持てること。

一つの国、文化、人々しか知らなければ、そこから外れること、村八分になることは社会的死に近い感覚を味わうと思いますが、それ以外の場所を知っていれば、次の場所に向かえばいいだけの話。

北米なんかはそれなりに日本人もいますし、コミュニティが乱立している場所なので、選択肢としては悪くない場所だと思いました。

その選択肢を持った状態でずっと日本に住み続けるのもアリだと思いますし、フラフラと居住を変えるのもいいと思います。

違う場所、違う空間に自分が居られるという選択肢を持つことが出来るのが、外国にしばらく住んでみることのメリットかなぁと。

 

 

最後に、目標を持つことの重要性を改めてこの留学で実感しました。

後から振り返ってみると、相当いろいろと成し遂げているように見えるこの留学ですが、がーっと1日2日で努力をすれば芽が出てくるようなものではなく、寧ろ成果が見えない日々のほうが多いです。

成果を実感し始めたのは本当に最後の頃、副業の2店舗目オープンを手伝ったり、フルタイムでのプロジェクトをまとめる時とかでした。

でも、最後になれば必ず成果が見えるかというとそうでもなく、成果が見えなくても、先が長くても小さな努力をしないといけないことは多い。

だからこそ、何を成し遂げたくてこの努力を重ねているのか、そもそも目標は何だったのかと逐次振り返っていくことが重要だなぁと思います。

努力をしようとしても、自分がやっていること、努力していることに対しての意味を見出せず、やる気が出ないタイミングは、この留学中いくらでもありました。

最近だとやる気なんて存在しない。習慣化するのが大事、というのもありますが(それも正しいと思いますが)、そもそも何を目指して行きたいのか、自分にとっての北極星は何かを問い続けることが前提にあるような気がします。

留学の話に落とし込むなら、メンタルが低下していた時なんかは、なんでこんなつらい思いをしてカナダにいるんだろうと思いましたが、自分が一番初めに掲げた目標があると、やっぱりやりきりたいという気持ちになりました。

見知った土地と文化と、大事なものを置き去りにしてまでやってみたかったこと。

目標自体が自分がどうしても達成したいと思えるものじゃないと難しいかもしれませんが、コンスタントに努力をするモチベに繋がるとは思います。

 

北米、欧州、日本とふんわりと比較して思うこと

北米、欧州は1年くらいしか住んでいないので、文化の根本を捉えられているかは分かりませんが、自分の経験と元にふんわりと文化を比較してみました。

まずは日本から。日本は米国との対比から集団主義的(collectivism)とかいわれることが多いですが、葉月的には「所属主義」のほうがしっくりきます。

学歴や会社などのその人が所属している場所、地位でその人「自身」を判断しているような印象とでもいいましょうか。

そう思う一番の理由が、現地の日本人と話をした時にほぼ確実に東大の話を振られることです。

東大生もそれなりにレアだとは思うんですけれど、ここまで毎回「え、東大なの、すごいね頭いいんだね」的な反応をされると、もはやこれは日本人の思考回路なのではと思わざるを得ませんでした。

あとは自分が他人に紹介をされる時に確実に「東大の人で~」みたいな情報を加えてくることもありますかね。

集団主義との関係性を考えてみましたが、集団の「印象(偏見)」に囲まれるという意味で、その印象に馴染もうとすれば集団主義的というか全体で統一された何かに見えるんじゃないかなぁとか思ったり。

社会的にもてはやされる地位を手にすれば、「いい」偏見に囲まれるという意味で生きやすいとは思いますが、集団の中に馴染む、周りからその集団の偏見と比べられるというのが苦手に感じる人にとってはかなり生きづらい場所かなぁと思います。

 

次は欧州。西欧と東欧で変わってきますが、西欧の価値観について書いていきます。

欧州は理想主義なイメージが葉月の中にあり、社会や国の統一(≒EU)を中心にしながらも、新しく勃興する価値観とどう上手くやるか模索している印象です。

例えば人権、移民やLGBTQの話など、時代が進むにつれて波及していった価値観については、欧州の掲げる「理想」に沿うように、人道的というか「理想」を主軸にして思考が進んでいるような気がします。

いかんせん歴史と文化の厚みが深く、多くの下地、素養が文化の中に含まれますので、それを理解する、慣れていかないと暮らしにくいと思うかもしれません。

日本人として行くことのマイナス面というと、やっぱり根強く人種差別の意識が残っている所かなぁと。

この時代、表立って差別をしてくるやつはそうそう見かけないと思いますが、ふと怒った瞬間や、無意識的に出てくる差別はまだまだあるなぁと思います(2016~17年の体験なので、Covidを経てどうなっているのか気になる所です)。

まぁ日本人というよりも、アジア人として欧州に行くことのマイナス面、と主語を設定するほうがより的確な気はしますが。

EUの理想は葉月的にもちょっとキモイと思わなくもないですが、Noblesse obligeの精神なのか、最低限の生活がかなりしっかり保障されていること、欧州を理解しようとしている人に対しての優しさは格別だと思うので、かなり住みやすいほうなんじゃないかなと思います。

ただ日本と違って、暗黙知として文化を理解しないといけないというよりは、「移民」という立場から文化を学ぼうとしている、えらい! みたいな感じで優しいので、若干上からな感じがするのが気に食わないと思う人も居るような。

 

さて最後は北米です。ここの土地は何といっても個人主義と資本主義。

社会に統一感なんかあったもんじゃないし、どんな組織や場所にいても自分は自分、自分のしたいことをする、といった感覚が浸透しています。

また移民大国なので、小さくコミュニティが点在しつつも多文化となり、ピンポイントで差別されることは少ないんじゃないかと。なんなら日本人は礼儀正しいと高評価な印象です。

ただ悪く言えば、社会の中に芯の通った規範、道徳がなく、個人個人が自由に生きるというのと、好き勝手やりたいように生きるというのを取り違えてる人があまりにも多いような気が。

また個人として生きる分、自分の上位互換に上から叩かれることも多々あります。特に競争とかだと顕著になりますが、上位互換がいたらほぼ勝てないんですよね。お情けとか平等とかよりも競争で優劣が決まっていく精神が沁みついている感じ。

そんなことはありますが、個人は個人として社会からの枷が少なく生きられるので、統一感とか集団といった、集団社会の風潮が嫌いな人には肌に合う場所だと思います。というか、欧州や日本のように、文化素養(歴史)がそもそも深くないので、ふらっと移民して定着出来る場所として、多分誰が行ってもそれなりに楽しいと思います。

 

これからの生き方の方向性など

さて、今までに書いてきたような経験をこの1年で積んできましたが、大学の学部残り1年間は自分の知らない世界の探検に時間を使いたいと考えています。

この留学を経て、文化においても、自分自身においても、社会においても、自分の知らないことが広がりました。

ここから先、これまでカナダで移民生活を1年体験しましたが、これをもっと広げてジオノマド生活をしてみたいなぁと考えています。

東南アジア、東欧や南米など、また違った価値観が存在する世界を見て回ってみたい。

世界は狭くなったようで、まだまだ広く、未知に溢れていると思いました。北米という地域もまだ探索し尽くしていないし、なんなら日本すらもまだ自分が知らない場所が沢山存在しています。

ベルギーから帰国した時も同じことを思ったけれど、やっぱり自分の知らない世界をまた探検したくなりました。

そうした中で、自分の能力や価値観を人に伝えていく、話していくといいますか、求道者であり他者をinspiringさせられる人間でありたいと思っています。

 

仕事面でいうと、ウェブサイトのトラッキング導入の実務経験を少し積んだおかげで、データ収集の基盤の作成はかなり具体的なフローがイメージ出来るようになりました。

なので、次はもう少し上のレベルというか、営業や要件定義にも通ずる、そのデータ収集がどういったメリットをもたらしてくれるのかを具体的に言語化出来るようにしていきたいなと考えています。

ボスキャリで一応内定はもらっているので、とりあえず3~5年を目安にきちんとITとかデータの活用法の知識を固めていく予定です。

データアナリスト辺りの職業をぼんやりと考えていますが、何だかんだこっちで学んだウェブアナリストの知識やマインドセットも活かせるような気がするので、しばらくはそんな感じの仕事をしていようかなぁと。

 

 

まとめっぽいもの

いろんな側面からこの1年+αの経験を書こうとしたらすごい文字量になってしまいました汗。

後悔がない訳ではないですし、やりきれなかったことも多いですけれど、自分的に満足のいく頑張る期だったかなと。

また日本に帰ってもいろいろ人生を模索していきたいと思います。

最後に、この記事が、新たな価値観や考え方、視点を提供する一助になれたら、葉月としてはこの上なく嬉しく思います。

それではノシ

学び:努力をすること

皆様こんにちは。葉月です。

 

今回は「言語化すること」に引き続き、自分の中で大事にしている考え方、「努力をすること」について書いてみました。

努力をするしないの話というよりは、葉月が努力することについてどう捉えて思考しているのか、という切り口で書いていきます。

  • ざっくり努力とは
  • 努力のタイミング
  • 努力の方向性

 

ざっくり努力とは

まずは努力をすることの意味をざっくりみていきますが、葉月は植物の水やりと同じようなものだと考えています。

水をあげれば芽吹くわけでもないけれど、種がそこに眠っていれば芽吹くかもしれない。雨が降って勝手に芽吹くこともあるけど、水をあげないと水不足の可能性が起こり得る。そして、水をまいても芽が出るまでは時間がかかり、花が芽吹くにはもっと時間がかかります。

ただ、水をあげていれば雑草なり何かしらは芽吹いてくるもので、無駄に終わる努力も沢山あるとは思うけど、それ自体が完全に無駄になることは少ないかなとも思っています。

玉虫色な感じに聞こえるかもしれませんが、基本スタンスとしては、努力が無駄になることはないけれども、きちんと身になるものを生み出すには、それなりに努力を続ける必要がある、といった感じです。

人に与えられている時間が一律24hで有限である以上、ただ努力を続けるだけでは時間切れになってしまう可能性があるので、ある程度努力の量と方向を絞る必要があるのは事実であり。

ただ漫然と頑張るだけに終始するのではなく(頑張ることを目的にせず)、自分の人生に蒔かれた伏線(種)を回収、発展させていくのが「努力」であり、頑張ることかなぁと思います。

それはそれで自分の人生に蒔かれた種をきちんと認識して、それを育てたいと思いながら水を撒くことが必要なので、中々努力すること自体が難しいと思えるかもしれませんが。

 

 

努力のタイミング

いつ努力をするか、というのは人それぞれだと思いますが、まず必然的に頑張らないといけない状況というのは、対処すべき出来事や状況に自分の能力が追い付いていない時ですね。

力不足だから努力をしないといけないということで。

もちろん努力をすることで能力が向上し、対処すべき事態に対してキャパが追い付くようになることもありますが、学習曲線になぞらえると接線の傾き、つまり頑張る(努力)の効率/質も上昇していきます。

こうした努力の質、努力(能力)が向上していくのは、もちろん投入した時間も関係があるとは思いますが、筋トレと同じように自分の限界を少し超えた量をこなそうとすることがきっかけになると思います。

やりすぎると潰れるから注意しないといけないけど、壁にぶつかるからこそ、それをなんとかしようとあがく。切羽詰まってないと、自分の限界まで能力を使いこなそうとは思わないかもしれないのかなぁと。

留学とか異文化交流でよく言われる「コンフォートゾーンから抜けていく」というのは能力に負荷をかける感覚に近いものがあります。

自分の安全地帯の中でも困難は生まれるとは思いますが、生活のそこらかしこに障害というかハンデを背負う材料が転がっている中で、掲げた目標を達成しようとすることは、その課題単体で挑む時よりもはるかに負荷がかかっている状態になります。

加減が必要ではありますが、限界ギリギリまで頑張ってみることで努力をする自体の質が向上するのかなと葉月は考えたり。

この努力の方法は水やりの例えでも言及したように、そこに種が眠っていて、芽吹かせることに意味があるものに(絞れるなら)絞るほうが効果的だとは思います。前述のような努力の方向性は消耗が激しいですし…。

 

さて、少し人生論っぽくなりますが、葉月としては、能力を注ぎ込んで頑張る(頑張らないといけない)時が人生で幾度かあると思っています。

山場といいましょうか、がっつりそれに集中して取り組むことで、自分にとって大切なものを形にする、模索するタイミングは誰にとってもあるんじゃないかなと。

その頑張る時では自分の出来る限りの力を注ぐべきだと思いますし、悩みながらも模索して取り組んでいく期間がないと、人間として成長する機会が一つ失われてしまうような気がします。

と、いうのがベルギーから帰国した当初の葉月の考えだったのですが、カナダ留学で少し考えは変わったような気がします。

山場で頑張らないといけない時が存在はすると思いますが、それでキャパオーバーして生活が回らなくなるのも問題です。

だんだんと温度を上げると、高温で茹で上がっていることに気づかない、というゆでガエルの例えにならないように、この一線を越えたら今抱えているものが回らなくなるラインを自覚するのも大事というか。

キャパシティを自覚するのも大事であり、バランスを取るのが難しいなぁと思います。カナダの留学で葉月が直面した問題で、対処方法を模索しています。

 

 

努力の方向性

人それぞれ分野なり、やりたいことは当然違ってきますが、一つ大事なのは、自分が変えられることは何かと問い続けることだと思います。

自分が変えられないことには努力をするな、という訳ではなく、変えられないこと(他人だったり、環境だったり)に文句を言ってるだけで終わるのではなく、自分の変えられることに挑戦すること。

自分の努力が実るために出来ること、少しでも現状を良くすることが出来ることに対して努力をしようと行動出来るのが、いい努力の方向性じゃないかなと葉月は思います。

最後の結果はどうしても自分依存ではないものがありますから、ここが「努力しても上手くいくことがない」という難しい部分です。

心理学的には、自分の周りのことを制御出来るという感覚を持つことで精神的に安定する、といった自己コントロール感のようなものもありますね。

そして、何かに向けて頑張ろうとした経験は、何だかんだ他の分野でも置き換えが効いたりするものです。

某ゲームの名言を引用するなら「一つの道を究めた人間は、他分野も得意分野に置き換えて要領を得る」というもので、葉月も最近少しだけ分かるようになってきました。

あとは、何をしたいのか、という大きな目標から具体的に行動のプランに落とし込んでいくのが努力の方向性を絞る上で大事かなぁと。

やりたいことを並べてタスクにして頑張るのもいいですが、毎日タスクでギリギリまで頑張る生活は心が持たなくなります(実体験)。

何をしたくて、何を成し遂げたくて、今この努力をしているのかを常に考えておくことで、時間と労力を投資する感覚から少しだけ逃れることが出来るのと、遠回りをしている時に気づきやすくなるといったことがあると思います。

 

努力が出来ることも才能だとかGritだとか、様々な切り口で語られることの多い努力ですが、留学も終盤なタイミング、ふと自分の考えを雑記的に書き残しておきたくなりました

そろそろこの留学もまとめに入ろうかな。ではでは(^^)ノシ

時間とお金の交換について

皆様こんにちは。葉月です。

 

今回は自分がまだ専門学校に通っていた頃、印象に残ったことについて少し考察していきたいと思います。

それは、移動時間が1.5時間の人に対して「近い所に住んで、その移動時間分働けばこのくらい稼げるのに」と言っていた留学生がいたこと。

葉月は電車とかでぼーっと窓の外を眺めているのが好きなので、移動時間がまるで無駄みたいに捉えているこの発言に少し引っかかりを覚えました。

さらに、こっちで暮らしている留学生は、アルバイトの限界である週20時間(最近変わりましたが)の内、けっこうギリギリまで働いている人が多い気がしますし、金>時間という優先度が頭にあるのかなとふと考えました。

今回はそんな時間とお金という資源の交換について考えてみます。

 

この時間とお金の交換について気になり始めたのは大学に入ってからわりとすぐで、暇な時間を惜しむようにバイトをしている人がそれなりに存在していることを不思議に思いました。

もちろん大学の費用等々でお金が必要だからがっつり働いている人も居ますが、必要性を超えてバイトをしている層はいるんじゃないかなと思います。

その時に思ったのが、何か予定を埋めていないと不安なのかなと思ってしまうという考えでした。暇な時間を作っていると、ムダにしてしまうのではないかという考え方があるのではないかと。

休憩やゴロゴロした時間など、振り返ると必要がなかったと思える時間を過ごした後、もしアルバイトをしていたら(仕事をしていたら)、他のものに交換出来る(欲しいと思うものを買える)お金が手に入っていたと考えると、その交換のほうが良い、という発想です。

まぁ大半の人がもっとお金が欲しいという現状から、自分が暇な時間で行う行動 < その時間で生まれるお金、という式が成立しているような気がします。確かに暇すぎる時間を過ごした後、もっと他に有意義なことがないのかと考える気持ちは分かるけれども、暇を詰めてアルバイトをすることが完全に有意義だとも私はあまり思えず。

大学生という身分からすると、お金があればいろんなものと交換が出来るし、時間という資源の使い方がはっきりとしていない場合、欲望を満たしてくれるもの(お金)を獲得しておくという思考なのかなと考えました。

 

 

そしてカナダでフルタイムをしている内に、時間とお金の交換比率は時期によって異なるような気がしてきました。

今までの思考のスコープは大学生でしたが、ビジネス書なんかを読んだ時に、時間が大事といっている人が多いのにもどことなく納得感はあり、フルタイムの身になるとけっこうピンときます。

フルタイムを始めると、平日にがっつり遊ぶ、出かけるという発想が無くなります。

一日8h(残業ならもっと)が仕事に吸われるので、独学と食事やら雑事をして、睡眠時間を8h取ろうとしたら、遊ぶ時間はほぼ存在しないです。

趣味とか人と会うとかをしようとしたら自分の時間、雑事や睡眠時間などの時間からどこか切り出さないといけなくなる(毎日仕事終わりに飲み会とかどうやって生活しているんですかね…?)。寧ろお金を使うことで、遊んだりゆっくりする時間が作れるならお金を使いたいと思う。

そう考えてみると、金>時間となるのは学生だけな気がしてきます。学生時代は時間という資源が余っていてお金がない状態。逆に仕事を始めると時間がなく、お金は増える状態になるのかなと。

 

 

さらに、フルタイムで仕事している人の中でも、年代によっての違いを考えてみます。

時間とその対価としてのお金という変換は、スケールは異なるにしても、フルタイムでもアルバイトでも本質は同じであり、不労所得のシステムを持たない限りは時間を投資して、その結果としてお金を得るという構造になると思います。

時間という資源はどんな人に対しても一日24hなので、その時間の資源を時間として消費するか(直接はお金を生まない活動。間接的に繋がるであろう自己研鑽とかもこっちに入りますが、少し的が広いかも)、時間資源を消費してお金を得るか。

要はどっちの資源をより求めるかという話になる気がします。

少し派生した議論になりますが、定年退職をした人が、時間の使い方が分からなくて困っている(暇すぎて困る)みたいな話は、この交換が外的要因も含んでいることを示していると思います。

定年退職は、あるタイミングで時間とお金のトレードが出来なくなるということ。

時間とお金の交換(仕事)をずっとしてきた人間が、そのトレードが出来なくなった時に、時間を時間的に使うことが出来なくなるというか、手元にある時間資源が価値のないものになってしまうといいましょうか。

どっちがいい悪いという議論よりも、このトレード自体が年代、人生のステージによって影響されることもあるという点を認識する必要性があるのかなと思ったり。

この時間とお金の交換は、仕事とプライベートという切り口でも語ることが出来ますが、プライベートというよりは、自分の持っている時間資源を使用するアイデアがあるか、という問題に全部まとめられるような気がします(趣味とか)。

これは自分も納得できるもので、仕事に対して力を振ってみて思ったことが、仕事以外の時間も同じくらい大事であること。

残業をすれば仕事で埋め尽くせるとは思いますが(さらにいいレートで時間とお金が交換できますが)、週40hでビザ制限がかかっている身としては、一日の中で仕事8h、睡眠8hの後に自分の時間8hが余る。

移動時間とか食事とかで自分の時間8hを全て使えることはないにしても、仕事で時間を交換していった先に待っている、仕事で時間を埋められなくなる未来に対して、どうやって時間を時間として使っていくか。そんな命題があるような気がします。

 

 

 

定年を過ぎても働くなどの新しい議論もありますが、フルタイムと学生の両方を体験している身として、自分の時間をどう仕事や時間として消費することに分配するかという思考と、前に考えていた思考とが何か重なるじゃないかと思って書いてみました。

ではでは(^^)ノシ

学び:言語化すること

皆様こんにちは。葉月です。

 

カナダで過ごす日もだんだんと短くなっていくのを肌で感じながら、ラストスパートと思いつつ人生を走って生きている最近です。

今回は、自分の中で大事にしていること、トラブルシューティングや問題の構造化において役に立っているのではないかと思う考え方を雑記的に書き残したものになります。

それなりに種類があるのでシリーズ化したい気持ちもありますが、とりあえず書いてみました。今回は「言語化すること」です。具体的にいうと、思考を書き残すこと、人に話すこと、になります。

 

ふわっとした目次

・不安の対処としての言語化

  • 不安に輪郭を与える(可視化する)
  • 外部化することで他人と共有できる

追体験の方法としての言語化

  • 経験を言語化することで改めて見返すことが出来る

 

・不安の対処としての言語化

話すこと、書くことはどちらも自分の思考、考え方、感情を言葉にすることです。抽象的に頭の中で考えていることは輪郭がなく、まとまっていません。

こうした頭の中だけの考えは、輪郭がないために思考がとりとめもなく形を変えます。

そこで厄介なのは、頭の中だけで「不安」を思考すると、形がないままに膨れてしまう(ネガティブスパイラルに陥る)可能性がある、ということです。

ただ、自分の思考を書いたり話したりすることで、頭の中で輪郭のないものとして漂わせていた時とは違い、「言葉」という形のあるものになります。実際、不安は紙に書き出してみると、自分が思っていたよりも数がないことに驚いたりします。

そして、思考に輪郭を与えることで、問題がはっきりすることもあります。

頭の中で形にならないものとして混沌としていたものが、言葉に出来るものと出来ないものとして分割されるので、少なくとも言葉に出来るものは整理され、思考がクリアになります。

これは広く捉えると可視化に繋がるのではないかと考えました。思考を可視化することで、自分がどんな問題に悩んでいるのか、どんな言葉を抱えているのか考えることが出来る。

不安などの形のない思考は、言葉という一つの枠組みにはめ込むことで、整理と客観視に役立つと思います。

 

また、思考を言葉にすることで、他人と共有することが出来る状態になります。

他人と共有することが出来ると、その人の中に自分の思考が存在する状態になるため、自分の中だけにしか存在しなかった考え、思いが外部化されます。そして考えや思考を自分自身と切り離して見ることが出来ます。

そうすると、自分自身と関わっているという意識が薄くなるので、客観的な考え、アイデアとして自分の考えを見ることができますし、発信という意味合いでは、外部化されることで、その考えや想いに共感してくれる人が現れるかもしれません。

最初に触れた、不安に対するアプローチとして言語化は大事という話はここでも繋がると思います。言語化して外部化することで、自分自身で今までとは違う解決の視点や、問題点の捉え方が出てくるかもしれないですし、人に話せば、自分では思いつかなかった解決策を提示されるかもしれません。

 

 

追体験の方法としての言語化

言語化することの意味として、他にも振り返りが可能です。

思考は長期記憶として取り出せる状態になっているものを除けば、思い出そうとして思い出すのは困難だと思います。しかし、その時考えていたことを書き出しておくことで、当時の心境や感覚を言葉というフィルターがかかるものの、思い出す、追憶することが出来ます。

思考は時を経て変化していくものだと思いますが、その時点の思考を書き残しておくことで、思考の変化の軌跡を見ることもでき、自分の足跡を辿ることも出来ます。

さらに、他人と共有されることとも関連して、他人の思考や記憶にも言語化されていれば触れることが出来ます。

外部化しようとすることで、思考だけではなく、体験や経験などの感覚的なものにも枠組みが与えられ、読み返すことが可能になります。

そういう意味で、このブログ自体が私にとって言語化の一つの手段でもあります。

 

 

さて、ここまでは抽象的に言語化について考えてきましたが、葉月が具体的に留学でやってきたことは以下の通りです。

  • 不安を感じたり、自分の進んでいる方向性が分からなくなった時に、今自分が感じていること、考えていることを紙に書き出してみる。
    • 最初から構造立ててまとめようとするのではなく、最初は雑に書き散らして、後から見返した時に構造を作るというやり方だとハードルが低くなるかと思いました。
  • (このブログもそうですが)体験や経験から感じたこと、学びだと思ったことを書き残しておく。メモでも電子媒体でも。
  • ひと月ごとに自分の行動を振り返り、どんな進捗や反省があったかを書き留めておく。

 

他人に伝えることが難しい経験や体験ですが、言語化することで自分が後で振り返ることにも使えますし、他人に言語を通じて伝えることも出来ます。

単純なtodoリストとしてメモ書きをするのもいいですし、悩んだ際に問題を構造化しようとメモを取ると効果的な時もありました。

最近は毎日メモを書くようにしてみていますが、とりとめのない思考やどうでもいいことが頭の中から零れてくるのを書き留めるのはけっこう楽しいです。

 

 

…というわけで葉月が今まで生きてきてけっこう大事かなぁと思う要素の内の一つ、言語化についてでした。

気が向いたらまた似た内容の記事を書くかもしれません。ではではノシ