葉月のまったりブログ

中の人の日常体験とか思ったこととかを雑記的に記していくそんなブログです。

人間関係について考える ~自己開示編~

皆様こんにちは。葉月でございます。

「人間関係について考える ~自己開示編~」です。

 

 この記事では前回の記事で便宜的に分類した、4タイプの人間関係について、「自己開示」という観点から考察していきたいと思います。

 

さて、それではまず「自己開示」という言葉の意味について。

心理学の言葉ですが、「自分の思いや考え方(極めてプライベートなもの)を他者に明らかにする」という意味です。

この自己開示度合いについて、人間関係の深さによって層が分かれると思っていまして、深い友人関係や恋愛関係、家族関係は自己開示度合いが高く(一般的には)、浅めの友人関係や、知人関係では自己開示度合いが低いことが多いです。

自分の個人的な体験(恋愛関係なども含まれる?)や、人生歴(生い立ちとか)などを話す相手に対しては自己開示を多くしている、というイメージを持って頂ければいいかと。

 

1. 自己開示の多側面

これは人間関係全般に言えることと思うのですが、多くの時間を過ごせば過ごしただけ、その相手に対して自己開示をする度合いが高いんじゃないのかなと思います。

心理学で「単純接触効果」というものがありますが(あんまり強力なものではないので、これを鵜呑みにしてはいけません)、これは何度も同じ人とエンカウントすると、その人に対して好意を抱くようになるというものです。

それと似ているような気もしますが、多くの時間を過ごす(多くの回数会う)ことによって、自己開示の度合いが高まっていくのではないかと考えています。

(この議論の中において、親密度の上昇≒自己開示という関係性を前提に置いています。これについては次で詳しく見ていきます)

 

この自己開示についてですが、個人的には対人距離に似たものを感じます。

カタカナでパーソナルスペースと呼ばれるものですが、親密になるにつれてその人との距離が縮まっていっても許容されるもので、その距離以上近づくと不快に感じるものです。

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対人距離


(画像元: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B9

 

自己開示の情報の度合がパーソナルなものになるにつれて、どんどん内側になっていく。それを開示するのは親しい相手に対してじゃないと行わないというのは、その領域に入っても抵抗感を感じなくなった相手(対人距離が近づいた相手)に対してよりパーソナルな自己開示を行うことと表裏一体なような気がします。

親密度と自己開示の深さが一致しているように感じるヒューリスティックスはこの議論から生まれていると考えてください。

自己開示の解釈として対人距離をモデルに考えることで、心に触れる、踏み入れるといった比喩(物理的行為)が言い得て妙な風に感じることが出来るのではないでしょうか。

 

さて、知人関係、浅い友人関係などの、自己開示をあまり行わない関係について少し考察していきましょう。

この関係性において、自己開示はあまり必要とされないことが多いです。

どちらかというと、そういった相手に対して「そつなく振舞う」ことのほうがよく注目されるような気がします(いわゆるコミュニケーションテクニック的なもの)。

自己開示を行わないので、社会的ステータス(肩書とか資格とか)が自分を示すものとなり、社会問題の一つとされる学歴社会もこれが関係あるんじゃないかと思ったりします。

人が親密になって付き合える人数には限りがあると思っていますので(かなり感覚的議論ですが…)、社会的ステータスで人を判断しないといけない、というよりも、それでしか判断できない場面が往々にして存在します。

自己開示をそこまでしない関係なのに、自己開示をある程度しあう関係の深さまでいかないと知りえない、理解しえないような人間的性質を知ってもらおうとすることは難しいんじゃないかなぁと。

この問題は3. 自己開示の難しさで引き続き議論していきます。

 

次に、深い友人関係や恋愛関係についてです。

深い友人関係や恋愛関係になると、自己開示も多くなると思います。

これは私の持論ですが、深い友人関係では、その関係性の質が多重化していくと思っており、浅い友人関係では「何かをする/受け取る相手」という側面で一側面的であるが、深い友人関係では前述の一側面に加えて「心理的結びつき」が促進され、多側面で友人関係が展開されることが想定されます。

浅い友人関係では一緒に話をする、食事に行く程度の関係性で、それ以上の付き合い(継続的に会うなどの深い友人関係)になると「自分の考えに共感して欲しい」「自分のことをより知って欲しい」という状態があると思います。

恋愛関係については、正直著者の経験値が足らないのであんまり議論が出来ません笑。どのくらい付き合っているかによってまた違いが生まれてそうですが、少なくとも友人関係に比べて、より「心理的結びつき」を求める側面が強いのは確かだと思います。

排他的、依存的ベクトルが加わることも多く、自己開示の「圧力」みたいなものもあるのかな…?

 

最後に家族関係についてです。

何故深い友人関係や恋愛関係と一緒に家族関係を組み込まなかったのか、と思う人もいるでしょうが、家族関係は義務的側面がある程度存在し、友人関係と違い、仲が良くないからと疎遠にすることが簡単に行えない、ということが友人関係などの人間関係から一線を画していると思います。
(個人的見解ですが、恋愛関係と結婚関係の境目もこの義務的、契約的側面にあるんじゃないかと思っています。)

家族という機能自体は、構成員の精神安定の場所提供という意味合いが強く、自己開示という観点からみると、素の自分でいることが出来る(自己を安心して曝すことが出来る)という安心感を与えることが考えられます。

ゼミで機能不全家族について考えたことがあるので、「家族」を一括りに「安定的に自己開示出来る場」と設定するのは無理があると考えますが、家族の機能という観点から考え、その一機能としての構成員の自己開示許容が存在する。と考えると、その家族の機能具合により様相が変わってくる考えられるような気がします。

 

2. ヤマアラシのジレンマ(自己開示したいけど、傷つくのが怖い)

ショーペンハウアーの寓話が元ネタであるこの話。かなり有名みたいなのですが、人間関係の例えとして用いられることも多いです。

ざっくりと説明してしまえば、「お互いに近づきたいと思うけど、近づきすぎると互いに互いを傷つけてしまうから、近づけない / 丁度いい距離を探す」といった関係です。

ジレンマとされる部分は、近づきたいけど、近づくと傷つけるから近づきづらいという箇所ですね。

この力場は恋愛関係によく用いられる印象がありますが、私は自己開示という側面から考えていきたいと思います。

 

自己開示という文脈で言い換えるなら、「自分を知ってほしい(自己開示をしたい)けれど、私を傷つけないで(知れば知るほど、他者が受け入れられない可能性も増えるから)」となるでしょうか。

もちろん、自己開示自体も相手を選んで慎重に行われるものではありますが、自己開示をしてより関係を深めたいという思いと同時に、自己開示をして関係がステップバックする(「引かれる」とかいう言葉が適切でしょうか)のが耐え難いという気持ち、覚えがある人は少なくないと思っています。

 

さて、このジレンマからの反動がいくつかあると思いますので、それについて紹介していきたいと思います。

一つは「八方美人」という在り方です。

誰からも好かれるような性格や人柄を装うというのが八方美人ですが、この名詞自体に否定的文脈が存在しますね。本記事では件のジレンマに対するある種の解決策的側面があると思いますので、むしろ肯定的であることをあらかじめ述べておきます。

この考え方、「嫌われたくないから」という思いから生まれるという風に定義していることが多いように感じますが、先ほど述べたジレンマにあてはめて考えると極めて合理的な一面があることに気づきます。

つまり、「自分を知ってもらいたいけど、傷つきたくない」といいうジレンマが存在することを念頭に置き、そのジレンマの根底にある「自分を知ってほしい」という部分を諦め、別のペルソナを掲げることで、「傷つく」ことも回避しやすくなる、ということです。

もちろん「自分を理解してくれる人なんていない(だからこそ傷つきを回避したい)」といった後ろ向きな八方美人のはじまり方もあるでしょうし、長くそういった状態が続けば「回避行動」といった社会不安の一つの症状となってしまいます。

しかし八方美人をして、その内に「自分を理解してくれる人がいそうだ」という風になっていけば、むしろ最初から自己開示を頻発するよりも適応的な行動となります。

新社員、新入生(クラスとか部活とか)といった新しくコミュニティに入ってくる人の多くが人当りの良い振る舞いをするのは、広い意味で八方美人であると認識することが出来ますので、意識的にせよ無意識的にせよ、行動そのものは想像しやすいんじゃないかなと思います。

 

次に二つ目として、「表面的人間関係」が挙げられます。

表面的⇔深層的と解釈したとして、果たして表面的人間関係とは何なのか、という疑問が浮かんできますが、ここでは自己開示を回避しがちな人間関係という風に定義しておきます。

前述の八方美人もこの人間関係に当てはまるものでありますが、特徴としては、「自分が言いたいこと」、「共有したいこと」を発言することなく、会話の空気や共通的話題に合わせるだけといったことが思い浮かびます。

この人間関係を作ってしまう根本としては先ほども述べた「自分を理解してくれる人なんていない(だからこそ傷つきを回避したい)」という恐怖もあるでしょうし、逆に相手を傷つけてしまうことを恐れるということもあるでしょう。

 下の参考文献(松永&岩本, 2008)から着想を得た部分ですが、

そのような(希薄な)関係を持ちながらも、「もっと本音で付き合いたい」という思いを持っていることを実証的に示したことは、重要な知見であると考える。 

 この「本音で付き合いたい」という部分は「自己開示をもっとしたい」という風に読みかえることも出来ます。

 

上記で取り上げた二つのジレンマの反動的人間関係について、なぜその部分で硬直してしまうのか、言い換えれば、なぜそこから発展しないのかという問題について、次章で見ていきます。

 

3. 自己開示の難しさ

先ほどまでのヤマアラシのジレンマの議論を踏まえて、1. 自己開示の多側面で述べた議論を進めていきます。

「自己開示って簡単に言うけど、そんなに簡単なことじゃない。」と思っている人がいるかもしれません。その通りだと思います。

なので、「なぜ自己開示は難しいのか」ということをこの章で見ていきたいと思います。

 

一言で自己開示の難しさを語るとするなら、

「相手がどの程度の自己開示をこちらに想定しているか分からない」

だと思います。

 

1の議論で述べましたが、関係性の発展具合で自己開示の度合いも変わってくる中で、この関係性の発展具合は「目に見える」ものとして現れにくいです(会う頻度が上がっている、会話の内容に個人的な要素が加わってくる、などの指標が無いわけではありませんが…)。

自分の想定と相手の想定が食い違っていたなら、自己開示の度合いが低くても(なぜ関係性が深いのに本音を見せてくれないのか)、高くても(そんなに本音を言われても…)、あまり好都合に働くことはなさそうですよね。

ヤマアラシのジレンマで恐れた「本音をさらして傷つく」という事態が起こり得るのです。

 

さらに、1の議論の中で述べた自己開示を行わない人間関係の中で、社会的ステータスでしか判定出来ない側面があるのではないかという内容について。

例えば就活などで自分の性格をアピールすることの難しさを感じたことのある人が読者の皆様にもいらっしゃるかもしれません。

就活などの場であれば自己開示を求められるものなので良いかもしれませんが、そういう時に「エピソード」を書くように指導を受けたことがある人が多いんじゃないかなぁと。

エピソードから性格やモチベーションをアピールするのはなぜかという疑問も、自己開示をすることでその人の人となりを開示することが出来、性格やモチベの説明がただの情報として上辺をすべっていかないからかもしれません。

 

ちょっと話が逸れましたね。自己開示をそこまでしない関係なのに、自己開示をある程度しあう関係の深さまでいかないと知りえない、理解しえないような人間的性質を知ってもらおうとすること。

言い換えれば自己開示をしあう関係性を求めることは相手との想定が合わなければ負担のかかる人間関係になります。

逆に自分が自己開示をしなさすぎることも相手にとっては不満が残るものとなります(自分は本音で話しているのに…といった不充足感を与えかねない)。

 

ここで少し趣向を変えて、漫画の一セリフを引用してみたいと思います(「クズの本懐」、7巻より)。

「本当の私」なんてきっとろくでもない。

あなたはきっと嫌いになるよ。

自分だって自分が好きじゃないのに。

その上他者に拒絶されたらどうやって立ち直ればいい?

(中略)

怖いのに

すごくすごく怖いのに

どうして

ひとりじゃ生きられないんだろう

(この漫画は自分の興味にかなり響くものがあったので、また紹介するかもしれません。)

ヤマアラシのジレンマの一例ですが、自己肯定感の低い登場人物のセリフとして、自己開示を回避する趣旨のセリフが前半にあり、この記事の「八方美人」的振る舞いをしていることが見受けられます。

このように、とパターン化してしまうのもあれですが、自己肯定感の低さからくる自己開示を回避する事態も考えられます(それだけではないですが)。

自己開示をして欲しい、相手も自己開示をするだろうという想定が、相手の自己開示模様に当てはまるとは限らないわけです。

ちなみにこの漫画では「扉」という単語を用いて自己開示(心を開く)について描写をしており、閉ざされている、などの表現から自己開示を避ける様子が描かれていました。 

自分だけが自己開示をするので終わらず、相手に対しても自己開示を求めてしまう、求められてしまう、自己開示をして近づきたいけど、自分を否定されるのが怖いというメカニズムが何となく理解頂けたでしょうか。 

 

4. (補題SNS上の自己開示について

人間関係はリアルで顔を合わせる人に限らず、ネット上で出会う人もまた人間関係を築き上げることの出来る対象となりました。

ただSNS上の人間関係は少し複雑そうでいたって単純でもあると思います。

TwitterやInstragramなどのSNSは、匿名っぽく見えます。本質的にはネット上の世界に自分の存在や考え方をアピールしているのに。

「見慣れた他人」よりも「知らない他者」のほうが話しやすいという話もあるくらいですし、大勢の人に向けた自己開示の場が生まれたという意味で、人間関係の模様が変わるきっかけになったのかなぁと思います。

SNSの人間関係については、自己承認欲求や(本質的には違うけど)匿名性について見る際に重要な手がかりとなります。その話題に触れる時にまた書くかもしれません。

 

5. まとめのようなもの&感想

人間関係を自己開示という観点からまとめようと心掛けたつもりですが、まとまっている気がしません笑。

簡単にまとめるなら「自己開示って人間関係の親しさによって重層的に変わっていくよね。でも自己開示って難しい要素があるよね」くらいの内容です。

解決策を何も示していないので全く役に立たないように見えますが、自己開示の度合いが相手とすれ違っているかもしれないという考えを持っておくだけで人間関係の築き方が少し変わってくるんじゃないかと思ったり…。

今の所、このシリーズで書きたいと思う内容がまだありますので、書きあがり次第追加していこうと思っています。参考文献は下記をご覧になってください~。

 

それでは、皆様の良い人間関係生活をお祈りします(^^)ノシ

 

6. 参考文献

松永真由美, & 岩元澄子. (2008). 現代青年の友人関係に関する研究. 久留米大学心理学研究, 7, 77-86.

人間関係について考える ~前書き~

皆様こんにちは。葉月でございます。

あっちもこっちもコロナコロナと騒がしめな世の中ですが、どのようにお過ごしでしょうか。

 

私の近況は、大学の授業コマ数が大きく減らせたため、ほとんどニートのような生活を手にすることが出来ています(いいのか悪いのか…)。

ゲームに明け暮れることが出来たり、自分の将来について思う存分悩んだり、ふと散歩して本を読んでみたり、はたまた自分の考えていることをこうやってブログなどで言葉にしてみたり。
むしろこういう社会が不安に揺れる時間の中で、どういう風にこれから生きていくか、その考え方の「指針」を探すタイミングとしては最適なんじゃないかと最近思うことがあります。

 

さて、今回はそういった事情もありまして、私の興味の本質(というかこれが自分の中で興味の始まり)である、「人間関係」について、私の思うことを書いていきたいと思います。

一口に人間関係といっても、友人関係、上下関係、恋愛関係、家族関係、顔見知り関係、仕事関係…など、その人間関係の親密さや開示度合いによって様々な体系を成しているのが事実です。

なので正直な所、「人間関係とは~である」といった格言めいた言葉を紡ぐことは容易ではありません(何かしら存在するとは思っていますが)。

 

そこで、人間関係を、友人関係、恋愛関係、家族関係、知人関係の4タイプに便宜的に分類し、何かしらの「一つの視点」から考察をしていきたいと思います。正直この4タイプ自体はあくまで便宜的分類に過ぎないので、内容が重複することが起こると思います…。

しばらくは大学の授業が少なく暇なので、この記事はシリーズ化出来ればいいなぁとか思っています。

 

 

記事を書く前からなんですが、自分の信念といいますか、自分が最も大事にしてきたものの一つが人間関係ということもありまして、自分の感性に多く影響されると思います。

自分の人生の中で、「人と人とが良い関係を築くにはどうすればいいか?」「どうすればより良いコミュニケーションが取れるのか?」という課題があり、この問題に対して(自覚している限りでも)4年は悩んできました。

学術的にも考察したいと思う反面、自分の生きてきた経験とか体に染みついた考え方とか、そういったヒューリスティックスが絶対に存在すると思います。

 

過去記事の宣伝になってしまいますが、他国で人間関係に悩み、あがく様子がこちらの記事から見れますので、よろしければ是非…!

leafkeylosttime.hatenablog.com

 

ここまで前書きを書いてしまいましたが、備忘録という意味もこめて、そして人間関係に悩む人(著者もですが)への何か「気づき」や「学び」になることを願って、記事を書いていくつもりでございます。

このシリーズをどこまで書いていくことが出来るのか、自分の中ではあまり分からない所ではございますが、是非、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

大学一年間を振り返る

皆様こんにちは。葉月でございます。

小春日和とも言える、暖かい気候が少しずつ目立つようになってきましたが、ご機嫌いかがでしょうか。 

 

今回のネタは、一年前の自分が、大学に入学する前に考えていたことを、エッセイとして残していたことを思い出したことがきっかけです。

大学入学から約一年、ということで、大学生活を振り返ってみるのもいいのかなぁとか思ってブログを書いてみました。

少し自分の過去記事の宣伝になってしまいますが、大学生活の感想とかについてもちょいと前に書いていますので、よろしければそちらも併せて見て頂けるとうれしいです…!

leafkeylosttime.hatenablog.com

 

これから新学年になる自分への自戒という意味もありますが、とある大学生の一年間を俯瞰するように見て頂けたら幸いです。

 

 

 

大学入学ちょっと前(3月末辺り~4月頭) 

一年前の大学合格を知った後も、こんな形でエッセイを書いたか。

そのエッセイの内容は見ていなくても、大学に入ってうまくやっていけるのだろうか、という不安と、これからの生活を頑張ろう、といった形のやる気に満ち溢れている状況が混ざっていたのだろうなと思う。

あれから一年経った今、ある意味では、そのどちらにも裏切られて、そのどちらも上手くいったのかもしれない。

 

進学先が決まった3月真ん中から、何をしていたのかと今更ながらに考えると、3月末までは、ゆっくりしていたとでも言うべきだろうか。

受験時代の感覚がすっぽり抜けきったわけではないので、何となく惰性で勉強もしていたが、友人とわいわい遊んでいたような気もする。

3月末辺りになると、入学関係の書類やら、生協やらなんやらの手続きでわたふたしていたが、合格の余韻を引きずった、どことない高揚感で日々を過ごしていた。

クラスの対面、オリ合宿などなど、4月の頭にイベントが目白押しであったが、正直高揚感でいっぱいになりながら騒いでいたことしか覚えていない。

 

何というか、3月、4月のことは正直あんまり思い出せない。

なんとなく、大学生なのか、高校生なのか分からないくらいの覚束ない足取りで日々を過ごしていたように感じる。

合格したという高揚感だったのか、大学生になったという解放感からなのか分からないが、まるで、お祭りの中の出来事のようにふわふわしていた。

 

春先の自分が大事にしていたことは、高校留学で学んだ、「思ったことは曲げないで自分らしくあり続ける」ことだったろうか。

地方出身の子、大学という環境が変わった中での勉学、サークル、バイト、自分の持つ自由な時間、趣味……。

挙げ始めたらキリがないなと思えるくらい、自分の生活環境が高校の頃と比べて根本から変わった。

 

 

 

大学夏学期(4月~7月末辺り) 

夏くらいまでは大学に通って、バイトの面接を受けて、課題、レポートに追われて…、といったそれなりに忙しい日々を送っていたように感じる(もちろん文系の忙しさなので、理系の方々のカリキュラムと比べると、また違うけども…)。

大学のカリキュラム的にも、英語論文と初年度のゼミがかぶる夏学期で、かなりしんどい時期だったのかもしれない。

一限を3個履修して、満員電車にそれなりの頻度で揺られ、授業はあんまり切らないようにして(夏学期の時点ですでに1個切ってましたが…)、大学生活に慣れようと必死に生活していたのだろう。

でも、なぜだろう。不思議とほとんど覚えていない。

鮮明に覚えているのは、大学のキャンパス、セミの鳴き声、講義室の場所。そして照る太陽と、シャツから汗が滲むくらいの暑さ。

だるいくらいの日差しははっきりと思い出せるのに、自分が「そこにいた」と全く感じられないのだ。

 

入学式、サーオリ、テント新歓が3月に詰まっていると思ったら、4月で新歓期にバタバタしている内に大学の文化祭の季節になる。

イベントが多すぎて、感情と記憶が詰まりすぎているのかもしれないが、どんな想いで、感情で、それに向き合っていたかなんて、今となっては遠い夏の日を思い出そうとするみたいに、頭に霧がかかっている。

それぞれのイベントの小っちゃなフラグメントは思い出せるのに、全体として、どうにもぼやぼやした記憶しかないのだ。

 

しかしながら、大学で新しく始まった二外国語に強い興味を見出し、サークル、友人と暇な時間を見つけて遊ぶなど、楽しい記憶が多いように感じるのもまた事実である。

勉強することが楽しかったと思えるのも、この辺りの時期だったように感じる。

わりと純粋に大学が楽しかった時なのかもしれない。

 

 

 

夏休み(8月~9月末辺り) 

自分の大学一年の中で、大きく自分が変わったと思う時期は、この夏休みの時期だと思う。

夏休みに入ると、自分はとにかく「留学」について真剣に考え始めるようになった。

元々は二年生の夏に入ってからの留学を検討していたため、準備は大体一年前から始めるのが相応で、情報収集を始めたのもこの辺りの時期だったと記憶している。

入学してから、というよりも、入学する前から大学でも留学しようと思っていた。

奨学金、交換留学のシステム、単位互換、そして自分の場合、前期課程と後期課程を跨ぐ形での留学になっていたため、自分の進学希望学科に訪れ、話を聞いた。

 

そうして 2週間くらい時間をかけて、留学のプランニング、人生設計、いろいろ模索をして留学への計画を練っていった。

けれど、そこで待っていたのは「専門課程の年数が足りない」という覆せない事実。

自分の志望していた提携先の大学の場合、前期課程の時点で留学しようとすると、専門課程の年数が足りないと言われてしまったのだ。

夏休みも終わりに差し掛かろうとしていた、そんな時期だった。

 

志望大学を変える、地域を変える、年数をずらす、交換留学ではない道を探すなど、海外に行く手段は方法はいろいろあるなかで、自分は年数を取りあえず伸ばすことに決めた。

「留学が怖くなったのか」と言われると、「そうではない」と断言出来るけど、正確な理由は正直分からない。

何か、自分の中で焦りを感じたのかもしれないし、留学に行くことそのものに少し拘り過ぎているような、そんな気がしたのだ。

一度計画を白紙にして、もう一度考え直しておきたくなった。

今では、一年遅らせる決意をして良かったと思える。 後述するが、資本についての学習、「自分自身」を知るという試みをまだ突き詰めていきたいという気持ちがあったからだ。

 

 

そして、夏休みはもう一つ大きなイベントがあった。青春 18 きっぷでの旅だ。

9泊10日での旅。

留学していた時にも旅行はいろいろしてきたが、ここまで長い旅を自分で計画して、実行したのは初めてだった。

何よりも、大阪、神戸、讃岐など、自分が行ったことない場所に行くことに魅力を見出していた。

元々有名なきっぷだったので、プランニングそのものは難しくなかった。

(この旅の計画をしているタイミングが、テスト期間中にも関わらず、旅行のプランニングに全振りしていました。勉強の励みになったのかは不明ですが…苦笑)

 

この旅行の中で、自分をもう一度見つめなおす機会を手に入れた。

旅が好きな自分を再認識した。知らない世界を体験する、その楽しさを再確認した。

それは奇しくも、留学のプランニングが一度途絶えた後の旅行で、外に出ることの面白さを再認識するという機会だったのかもしれない。

旅をプランニングしていた時は、留学への想いを強くしていた頃だったのに、出発した時は、先延ばしにしようと決めた後のことだったのだ。

形容し難い、ちょっとしたもどかしさを知って、初めての大学の夏休みは幕を下ろした。

 

 

 

大学秋学期(9月末~1月末辺り) 

そうして始まった秋学期。この時期でも、自分は大きく変わったと思う。

まず初めに、大学が少し億劫になり始めたことだ。

ただ授業に行って、講義を聞くだけの生活リズムを作るのが嫌になってきていた。

大学で学べることが無くなってきたのではないかと思うようになっていった。

夏学期の成績がなまじ良かったことが裏目に出たのか、大学での努力を軽視し始めていたのだった。本を読めば、自学自習出来ると思っていた(正直、これは一年終わった今のそこまで変わっていないが…)。

9月病とも言えるかもしれないけれど、自分はただ大学に行くのは無駄だと考えて、切っても問題ないと思える授業は行かなくなり始めた。

9,10 月を振り返って考えると、いろんなことに飽きっぽくなっていた時期とでも言えるだろうか。

この時期は、自分の一年を振り返った中でも「倦怠期」と言うべき時期であると思う。

そして、そんな自分に嫌気が差していた時期でもあった。

夏休みを越えて、留学を先延ばしにしたのに、これではダメだと思っていた。

 

11 月になって株をやり始めたのは、そういう所に起因しているのかもしれない。

小さいながらも資本を動かして、その動きを体感する。

自分にとっては何もかも新しい、面白い体験だった。

加えてこの辺りから、自分が興味のある分野についての本を、それなりに読むようになっていった。

心理学、資本、コミュニケーション、対話、話し方、伝え方について…、いろいろと本を読み始めていった。

元々本は好きな方であったので、行き返りの電車の時間、暇な時間に本を読むようになった。

 

バイトが生活リズムに馴染んできたのも、この辺りだった。

自分の労働の対価にお金をもらうということ。

賛否両論あるだろうが、自分は週 1~2 程度のバイトでいい感じに生活にリズムをつけられているので、いい体験であるように感じている。

何より、大学生以外の人と関わってコミュニケーションをとること、自分とは違う世代の人間の考え方に触れることが出来るのは大きな経験であるように思う。

(また機会を見つけて、バイトについても自分の意見をまとめてみたいなぁ…とか思っています。)

 

12,1月は、11月辺りで獲得した生活リズムの延長上にあったので、特記すべきようなことがあった気がしない。

しかしながら、秋学期は試験についての情報をたくさん保有することが出来たので、定期試験が近づく中でも余裕を持てたように思う。

 

 

 

春休み(2月~3月末辺り) 

春休みの今、自分が心掛けていることは「教養をつける」ということだ。

自分の興味、文系理系に関係なく、知っていたら役に立ちそうな学問を取りあえず触りだけでも勉強してみている。

詳しくなる必要なんてないから、会話のネタ、取っ掛かりになればいいやくらいの勢いで学習するのも、これはこれで楽しかったり。

長い休みじゃないと出来ないことをとにかくどんどんやってみる、という意味では、この休みもかなり有意義に使えているような気がする。

さらに秋学期に買い込んでいた本や、親が持っている本などをどんどん読み始めていっているが、中々冊数が多い…。折に触れて、本の紹介とかも出来ればいいなぁ

 

 

まとめ

大学に入って一番強く感じたことは、「モラトリアム」であった。

最初に宣伝させて頂いた過去記事の中でも書いたが、大学には色々な人がいて、思い思いに過ごしている。

サークル、バイト、学問に全力で打ち込むことも、何か趣味を見つけて没頭することも、活動を始めて起業する人もいるだろうし、逆に全く何もしないことも可能だ。

でも、これは会社に入った大人だと出来ないことで、また、高校生、中学生も出来なくはないが、ここまで「自由」にいろいろ行動するのは難しい。

「大学生」という身分だからこそ許される(出来る)、自分の時間を、自分の思うがままに、気が向くままに過ごすということ。

「人生の夏休み」とすら形容されることのある、この大学生活。

自分の思い通りに出来る範囲がとてつもなく広い。選択肢は無限大であることを強く感じた。

 

さて、自分の生活の振り返りとなるが、この一年間、自分が楽しいと思う選択をし続けてきたつもりだし、とても満足のいくものだったと自負している。

9,10月に少し倦怠期があったものの、自分のやりたいこと、楽しいと思えること、やってみたいことにいろいろトライし続けられたような気がする。

そして「楽しい」だけで終わるものでも無かった。悩むこともあったし、深く考えさせられる出来事もあった。

そういう意味でも、この一年間は味のある時間を過ごしたと思う。

 

しかしながら、自分の興味、「自分自身」を掘り下げる試みは、まだまだ足りないように感じた。

留学を先延ばしにしようと考えて良かったかなと思えるのは、ここの部分がまだ不完全だったからというのも大きい。

そして、まだまだ「対人関係」で学ぶことが多い、と実感するイベントがいくつもあった。自分の興味である人間関係についても、たくさん経験と知識を積む必要があると感じた。

 

 

 

皆様、いかがだったでしょうか。自分の大学一年間をざっくりまとめてみました。

もう一年も経ったのか…と感じると共に、振り返ればめちゃ濃密だった一年間。

何というか、絶対に忘れないだろうなーと思いますが、これだけあって、たかだか一年しか無いのかと思うと、変な感覚を覚えますね。

 

次のブログのネタは未定ですが、バイトについて思うことを書いてみるのもいいなーとか思い始めてはいます…。

それでは、また逢う日まで(^^)ノシ

留学生活の体験記

皆様こんにちは。葉月でございます。

 

突然の告白なんですが、葉月は高校生の時にベルギーに留学していました。

高校生での留学もそれなりに数が増えてきたとは思いますが、まだそこまでメジャーではない気がします。ましてやベルギーに行く人なんてほとんどいないかと。

今回は、そんな私の留学体験記についてです。

なぜブログを書こうと思ったのかと言いますと、そういえば私の留学の体験をあんまり人に話していないなぁー、とか思ったからってのが大きな理由です。

話している人には話していますが、あんまり聞かれないし、長々と話す機会を多くの人と持つことも無かったなぁということで、この場を借りて少し紹介してみようかなと。

 

とはいっても、留学ってやつはいろんな経験を含んでいまして、また人によっても全然違う体験を持っていて、いろんな角度から語ることが出来ます。今回は一年間を、自分的視点でまとめて要約するとどうなるのか、という視点でご紹介していきたいと思います(ぶっちゃけほとんど自分史ですが…)。

これから留学を考えている人のご参考にでもなればうれしいです。

 

 

 

(以下、ちょっと小説チックな留学体験記)

1. 留学決意~留学前

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私の中で、留学という選択肢が生まれたのは、高校1年生の頃だった。

それは、何気ないある日のこと。私は職員室の前を通り過ぎようとした所、そこに留学案内のポスターが貼ってあった。

たったそれだけの事であるが、何となく興味をそそられ、何か面白そうと感じたのだった。今考えてみても、ずっと貼られていたそのポスターに、なんでその時だけそこまで気を惹かれたのか、上手く説明することが出来ない。

 

もしかすると、5月辺りの頃だったから、高校生になりたての自分に何か変化が欲しかったのかもしれないし、どことなく自分の将来を考えるきっかけにしたかったのかもしれないし、真相はよく分からない。

私はその後、ポスターで紹介されていた、留学説明会へと足を運んだ。放課後の講堂、だだっぴろい部屋の中に人は数人程度。こんくらいの人がいるのか、といった程度以上の感想を抱くこともなく、私は席に着いた。

説明会の中で魅せられたのは、日本語が通じない世界。全く違う文化であった。

私は不思議に興奮していた。自分の知らない「未知」への好奇心が自分の中からあふれ出てきそうになるのが自分でも感じられた。自分の想像を超えた世界。どうしようもないくらいに興味を惹かれた。

しかし、なによりも私の印象に残ったのは、話している人の立ち振る舞い、その堂々たる自信、2歳しか年が違うとは思えないほど、誠実な物腰、その全てであった。

どういった経験を積んだらこんなに人間として成長出来るのか、不思議であったし、それが留学のおかげであるのなら、それはとんでもない「学び」なのだろうと感じた。

競い合う対象が、目指すべき目標が目の前に現れたと思った。

 

―その興奮冷めやらぬまま、両親に留学について相談すると、あまり揉めたりはしなかった。留学の時期に話が差し掛かるまでは。

初めは母親だけに相談をした。「一年間留学に行ってみたい」と。

その時は特に反対されることはなかった(母も料理中だったので、私の話をあまりちゃんと聞いていなかったのかもしれないが…)。

私は留学の申し込み書類に、両親のサイン以外のすべてを記入して、両親がいるタイミングを計らって話を切り出した。

 

結果だけ言うと、猛反対された。両親共に(特に父親が)、私が進学校に入っていることを引き合いにだして、高校2年生から3年生まで留学をすることに大反対をした。

今考えると、あたりまえだろうと思う。

少なくとも進学校に通わせている時点で、何かしらの学問的到達を求められているのは明らかであるし、大学受験の成績もいい方の学校であったから、両親も私にそれなりの期待をかけていたのだとも思う。

でもその時は、自分に反対する両親に強い抵抗感を覚えたのだった。

両親が大きな壁となって自分の前に立ち塞がった。私はどうしたら両親を説得出来るかということに頭を使わなければならなかった。

 

「何で留学に行きたいのか」という問い。

 

留学に付随する問題はいろいろあったが、結局はこの問いがすべてであった。

受験期真っ盛りの高校2年生から3年生にかけての留学。

それを正当化するだけの、何かをもって、両親を説得しないといけなかった。

 

結局、両親の説得には1か月を要した。その1か月の間、留学に行った先輩に話を聞く、いろんな先生にアドバイスをもらう、留学について情報をたくさん集める、など、様々な人やメディアから知恵をもらい、両親の説得材料に用いた。

そうして、自分なりの留学の理由について思ったことは、「いろんな人に会える留学は、自分の考え方を広げる上で、日本と違う社会に触れる上で、最適なのではないか」といったものだった。

正直、国際関係の学問をやりたかった訳ではない。それでも、好奇心とでも言うべき、その興味がとどまることはなく、自分の留学を両親に主張するだけの力になっていた。

今考えても、どうしてそこまで粘って説得し続けることが出来たのかという問いに対しては、はっきりとした答えを持ってはいない。

それでも、自分が知らない世界を覗いてみたいという好奇心は、知らない人と出会って、心を通わせてみたいという気持ちは、自分の中を満たしていたと思う。

そこまで私が折れないで主張したことが無かったからなのだろうか、両親は認めるというよりも、半ば投げやりに「もうどこにでも行け」といった風に書類にサインをした。提出期限日、当日のことであった(どうでもいいが、当日消印有効だったので、郵便局にめちゃめちゃ焦って向かった)。

 

ここまで長々と留学に行くまでの経緯を書いてきたが、悩んで、両親に説得しようとした、あの一か月が、自分の留学生活を下から地味に支えてくれたように感じる。

「あそこまで言い切って留学に向かったのだから」という意思が、自分の竦む足をどうにか地につけてくれる。

留学の体験を、自分の人生の中で一番大事な、自分を形作る経験だと胸を張って言うことが出来る。今はそんな風に感じる。

 

 

さて、私が留学先として選んだ国はベルギーという国ですが、何でその国を選んだのかについてちょっと書きたいと思います。

元々、私はアメリカとかイギリス、オーストラリアといった英語圏の国に留学するつもりはありませんでした。その理由は単純で、英語なら多分どうにかなるだろうと思っていたからです。

今考えると傲慢以外何者でもないですが、その当時は、言葉、文化、人間を一体として学んでみたかったというのがあり、英語はある程度知っている分、わざわざ一年かけていく必要もないのかなと思っていました。

多分、英語圏に留学した人は英語としての苦労があっただろうと思いますけれど(ネイティブの英語では、二外国語としての英語と全然速度も単語のチョイスも違うでしょうから)、当時の私はそんなことなんて考えてもいませんでした。

 

そして、私はヨーロッパに行きたいという思いをずっと持っていました。

おしゃれ、歴史的、先進国といったイメージが強いヨーロッパですが、自分も例にもれず、ヨーロッパのその優美さ、華やかさをその目で見てみたいという憧れのようなものを持っていました。

さらに、私はフランスやドイツといった、ある意味「有名」な国に行くつもりもありませんでした。それは、有名な国なら、多分大人になってからでも行ける、とか思っていたように思います。

だから、自分はあんまり知らない、所謂「小国」とやらに行ってみたかった。

そうしてヨーロッパのあんまり知らない国々を見ている時に、ベルギーという国にあたりました。

その国は、言語で国が二つに分かれているような国で、自分が参加した団体でも、ベルギーのフランス語とオランダ語で派遣地域が分かれているのが、自分にとって何よりも新鮮で、その国に大きく心を惹かれました。

チョコレートとワッフルでしか聞いたことのない国。それでも、言語的な分裂、そしてEUの中心地であるという経済的発展地。自分の興味を駆り立てるには、十分でした。

そうして自分の留学先として、ベルギーが選ばれたという訳です。

(こんだけ書いておきながら何ですが)その当時はあまり深く考えていませんでしたけど、今考えるとこれ以上ないくらい正解だったなと思います。

 

次からは留学期の話です。

 

2. 留学開始~留学倦怠期まで

――――

私の留学は、波乱の幕開けであった。

 

運悪く天候不良のため、羽田からドイツへと向かう便が遅れ、その影響で、ベルギーの首都、ブリュッセルに向かう便に乗り継ぐことが出来なかったのだ。

前述した通り、留学団体を通じての留学だったので、同じようにベルギーへと留学する日本人が何人か一緒になって、日本から出発していた。けれど、その団体のモットーである「自主性」によって、私たち日本人一行に、大人が誰も付いていなかった。

これが、この日の夜に大きな問題となる。

ドイツに着いたのが、22時のことであり、ドイツからブリュッセル行きの飛行機が無くなってしまったので、ホテルを見つけないといけなくなってしまったのだ。

異国の地について最初にすべきことが、右も左も分からない状態から飛行機会社と話をして、ホテルを見つけてもらうことだなんて、誰が想像出来ただろうか。

そこで問題が起こった。その日本人一行がみんな未成年であるので、ホテルを見つけるのがとても困難になるとの旨を伝えられたのだ。

親の許可書を見せたものの、その場にいるのが未成年だけであったから、ホテルは難しいと伝えられたのだった。

「そこを何とか…」という風に拙い英語で粘り続けて、ようやくホテルを見つけた時には、日が変わっていた(そのホテルがめちゃめちゃゴージャスだったのも、この話のオチとしては最高かもしれない)。

それでも、私達日本人一行は、どこか異国に来たことで浮かれていた。

ちょっとした冒険気分、というのが正しいのか分からないが、どこか楽しんでいた。

しかし、波乱はまだ終わらない。

 

翌日、ドイツからブリュッセルへと出発し、ブリュッセルへ着いた時が、運悪く空港のストライキの時期と重なった。

預けていた私の荷物をすべて無くされたのだ。

持っていたのは、機内に持ち込んだ、わずかな着替えとパソコン、ちょっとした小物だけであった。

長い列に並んで、受付の方と話をするも、「遺失届を出してくれ」以上のことは特に言われることがなく、その場にいた日本人留学生一行の実に半分が、ベルギーについた時に、手荷物しか持っていない状態となったのだった。

予定より一日遅れ、異様に軽い荷物を片手に、留学団体の集まりの場所へと向かった。

 

(ちなみにこの時に失くされた荷物ですが、5日後くらいに空港にもう一度探しにいった所、受付では埒が明かず、遺失物を保管する倉庫にまで足を踏み入れました。そこでようやく乱雑にほっぽらかされていた自分の荷物を発見した訳です。最初の5日はどう過ごしてたのかといいますと、ホストブラザーの洋服を借りてました。さらに、帰国した時も羽田で荷物を失くされ、荷物が届いたのが1週間後だったのは本当になんなんだとか思いました…)

 

これは、今でもはっきりと思い出すことが出来るが、私が初めて外国の空港に降り立った時、私は高揚感と緊張感を同時に感じていた。 

異国に来て一年間、しっかりと励もうと意気込む気持ち、異国へ来たという興奮と共に、海外を経験したことがなく、語学を含めた生活全般に対する不安も、現地に着くと一層膨らんでいった。

 

私が留学した国はベルギーであるが、日本から一緒に出発したベルギー留学のメンバーと別れると、そこからは、日本語が全く聞こえない環境に放りこまれた。

今思うと滑稽ですらあるが、私は初めてベルギーに着いたその日に一番ホームシックになった。

なまじ一日前に、日本人留学生達と飛行機や荷物のトラブルを乗り越えて、少し仲が良くなったのが災いしたのかもしれない。

日本語が、私の意志を伝えるに足る言語が、全く使い物にならなくなった。

それだけで、今でもはっきりと思い出せるレベルで恐怖を感じた。

「外人」が怖くて仕方なかった。英語でしかコミュニケーションをとれないことが自分を委縮させた。

 

突然ですが、初対面の人と出会った時、読者の皆様は何を話すでしょうか?

天気、政治、スポーツ、ニュース、最近ハマッていること、興味、仕事、家族…

話すことはいろいろあるでしょう。

でもその初対面の相手が、日本語を知る由もなく、私とは違った見た目をしていて、自分とは別にコミュニティを築いて話している状況を考えると、どうでしょう。

どんな話をすればいいのか、全く見当もつかない。

その時、私の置かれていた状況が、少し想像出来るのではないでしょうか。

 

閑話休題。そんな状況にあって、自分は異国についた時に感じていた、高揚感をすっかり失ってしまった。

残ったのは膨れ上がった緊張感で、それが敗北感にゆっくりとすり替わっていったのであった。

部屋に戻って、何もせずにボーっとするのも、どこか負けたような気がして嫌だったので、トイレに小一時間くらい引きこもって、ベルギーに来たことを後悔する文章をひたすらスマホに打ち込んでいたのは、今となっては苦き思い出でしょうか。

そんなくらい、自分の無力感に絶望していました。

相手の自信たっぷりな話し方に私は、発言する勇気をすっかり失ってしまった。

今考えると、大した話ではなかったのかもしれない。

それでも、その時は英語の能力とかではなく、相手の様子、自分の不慣れさでどうしようもなく落ち込んでいた。

 

日本であれば、留学団体によって、スケジュールがしっかりと組まれて、何時にあるアクティビティをするといった風に縛ってくれるものがあるが、ベルギーにいった時に、そんなものはあってないようなものだった。

留学団体のスタンスとしても、フリーに人間関係を構築してもらいたかったのだろう。

食事の時間だけ、1.5時間くらいの幅を作り、班ごとに食べてもらう形をとっていたが、それ以外では、本当に「フリー」だった。

みんなが自分の思い思いに輪を作り、会話を弾ませていて、サッカーやフリスビーをして楽しむものもいた。私はただそれをぼんやりと見て、どうしようと戸惑うと同時に、何も出来ない自分に対するやるせなさすらも感じていた。

そんな落ち込んだ時間を過ごしていたが、そんな時間は一日で終わった。

 

ホストファミリーとの対面。

ベルギーに着いて二日目、そこから10か月お世話になったホストファミリーと対面したのだった。

「よく来たな」

そんな言葉と共に家族全員とハグをした時、単純ではあるが「ようやく認められた」というような思いが自分を満たした。

私は、まだその時も自分から喋りだすことが出来ないでいたものの、ベルギー初日で感じた落ち込みは、もう無くなっていた。

そこからの一週間くらいは、学校が始まる前であったので、いろんな町を見て回り、異国を楽しんだ。

ある意味、あの一週間は、観光客として楽しんでいたように思える。

きれいな景色を見て、おいしい食べ物を食べて、とにかく楽しかった。

そうしてホストファミリーと慣れ始めた一週間後に、学校が始まった。

その一週間で、英語での会話そのものは慣れ始めてきたので、言語的なコミュニケーションの齟齬は比較的少なくなっていた。

それでも、「このまま上手くいく」なんてことはなかった。

 

当然ではあるが、ベルギーのオランダ語圏に留学していたので、学校の言語はオランダ語だ。

学校に行った初日、周りから聞こえるオランダ語はほとんど理解出来なかった。

一日、一週間、二週間と経てども、この状況が良くなる気配は見えなかった。

私はベルギーにいる人とロクに会話を繰り広げることが出来ないままでいた。

学校という小さなコミュニティの中でさえ、輪を広げることが出来なかった。

 

私は不安になった。私は留学前に意気込んでいた、自分の目標を達成したかった。「いろんな人と交流する」という目標だ。

ベルギーの私のクラスメイトは、英語をよく理解してくれる人々であったものの、自分が話を繋げることが出来なかった。

そこには英語というよりも、ベルギーの公用語の一つであるオランダ語の存在が大きくあるという風に私は考えた。

自分がオランダ語を話さないから、あんまり話が続かないのだと思った。

 

元々私は、オランダ語をベルギーに行く前にある程度勉強していたものの、現地の人の会話をほとんど理解することが出来ず、一緒の学校に通っていた留学生達と英語で会話をしていた。

クラスメイトや他の現地の生徒とオランダ語で会話するのは、ほとんど無かったのだ。

留学してから1か月くらい過ぎると、現地の生活のリズムにも慣れ始めてきて、英語でのコミュニケーションも苦をあまり感じなくなっていった。しかし、状況は決して良くはならなかった。

良く言われることではあるが、1か月くらい過ぎると、「異国にいる」という楽しさが無くなる。

異国に対する「適応」がなされるのがこの時くらいなのだろうけれども、その時が丁度、自分が悩んでいた時だった。

 

「自分のオランダ語が拙いから…。」

そんなことを頭の片隅で、言い訳のように思っていたのかもしれない。

クラスの人とほとんど会話をすることが出来ず、私はとことん「異質」な存在であり続けた。ホストファミリーは私を献身的に支えてくれたが、それでも状況は厳しかった。

ある日一度、授業(勿論全てオランダ語で行われていた)が全く分からず、半分ボケーとしていた瞬間があった。

その時、私は先生にこんなことを言われた。

「君がオランダ語で授業についていけてないのは分かる。けれども、せめて集中して聞く努力はしないのか」と。

心に深く、トゲのように刺さった。

あんまりじゃないかと。

こっちはオランダ語と、友人関係、ホストファミリーとの関係で手一杯なのに、そんなことまで要求されるのかと。

あまりにつらくて、この日は涙をこぼした。

 

家に帰って、半泣きになりながら、日本語が話せるホストシスターに相談した。

私は変な意地があったのか、そのホストシスターとも英語で話していたのだったが、その時は、日本語で私の思いを吐き出した。

「学校がしんどい。オランダ語が分からない。生活すべてがつらい」と。

私の話を聞いてくれたホストシスターの答えは、「ちょっとずつ勉強して、ちょっとずつ良くしていく」というものであった。

クラスの人達と、ホストファミリーとのコミュニケーションに、オランダ語が原因で苦戦する。

自分の描いていた、自信と楽しみに満ち溢れ、いろんな人と交流関係を築く、理想の留学生活との乖離にやきもきした。周りの人間の思考が分からなかった。

 

理想とはほど遠い状態で、言語で苦戦する自分がみじめだった。

ここで自分の支えになったのは、同じ学校にいた留学生の人たちであった。

彼らとの会話はいつも英語であったので、オランダ語での交流にコンプレックスを感じていた私でも会話を楽しむことが出来た。

しかし、彼らとの交流を深めれば深めるほど、私はある一つの疑問に悩まされた。それは、この心地よいグループの中にずっと浸っていていいのかということだ。

クラスの人達はオランダ語を使ってコミュニティを築いている中、自分は英語だけの交流で満足していいのか、オランダ語を会得して、一人でも多くの人と関わらなくていいのか、もっと広げなくて、ホストファミリーとの会話が出来なくていいのか、という思いに囚われた。

もちろん留学生たちの考え方をきちんと深く理解していた訳ではないが、留学前に描いた、そして一度は崩された自分の「理想の」留学像が、また自分の目の前に現れた。

オランダ語を学ばなくていいのか? ベルギーの文化、考え方を学ばなくていいのか? と自分に語り掛けてくる。

私は、留学生達の会話の中で得た、一握りの勇気と自信を持って、その目標にもう一度立ち向かった。

留学してから2~3か月くらいの話である。

 

3. 転換期~成長期

――――

私はしばらく経った時、クラスの人に勇気を出して話しかけてみた。

拙いオランダ語で、「一緒にお昼ご飯を食べよう」と。

しかし、クラスメイトの何人かと丸くなってご飯を食べる中、私が感じたのは、結局喋れない自分だった。

オランダ語が理解出来ない。喋れない。

たったこれだけでクラスの人が楽しそうにご飯を食べる中、私は相槌を適当に打ちながら、心の中で涙をこぼし、表では薄っぺらい笑顔を張り付けるしか方法が無くなってしまったのだ。

 

休み時間中に話すなんてことが出来たら、お昼休みも苦労しない。

結局、「いろんな人と交流する」という目標に対して、自分はロクに前進していなかったことに気づいてしまった。

ホストファミリー、一緒に通っていた留学生くらいしか、話す相手がいないことに気づいてしまった。

日本にいた頃の、友人関係の中で築いたアイデンティティが通用しない世界。

日本の常識が通じない文化は、言葉を会得しないことには何も始まらないという風に気づいたのであった。

 

私はそこからオランダ語をひたすらに勉強し始めて、とにかくコミュニケーションをとろうと腐心した。

オランダ語の動画をいろいろ探して聞き続け、家に置いてあった子供向けの絵本を端から読んでいき、ホストファミリーに相談して、小学生向けの新聞を購読してもらい、何度も分かるまで読み直しを続け、知らない単語を逐一辞書で調べ、マークを入れ、努力を重ねた。

学校の休み時間にその新聞を読み、家に帰ってからも、オランダ語の学習を重ねた。

ネイティブの高校生にまで言語のレベルを寄せるのは、数か月程度では到底不可能なのかもしれない。

それでも、そうしないことには何も始まらないと思っていた。

生活がつらくて弱音を吐いても、ホストファミリーが聞いてくれた。受け止めてくれた。私はとにかく言語の学習に力を注いだため、言語の上達は想像以上に早かった。

 

そして、それが幸いして、オランダ語で少しずつコミュニケーションをとれるようになっていった。

クラスの人が何を言っているのか少しずつ理解出来るようになっていった。ホストファミリーともちゃんと受け答えができ始めるようになっていった。

だんだんと相手の言っていることが理解できるようになり、荒野を開拓していくような気分でとても楽しかった。

そうして、この辺りの時期から、留学生が集まって騒ぐパーティーにも顔を出すようになった。

私の使った留学団体では、南米、中米からの留学生がとても多く、週末にはパーティーが行われている、という情報は一緒の学校にいた留学生から聞いていた。

「いろんな人と関わる」

その目標を胸にパーティーへと足を踏み入れたのだった。

 

そこは、一言で言うならカオスであった。

酒を飲んではしゃいでいる子、輪を作ってお話をしている子、曲を流して騒いでいる子、狂ったようにダンスしている子…。

その様子をラテンカルチャーと形容するのがふさわしいのか分からないが、私はそんな光景に、ただあっけにとられてた。

それでも、自分の目標を追うために、輪を作ってはしゃいでいる子に話しかけにいった。

何回かパーティーには行ったが、正直、楽しかったという経験よりも、話す相手を必死に探していた記憶のほうが、自分の中に強く残っている。

とにかくいろんな人と関わろうとした。

いろんな国の出身の子と会話した。

そこで、ラテンアメリカの子達の間での、スペイン語の汎用性を見た。

この経験が、自分が大学生になった時に二外国語を選ぶに当たって、スペイン語を選んだ大きな理由なのだ。

 

さらに、ホストシスターのツテで、大学のゼミに参加させてもらった。

ホストシスターは日本について勉強していて、日本とベルギーの関係について考えるゼミにも所属していた。

自分が日本人であったこともあり、そのゼミに何回か参加させて頂いた。

ベルギーは大学になると英語化が一気に進み、授業が英語で行われるのもザラであるので、そのゼミの参加者は、私と英語か日本語でコミュニケーションを図ろうとする人がほとんどであった。

そのゼミの参加者には、日本人も少しいた。

自分の母語が使えるという環境、そして、オランダ語を頑張って喋ろうとした自分を褒めてくれるゼミの参加者たち(経験則ではあるが、母語を喋ってくれる人はそれだけで嬉しいのだろう)。

大学生の視点からのベルギー生活、大学生事情なども聞くことが出来て、自分の留学にさらに別の視点をくれたように思える。 

 

それでも、言葉だけでは会話が大きく弾むことは無かった。言葉の裏にある文化的背景、さらにはその人自身のバックグラウンドが存在することを強く自覚した。

英語から始まり、オランダ語へと進んでいた、私の語学との闘いは、人との関わりの中では、第一段階でしかなかったことを知った。

ベルギーで流行っているもの、パーティーの話などで会話が弾んでいても、それがなんなのか分からないことがあった。

語学だけに勉強を絞っていた分、日本以外のヨーロッパの知識、「海外」の知識をそもそもあまり得ようとしていなかったし、元々あまり持っていなかった。

前提として知っているだろうものに「それって何?」と聞くことが出来なかったのは、それが言葉の問題ではもう無かったからだ。

言葉以前の問題ですらあった。

言い換えるのならば、言葉の問題を言い訳にすることが出来なくなっていったのだ。

明らかに前提知識が足りない。だからなのか、この時でさえ、私はクラスの人達とそこまで仲良くはなれずにいた。

 

そしてもう一つ、私が考え方を改めざるを得なくなる出来事が起こった。

それは同じ学校にいた留学生の子がクラスの子と、とても楽しそうに話している所を目撃したのが始まりだった。

その時、私はその事実が正直に言って理解出来なかった。

その留学生はオランダ語ではなく、英語でずっと会話を続けており、言葉でずっと悩んでいた自分にとってはあり得ない光景だった。

オランダ語で会話出来ないから、自分はクラスメイトと会話出来ないと思っていたのに、その前提すら破って会話をしていた。

何で英語なのに、そんなに楽しそうに会話出来るのか?

その疑問は、「どうしてオランダ語を勉強している自分が、会話に苦戦しているのに…」という嫉妬に近いものであったのかもしれない。

自分の頑張りは、ホストシスターのゼミの仲間達や、ホストファミリーから褒められていたので、腐ることは無かったものの、その疑問が拭われるわけではなかった。

その留学生の子が特別ベルギーの文化に精通していた訳では全くないのに、授業や趣味の話で楽しそうに会話しているのが、正直なところ、悔しかった。

なんで自分にそれが出来ないのか、分からなかった。

 

私は、その答えを見つけるのに、数か月を必要とした。

その間の時間は、オランダ語が上達するにつれて、広がるコミュニティや、ようやく自分なりの留学の楽しさを見つけ始めた時期でもあった。

ベルリン、パリ、ロンドン、プラハアムステルダム、そしてもちろんベルギー国内の様々な都市に旅行しに出掛けた。

自分は元々旅が大好きで、その好奇心のままにいろいろ出かけるのが本当に楽しかった。

平日の学校をなんとか耐えて、週末、長期休みにゆっくりするなり、旅行をするなりして楽しむ。

そんな安定した留学スタイルを作っていったのも、この辺りの時期である。

有り体に言うなら、この時期は、留学がだんだん楽しくなっていった時期なのだろう。

毎日がちょっとずつ楽しくなって、それと同時に、留学生活のタイムリミットがゆっくりと近づいてくるのも感じていく、そんな感情が交じり合った感じ。

それでも、自分の留学が100%楽しくなった訳じゃない。

まだ自分には、コミュニケーションの問題が残されていた。

いろんな人と会って、話をしたいという自分の目標は、まだ完全に達成しきっていなかった。

 

―私は、留学終了2、3か月前でようやく原点に立ち返ることができた。

それは、コミュニケーションは人間同士で行うものであって、それぞれ各個人が好きなようにコミュニティを築いていくという基本原則であった。

当たり前すぎて何を言っているんだと思うかもしれないが、このことをきちんと理解するのに、相当の時間を必要とした。

 

言葉なんて、お互いの意思が通じれば最悪それでも構わない程度ものであった。

もちろん、その国の言語を学ぼうとすることは、その国に適合しようとする上でとても大事なものだろう。

でも、コミュニケーションの中では、言葉が占める部分は、その中身に比べると、とても少ないものであった。

何よりも大事だったのは、その会話を楽しんで、相手と心を出来るだけ共有しようとすることであった。

なぜ自分はクラスの人とあまりうまくいかないのかと考えると、結局クラスの人達に、私の「色」をあまり見せることがその辺りまで無かったからであるように思った。

これを自覚してから、自分のオランダ語に躊躇いがほとんど無くなった。

「文脈に即さないのではないか」

「トンチなことを言っているのではないか」

その一瞬の迷いが、コミュニケーションを円滑にするわけは無かった。

 

自分に足りなかったものは、語学力は当然だが、何よりも「自分自身」であった。

自分はこうであると思い、それを言葉や態度で表出すること。そして、時に他人とぶつかることもあるけれども、コミュニケーションを続ける中で、自分なりの、自分にしか作れない人間関係を築いていくというのが、私の理想の留学生活像への道筋であったのだ。

これを意識するようになってから、留学先での生活をとても楽しめるようになり、今ではベルギーを恋しく思うくらい、楽しい思い出をたくさん、あの国で作った。

帰国日、一年前と同じ空港で集まった日本人留学生の顔つきは、みんな違えど、一年前と比べてものにならないくらい大人びていて、どこか満足したような顔つきであったように感じた。

 

ブリュッセルから飛行機が離陸した時、私は最後に泣いた。

ホストファミリーとのお別れの時には泣かなかったのに、飛行機が離陸して、地上から離れると、何故だか涙が止まらなかった。

一年間、ベルギーで足掻いて、精いっぱい生き切った。

どこかで張りつめていた緊張の糸が切れた瞬間だったのかもしれない。

そうして私たち日本人留学生は帰国した。

大事な思い出を、ベルギーでたくさん作った後に。

 

4. 帰国~今まで

――――

ベルギーの一年間の経験は、様々な側面で自分の中に生きている。

まず、時間はとてもかかったが、オランダ語をちゃんと喋れるようなレベルまで完成させることが出来たという事実が、自分の語学への自信を高めた。

それが、今スペイン語を学習する中、自分の中で強く活きていると感じる。

そして、自分が全く知らなかった異国でも上手くやれたという経験が、自分自身への自信をとても強くした。

加えて、次も自分の知らない国に入国して、ベルギーでの一年間で得た見地、経験を試すために、チャレンジしていきたいと思えるようにもなった。

自分の自信がまた砕かれるかもしれないが、今の自分ならもっと上手くやれるような、そんな気がしている。

さらに、あの一年間のコミュニケーションの迷いと抗いの中で、人間関係の築き方に、少し自信が持てるようになったし、もっと人間関係について知りたいと思うようになった。

それが、今の自分の心理学、対人関係への強い興味の原因の一つとなっている。

 

留学の経験で得られることは、三者三様だろうから、私と同じ気づきを得るかは分からない(多くの留学生に聞いて思うのが、コミュニケーションの問題は、誰もが一度は抱える問題みたいであるらしいが…)。

 

留学はハッピーな記憶だけではない。

それは一つ言いたいことではあるけれど、それと同時に、全部が全部、嫌な思い出になることもない、とも言いたい。

頑張れば、足掻けば足掻いた分だけ、きっと大きな学びと経験を得られると思う。

 

 

この文章を、これから留学を考えている人、これから留学に行く人、読者の皆様、全員に捧げて、締めくくりたいと思います。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

~夏休み~

皆様こんにちは。葉月でございます。

 

最近暑くなってまいりました。私はクーラーの部屋から出ると溶けるような気がしているため、クーラーの効いた部屋でまったりしています()

皆様はどうお過ごしでしょうか?

いろいろ所用が重なり、8月が思いのほか忙しくなってしまったので、ブログ更新がいつものように遅れてしまいました…。多分これからも1か月に一回くらいのペースになるかと。

 

さて、今日の話題についてはいろいろ悩みましたが、「夏休み」についてちょっと考えてみたいなぁと思います。

 

 

「夏休み」

小学校、中学校、高校、大学、社会人、老年期… いろいろなタイミング、時間によってどのように感じるかは人それぞれだと思いますが、まぁ大概の人は夏休みが大好きだと思います。

勉学、インターン、クラブやサークル活動、バイト、恋愛、旅行などなど。

長い長期休暇故、学校などの日々の情事に追われる中では出来ないことに挑戦できるのがこの「夏休み」の強みですよね。

 

でも夏休みの後に、大きく成長したように見える人、あんまり変わったように見えない人、長期の休みの後に日々のローテーションに戻されて9月病になる人。

そしてお約束の夏休みにでる、とんでもない量の課題。日々の中で生まれる課題の量とは違うからこそ、徹夜で詰めることが難しくなる。登校日になって気づく、宿題をコンプリート出来ていない自分…。

そんなものを見ると、何だか「夏休み」といっても、その過ごし方で大きく人生において差がついてしまうような、そんな気もします。

 

どんな「夏休み」を過ごしたら、成長出来るのか?

そんな問いは、今まさに自分が自分に問いかけている命題です。

 

学校によって様々ですが、ここでは夏休みを40日と仮定してみましょう。

これをもしすべて旅行に充てたとしたら、お金の問題は度外視したとして、アジア圏すべての国の旅行とか、ヨーロッパ一周の旅行とかが日数的には十分に立てることができます。

そして、40日間をもしすべてバイトに充てたとしたら、週休2日、週40時間労働は遵守し、東京都の最低賃金を、今度の改革で変わるとされている1013円と仮定しましょう。手に入る賃金は、25 or 26(労働日数)* 8(労働時間)*1013 = 約21万円です。

もちろん最低賃金なので、これよりも遥かに高い額を稼ぐことは難しいことではないですが、最低賃金での労働ですら、質のいいパソコンを買うに足る金額を稼ぐことが出来ます。

 

ここまでの例では、「夏休み」という期間が、どれだけ可能性を秘めているのかという説明の一環でしかないです。週に1日だか2日あるちょっとした休みの比じゃない可能性の。

 

それでは本題、どのように「夏休み」を送ればいいのでしょうか? 

夏休みの有意義な過ごし方とは?

 今までの議論の方向からある程度察した方もいらっしゃると思いますが、私の考えとしては、夏休みの有意義な過ごし方の本質は、その休みの長さにあると考えます。

つまり、普段の一週間の疲れを癒すような土日の休みではなく、休みというレベルを超えたガス抜きの期間。

その長さを存分に活かすことこそが、一番大事な点だと思います。

 

1日2日というスパンではなく、それ以上の時間をかけて何かを成し遂げること。

逆に一週間とか10日とかかけないと出来ないようなことを行うことこそ、「夏休み」を最大に活かす術だと思います。

じゃあ、何をするのか?

これは人によって優先順位も変わりますし、私の考えとしては、やりたいことをやり尽くすことこそ大事なことです。

だからこそこの期間は、短期スパンに予定を入れてしまう人も、ちょっと1週間程度の長さでしっかりと取り組むことに挑戦してみませんか?

何かに没頭出来るのが、この長期休暇という休みのメリット。存分に活かしていきたいところですよね。

 

まとめに代えて

 長期休暇は、その長期性こそが最も大事だ! という、誰かが言ってそうで意外と言っていなさそうな感じの内容でしたが、いかがだったでしょうか?

大学生の皆様方は、まだまだ夏休みの日数があると思いますので、是非その長期性を活かして楽しんで頂きたいですね~。

 

…私ですか? 私は青春18キップを用いて、一人旅9泊10日を決行しようとしています。個人的な意見ではありますが、長めの旅行が一番手軽に出来る、夏休みエンジョイ方法な気がする…

 いずれまたブログで旅行記を発表しようと思っていますが、気長に更新をお待ち頂けると幸いです。

 

ではでは~(^^)ノシ

大学の二外国語事情とか

皆様こんにちは。葉月でございます。

 

最近暑くなってまいりましたが、まだ雨も長引いているので、カラっと晴れる日が待ち遠しいですね。

皆様はどうお過ごしでしょうか?

最近いろんな遊びを覚え始め、ブログを書く暇がありませんでした…

 

さて、今日のお話はタイトルにある通り、大学の二外国語事情についてです。

これも私なりに思うことはいろいろあって、私の中で考えをまとめていたところでした。ただ自分の外国語事情は若干特別な所がありますので、一大学生の外国語体験記のように捉えて頂ければと思います。

 

そして、一応これから大学生になる人のための私なりの二外国語の選び方、大学生の言語に対するふさわしい向き合い方についても考えてみたので、合わせてそちらの方もよろしくお願いしますm(_ _)m

 

 

二外国語の選択

まず大学の二外国語のチョイスについてですが、私自身、言葉がけっこう好きなこともあって、二外国語は何も考えずに授業を選択し、選んだ言語はスペイン語でした。

スペイン語は簡単という下馬評があったからというより、話されている人々の数、地域の広さに魅力を感じたのが一番の選択理由でした。あとは、発音がメンドくさくないって話を聞いていたので、気分が萎えることなくやっていけるかなぁと思ったのもスペイン語の選択理由の一つだったりします。

大学によって二外国語のチョイスの幅だったり、そもそも二外国語の選択が強制でなかったりといろいろですが、選ばないってのも選択肢にあるのはいいなぁと個人的に思いますね。

 

 

実際の二外国語の授業

 ここからは私が実際にスペイン語の授業を受けている感想についてのお話です。冒頭で私の言語事情がちょっと特別といったのはここら辺にありまして、私は二外国語の授業を週に5コマとっているので、かなり言語オタクな時間割構成になっています。なのでここからは言語の授業をけっこうゴリゴリ受けている人間の感想と思ってみていく方がよいかと。

 

まあそれはそれとして、スペイン語の授業はどんな感じかと言いますと、割と適当な教授は適当に文法事項なり、発音なりを混ぜて教えてきますし、真面目な教授だと教科書の該当部分なんかの和訳、文法理解、新しい文法事項の解説etc…といった風に淡々と進んでいきます。

私はあとネイティブの人間がスペイン語を教える授業も受講しており、その時は、ネイティブの発音を頑張って聞きながら英会話っぽい感じで隣の人とかとスペイン語で会話してみるー、といった感じです。

授業スタイルは復習重視らしく、小テストで確認するのだとか。だからか小テストが異常に多いです。体感としては一週間に一個はテスト受けてる感じ。まぁそんな誰も出来ないような意味不明な難易度ではないのですが…。

授業外の勉強自体はそこまでゴリゴリやっていません。小テスト対策のために、授業前の空きコマ使って見直すのが主で、あとは単語チェックくらいです。

 

普通だと二外国語の授業は週に2~3コマくらいなので、この私の事例が参考になるか分かりませんが、これでも割とうまく回ります。

 

 

私なりに思ったこと

これ自体、あんまり無いと言えばないんですけどね笑。ただ授業スタイルにちょっと気になる所があるので、その指摘と、対策とかは考えてみたい所です。

 

気になる点というのは、文法に力をいれ過ぎていることです。

これは私が言語好きというのもあるのですが、言葉はそんな簡単に身につかないと思っています。文法に力をいれても、結局使えないと言葉って頭に残っていかないと思うんですよね。

何度も見て、発音して、直してもらって、自分で書いてみて、他人の発音を聞いてみて…、といった営みを泥臭く繰り返すのが言葉を習得する方法です。

だから文法だけやって読める、理解できる力だけとにかく鍛えても、聞いて分からない、喋れないってのはその言語を使えるといい難いのではないか、と感じてしまいます。

会話やリスニングも文法と同じくらいちゃんとやってもらいたいものです。

 

 

もう一つ気になる点は、コマ数があまりに少ないということです。

カリキュラム上仕方ないと言えば仕方ないことなんですが、週に3コマしかないのは短すぎです。

言語を会得するのに、そんなちょっとしか触れなければ忘れていったものをまた一週間たったら取り戻して、また忘れて、テスト前に詰め込んで、またまた忘れて…

の繰り返しになっているように思わずにはいられません。

言語を本気で会得させたいと思うなら、週にせめて5コマはないと(つまりほぼほぼ毎日触れていないと)ちゃんとしたレベルまで習得することは困難だと思います。

ただ、これに関しては大学も本気で習得させようと努力しているとは思えないんですよね。

生徒の方も本気で二外国語を会得しようとしている人は少ないように思われ、そういう人はまた、自分で独学することがあるので、なんというか大学の授業が授業として機能していないような気がします…。

 

 

~これから二外国語をとる人へ or 二外国語がつらい人へ~

この部分は科学的根拠が薄い、私の体験談になりますので、あんまり鵜呑みにしない方が賢明に思われます…(+_+) ただ言語というものに対して自分なりに思うことがあるので、これから大学入学する人や、二外国語をとる or ガチる人へ自分の考えを書いていきたいと思います。

 

まずこれから大学へ入学をして、言語選択を行う人へ。

  • 第一に、下馬評で言語を選ばないようにしましょう。例えばスペイン語ですと、簡単という下馬評がありますが、そもそも日本語が母国語の人間にとって、簡単といえるのは朝鮮語トルコ語くらいでしょう(朝鮮語は単語が割と似ている、トルコ語は文法がかなり近いらしい(?))。それ以外の言語は、ぶっちゃけどれも難しく感じられると思います。

 

  • 第二に、やってみたい言葉があったら迷わずその言葉でつっこんでいきましょう。大学の二外国語は、はっきりいって興味があったら強いです。…というのも周りの人は興味や関心をもって言語選択をしている人は少ないからです。社会に出た先の二外国語の有用性なんて、自分の大学後の人生でいくらでも変わります。なので知りたい、勉強したい言葉があったらその興味のままに大学へ進んでいきましょう。

 

 

 次に、今大学に入っていて二外国語がつらい方へ。

 

これは単位との相談になりますが、二外国語の勉強がつらいなら、潔く勉強時間を削るほうがよいと思います。

私の信念ですが、言葉は中途半端にやるのが一番不味いと思ってますので、やらないなら最低限単位をとれる勉強に、やるならとことんマジでやったほうがよいと考えています。というのも、やりたくなくて、それでも時間を割いてガリガリ勉強して点をとって…とやっても、一年後にほぼほぼ忘れていると思います。おそらく確実に。
私としては、これ以上ない不毛な時間を使っていると感じてしまいます。

 

嫌いならもうどうしようもないことですので、その分の時間を別のことに充てる方が有意義ですし、好きならある程度高いレベルまで習得すれば、あとはそうそう忘れることがなく、その言語が喋られている国をより深く理解することが出来るようになるので、どんどん勉強するほうが有意義だと思います。

 

 

まとめにかえて

大学の二外国語の事情について、私なりの言語に対する考え方も全面に出しながら紹介していきました。

あくまで言葉が好きな私の意見ですので、ご参考までに留めておくのが良いかと。

英語ならともかく、大学の二外国語は使えれば絶対に強みになると思うので、個人的にはちゃんと勉強した方が楽しいと思いますが…

 

 

 

次の記事のネタはいろいろ考えていますが、とりあえずなんか一つ作品を考察したいといった感じです。アニメか文学かゲームにしようか決めてませんが、私なりの視点から紹介出来ればいいなぁと。

生活が輪をかけて忙しくなってきたので、更新はまた遅れるかなぁ泣 なるべく早く書きます…

 

ではでは~(^^)ノシ

大学生活の感想とかの雑記

皆様こんにちは。というか一か月ぶりくらいでしょうか。

 

ブログ開設してからちょこちょこ記事を書いては溜め込んでいたのですが、大学のレポートが忙しいことを言い訳にしてしばらく放置していました。ごめんなさい。

これからはもう少し頻度を上げて更新するつもりです。…多分。

 

今回は何か有益な内容を伝えられるわけではないのですが、とりあえず大学生活を2か月送った感想なんかを書いてきたいと思います。

まあただの感想雑記ですので、私なりの大学に対する考えも混ぜていきたいなぁと。

 

まず、大学入って思ったのがいろんな人が日本にはいたんだなぁということ。

地方、首都圏という切り口での違いを感じることがあれば、共学、男子校、女子校という違い、さらには興味の違い、年齢の違い(一年生の段階でも、高校などのようにみんながみんな同じ年齢って訳ではないです。現役と浪人という時点で、年齢は1~2違いますし。)などが目に見えて分かるくらい多様化しています。

ただ年齢の違いについては聞かないと分からないことがほとんどです。私も未だにクラスの中の浪人生を全員知っている自信はありません泣

 

そして友人の中でも地方出身の子の話などを聞いていると、私は首都圏の民ですので、想像するのも難しいような地方の現状、受験体験の話などを聞くことがありますし、さらに一人暮らしの大変さ、寮暮らしのエピソードなど、自分が見たことのない世界の体験の話を聞くことが出来るのもまた楽しいことの内の一つかなーと思います。

 

次に思ったのが時間割が、ひいては時間の使い方が自由であること。

私は比較的学校に行かされる時間割になっていますが、来ない人は来ませんし、別に来たくなきゃ来ないというスタイルを貫くことが出来るのも、大学のいいところかなぁと思います。

自分の中で印象深いのは、他の人の時間割の運用でありまして、授業として履修しないで、教室に入って授業を聞く「モグリ」を行う人もいれば、出席だけとって後は荷物まとめて帰る人も居たりなど、これがいいのか悪いのかは置いておいて、いろんなスタイルで授業を受ける人が出る(高校のように、クラスで縛られて全授業出席とられながらきちんと真面目に受けることを強要させられるのとは違った環境)のが印象的でした。

 

 

しかし何もかもが新鮮で素晴らしいのかというとそうでもなく、いくつか不満もあったりします。

 

まず一つ目としては、考えの保守化です。

 

大学に入るとまぁ大抵の人が遊び始めます(自分も例外ではありません)。それ自体は別に否定すべきものではないのですが、遊びに遊んで、さらにバイトーといった風になると、どうしても勉学のほうがおろそかになって授業の出席、自習などがつらいものになっていきます。

そうすると授業の単位(大学生の中ではなんと言うか鍵となる単語の内の一つですよね笑)をとる、という目標に的を絞る人も生まれ、楽単とか出席が取られない授業とかいうのが人気になってきます。

そうすると大学という研究機関に身を置いているにも関わらず、なんだかやっていることは授業の単位を取る、言うならば高校の定期試験で悪い成績をとらないように頑張る、といった類の努力と似たことをするようになっていくのではないかと恐れる気持ちがあります。

自分もそういった傾向にのまれそうになっている自覚はあるので怖い所ですが、「大学に入ったから遊ぶ」というのはどうも違うように思うので、対処法としては、遊びすぎないように意識することでしょうか。後述する内容にも繋がりますが、自分の興味が確定していれば、授業もより楽しめるかもしれないと考えると、自分を興味を早く探すのも一つの手だてかなぁと。

ただ今は時間割がまだ忙しいほうなので、時間割が忙しくなくなった時に自分の道を進めるか、というのが少し気にかかる所ではありますが…。

 

二つ目は自分探しです。

 

大学に入って自分の好きな学問を究めるぞーといった熱意に溢れた状態では入学しなかったので、自分の興味、関心についてまだまだ探したいことが今はまだ一杯ある感じです。

ただ大学の基本スタンスは一貫して「お前の興味を貫け!」といった風な感じで、自分を探したい所で、自分を問われているという矛盾した環境に向き合っているように感じますね。

今は比較的自由度高めに授業を受講出来ていますが、これから単位とか、必要条件とかいう、あんまりムキになって考えたいとは思わないようなことを考える必要が出てきまして、どうも切羽詰まってるなぁー、とまだ入ったばかりなのに感じる場面が生まれます。

…ただこれ自体はいろんな課外活動とか、他者との関わりとかの中でまたいろいろと考えていくつもりですので、あんまり心配はしていませんが。

 

 

さてさてここまで大学へ入った感想とかをだらだら書いていきましたが、全体としては高校と違った人々の様子、授業の様子、活動の幅広さ、可能性の広さに驚いていますし、なんとか五月病にはかかることなく、ささやかに楽しい大学生活を送れているので、満足しています。

いろんなことが出来るようになったと同時に、いろんなことを考える必要も、いろんなことに思いを馳せる必要が生まれてきたのも、また一つ楽しいことかなぁと。

 

この2か月間にいろんなことが起こりましたが、それはまた追々、自分なりに解釈をした後にでもブログに書いていきたいと思います。

次に書くとしたら、二外国語についてか、サークルについてになるかなぁーと思っていますが、まだ未定です。 

 

 

ここまで私の話に付き合ってくださった読者の方々、ありがとうございます。

次の更新まで気長に待っていただければ幸いです。なるべく早く更新できるように努力するつもりですが…!

 

ではではまた次回(^^)ノシ