葉月のまったりブログ

中の人の日常体験とか思ったこととかを雑記的に記していくそんなブログです。

人間関係について考える ~番外編~

皆様こんにちは。葉月でございます。

次回で最終回とか言っていたこのシリーズですが、ふと書きたくなった内容が頭の中に浮かびましたので、番外編として考察をしていきたいと思います。

題して「オンラインとオフラインの人間関係の違い」について。

 

コロナの影響から、学校や会議などがZoom、TeamやSkype等のネットサービスを用いて行われるようになり、「オンライン飲み会」「オンラインホームルーム」など、オンラインの登場の場面が増えました。

このオンラインの状況について、従来の対面のコミュニケーションとはどういった点で違いが生まれているのか。さらに、その違いからどのような状況が生まれると想定されるのか、について考えていきたいと思います。

 

 

議論に入る前に、予めこの議論の「取り扱う幅」について説明しておきます。

「オンライン」「オフライン」という言葉ですが、具体的には、従来の顔を向き合わせて、人と話をするコミュニケーションの形態を「オフライン」とし、ZoomやTeam、Skypeなどのオンラインツールを用いたコミュニケーションを「オンライン」として説明しています。

 

そしてTwitterやLineなどのSNSと、 ZoomやSkypeなどのツールでは、コミュニケーションの媒体が、文字と声、加えて顔が見える、見えないなどの違いを内包しているので、「オンライン」という言葉の中に文字コミュニケーションを主とするSNSは含みません。

また、「SNS」の中についての分類(Twitterやブログのように一般に広く公開される形のものと、Facebookのような、承認制の閉じたコミュニティのもの、といった区別)は行わないこととします。

 

 

1. 「SNS」, 「オンライン」、「オフライン」の機能における違い

SNSを含めた、この3つのパターンのコミュニケーションの違いについて比較していきたいと思います。

 

SNSは(先の定義で定めたように)文字コミュニケーションが主であり、匿名性があるように思われています。それに付随して、顔を合わせたコミュニケーションではない、という点が挙げられます。


「オフライン」は手話、筆談などのケースを一旦除いて考えると、音声コミュニケーションを主としており、顔を合わせたものであるため、匿名足り得ることはないですね。

そして、後の議論に繋がりますが、自分との場に「人間感覚」を共有しているというように感じるということも大事なポイントだと思います。

*この「人間感覚」という単語ですが、皮膚感覚のような、接触感覚的なものに加えて、相手が生身の人間として自分の目の前に存在しているとする感覚。と定義しておきます。


「オンライン」は音声的側面に加えて、チャットのような文字コミュニケーションの側面も存在しています。顔出しも、カメラをオンにするかしないかで選択することが出来ます。それなので、匿名性についても、匿名になろうと思えば不可能ではない、といったレベルで担保されていると思います。そして先に紹介した「人間感覚」は完全には存在しません。

 
ここで、まず「オフライン」と「オンライン」+「SNS」について比較検討したいと思います。

文字化、匿名のコミュニケーションにおける、「オフライン」との違いとなりますと、まず、 文字の与えてくれる情報量が少ないということ。

これは、顔が見える状態でのコミュニケーションであれば、表情や体の動かし方、視線や雰囲気などの非言語情報も同時に来るので情報量が多いですが、文字だけの情報では、その言葉の解釈の仕方で、その人の考えが誤って理解される可能性を孕んでいます。

また、言葉のトーンすら文字に乗らないので、冗談や文字通りの解釈などの難しさが格段に高くなります。


次に、匿名による情報発信の責任の無さが挙げられます。例えばコロナ後のツイッターにおけるデマの流布や、不安の流布は莫大な力を持っていました。

4~5月にSNSを見ていた人ならば、想像に難くないと思います。

そういった情報を発信、拡散する際に、発信元の身元や社会的ステータスが不透明なままに情報を流すことが出来てしまいます。

 

 

2. 「オンライン」と「オフライン」の比較

前回の章では「SNS」も加えた中で考察していきましたが、この章では、「オンライン」と「オフライン」に絞って考えていきたいと思います。

ここから先の「オンライン」と「オフライン」の検討においては、会社や学校のZoomのコミュニケーションを基軸に考えるので、匿名の状況は想定されないものとして考えます。


この状況で考えると、文字化と音声、先の章に述べた「人間感覚」、ツール上でどうしても発生してしまうラグ、がコミュニケーションの違いにおいて、大事な要素として考えられると思います。

 

*文字化
チャットでのコミュニケーションは文字ですので、文字化についても考察していきます。

文字でのコミュニケーションは、声の場合と違って、文字の形で残ってしまい、音声のように一過性に消えてしまうものではありません。なので、音声のように生産と消費が早いペースで行われることが少なくなります。

また、文字と文字のコミュニケーションでは、相手が自分の文字をどう解釈したのか分かりづらいです。文字の形として残ってしまうことは、相手に様々な解釈を「ずっと残る形」で提供しているに等しいからです。

そして、音声で表現出来るが、文字化するのが難しいアイデアなどが存在すると思います。特に、アイデアとして朧気にしか頭にないものを文字化することが難しい風に感じた経験は持っている人が多いのではないでしょうか。

 

*「人間感覚」
先に一応の定義をしましたが、目の前に生身の人間がいるという感覚です。

「オンライン」では、カメラによってその人の顔や体の画像は共有されているため、SNSよりは人間感覚は高めであると想定出来ますが、「オフライン」の場合と異なり、生身の人間が目の前にいるという感覚は、どうしても完璧に補完することが難しいです。

 

*ラグ
「オフライン」の場合では起こりえないラグが「オンライン」では存在します。

例えば、マイクからの音声の入り具合、カメラ画像共有時のその人のモーションのラグなどで、コミュニケーションの中に新たな阻害点が生まれている印象があります。

受け取り手の環境(Wifi環境、マイクやイヤホンの調子など)にも影響を受ける要素があり、「音声を理解する、発信する」という点において、「オフライン」にはない煩雑さがあります。

また、これが原因で、会話の中断やリスタートが行われることも少なくなく(私自身よく経験することですが)、オンラインの会話の不便さを浮き彫りにしているように感じます。

 

ここからは先に述べた3つの点を踏まえて、「オンライン」と「オフライン」の違いを詳しく見ていきます。

 

これは友人が言っていたことですが、「オンライン」が「オフライン」の補佐のような役割として認識されているという印象があるということです。

ラグの部分でも説明しましたが、聞き手、話し手の環境に影響されるものがあり、人数が増える程会話が難しくなるということが一つ考えられます(悪い環境の人が一人いると、ラグは全体に波及する…)。

これに加えて、オンラインの喋りと喋りの間の長さが、そのラグ等に気をつかった結果として長くなっているように感じるということです。

大勢の人が一斉に話をしてしまうと聞き取れないハウリング状態になってしまうことから、一人だけが会話している状態が望ましいのですが、会話の主が誰になるかなんて雑談では決まっていませんので、「譲り合い」や「遠慮」といった社会心理も働いているのではないかと感じます。


次は「オンライン」であることの利便性です。

とにかく会話に参加している人のいる場所を選ばない、つまり会話が同じ物理空間にあることを条件にしなくなったことが大きいと思います。

次の章で見ていきますが、これによって会話の可能性自体は広まったと思います。

「オフライン」では、人と人とが会話する時には、その会話参加者全員がある場所へ向かい、同じ物理空間を共有しないといけない、という制限がありました。

対して「オンライン」ではその分のコストが必要なくなったため、そのコストを差し引いたら(家を出てどこかへ向かう面倒さがないなら)会話に参加出来る幅が広がるように感じます。

しかしながら、次のパラグラフで見ていきますが、会話の可能性は広がったものの、「会話の場」が生まれる可能性を増やしたか、と言うと、そこには議論の余地が残ると考えます。

 

そして「会話の場」という意識についてです。

会話の場自体は、「オフライン」だと非常にユビキタスです。軽く挨拶をするだけの間柄、ちょっと御喋りをするだけの間柄の人間関係を持っている人も多いでしょう。

先ほどのパラグラフで少し触れた、同じ物理空間を共有しないといけないという話ですが、「オフライン」では逆に、「同じ物理空間を共有しているから」会話の場が出来ることがあったと考えられます。
(この例として分かりやすいのは、「同じ電車に乗っているから」とか、「席が隣になった」から話すクラスメイト、などだと思います。そういった間柄の人、いませんでしたか?)

 

「オンライン」だとその理由でもって会話が始まることがないため、そこから始まる会話の芽は出にくいです。

こういった会話は短時間(雑談みたいなもの?)であることが多いですが、こういった短時間の会話の場の形成が行われにくくなっているような印象があります。


「オンライン」での会話では、きちんと「会話の場」を作る必要があります。

「同じ物理空間にいるから」といった物理的理由ではなく、会話を行うための場所を作らないといけない、といった意識が生まれることで、ある程度の長さ、内容の会話を想定する人もいるでしょう。

それに加えて、カメラのオンオフ、ミュートかどうかで、会話の参加に対してある程度の意思表示が出来てしまうこともあります。

「オフライン」では、会議中にこっそりうたた寝をするなど、会話の場への参加具合はあまり(パっと見では)見えませんでした。

しかし、Zoomなどのツールではカメラをオフにすることで自分の「姿情報」を相手に与えないことが可能ですし、ミュートにしてしまえば音声情報すら与えないことが可能になります。

この二つだけでも、その人が会話の場にどれだけの情報をもたらそうとしているのか、どの程度参加をしようとしているのかが可視化されてしまいます。

 

 

 

3. これからの状況の想定

今更ですが、この記事では「オンライン」のほうがいい、「オフライン」のほうがいい、といった議論をするつもりはございません。

寧ろ、会話の目的、用途に応じて使い分けることが有効なのではないかと思いますので、これからの状況の想定(希望的観測)を考えていきたいと思います。

 

「オンライン」についてですが、会議とか話し合いなどの、発言者をきちんと区画ごとに決めることの出来る会話の場であれば、先の章で説明したオンラインの利便性が大きく輝くと想定します。

会話の場をきちんと作らないといけない面倒くささ、「人間感覚」の減退は、会議などのきちんとした場での話し合いの状況においてはデメリットになりません。

マシンガントークのようなテンポの早い会議ではなく、質疑応答や発言者の持ち時間がきちんと決まった型の会議であれば、ラグもあまり問題にならないでしょう。

 

しかしながら、雑談や友人同士の会話など、テンポの早い会話、人間感覚に重きが置かれる会話の場であれば、デメリットは大きいと思います。

少なくとも、友達と遊ぶことが出来ないと嘆く中高生の多さを見ると、「オンライン」でその不満を充足を期待するのは無理なような風に感じます。

 

「オフライン」についてですが、 対面授業や対面接客が望まれる声を見ると、私が「人間感覚」として名付けた生身の人間が目の前にいるという感覚は、確実に「必要」とされ、求められているのかなぁといった風に感じます。

 

これらを踏まえて考えると、なんでもかんでも「オンライン」とは成りえないでしょうが、コロナの終息具合で対面(「オフライン」)は増えるものの、「オンライン」を用いる層は確実に残ると思います。

どのくらいの割合になるかなんて分かりませんが、コロナ前に比べて増えることは恐らくほぼ確実でしょう。

 

 

4. まとめ

コロナの影響で対面を避けるように推奨されているこの世の中、「オンライン」がいろいろな場面で進められています。

「オンライン」は、コロナのせいで仕方なくとっている措置、といった側面があるのも否めませんが、私自身「オンライン」にも非常に可能性があると感じる人です(「オフライン」と比較してみることで、その弱点や強みを探ることが出来ないかなぁと思ったのがこの記事を書くきっかけだったりしますが…)。

「オンライン」の是非などを考える前の足掛かりとして、とりあえず、どういった違いがあるのかについて比較検討してきました。

 

この記事の落ち度を認める部分として、同じ物理空間において、人と人とが向き合って(対面して)会話をしているという感覚を、「人間感覚」という非常に曖昧な観念を導入して説明した風にしていることがあります。
「オンライン」と「オフライン」を分ける重要な感覚の一つですが、分かりやすい説明の言葉が思いつかなかったので、少々いい加減な説明であることは自覚しています。

この感覚の説明、誰か論文とか紹介してくれませんか…(+o+)

 

恐らく数年かそこらか経過した後に、オンラインにおいてのコミュニケーションの形がどのように変わっていたのか、調査はされると思いますが、まだまだこれからどうなるか分からない所でございます。

著者もオンライン化の最中にいますので、この変化を観察していきたいなぁとか思っています。どうなるのかなー

 

 

5. 参考文献

三浦麻子. (2012). 東日本大震災とオンラインコミュニケーションの社会心理学: そのときツイッターでは何が起こったか. 電子情報通信学会誌, 95(3), 219-223.