葉月のまったりブログ

中の人の日常体験とか思ったこととかを雑記的に記していくそんなブログです。

未来思考をしてみる

皆様こんにちは。葉月でございます。

 

大学の後期課程に進むにあたって、自分の将来とか、やってみたいこととかをいろいろ考えてみたいと思い、こんな文章を書いてみました。

考えれば考えるほど、こういうものはどんどん穴にハマっていくような気がしますが、沼にはまっているの思考の雰囲気をお伝え出来ればと思います笑

 

 

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私が後期課程から専門に学修する学問が、「社会心理学」という分野になります。

社会心理学は、個人と社会の相互作用を学ぶ学問というのが大枠であり、アメリカの黒人差別の問題、傍観者効果、などが社会心理学の話題として比較的有名なお話でしょうか。

この学問、私としては「社会という大きなものをマクロ的に見る」学問だと思っています。

 

社会という集団の中には、人が大勢いて、法律というルールや道徳に縛られながら生活をしていて、そんな社会を、「社会」という大きな視点から仕組みを見ていく、という部分に自分は惹かれている気がしています。

 

 

この社会心理学専攻に至るまでの自分の一年半の大学生活で、何か自分の中で考えは変わったのかと考えてみると、そこまで大きくシフトチェンジしたわけではないです。

結局、留学で自分の中に深く刻まれた、人と関わろうとすること、人との関係について考えること、という観点が自分の興味の主軸であり続け、それが専門を決める際の決定要因にもなりました。

 

今振り返って思うと、今までの自分の学問のフォーカスは、ミクロ的なものが多かったです。

6~7月辺りにブログにあげていた「人間関係について考えるシリーズ」の中において、共感、話し方、関わり方という面においては、ほとんどすべて個人対個人の関係が念頭にありました。

個人的要素として共感や話し方を考えていたのは事実で、その姿勢が社会的な何かに結び付くとは少し考えにくいのかもしれません。

 

ただ、人と人との関係において、ミクロ的な視点しかないと片手落ちになるのではないとつい最近思い始めました。

自分は今まで人の経験やそこから生まれる個人的な部分に大きく着目してきましたけど、人には社会的な地位があって、その人が属している組織やグループがあって、経験がある。

その人個人であると同時に、その人は社会(グループ)に属している一員であり、そのグループ内の関係場の中で生活しています。

 

考えれば当たり前の話ですが、個人としての経験から(目に見える)行動、振る舞いにすぐ直結するわけではなく、社会的状況、その人が持っている社会的地位、関係も影響を受けます。

ロミオとジュリエットの話でもないですけれど、個人と個人の人間関係が、この世の中にある関係のすべてにおいて決定的要素だと確定できるほどのものは恐らくないです。

 

 

社会心理学の話に戻りますと、この学問のマクロな視点を学ぶことで、自分の中にミクロとマクロの二つの視点を得ることが出来ると期待しています。

そして、今まで自分にとって薄かったマクロな視点について学ぶことが出来るので、人間関係について、より深い考察が出来るのではないかとか思ったり。

 

少しだけ社会心理学について齧って勉強してみたりしたのですが、どうも人間関係についての知見が少なめなように思っています。

恐らく、人間関係を客観的かつ定量(定質)的に観測する手法があまり整えられていないからなのだと思いますが、この難題に挑んでみたい気持ちがけっこうあります。

教育心理学発達心理学とかの分野だと、家族関係、青年の友人関係とかの研究報告が蓄積されているっぽいので(Google Scholarで検索した感想)、ここら辺の分野にもアンテナ張っておきたいなー、と。


勿論、学問がすべてを解決するという思考になっても実務的には片手落ちだから、頭でっかちにならないようにしたいという思いはあります。

専門課程からの自分の学びの方向性としては、人間関係というダイナミックな行動折り合いを、ミクロマクロ的視点から理解したいという風にまとめられるでしょうか。

 



大学にいる間の学問はこのくらいの考えがありますが、将来の話になると、どうもボヤボヤしているように感じます。

将来について、何か確固たる考えや指針があるわけではない。

別に、これについて嘆きたいのではなく、将来の不確定性を考えてバッファを残したい、みたいな思いはありますが…。

 

コロナで揺らされる社会を見て、一番に思ったことは「将来は不透明」といったことでした(ちなみにこの不透明、という言葉をネガティブな意味に捉えてほしくないです…)。

将来のことに予測を立てても、その見立てを簡単にひっくり返してくれるイレギュラーが確かに存在することを強く認識しました。

 

ちょっと余談になります。社会の激動は、凝り固まった価値観や規範を揺るがすパラダイムシフトのきっかけ足り得ると思っていますので、社会の不透明性は、ある程度存在すべきだと私は思っています。

どんな法律の条文も、文字に残されて、そこで時間を止めてしまえば、時代に合わなくなる日は必ずやってくる。

 

そして、人の傾向として、現状のままで留まることを基本的に是とします。

この「現状」という言葉をどう解釈するかで議論が出来そうにも思えますが、ざっくりと言ってしまえば、基本的に人は「そのままでいい」と思う生き物なのです。

現状を変えるには(認知的、精神的)資源を必要とし、今ある現状に不満があっても、人は適応するのが得意ですから、ある程度の時間が経てば慣れます。

 

自分はここまで考えて、社会のうねりに合わせられるバッファを残しておく大切さを少し実感しました。

自分が足をつけて満足した「そのままでいい」足場を、ある程度動かすことが出来るように、社会の変動に身を任せられるように。

 

 

閑話休題。今、自分の中には「人と関わる仕事をしたい」くらいのアバウトな考えしかなく、仕事という形において、何かそれ以上のアイデアがありません。

「いや、大体の仕事って人と関わるでしょ」と、とある人に言われたのは耳が痛いお話でしょうか。

仕事、お金稼ぎを結んで考えれば、とにかく金銭的待遇のいい場所、というものが一つ考えの軸になると思いますが、最近の情勢は変わってきているような気がします。

 

所謂「やりがい」と言われるような言葉で語れるような、仕事の意味。

そんな考え方を採り入れると、自分の興味や関心に即した仕事というものを探さないといけないような気すらしてきます。

でも、「仕事って、自分がやってて楽しいと思うことをやるんじゃなくて、自分が出来ることをやるもんじゃないかな」といった、高校同期の言葉もとても心に残っています。

 

もっと単純な命題に掘り下げれば、生きる上で必要なお金を稼ぐのが仕事、という考え方も出来るでしょう。

そこに何か「えり好み」や「偏見」を加えることはあんまり意味がないんじゃないかと。

確かに、ずっと理想の仕事を頭に思い描いて夢想するよりは、何か仕事を手にしてみて、その中で生きるためのお金を、自分の出来ることで稼ぐ、という考え方は非常に分かりやすい。

 

 

自分の中で何が問題なのかと言えば、いろいろ考えることがあるけれども、自分の中で方向性が定まってない、ということなのかなぁと。

仕事という形でも、社会貢献をしていきたいという朧気な気持ちはあるけど、何をしたいかあまり決まってません。

 

自分の学問的興味を考える辺り、サービス業辺りの職種が近いような気もします。

それでも、セールスのバイトをしてみた感想として、他人に物を押し売る感覚がどうにも抜けなくて、自分には向いてないと思ったり。

接客業とかを考えなくもないですが、関係の長続きを想定出来ない人に対して愛想を振りまくのはどうにも苦手で、悩んでしまいます。

カウンセラーとかアドバイザーとかは結構興味ありますが、実際の働いているイメージが無いってのが自分の中で痛手な気がしてたり。

 

職業の選択に限らず、大学から先の未来が、自分の想定以上に霧がかかっているように感じてしまう。そんな感覚を覚えます。 

大学の間で検討している留学も、計画のスタートアップがどうにも進まない…。

 

いろいろ考えてみましたが、「大学一年を振り返る」でも書いた、選択肢の多さ。その多さが、自分の方向性を少し惑わせているような気もします。

leafkeylosttime.hatenablog.com

 

なろうと思えば、何にでもなれる。子供の頃の夢想のような言葉だけれども、少なくとも、恵まれている自分の環境において、この言葉は相当真実味を含んでいるように思えます。

休学、留学、院進、就活、労働…。

選べる未来は、いろいろあって、あるからこそ迷う。

選んだ未来で確定するわけじゃないけど、きちんと選ばないとなぁという責務のような重みを何となく肩に感じる。

 

ここから先の未来は、社会の中での自分の抗いになるでしょうか。

だからこそ、選べる選択肢をちょっとずつ絞っていくのも大事かもしれないし、自分の興味の方向性をもう少し実学的に絞っていくのも大事かも。

選択肢として残っているものをシミュレーションしてみて、自分の中でどう思うか考えてみてもいいかも?

今自分のすべきことはこの辺りのことなのかな。

 

 

もうちょっと霧の晴れた未来指針みたいなのが組みあがると気楽なのかもしれませんが、それはこれから先の考える行動次第でしょうか。

なんとなく社会は、日常という慣れを取り戻しつつあります。

そんなゆっくりとした現状維持を眺めながら、後期課程の授業始まりを何となく待ってみる。

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ここまで読んで頂きありがとうございました…! とりとめのない散文みたいですが、楽しんで頂けたら幸いです。