葉月のまったりブログ

中の人の日常体験とか思ったこととかを雑記的に記していくそんなブログです。

2023年の振り返り

皆様こんにちは。葉月です。

 

明日のツイッターでも振り返りをするとは思いますが、一応文章の形で残しておこうと思い、この記事を書いてみました。

いろいろあったようななかったような、そんな2023年が終わりそうですが、振り返りたいと思うことは大体過去記事とかで振り返ったような気がします。

なので、この記事ではざっくりとした2023年の所感とか、自分のこれからのことについて書いていきたいと思います。

ふと思うと、1年前に自分はカナダにいたんですよね。

そして2024年1月末には社会人に向けた一人暮らしを始めるので、1年足らずでまた違う場所に住むことになり、束の間の休息というか、幕間のような1年でした。

 

2023年。振り返ってみると、きちんと1年として時間が経った1年でした。

変な表現かもですが、2022年(カナダ留学をしていたとき)は本当に時間が経つのが遅く、生きるので精いっぱいで、体感3年くらいに感じていたので、2023年は短かったような気すらしてきます。

ただ何もしていなかったわけではなく、むしろカナダ留学で少し貯まったお金を散財?するように、日本のいろいろな場所を巡ろうとしましたし、学生だからこそできる、と思っている変なこと企画もやっていました。

友人からの影響もありますし、元々旅行が好きというのもありましたが、今年は輪をかけて旅行をしていた気がします。

まぁモラトリアムの時期ですし、卒論を書けば卒業できる段階まで単位を取り切っていたので、ある意味では当然の権利を行使しているともいえるでしょうか。

しかし、最初は卒論も適当にやろうかと思っていたけれど、やっていく内に学んでいる学問の楽しさを思い出しました。

仮説を考えて、データを集めて、分析検証をする。

データ分析には興味があったので(そういう方向の仕事をしたいと思っていますし)、卒論もそういう意味では楽しくやれるのも当たり前だったような気がします。

卒論をやっていく中で、博士課程の人や修士に進んだ同期のアカデミアに生きる価値観に触れることもでき、ちょっと予定とは違いましたが、楽しく過ごすことができました。

そういう意味でざっくりと総括すると、遊びに研究に、やりたいことに全力投球できたなぁと満足する1年です。

 

さて、来年は社会人なので、2024年は頑張りすぎないように、社会人の暮らしに体をなじませたいと思います。

一人暮らしは好きというか肌に合ってますし、カナダでシェアハウスで暮らしていた時の感覚を少しアップデートすれば十分暮らせると思っているので、暮らしに関しての心配はないですが、それ以外の部分には若干の懸念はあり。

特に仕事の部分。忙しいとされる職種に入るので、日本で働いたことがない私としてはかなり懸念を感じています。

カナダで下っ端をしていた時は「残業なんてありえない!」という空気感で過ごしていましたし(マネージャーはそうでもなさそうでしたが…)、その肌感覚のほうが正しいとも思っていますが、日本はそうでない可能性が。

Karoshi(過労死)が英語になってしまうくらい、長時間労働が問題視(そしてその認識、見解が払拭されていない)されている中、果たして自分の労働環境を整えることはできるのか、というのは疑問です。

また、Z世代でQoLが~みたいな話を見ますが、それと似た話題として「私生活と仕事」の在り方があります。

私自身は仕事と私生活を切り離しすぎないほうがいいと思っていますが、その理由として、仕事もある程度「私的」に楽しいと思うものをすべきだと思っています。ただ、仕事と私生活を重ねすぎると、仕事という柱を失ったときに自分の人生に受けるダメージが大きい。

投資で最初に教わる「一つのバスケットに卵を入れない」という話ではないですが、仕事以外で自分が打ち込めるもの、楽しめるものをいろいろ開拓していくのも大事じゃないかなぁと思います。

そう考えると、自分自身が楽しくやりたいと思うことってなんだろう、となりました。

カラオケとか、ギター/ピアノとか、元々小さいころにピアノをやっていたのもあり、音楽は好きなので、音楽系で教室に通ってみるのもいいかもなぁと思ったり。

大学で合気道を続けていましたが、これを続けるかはまだぼんやりしています。

旅行は金がかかるのと、時間を取られる趣味なのは間違いないので、何回も行けるか分からないですけれど、自分の仕事の興味とも関連するので、隙を見て行きたいなぁとは思っていますが、そんな余裕があるのでしょうかね…?

 

まぁ2024年の走り出しはそんな感じで行きたいと考えていますが、もう少し遠目の目標として大きく二つあって、1. 親の年収を超えたい。と 2. 誰かと生きる伏線を作る。をやっていきたいと考えています。

1. 親の年収を超えたい、については、私がこれから始める仕事はかなり忙しいほうの職種、と書きましたが、一応稼ぎもいい職種ではあります(これが釣り合ってないと最悪です…)。

そして、親を超えてこそ子供の成長というか、独立が達成されると思っているので、師を超える、みたいな感じで親の年収には勝ちたい。

年収が仕事の大事さじゃないとか、これからの世代が親の年収を超えるのは難しいとか、そういうのは一応理解した上で、(どう書こうとしても歪に見えると思いますが)能力的にも学歴的にも親には負けてないと思うので、単純に年収というステータスの一つにおいて親を超えたい、といった感じです。

多分ただの負けず嫌いの延長線上にあると思います。

とは言っても、今の親の年収には勝ってもしょうがないので、親の全盛期の年収に大体の予想をつけておき、それを超えるまでは年収を上げるように頑張ろうかなぁといったくらいの感じで。

もちろん自分の体とか心を壊しそうになったら引くべきなのだとは思いますけれども、やれる限りは「稼ぐ」ことに力を振ってみたいなぁと。

そして、それと若干矛盾するような気もしますが、2. 誰かと生きる伏線を作っていきたいと思っています。

(自分自身がはっきりと一人で生きるかそうでないか決め切ってないし、決めないでいいと思っているところなので、ふんわりした表現になってはいますが…)

そう思った理由として、遠距離恋愛が終わった後のカナダ留学の後半戦で、一人で生きていても楽しかったということ。

言い換えれば、一人で生きること自体は、今の自分から何も変えなくても普通にできて(楽しんで)しまうだろうと思ったからです。

遠距離を含めた恋愛経験が楽しかったのも事実です。いい意味でも悪い意味でも、自分の知らない自分を思いっきり鏡で見せられるような衝撃を感じるときがあり、自分に足りないもの、至らない点を多々見つけました。

ただ、多分このまま何もしなかったら普通に一人で生きられてしまう。

当たり前ですが、誰かと居ようと行動をしない限り、誰かと生きるなんてことにはならないと思いますので(友人にしても恋人にしても)、一人で生きるよりもやらないといけないこと、面倒くささがあります。

自分の人生にとって、どういう選択肢が「いい」未来を創るのか分かりませんが、他人と生きることもできるけれど、それを選択をできる上で、一人で生きるか誰かと生きるかを考える状態。

選択肢を増やす、という話に近いかもしれませんが、そういう状態にしたいなぁと考えています。

方法としては彼女を作る、というのもありますが、料理のスキルを身に着けるとか、一人暮らしをきちんと暮らすとか、自分磨き?をするとか、その辺もありますかね。

後者の「自分を高める」みたいなことは、意識をしなくても勝手に私自身がやろうとする性格な気がしているので、むしろやるべきは相手を探すことでしょうか。

ぼっちの時間をきちんと確保しつつも、一緒に居ることが出来る、まだ顔の知らない誰かを探しに行くのも楽しそうかなと。

 

こういう雑記はいい感じにまとめられないので、いつも締め方に困ってますが、まぁ来年も8割くらいで頑張っていきたいですね。

仕事の具体的な方向性などは、来年~再来年辺りにある程度指針が立っているといいなぁと思いながら、2023年を締めたいと思います。

来年はどんな1年になるのか分からないですけれど、1年1年を噛み締めるように生きていきたいです。

ではでは。